駄聴日記(2003年第1部) 

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3月5日(水)

ベートーヴェン:交響曲第5番

ラトル指揮/VPO
EMI

 ラトルの音楽はいつも挑発的である。挑戦的と言い換えてもいいかもしれない。だが一つ間違えば単なるハッタリと取られる危険を孕んでいる。それだけに(一部リスナーの)反発も強いだろう。
 幸か不幸かここにはラトルの意図を十全に表現できてしまうオケがある。

 この演奏は、極めて居心地が悪い。最初から最後までしかめっ面でいなければならない。この演奏からベートーヴェンの顔は全く見えてこない。いつものラトルの音楽である。口をパクパクさせて、腕をぐーっと前方上部に突き上げる、あのポーズがまざまざと眼前に浮かんできてしまうのである。

 普通なら読み飛ばすところだが、たまたまラトルのベートーヴェンを取り上げようとしていたため目に止まった。「この」ベートーヴェン5番と、新しいベートーヴェン全集のリリースに関する記事だ。

 同じ年(2000年)の12月には全集へのいわば導入として第5番がライヴ録音された。それはセッションを組んで収録されたチョン・キョンファのブラームスのヴァイオリン協奏曲とのカップリングですでに発売されている(TOCE55331)。
 それも現地で聴いたが、今回の演奏と比べるとやはりやや甘いところがあったのは確かだろう。録音についてもラトルの生の音楽をありのままとらえているとは言えないところがあった。彼の解釈で重要な意味をもつ細部のディテイルの輪郭がややぼやけ、その結果旧来のトラディショナルなべートーヴュンに近い印象を与えた。
 おそらくラトルとEMIのディレクターは、画期的な記念碑の建立をめざして周到な準備を行ったのだろう。このディスクは演奏における全集へのステップであると同時に、録音面でもひとつの実験を行なったと解することができる。
しコ芸'03年3月号

 私は一読、唖然とした。何をばかなことを言っているのだろう。

 覚えておいでだろうか、「この」ベートーヴェン5番が出た時、プロの評論家はもちろん、一般リスナーまでもが、これは永遠のスタンダードたる我らの時代のベートーヴェンだ、などとこぞって絶賛していたことを。

 しかし、新しい録音が出たとたん、手のひらを返したように、「いや、あれは過渡期の出来損ないだったのさ。」まるでそんな印象を与えかねない物言いである。
 「この」ベートーヴェンを金科玉条、阿弥陀如来のように崇め奉ってきた全国20万4千人のラトルファンの立場はこの期に及んで一体どうなるのだ。

 よくよく読み返してみれば、「しコ芸氏」の文章もそれほど挑発的なものではないかもしれない。しかし「販売促進」を旨とする推薦文なら、もう少し言い方もあろう。「あの」ベートーヴェンの解釈をさらに徹底させた・・・、とかなんとか。

 それにしても、このところの新ラトル・ベートーヴェン全集の不買運動とも思える風潮はどうした事でしょう。敵?ながら可哀相に思えてきてしまいます。「まぁまぁそう言わずに、ラトルファンを標榜するなら買ってやれよ・・・。」
 それとも少し冷静になってみれば、ラトルなんてやっぱりまだ10年早いよ。うすうす分かってきたのでしょうか。


2月27日(木)

ワルシャワの覇者

 「ぶあらぼ」という雑誌があります(・・・ないない)。
 3月号の中で、「ワルシャワの覇者」という一大企画DVDが発売されたことが広告されていました。
 その中で私が注目したのは、「ダイジェスト・ビデオ無料進呈中」という言葉と、出演者の中に「田中希代子」の名前を見付けたことでした。
 もしかしたら、田中希代子の映像が「タダで」見られるかもしれない。これは見逃すべからず。
 タダより高いものはない。しかし、考えられるのはせいぜい一回の勧誘電話ぐらいだろう。
 よし、呑んだ! 私は、覚悟の上で申し込んだ。

 そして届いた。期待と不安で再生する。

 まずお約束のアルゲリッチだ。ポゴレリチ事件で切れまくっている。そういうシーンがまことにサマになるオバサンだ。
 その後数秒くらいずつ、主だった出演者のダイジェスト場面の連続。
 果たして田中希代子は・・・いました。おそらく映像で見られる彼女はこれが唯一でしょう。
 何故に田中希代子か。
詳しくはこちらをご覧下さい。
 他には後ろ姿しかないようでしたが、多分、中村紘子。そして若き内田光子。

 しかしながらこのヴィデオ、意地悪なことに、字幕スーパーで出演者名が画面に3〜4名くらいずつ出るように、常時下から上に流れ続けているのだ。要するにモザイクがかかっていると理解していただければよい。
 うーむ。なるほどそういう手できたか。
 全体では7分程度。あまりにも短く、タダともなれば、このくらいで満足しとかなければしかたないでしょう。

 このセット、定価338,000円。DVD31枚組みということですが、私なら一桁間違っていても買えない値段です。いったいどれくらい売れるのでしょうか。100セットも売れればオンの字なんでしょうか。
 ところが、罪なことに同じ雑誌の記事欄でこの企画を紹介しているんですが、これが38,000円になっているんです。単純ミスだといえばそうなんですが、大揉めの元ですわな。

 この程度のこともチェックできずに流出(クレーム)してしまうなど、今の企業はガタガタボロボロなんでしょう。どこも。人が余っているというのに、必要なところにはいない。
 かつてはTQCあるいはSQCなる品質向上に努め、分不相応な高品質幻想を夢見、お次はTPMなる原価低減、生産性向上幻想で、要るべき人員を削られ、最後はトドメのISO。できもしない品質保証を、減らされた人員で息も絶え絶えに・・・。
 リストラと称しながら、最初に辞めていくのは優秀な人材ばかり。残りはカスばっか。

 「TPM、成果と売上、反比例。」
 「ISO、やってる現場はSOS。」
 「大企業、リストラされたの実は会社のほう。」
 謹んでお悔やみ申し上げます。綾小路ウタマロです。

 あれ、いつの間にこんな話しになったんだ?


