| Sir Corin Davis コリン・デイヴィス(2) |
ドヴォルザーク:交響曲第7番/LSO(LSO)
ブルックナー:交響曲第6番/LSO(LSO)
クラシック文庫(全10巻)/BBC交響楽団、他(Ph)
ベートーヴェン:交響曲第5番/第6番「田園」/BBCso(Ph)
チャイコフスキー:大序曲「1812年」/ボストン交響楽団(Ph)
ブラームス:交響曲第3番/バイエルンRSO(BMG/RCA)
ドヴォルザーク:交響曲第7番
C・デイヴィス指揮/LSO
(LSO 0014)
夕ワーレコードの広告でのこのシリーズの扱いは常にトップです。
今月号では、2番目にはラトルのベートーヴェン全集が、3番目にはボンファデッリが来ています。
なんらかの意図、作為が働いているのでしょうか。
広告文もまた興味深いものです。引用させていただきましょう。
| C・デイヴィス&LSOによるドヴォルザークの第7番がようやくリリースされます(約1年前からインフォされていたもの)。既出の8番とカップリングにしてリリースされるとかお蔵入りになるといった噂もありましたが、何はともあれリリースされることを喜びたいところです。 この7番は、8番や9番にくらべてやや地味な存在ですが、指揮者とオケ次第で俄然その魅力が開花するポテンシャルの高い作品であるだけに、C・デイヴィス&LSOの演奏には大いに期待がかかります。事実、LSOの関係者の間では、「これまでのドヴォルザーク・シリーズの中でも最高の出来栄え」と称賛されています。名コンビ、マリンソンとフォルクナーによる優秀録音! |
この中で「お蔵入りの噂」とありますが、このガセネタの張本人は張本勲・・・ではなくて、もしかしたら某通販ショップかもしれません。私も引っ掛かったクチです。(念の為申し上げておきますが、だからといって某通販ショップに対して、全く悪い感情はもっておりません。誰にでもよくある勘違いの類です。)
原因が、もしそうだとしたら、この通販ショップはやはりかなり影響力をもっているということになり、益々期待ができる、ということにもなります。
さて、演奏ですが、率直に言って「ドヴォ7」なんて、まともに聴いたことはありません。常々レパートリーの狭さを自慢する私のことです(その代わり同じ楽曲、録音を繰り返し聴く回数は自慢できる)。
まず、演奏の技術的精度、集中力、気迫、録音といったものに全く揺るぎがないことは申し上げておきます。
問題は「ドヴォ7」とは何か、ということです。
よく聴いてみれば、なかなか熱いものがあります。そしてドヴォルザークお得意のズンドコ節も全開。
そもそもドヴォルザークってダサいと思うんです。「新世界」だけ聴いているとそれほどでもないんですが、交響曲第8番、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、SQ「アメリカ」、「モルダウ」、ハンガリー舞曲・・・などと聴き進めると田舎くささ、土くささは否めません。一生懸命やればやるほど大袈裟で恥ずかしくなってきます。
・・・と、さりげなくやり過ごしてしまってはいけません。
ん?「モルダウ」は違うんじゃないの?とチェックを入れなければなりません。大丈夫でしたか?