2003年2月24日(月)

東芝EMIビデオ
TOBW3536
4800円
2月26日発売
クラシック・アーカイヴ−1/D・オイストラフ
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
他全8曲
D・オイストラフ
C・デイヴィス/イギリス室内O
シュワルツ/BBCso
モノラル

(しコ芸’03年3月号/後ろから数えてP28)

 これは、出し抜かれたというよりもその逆で、しコ芸から得られる貴重な情報の一つなんですが。

 私はオイストラフにはさほど興味はありません。いつも申しますように、そもそも男坊のヴァイオリニストなんて。
 しかもモノラル。これはDVDだと思いますが(まさかVHSなんてことはないでしょうから)、明記はないですがモノクロでもあるのではないかと。だとすると魅力は半減以下です。モノラルで半分、モノクロでまたその半分と。

 時折、過去の巨匠たちのヒストリカル映像が放映されますが、フルトヴェングラーだろうと、クナッパーツブッシュだろうと、シューリヒトだろうと、ワルターだろうと、モノクロであるなら、ほとんど興味は湧きません。

 私にとっての問題は、C・デイヴィスがどのくらい「出演」しているかということですが、1曲やそこらなら見送るかもしれません。
 この手のソフトはすぐに入手困難になり、中古で出るなんてこともまず考えにくいところです。しかしながら今の私には(たった)これだけのソフトに4800円まで出す気持ちはありません。
 
 誰か買って、C・デイヴィスのところだけ・・・、と独り言を言ってみる。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ダビッド・オイストラフ(Vn)
セル指揮/クリーブランドO
EMI/’69


 思いがけずオイストラフなる名前が出てきました。
 この機会をとらえなければ、金輪際あり得ないかもしれないので、ことのついでに触れてみましょう。

 「私は、これで、オイストラフを聴くのをやめました。」
 とても骨太で、逞しい演奏です。体躯、風貌のイメージ通りと言ってもいいでしょう。
 念入りに噛んで含めて、さらにダメ押しした上で、もう一度始めから繰り返す。幼稚園児に言い聞かせているかの如くです。セルも全面的にそれに協力しているようです。(ちなみに私はセルのやり方にも−この録音に限らず−全く賛同できない。やはりザアト過ぎる部分が耳について仕方がない。)

 しかし、それが押し付けがましいのです。そんな風に言われなくても(私には)ちゃんとわかります。
 それが曲想とまるで合っていないようにも思えるのです。ブラームスなんてもっとなよなようじうじやるものではないのか?(何とブラームスに失礼な!)

 そもそも私はソ連・ロシア系の音楽(家)にはあまり興味がありません。相性が悪いというのでしょうか。
 一方ではそちら系の熱烈なファンがいるというのも厳然たる事実です。おそらく祖先がロシアから樺太経由で蝦夷、日の本あるいは大和に入ってきたのでしょう。
 
 このディスクの場合、オイストラフで半分、セルでまたその半分と。
 点数をつけるのもかったるいですが、☆〜★?(なげやり。あぁ、これでまた全国12万5千人のオイストラフ・ファンをも敵に回してしまった・・・。)

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2月23日(日)

しコ芸に出し抜かれたシリーズ(4)

ロッシーニ:Tancredi序曲
ベートーヴェン:交響曲第7番

ラヴェル:マ・メール・ロア
ビゼー:Jeux d'enfants
ベートーヴェン:エグモント序曲
シューマン:交響曲第3番「ライン」
ストラヴィンスキー:「火の鳥」
J・シュトラウス:皇帝円舞曲

C・M・ジュリーニ指揮
フィルハーモニアO/シカゴ交響楽団/BRSO/トリノRAIso/ウィーン交響楽団
EMI 5 75462 2(2CD)
(しコ芸’03年3月号/P209)

 困るんですよねぇ、こういう「アルバム」をリリースされると。眠ってた音源で使いやすそうなものを、74分(×2)に収まるように適当に詰め込みました、って感じで。ポリシーもコンセプトもない。
 いや、コンセプトは「20世紀のグレート・コンダクター」だ、って・・・。
 値段がそれほど高くないのがせめてもの救いです。

 いざ買ってみても、何を聴きたいというわけでもないですから、ただ漫然と流してみるだけ。
 工程短縮、予算削減、経費節減のもと、元の録音にほとんど手を加えない(リ)マスタリング故、音質はすこぶる優秀。EMIさん、やれば(何にもやらなきゃ?)できるじゃないの。
 
 特徴としてはライヴが多い、ということですが、ジュリーニ(に限らず)のライヴなら海属さんのほうがはるかに価値のある音源を提供してくれているわけで、敢えて正規盤にそういうものを求めなくても・・・。(なんじゃ、そりゃ。)
 
 録音年代を見ても、まったくバラバラで、寄せ集め感は否めません。せっかくこういう形でリリースするなら、一夜のプログラムからカップリングするとか、せめて「エグモント−交響曲第7番」と並べるとか、何らかの策かアイデアもあろうかと思うのですが。
 しかしながら、権利関係で、協奏曲のソリストは入れられないなど、作る側のお家の事情が大事なんですね。きっと。
 これは、特定のファン向けということで、敢えて ★ 

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2月22日(土)

しコ芸に出し抜かれたシリーズ(3)

メンデルスゾーン:オラトリオ「パウロ」

リリング指揮/チェコ・フィルハーモニーO
ゲヒンゲン・カントレイ・シュトゥットガルト
ユリアーネ・バンゼ(S)/インゲボルク・ダンツ(A)
ミカエル・シェード(T)/アンドレアス・シュミット(B)
'94-11

メンデルスゾーン:オラトリオ「エリヤ」

リリング指揮/バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト
ゲヒンゲン・カントレイ・シュトゥットガルト
クリスティーネ・シェーファー(S)/コーネリア・カリッシュ(A)
ミカエル・シェード(T)/ウォルフガング・ショーネ(B)
'94-9
BRILLIANT 99953(4CD)

(しコ芸’03年3月号/P323)

 私が新しいCDを選ぶ基準というのは、実際のところかなり「不純が動機」なのでありまして。
 興味あるアーティストが演奏、出演しているかどうかというのが主たる要因になります。新しい曲、知らない曲を選ぶということは二の次でして。今、手持ちのCDでさえ十分聴く時間がないというのに、これから新しい曲を覚えて、またそれから派生して少なくとも数種類の異演CDを増やすなんて・・・。

 このCDも、リリング×(バンゼ+シェーファー)という、魅力的組み合わせを発見して、これはもう買わざるべからず。加えてダンツ、カリッシュというお馴染みのメンバー。(私の場合、男坊はどうでもよい。)
 しかも珍しくチェコ・フィルだなんて、興味津々でした。

 やはり、この時代(まで)のチェコ・フィルはいいです。録音の優秀さとも相俟って、透明感や輝きが感じられます。
 バンゼの歌声にもいつも耳を立てさせられます。この曲では特に出番が多いので楽しみです。私が聴いたバンゼの録音の中でも、これはかなり優れているような気がします。曲想に合っているという意味でもです。

 ブリリアントは値段が単純明快でわかりやすくていいです。枚数×400円。4枚組みとて1600円ですから、ダメモト。また、おいしいことに、地方?の中古店では、レーベル毎の事情なんてあまり知らないのか、ブリリアントでも300円くらいで買い取ってくれます。そしてその中古店での売価は新品より高いという、うれしいような悲しいような・・・。

 このCDの素晴らしいところは、ブックレットにちゃんと歌詞カードがついていることです。さすがに対訳とまではいきませんが、これがあると無いとでは大違い。しかしながら私など読んで意味がわかるはずもなく、無用の長物ってか・・・。

 これはヘンスラー音源ですので、興味ある方は原盤で持たれるのがよろしいのではないかと。
 何と言ってもヘンスラーのジャケットデザインは高レヴェルで、もってうれしい、また、棚に飾っても背表紙?の並びのカラーリングが美しいコレクションです。
 赤や黄色の単純かつ下品な色使いとは、一味も二味も違います。

 ところで、肝腎のメンデルスゾーンなんですが、こういう曲を聴くとメンデルスゾーンとは何か?という疑問が改めて湧いてきます。
 この演奏が同曲の演奏(解釈)として優れたものであるかどうか、という判断は私にはできません。(これしか聴いたことがないから。)
 しかし、リリング指揮の演奏を聴くと、いつもバッハの影が見え隠れします。
 全ての作曲家がバッハの呪縛?から逃れられなかったことを考え合わせれば、むしろ当然で、それでもいいような気もします。影響が、例えばバッハ→ベートーヴェン→ブラームスというように間接的なものであったとしてもです。ましてやメンデルスゾーンはバッハの蘇演、復活、普及?に努めた人です。その影響はかなり大きいはずです。

 正直メジャーとは言えない曲ですが、録音、演奏(技術)は優秀、声楽陣も充実。しかしながら総合的に見て、圧倒的感動を与えてくれるところまではいかない。
 チェコ・フィルの珍しいレパートリーと言う観点からは注目できる。
 うーん、難しいところですが ★ とするには心苦しいので、★☆ でどうだ!

 正直これ(↑)が載っていたのにはかなり驚きました。しかし次はもっと驚きました。

ブラームス:「ドイツ・レクイエム」

K・F・ベリンガー指揮/ベルリン・ドイツso
ウィンズバッハ少年合唱団
ユリアーネ・バンゼ(S)/シュテファン・ゲンツ(B)
'02-10/Rondeau Production 2020

(しコ芸’03年3月号/P323)

 やられた・・・。
 これも要注目ディスクでした。私もとうに発注していたんですが、まだ届いてないんです。
 聴いていないものは何とも申せません。無念・・・。

 ところで、「しコ芸’03年3月号/P329」に、とんでもないことが書いてありました。

 「海外盤試聴記は批評と言うより紹介のコーナーだから、読者の方がアッと思うようなアイテムを出すことが、なにより大切である。」

 ・・・・・。

 これだけのコメントで真意を理解するのは難しいです。

 驚かせてくださるのはありがたいですが、それがために超レアアイテム(通常のルートでは入手困難)であったり、DVDで日本では再生不能(リージョン違い、PAL方式)であったり・・・。要するに執筆者のひとりよがりではないのか、と思わせるアイテムが紹介されていることがあります。これでは困ります。目の毒であり、罪ですね。
 
 そうではなく、通常では見過ごしがちだが、聴いてみたら超名演で、正統名盤を凌ぐ内容であった、という驚きなら話しはわかります。
 誰でも容易に入手できて、しかも内容に見る(聴く)べきものがある、そういうアイテムを厳選したいものです。お互い・・・。

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2月20日(木)

 似たような話しを過去にもしたことがあると思いますが、ご辛抱下さい。しつこく、くどいのは私の特徴です。

 「しコード芸術」という雑誌があります。
 今日も発売日でした。「この雑誌は読まない」と公言する向きも多いようですが、その割りに読んでいなければ絶対に分からないような内容のイチャモンを垂れていることがあります。
 
 そもそもこの雑誌の使い方を間違っているんじゃないでしょうか。
 はっきり言って、この雑誌はカタログとして使う以外の価値はほとんどない。逆にカタログとして使えばこれほど有益なものはない。しかも新譜のサンプラーCDまで付属している。このCDのおかげでどれだけ下らないCDを買わずに済んでいることか。3000円の新譜を買って失望する被害が防げれば、1250円の雑誌なんて安いもんです。
 逆に、こんな新譜が出ているのか、という情報が一つでも得られれば、もうモトはとれていると考えていいのではないでしょうか。

 最近は時折ぎょっとするような情報が載っていることが多く、うっかりしていると先を越されてしまいます。いいものをいい、といって紹介してくれるのは結構なんですが、私がいずれどういうかたちで紹介しようかと隠し持っているタマを先に出されてしまうと、私としては二番煎じになるようで、やられた・・・、と落胆します。
 しかしながら、連中の情報力というのは、少なくとも日本一なわけで、私ごときがかなうはずもないんですが。
 今月はそういう情報が、特に目に付きました。で、特集を組んでみようかと。

ブルックナー:交響曲第7番
クルト・ザンデルリンク指揮/シュトゥットガルト放送交響楽団
hanssler

(しコ芸’03年3月号/P118)

 これが国内盤規格で再?発売され、しかもトップ推薦になっています。
 それは当然としても、うまいやりかただな、と思いました。
 このレコードは2〜3年前にはすでにレーベル元からは(輸入盤として)発売されていました。
 今回代理店が何を思ったのか、国内規格にして再発売しようというのです。表向きは、輸入盤情報には疎いリスナーの新たなニーズを発掘しようというのでしょう。国内規格にするメリットは、国内盤しか扱わない町のレコード店にも並ぶ、ということです。
 それともうひとつ、国内盤しか扱わない雑誌のレヴュー欄に掲載でき、評論家の懐が暖かくなる、ということです。メーカー(代理店)とメディアと評論家(というより、コピーライターですね。)の癒着。
 本当にうまいやり方です。