ここでのC・デイヴィスは、そういう部分を少しでも都会的に洗練されたものにしようとしているようにも見えます。これは先のドヴォルザーク、8番、9番でも言えることです。これらの録音を一口で言えば、驚異的弦楽の8番、リズム感の9番と言えます。
そしてこの7番を聴いていて、何かしらエルガーとの共通点があるように感じました。
イギリスとチェコ(スラブ)に民族的共通点があるのかどうかはよく知りません。しかしながら、C・デイヴィスはそれに加えシベリウスらとも相通ずる何かを感じ、表現しようとしているのではないか。
これは全くの想像であり妄想ですが、そんな事を感じました。
さてそこで本盤、演奏・録音とも超優秀ということは理解できますが、ボヘミアンムードを求める向きにはやや不満があろうかと、また、楽曲がややマイナーということもあり ★★☆ です。◇
と、ここまで来て「ふん、モルダウなんかで引っ掛けようとしやがって、その手にゃ乗らねーよ。」と思ったあなた。残念でした。
実はもう一つ、「ハンガリー舞曲」ではなくて「スラブ舞曲」でしたね。
えっ?誰も引っ掛からなかった?・・・がっくし。
逆に、「あ゙ー、間違えてやんの。つっこみ入れたろ・・・。」と思ったあなた。あなたも残念でしたね。これは罠だったのだ。でも、「チェコ」というところに、どうしても民族としての「スラブ」という言葉を入れなければならなかったのはちょっと不本意でした。
(かくして、舞台裏をさらしながら、このシリーズはまだまだつづく。)
2003年2月21日(金)
ブルックナー:交響曲第6番
C・デイヴィス指揮/LSO
(LSO 0022)
これは大変問題のあるレコードでして。
プレスが非常に悪いんです。再生しようとして、ふと盤面を見ると反射面の色ムラが・・・。うーん、これはもしかしたら、と思いながら聴くと、やっぱり。4楽章の途中で再生不能に陥りました。
良く見ると傷も入っていたので、もしかしたらそちらが原因かもしれないと思い、再研磨・リペアに出したんです。
いちおう修理完了として戻ってきたんですが、「反射面にピンホールあり」と言うコメント付き。改めて再生してみると、やはりダメでした。
過去にあまりこういう例はなく、レシートは既にに捨ててしまっていましたので、返品交換もできず、諦めました。
止む無くもう一枚求めることにしたんですが、同一ロットでは多分似たようなもんだろうと予想はしていたんですが、案の定それもNG。(購入したのは別の店。)
今度はしっかりレシートも保存してありますが、どうせあわてて交換しても同じこと。しばらくして落ち付いてから(次のロットを待って)交換に向かおうかと考えています。
でも次のロットなんてあるんだろうか。このシリーズ、あまり継続的に供給されているわけでもないようですので、気付いたら入手困難ということにもなりかねません。
演奏はもう、このシリーズのブルックナーといえば、渋さの極み。こつこつ刻み込んでいくような音作り。気付いてみれば、とてつもなく大きな構造物が目の前に立ちはだかっていた、あるいは、とんでもない深みにはまっていた・・・。
同じシリーズの、かのブルックナー9番の延長線上に位置する・・・というのは逆で、0番をA地点、9番をB地点と仮定すると、AからB地点に至る線分の2/3の地点に位置するような演奏で・・・、犯人はすでにタバコを買っていたんですよ。ヤマモトさん。
ということで本盤、4楽章途中まで、の条件付きですが ★★ (フィナーレ無しに何が語れる!)
2003年2月20日(木)
クラシック文庫(全10巻)
サー・コリン・デイヴィス指揮/BBC交響楽団、他
(PHIIPS)
お勧め度:★★☆
いよいよXデイ(2003年2月26日)がやってまいりました。(2.26・・・である。これは事件である。)
「2月26日なら、当然この話題をやるだろう。」
「ちっ、やっぱりデイヴィスかよ、ワンパターンだな・・・。」
「あれ、何でデイヴィスやらないの?」
おそらく巷では、話題沸騰、議論騒然、喧喧諤諤、誇大妄想、金融不安・・・なことであろう。心中お察し申し上げる。
私も迷った、悩んだ。苦闘と苦悶の時間を過ごした。どっちに転んでも賛否両論は明らかだった。
して、下した結論は?
沈黙であった。
これぞ究極の肩透かし。わからないものは結論を出さない。それはいずれ時が解決してくれる。
そして時は少し経って、考えはこちらに傾いた。やはり宣伝、応援、布教に努めるのが私の使命ではないのかと。
とりあえず、ベートーヴェン全部(3枚)と、ブラームスのうち未聴のものだけゲットしてきました。後は、録音(リマスター)がよく、聴き(買い)直す価値があるならダブリ覚悟で全部揃える。そうでなければ未聴のソースだけ揃える。
まだ全部聴けたわけではありませんが、ベートーヴェンは録音が優秀です。とても細かいところまでクリアで、所謂「針を落とす音まで聴こえ」ます。
演奏は、自然に頭(こうべ)を垂れてしまうほど立派なもので、どこにもスキがない。一点も揺るがせにしない。これほど正々堂々、真正面から取り組んだベートーヴェンも珍しいでしょう。
かといって、単に堅い真面目なだけのものとは違います。内に孕む緊張感、心理的情動・・・・そういうものがじわじわとにじみ出て、知らず知らずのうちにその世界へ引き込まれていきます。表面的に何もしていないからこそ、そういう内面的なものに集中できる。ベートーヴェンとはこういうものではないのだろうか。
PHILIPSが何故(なにゆえ)旧録たるBBC盤を出してきたのか、疑問でした。ドレスデンとの新録全集があるにも関わらずです。
しかし、その疑問は聴いてみて氷解しました。
これはまぎれもない名演です。世に出す価値のある演奏(録音)です。ドレスデン盤とはやや趣を異にしますが、一家に二セット必携のアイテムといえましょう。
全集になっていないのがまことに惜しまれます。もしソースがあるなら是非ともリリースをお願いしたいところです。
2003年2月27日(木)
ベートーヴェン:交響曲第5番/第6番「田園」
サー・コリン・デイヴィス指揮/BBCso
(PHILIPS UCCP-3117)
「やっぱり、この話題か・・・。」
そうなんです。しかし、これは書かない訳にいきません。これを書かなかったら「お前、何を聴いていたんだ。」と言われます。
非常に重要なことを申し上げます。
これは現在デイヴィス・ファン以外の方は聴いてはいけません。聴かないほうが身のためだと思います。
デイヴィスなんて穏健中庸、可もなし不可もなし。「個性がなく」「平凡」と感じ、演奏から音楽以外の何かを聴こうとするなら、ハイティンクでも聴いていたほうがましさ。(「200CD指揮者とオーケストラ」/立風書房/P52参照)
そうお考えの向きは、そのままデイヴィスを知らずに死ぬのがベターだろう。
私はベートーヴェンの5番に多くを期待したことはありません。それほど大した演奏に出会ったことがないからです。(それは演奏者の選択が悪い。そう言われそうです。確かにそうでしょう。素直に認めます。)
この演奏には驚きでした。冒頭から巨大な何かが襲いかかってくるようでした。
すでにこのベートーヴェン・チクルスは雑誌でも「フライング」レヴューされています。(フライング・ブラボーにはキレる向きが多いようですが、フライング・レヴューは許されるのだろうか。インチキくさくないだろうか。)
「律儀」「頑固」「忠実」という形容がされているようです。
確かにそのとおりです。私も昨日の早版に書いたとおりです。それがベートーヴェンの、正に5番ではいわゆるひとつのこれがジャストフィットしてるんですねぇ。(茂嶋長雄の言い方。)
ベートーヴェンの5番かくあるべし。これほど形式と方法論の見事な融合はないでしょう(意味不明)。
私は何かを思い出しました。
そう、これはかのサー・エードリアン・ボールトのベートーヴェン(5番)を聴いた時と同じ感覚です。出来すぎた話ですが、デイヴィスはボールトの正統ではないのか。
この両者にどういう関係があったかは、私は全く知りません。しかしその音楽からは一本筋の通った何かを感じるのです。
そして、私は未だかつて、ベートーヴェン5番の「第二楽章」で感極まったことはなかった!