 そういう胡散臭い事情は抜きにして、私のお勧め度はもちろん ★★★★ (いきなり!)
詳細はこちらをどうぞ。


2月19日(水)

モーツァルト:レクイエム K.626

リッカルド・ムーティ指揮/BPO
スウェーデン放送合唱団
ストックホルム室内合唱団
(合唱指揮:エリック・エリクソン)
パトリシア・パーチェ(S)
ヴァルトラウト・マイヤー(MS)
フランク・ロパード(T)
ジェームス・モリス(B)
Feb.1987/EMI TOCE-59102 [art]

 これは、失望した往年の名盤ではない。そのシリーズはひとまず昨日で終わりである。

 私がモーツァルトの、しかもレクイエムを語るなど10年早いのかもしれない。(またー、妙に謙虚なことを・・・。) しかもムーティである。私がムーティを聴くはめになろうとは、一体誰が想像したろうか。
 はっきり言って、ムーティの録音をまともに聴くのは初めてである。何故この録音をチョイスしたのか?
 実はエリック・エリクソンつながりなのである。このところエリクソン(合唱団)に興味を持ち、めぼしい録音を探していたのだが、なかなかあるものではない。
 私の場合、単にエリクソンが録音した合唱曲を聴けばよいというものでもない。よくわからない楽曲を聴きはじめても5分ともたないことは、過去に何回も同じ過ちを繰り返している。できるだけ有名で、しかも私のお気に入りの曲であること。となると本当に限られてくる。

 たまたま福嶋クンご推薦で、エリクソン参加のこのモツレクを発見した。(「クラシックCDの名盤」文芸春秋/P90) しかもベルリン・フィルということである。この録音は、そういう意味では奇跡のような組み合せである。これは聴いてみなければ。そして指揮者がたまたまムーティであっただけの話である。実際のところ指揮者なんて誰でもよかった。
 折りしも、店頭に再発新譜で並んでおり、ミッド価格であったことも幸いした。フルプライスならおそらく手を出さなかったと思う。(中古で見つかるまで待つ・・・。)

 演奏は可もなく不可もなく、極めて安全運転で進んで行くように見える。「ムーティの解釈」などというものは皆無なように見える。
 しかしスクロヴァチェフスキやヴァントなどの例にもあるように、譜面を正確?に音響化すれば、作曲家の意図は自ずから浮かび上がってくる、という例もある。

 ソロを含めて声楽陣は確かに素晴らしい。
 録音がまた非常に優秀なことも手伝っている。EMIのartリマスターである。私はこのリマスターには一定の理解と評価をしている。
 
 しかしハッと気付くと、ただ美声に感心しているだけで、曲なんてモーツァルトでも何でも関係ないような気がしてくるのだ。
 たしかに音はきれいで、特にソプラノソロの高域がきれいに伸び、透明感や清らかな感じはよく出ている。しかし全体に音像はボケ気味で、定位感はあまり良くない。
 
 さらに、この録音には暗騒音やノイズが全くないことにも気付く。
 うーむ、もしかしたらこのリマスターというのは「音を綺麗に磨き上げる」ことを重要な目的にしているのだろうか。同じことを繰り返すが、そうすると音の背後のものが消えてしまう。その瞬間、音楽が「お気軽」なものに変身してしまう。表面的なものに成り下ってしまう。
 
 そのことに思い至ったとき、感心は一転疑惑に変わった。そして、突然人工的な音に聴こえてきたのである。先入観や潜在意識の成せる業の何と恐ろしきこと。

 この演奏・録音から受ける妙な軽さというものが、作品本来の姿なのか、ムーティの「積極的」解釈によるものなのか、あるいはムーティの本質なのか、あるいはartリマスターという芸術の産物なのか。
 それらが渾然一体となって、その責任の所在を見事に曖昧にしてしまっているのである。

 ムーティ「モーツァルトなんてこんな程度のもんさ・・・。」
 EMI「ったく、ムーティったら、底が浅いんだってば・・・。」
 モーツァルト「EMIなんぞに録音するのがそもそも間違っている・・・。」

 実に問題の多い、考えさせられる録音であった。だが、こういうCDは、ある意味ではCPは極めて高いといえよう。
 と、いうことで総合的推薦度は ★ である。
 但し、ムーティの名誉?のために申し上げておけば、この曲、この録音に限っては、という条件付きである。

 暫定的な試みですが、コメントだけでは、結局どーなのよ? とわかりにくい場合も多いと思い、お勧め度を★マークで付けてみます。
 ★★★が最高で、☆を「★の半分」として適宜使用します。
 特別なものには★★★★も付けます。その曲の代表盤、その演奏家の代表盤として推薦できる場合などです。  

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2月18日(火)

往年の名盤に失望する(3)

フランク:交響曲ニ短調

フルトヴェングラー指揮/VPO
'53-12-14,15
Decca 417 287-2/国内番号250E 1181

 おぉ!!遂にフルトヴェングラーの登場です。
 ここでフルトヴェングラーを取りあげるのはおそらく初めてのはずです。引き合いに出したことはあったと思いますが。
 当然と言えば当然でしょう。ここで改めて「バイロイトの第九って、凄いんですよ・・・」なんて言ってもしかたがない。
 
 本来ここにはシューマンの4番が来るはずだったんです。
 何故にシューマンの4番なのか。
 事の発端は、かのザンデルリンクのラストライヴなのです。あのアルバムで久しぶりに同曲を聴いて、遥か四半世紀前(またー・・・)、フルトヴェングラーで聴いていたことを思い出したんです。そういえばあれはフルトヴェングラーの代表盤って言われていたけど、どんなんだったっけなー、と。
 しかしながらCD時代になってフルトヴェングラーは全く聴かなくなってしまったため、手元にはありません。CD店頭にはそれなりに並んでいるようですが、もったいないですから、新譜(品)で買うのもためらわれ、中古店を回ることにしました。
 そうしたら思いがけずこのレコードに遭遇したので、これ幸いとゲットしてみたわけです。
 LP時代のこの演奏にも思い出はあります。当時はとにかく何でもフルトヴェングラー。フルトヴェングラーの録音がある曲はそれを聴いておけばよい。そういう考えでした。