★★★
第6番「田園」も同傾向。これも冒頭から全開です。
我が名盤たるジュリーニ、ザンデルリンク、マーク。これらは出だしは割と素っ気無くても、5楽章に力点をおいて、それに向かって息の長いクレッシェンドをしていきます。
この演奏では、全体に大きなうねりを伴って進んで行きます。要所要所でクライマックスを作ります。ですからまことに恰幅の大きな曲に見えます。これはザンデルリンクと近い音楽作りのようにも思います。
この曲が、当初「5番」であったことが何故か頷けるような、そういう不思議な感覚を起こさせる演奏です。
★★☆
2003年2月28日(金)
チャイコフスキー:大序曲「1812年」
サー・コリン・デイヴィス指揮/ボストン交響楽団
(Ph)
お勧め度:★★☆
(しばらく更新を中断した後)いきなり「1812年」などというキワモノから入るわけですが、この録音はこの曲の代表盤として名高いものです。特に合唱入りでは、これをベストに推す声もよく聞きます。
この曲は、それこそ子供の頃には喜んで聴きますが、トシとともにだんだんあほらしくなって、そのうちに聴かなくなるものです。(なんと断定的な・・・。)
私も最近では「そうだ、1812年を・・・」なんて取り出すことはないんですが、C・デイヴィスの録音を集める「過程」として、たまたま耳にしました。
度肝を抜かれる、のとは少し違うかもしれませんが、あまりにも予想と違う展開に驚愕し、思わず笑い出してしまう、あるいは泣き出してしまう。これはそういう類の衝撃を与えてくれます。推理小説や手品におけるどんでん返しのようなものです。
特にフィナーレで女声が入るところはその白眉です。(って、これはタネ明かしになってしまうかもしれないんですが。)
そして「なるほど・・・」巷の評判にも得心が行った次第です。
これはまた、ボストン交響楽団の代表盤とすることにも吝(やぶさ)かではありません。流鏑馬(やぶさめ)であり、薮蛇(やぶへび)でもあるのです。(いきなり下らんことを。)
このオケもC・デイヴィスの指揮あって初めて聴くに値するオケである、と言えましょう。
2003年5月14日(水)
ブラームス:交響曲第3番
サー・コリン・デイヴィス指揮/バイエルンRSO
(BMG/RCA)
お勧め度:★★
RCAレーベルは、押しなべて再生が難しい。どうかすると、精気のない死んだような音に聴こえることがある。
しかし、しかしである。「この紋所が目に入らぬか!?」
「ぁえ・・・どの紋所?」
VICTORである。ニッパー犬である。ヒズ・マスターズ・ヴォイスなのである。このレーベルを公然と批判して許されると思うのか。このマークは伊達ではない。
ヘラクレス・ザールでの録音である。そしてエンジニアには「ハンス・シュミット」とクレジットされている。「ハンス・シュミット≒イッセルシュテット」なのである(んな、アホな)。
閑話休題。
さて、この演奏、実は奥が深いのである。
第一楽章は比較的平凡に経過する。これぞ穏健・中庸たるデイヴィスの面目躍如である。(意味不明。)
第二、三楽章も比較的平凡に経過する。これも穏健・中庸たるデイヴィスの面目躍如である。このまま平凡に幕を閉じるのか。
さにあらず。第四楽章に入って突然の爆発を見せる。炸裂するティンパニ、襲い掛かるような低弦のうなり。内から湧き上がるような感興の表現はデイヴィスならではのものである。
デイヴィスは、ブラームスに対しても例外ではなく、他の作曲家と同じように熱い音楽をやる。
VPOとの交響曲第2番のライヴ(FKM CDR-117)を聴くがよい。手に汗握るスリリングなブラームスである。一歩間違えれば爆演である。ドタバタである。VPOを相手にである。
これが生出しのデイヴィスのブラームスと見るべきだ。
私は、これを先に聴いてしまったがために、RCAの正規録音には疑問を抱かざるを得なくなってしまった。
してみると、やはり録音(ポリシー)に問題(見解の相違)があり、何某かの損をしていると見ざるを得なくなる。
やはりこのマークは伊達だったのか・・・。
2003年7月8日(火)