 さてさて、この彼女は時を経て、どのような醜態を晒してくれたのでしょうか。

 まず録音が気に入りません。これには二つのファクターがあります。
 1:元々の録音が劣悪であること。
 2:リマスターが劣っていること。

 どちらによりウェイトがあるのかは、この1枚を聴いただけではわかりません。最近は録音やCDのリマスターにも興味をもち始め、同じ音源でもCDの規格によってかなり音質が違うことに気付いています。本盤はおそらく、かなり古い時代のリリースと推測されます。(明記はない。)もう少し良いリマスターで聴けばまた印象も変わるかもしれません。

 そういう前提条件を付けた上でのこの演奏の印象は・・・、
 まず、蚊の鳴くようなか細い弦です。貧弱です。聴いていられません。弦だけが上滑りしているようです。弦によって新しいフレーズが始まる度に「わー、もうやめてくれ〜」と聴く気がどんどんなくなっていきます。
 「肝心の、音以外のもの」が、何も聴こえてきません(感じられません)。
 よろしいでしょうか。「肝心の音、以外のもの」ではありません。
 音の背後にあるべきものが何もないのです。これはいみじくもフルトヴェングラー自身が語ったことではなかっただろうか。
 してみると、フルトヴェングラーが「当時の」録音に関心を示さなかった理由がよくわかります。「現代の優秀な録音」からは、音以外の重要なものがたくさん聴こえてきます。気配や雰囲気と言ってもいいでしょう。

フランク:交響曲ニ短調

ザンデルリンク指揮/ドレスデン国立O
'66/BERLIN Crassics/ETERNA/0030232BC


 例えばここにザンデルリンク指揮の同曲があります。
 これはザンデルリンクの代表盤でもあり、同曲のベスト盤群の1枚でもあります。
 この録音からは音の背後のものが聴こえてきます。雰囲気が出ています。それが正しいか間違っているか、あるいは聴き手の好みに合うかどうかは別として、少なくともザンデルリンクの意図が聴こえてきます。
 
 因みにこれは「現代」の優秀録音ではありません。1966年の優秀録音です。フルトヴェングラーの録音から13年後・・・。現在から見れば35年前です。
 
 ヒストリカル録音に関しては、杵光俊氏が卓見を披露しています。
(大意としてですが)「ピンボケ写真に目をこらして見れば見るほど徒労感が増すばかりである。」

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2月17日(月)

往年の名盤に失望する(2)

ストラヴィンスキー:「春の祭典」

カレル・アンチェル指揮/チェコフィルハーモニーO
SUPRAPHON/’63

 私にとっても珍しい指揮者です。
 アンチェル・・・果たして過去に聴いたことがあるだろうか。あるとすれば「新世界」か「モルダウ」ぐらいだろうが、全く記憶にない。
 最近「ゴールド・エディション」というのがリリースされて、ちょっとしたブームになっているようです。
 
 今回のケースではそちらの関係ではなく、「ハルサイ」がらみなんです。
 このところ(マイ・)ミニ・ハルサイ・ブームになってまして、いくつか聴いていたところです。昔聴いたブーレーズの旧録が中古で見つかったり、棚の奥底から何とフリッチャイのハルサイが出てきたり。
 
 そんな中、某所でアンチェルのハルサイをベスト盤に挙げる声も聞かれ、これまた偶然中古店に転がっているのを発見し、安かったことも手伝って、めでたく鑑賞の運びとなったわけです。
 どこで何がどう間違ってか、あるいはいくつもの偶然が重なって奇跡は起こるものだと思います。
 でなきゃ、あーた!誰がアンチェルのハルサイなんて聴いてみようなんて思うもんですか。メータのブラームスといい勝負ですって。(このギャグがわかる人は勉強家≒読書家であろう。・・・「クラシック名盤ほめ殺し(洋泉社)」P120参照)

 「名指揮者120人のこれを聴け(洋泉社)」というムックがあります。
 正直なところ私はこの本にどれだけお世話になったかわかりません。この本のおかげで「私の」聴くべき指揮者をたくさん教えてもらえました。

 その中のアンチェルの項にこういう一文があります。

 かなりの枚数が残されているアンチェルの録音で、ベスト盤をもし一枚だけ選べと言われたら、迷うことなく《春の祭典》をあげる。
 正直なところ第1部には、ブーレーズやアバドのレコードを初めて聴いたときのような衝撃はない。凄いのは第2部じゃ。なかでも〈選ばれし乙女への讃歌〉(CDのトラック2/7分30秒くらいから)でのパーカッションは、土俗性をむさ出しにしたビート感覚で、サロネンのように格好よくデフォルメされた演奏を聴さ慣れた耳には鮮度抜群。
 最近の指揮者たちのようにスマートに叩かせたほうがきっとオーケストラも弾きやすいのじゃろうが、ここの変拍子に関してはマルケヴィッチやこのアンチェルが正解だ。
 あのシェルヒェンに指揮法を習い、ドヴォルザークやスメタナなどよりも、よほど現代音楽の演奏に情熱を燃やしていたアンチェルの最良の遺産として、末長く聴さ継がれてゆくよう望むや切。

 ということなんです。
 
 で、「果たしてそれはどういう演奏なのか、どういう録音なのか、気になる向きには聴いてみていただくしかない。結果は聴いたあなたが判断するよろし。」との教えのとおり、私は自ら実践するものである。

 阿鼻叫喚・地獄絵図・酒池肉林・・・およそ野蛮系ハルサイに贈られる称賛を一人占めできそうな演奏である。
 もう出だしから音が前のめりになって、そんなに急いでどこ行くの。良くいえば推進力がある。悪く言えばせかせかと落ち着かない。
 しかもチェコフィルである。アンチェル時代のチェコフィルはVPOをも凌ぐアンサンブルを誇っていたそうである。しかし同時にアメリカやロシアのオケをも凌ぐほどの野蛮さを醸し出して?いる。機能集団といえば聞こえはいいかもしれないが、ぎしぎしした軋轢、かすれ、摩擦・・・ちょっと油でも差した方がいいんじゃないのと言いたくなる。
 渇き切った心にタバスコと唐辛子と胡椒をふりかけ、傷心に粗塩を擦り込む。生贄の娘を十字架に磔(はりつけ)にし、更に鞭打った上で、火あぶりにする。
 そんな人食い人種の黒ミサのようなハルサイである。

 まさかアンチェルがこのようなご乱心とは思いもよらなかった。私は最早こういう血沸き肉踊るような演奏は、全く好まない。

 ある人々は音楽に興奮や覚醒を求めるといいます。私は逆です。安息や平穏を求めます。
 好みが合わないのは、そもそも音楽を聴く目的が違うからだ、という根拠はこのあたりにもあります。

 さてそれでは、「果たしてそれはどういう演奏なのか、どういう録音なのか、気になる向きには聴いてみていただくしかない。結果は聴いたあなたが判断するよろし。」

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2月16日(日)

往年の名盤に失望する(1)

ベルリオーズ:幻想交響曲

カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニーO
DG/’75年


 極めて珍しい話題である。旧譜について語ろうというのである。しかもKだなんて。いったいどうしたんというんでしょうか?
 ガイドラインとして、現在誰でも比較的容易に入手できるであろうと思われるアイテムしか紹介しないことにしています。レアアイテムを見せびらかして「どうです、いいでしょう・・・。」なんてことは言わない。そういうのは自分だけこっそり聴いて、ほくそえんでいるだけである。(あ、その方がたちが悪い?)
 
 私はこのレコードがLPで新譜で出たのをライヴ?で経験した世代である。
 当時の(DGの)目玉新譜といえば、FMfanの裏表紙をでかでかと飾っていた。衝撃的であった。とりわけこのジャケットは強烈に印象に残った。とてもきれいな色使いであった。それにしても何故「鳥」なんだろう、という疑問はあった。
 当時は中高校生であり、自由にレコードが買える境遇でない。FM放送されるのをひたすら待つばかりだった。そんな中、友人がこのレコードを買った。私は貸してもらって聴いた。カセットテープに録った。
 やはり衝撃であった。
 何が?
 鐘の音である。こんな鐘の音は聴いたことがなかった。当時はそれほど知識があったわけではないが、電気仕掛けで合成したんだろう、ということは見当がついた。ちょうど冨田勲や、モーグ(?)シンセサイザーが出てきたころでもあった。
 もう、この鐘の音を聴くだけで感動した。

 そしてそのうちには聴かなくなり、その後長い年月が過ぎた。

 四半世紀後のことである(大袈裟だ・・・)。突然あの鐘の音が聴きたくなった。あの鐘の音だけは今でも頭の中?で鳴っている。
 それからこのCDを捜した。新譜では出ていないようだった。いろんなシリーズで再発されているが、不思議とこの録音はない。それにできればあのジャケットで欲しい。
 なかなか見付からなかった。しかし捜し続ければいつかは見付かるもので、最近ようやく手に入った。しかもオリジナルジャケットでだ。

 早速再生する。
 しかしあの鐘の音はもう帰ってこなかった。
 違う、こんな音ではなかった。文字通りもっと幻想的な音だったはずなのに・・・。
 
 それにも増して失望したのは演奏自体である。当時は何も知らなかったから、幻想交響曲というのはこういう曲なんだと思って、疑問も不満もなかった。繰り返すが鐘の音だけで満足していた。
 しかし今聴けばその内容のなさに愕然とするばかりである。これがベルリンフィルなのかと、失望させられることしきりである。

 縦の線も、横の線も揃わない。
 ん、横の線て何だ?
 よくわからないがピッチである。あるいはわざとずらして弦の厚みを出そうとしているのか。それがベルリンのエスプリなのか。
 指揮者の無理な加減速についていけない。その度にアンサンブルが乱れる。
 そして、何よりも冷たいのである。
 ドはド、レはレ、ミはミ。フォルテはフォルテ、ピアノはピアノ・・・でしかない。当たり前である。当たり前かもしれないが、それ以上でも以下でもない。音が単に記号に対応した空気振動でしかないのである。
 わかりやすく言えば、音が死んでいる。音の死体である。これは決して「音楽」ではなく、「音が苦」である。楽しいのではなく、苦しいのである。何がおもしろくて演奏しているのか、奏者たちのそんな重苦しい雰囲気がひしひしと伝わってくるのである。
 この演奏を聴きながらふと思った。果たしてカラヤンは音楽が好きだったんだろうか、愛していたんだろうか。

 カラヤンの偉業として、クラシック音楽の普及、底辺拡大に貢献した、といわれることがあります。
 果たして本当なのでしょうか。
 彼はただ自分の録音録画が売れ、ギャラが高くなればそれでよかったのではないのでしょうか。その「成長過程」のなかで、戦略的に「クラシック音楽が普及し、底辺が拡大」すれば、あるいは副産物としてそうなれば、彼の有利な方向に進んで行く。
 ビジネスの道具あるいは手段として、たまたま音楽を選んだだけで、他の何でもよかったのではないか。その手段がレーシングドライバーや、ジェットパイロットでも、何でもよかったのではないか。一芸に秀でれば多芸に秀でるといわれるように。
 もう一つの目的は膨大なソフトを残すことで、後世にその名を残すこと。作曲家ベートーヴェンと同じ重みを持って指揮者カラヤンと並び称されること、ではなかったのだろうか。
 しかしながらカラヤンの代表盤としてよく挙げられているのは、初期のフィルハーモニアOとの録音であったり、後期、晩年のVPOとの録音、あるいは一風変わった現代音楽などのレパートリー。
 そして皮肉にもその名声を決定付けたのは「アダージョ・カラヤン」。これぞまさしく本人の意志とはまったく関係ないメーカーのご都合主義の産物でしかない。しかしそんなものが爆発的に受け入れられるというこの現実にもまた何をか言わんやである。

 もちろんカラヤンの音楽的才能が抜群であったことは認めます。
 日本の某指揮者が、カラヤンがいかに楽譜に忠実であったかに注意しなければいけない、と語っていたことがあります。
 しかし、それはあるいは誰からも非難を受けないための隠れ蓑ではなかったのか。

 私は、カラヤン/ベルリンフィルの演奏は最近ではほとんど聴いたことはありません。しかし、ベルリンフィルが本当にすげえ、と思わせるのは、いつもカラヤン以外の指揮者の時でした。

 いや、そんなのは、カラヤンのことを何もわかってない素人の戯言だといわれるかもしれない。
 あるいはそうかもしれません。そういう批判は甘んじて受け入れます。
 しかし久しぶりにカラヤンを聴いて、その度に例外なく失望し、ますます不信感は募るばかりなのです。昔、胸をときめかせた彼女に久しぶりに会ったら、ただのオバサンになっていた。カラヤンと私の再会は、いつもそういう厳しく悲しい現実をしかと確認させてくれます。

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2月15日(土)

 早いもので、今年も残すところあと10ヶ月と半月ほどになってしまいました。振り返ってみますに今年に入ってからはロクな話題を提供していないわけでして・・・。
 いえ、サー・コリン・デイヴィスの新譜情報に価値がないと言うことではなく、単なる事実の羅列などしていてもしかたがない、という訳で。
 せっかく何かを求めて来てくださる方々には、何らかの笑いを提供するのが私の使命なのではなかったかと。反省する今日この頃なのであります。
 
 がしかし、書きたいことは山ほどあっても書く気力がない、というのが最近の状況でして。
 構成する能力が衰えてきたといいますか。ありていに言えば面倒になってきたといいますか。これも老化現象なんだろうなと思っています。
 って、おめぇ、いくつなんだよ?と言われそうですが、昔から来て下さっている方はご存知でしょうね。

 さて、そんな中、好奇心だけは旺盛で、いろんなしがらみ?もあって調べていましたところ、ちょっとした情報を見つけてしまいまして、重い腰を上げたわけでございます。
 でも、見つけなけりゃ、もっと平穏な日々を過ごせただろうに・・・。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
2003年4月12日 15時30分
2003年4月13日 11時 オースタークラング
ムジークフェライン大ホール − セミヨン・ビシュコフ
バッハ:《ミサ曲》ロ短調 BWV 232
ソリスト:ソプラノ クリスティーネ・シェーファー
     アルト ベルナルダ・フィンク
     テノール ミヒャエル・シャーデ
     バス ディートリッヒ・ヘンシェル
エリック・エリクソン室内合唱団
http://www.wienerphilharmoniker.at/ja/konzerte_sonder.shtml

 エリック・エリクソンの情報を探していましたら、ウィーン・フィルで何か引っ掛かったんです。あれ、変な組み合せだなと思って行ってみたのが運の尽き。
 ロ短調ミサが・・・。しかもシェーファーも参加。
 久々に食指が動きました。心も動きました。ですからこうして敢えて書く気になったんです。
 ジュリーニ、ザンデルリンクなきあと(オイオイ・・・。演奏することが無き後ですが)、私がこれは本当に聴いてみたい、と思うコンサートはこういうものしかなくなってしまいました。
 
 しかしながらムジークフェライン大ホールまでは容易には行けません。私の場合サントリーホールですら、チケットを用意しておいても3回に2回はキャンセル・・・。
 ちょっと無理すれば何とか・・・、と言う方は是非いかがでしょうか。
 現在ロ短調ミサを知らない、あるいは興味のない方でも今からでも遅くはありません。2ヶ月あれば今から予習しても十分間に合います。
 「エリクソン合唱団×シェーファー×VPO」のロ短調ミサなんて、ちょっとしたもんです。
 昨年はマイ・ロ短調ミサ・イヤーでしたが、今年になってもそれは依然として継続中で、鑑賞の中心的存在となっています。そしてこの曲は最高なのではないか、という思いを強くしています。「最高」というのは言葉としては簡単ですが、その意味は深く重いです。
 
 ちょっと意外だったのはビシュコフ。
 最近あまり聞かないけど何してるんだろうか?やっぱり指揮してるんでしょうか?(あんまりおもしろくなかったですね。)

 私はビシュコフも悪くない、と思っています。録音があまり多くなく、しかも私の興味ある楽曲がほとんどないので、あまり大きく取り上げることはありませんが。
 しかし現在、「録音が少ない」というのがいい指揮者のバロメーターなのではないでしょうか。

 先の(といっても、98年でしたが)ケルン放送交響楽団との来日では、いいマーラー5番を聴かせてくれました。
 今年も5月に来日公演があります。しかしプログラムがブラームス1番とは。何でなんでしょうねぇ。ブラームスといえば1番ばっかり。でも今も四方恭子がコンサートマスターなんでしょうか。だとすればソロも聴けますので楽しみでもありますが。
 カップリング?にはブルッフのVn協奏曲。ソリストは少女紗矢香。私は青少年の音楽には興味がないってのに。
 あっ、庄司?よく似てますねぇ。ついタイプミスを・・・。

 ちなみに先回(98年)はメンデルスゾーンのVn協奏曲。ソリストは堅本大進。これも堅かったです、青かったです。まだまだ子供でした。やっぱり名前の通りだなと。
 あっ、樫本?よく似てますねぇ。ついタイプミスを・・・。

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2003年1月20日(月)

サー・コリン・デイヴィス指揮 新譜情報(2)

BMG 63982-2
\budget
モーツァルト:レクイエム ブラーシ、リポヴシェク、ハイルマン、ロータリング
BRSO/cho.
 
BMG 63977-2
\budget
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21、23番 ラローチャ
イギリスCO
 
Ph UCCP-9439
\1,200
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
アッカルド
BBCso
1975年
Ph 473 461 2
(10CD)
アラウ生誕100年記念アルバム
(協奏曲、ソナタ集)
アラウ
RCO,Ams.
LSO
 

 いやー、皆さんありがとうございます。
 皆さんがBMG(RCA)へがんがんリクエストしてくださったおかげで、早速モーツァルト:レクイエムが復刻されました。

 ・・・んなバカな。あり得ない。単なる偶然である。
 しかし出来すぎた話である。

 かくのごとく夢は、希望は実現するのである。
 CDメーカーとて単なる商売屋にしかすぎない。売れるものを作るのである。作らざるを得ないのである。ユーザー(リスナー)の声には耳を傾けるのである。
 コンサートの興業(俗な表現だが)も然り。ある場合には出演者やプログラムの変更だってリスナーの力で可能なのである。

 さあ、皆さん。調子に乗って活動を継続しましょう。
 次のテーマはパイオニアLDC(株)とART HAUS(アルトハウス)へ映像ソフトのDVD化を要請することです。パイオニア(LD)には一連のレクイエム、アルトハウスにはR・シュトラウスのオペラ(現在はPAL方式のみ)があります。
http://www.pldc.co.jp/
http://www.naxos.co.jp/


2003年1月17日(金)

サー・コリン・デイヴィス指揮 新譜情報

UCCP-9431
\1,200
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ロイヤル・コンセルトヘボウO 1978年11月
LSO 0022
(実勢\1,100)
ブルックナー:交響曲第6番 LSO 2002年
PENTATONE
PTC5186 102
ハイブリッドSACD
ベートーヴェン:交響曲第5番
メンデルスゾーン:交響曲第4番
モーツァルト:交響曲第41番(?)
BBCso
BSO
 
PENTATONE
PTC5186 101
ハイブリッドSACD
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2、4番 コヴァセビチ
BBCso
 
RCA
BVCC38240
\1,500
ブラームス:交響曲第1番、ハイドン変奏曲 BRSO  
RCA
BVCC38241
\1,500
ブラームス:交響曲第2番、大学祝典序曲 BRSO  
RCA
BVCC38242
\1,500
ブラームス:交響曲第3番、悲劇的序曲 BRSO  
RCA
BVCC38243
\1,500
ブラームス:交響曲第4番、アルトラプソディ BRSO  
UCCP-3113
\1,200
モーツァルト:交響曲 第38番 二長調 K.504《プラハ》、
第41番 ハ長調 K.551《ジュピター》
BBC交響楽団 1971年9月世界初CD化
UCCP-3114
\1,200
モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543(*)、
第40番 ト短調 K.550
ロンドン交響楽団 1961年11月 国内初CD化/世界初CD化(*)
UCCP-3115
\1,200
ベートーヴェン:交響曲 第3番 変ホ長調 作品55《英雄》、
第8番 ヘ長調 作品93
BBC交響楽団 1970年9月、1973年3月世界初CD化
UCCP-3116
\1,200
ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60、
第7番 イ長調 作品92(*)
BBC交響楽団
ロンドン交響楽団
1975年2月、1976年 国内初CD化/世界初CD化(*)
UCCP-3117
\1,200
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67《運命》、
第6番 へ長調 作品68《田園》
BBC交響楽団 1972年10月、1974年7月 国内初CD化/世界初CD化(第5番の第1楽章以外)
UCCP-3118
\1,200
シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D.944《ザ・グレイト》 ボストン交響楽団 1980年3月
UCCP-3119
\1,200
ベルリオーズ:序曲《ローマの謝肉祭》作品9、
幻想交響曲 作品14
ロンドン交響楽団 1963年、1965年
UCCP-3120
\1,200
メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 作品90《イタリア》
劇音楽《真夏の夜の夢》より 1.序曲 作品21、2.スケルツォ 作品61の1、3.夜想曲 作品61の7、4.結婚行進曲作品61の9
ボストン交響楽団 1976年1月
UCCP-3121
\1,200
ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》、
交響的変奏曲作品78
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ロンドン交響楽団
1977年11月、1968年2月、3月
UCCP-3122
\1,200
シベリウス:交響曲 第2番 ニ長調 作品43
フィンランディア 作品26、
悲しいワルツ 作品44、
トゥオネラの白鳥 作品22の2(*)
ボストン交響楽団
ローレンス・ソーステンバーグ(コール・アングレ(*))
1976年4月、1980年3月、1976年12月

 一体何があったのでしょうか。
 サー・コリン・デイヴィスの新譜(再発含む)が一気に発売されます。一部既発売のものもありますが、驚いたことにほとんどが2月26日発売ということです。(一応「サー・コリン・Day(ヴィス)」といえよう・・・と言ってみる。)
 内容もなかなかのものです。廃盤久しく、待望のブラームス交響曲全集。初CD化というBBCとのベートーヴェン。そして正にライヴたるLSOとのブルックナー・チクルス。(尚、LSOからは「惑星」も予定されています。)
 
 しかし諸君!? これだけで喜んでいてはいけない。
 RCAには、ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス、ヴェルディ:レクイエム、ブラームス:ドイツ・レクイエムなど
 PHILIPSには、フォーレ:レクイエムなど、まだ重要な声楽曲が眠っている。
 また、映像ソフトのDVD化も急務?である。
 これらが一日も早く日の目を見るよう、レーベルにがんがんリクエストを出そう。それが日本デイヴィス協会会員の努めである。

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2002年12月26日(木)

 先日から、テレビ愛知にて、深夜クラシック番組が放送されていました。当初テレビ東京系列だと申し上げましたが、テレビ愛知の独自企画のようでした。

 カラヤン/BPO/ベートーヴェン:交響曲第8番
 カラヤン/BPO/ブラームス:交響曲第4番

 ベーム/VPO/モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
 バーンスタイン/VPO/シューマン:交響曲第1番「春」
 バーンスタイン/VPO/シューマン:交響曲第2番

 バーンスタイン/VPO/ツィメルマン/ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
 バーンスタイン/VPO/クレーメル/マイスキー/ブラームス:二重協奏曲

 ポゴレリッチ/バッハ:イギリス組曲

 カラヤン/BPO/ベートーヴェン:交響曲第4番
 カラヤン/BPO/チャイコフスキー:交響曲第4番

 このようなプログラムでした。最初の1〜2回は見逃していますので、詳細はわかりません。

 これらの映像を見ながら、カラヤンが亡くなった時に追悼番組として放映されていた「ローマの松」を思い出して取り出してみました。晩年近くBPOと来日した時の、大阪ザ・シンフォニーホールでのライヴのようです。

 このところ放映されていた深夜番組では全て「燕尾服」を着ていますので、初期(〜中期?)の頃のものだと思いますが、この「ローマ」は後期の襟無し背広(詰襟ではないが)のような上着です。
 比べてみると、燕尾服よりこちらのほうが似合うようです。逆に言えば燕尾服が似合わない・・・。
 
 初期の頃は、目を閉じているとはいうものの、少しは開けているようで、かなり頻繁にまばたきしているところが映像に写っています。インチキくさいですね。
 目を閉じて似合わない燕尾服で風呂をかき回す・・・。ロクなものではありません。
 
 晩年は背中の病から思うように体が動かせなかったようですが、かえって無駄がとれ、力みや嫌味もなくなって必要最小限の動きで、的確な指示が出せているようです。目も普通に開けて、より自然に感じられます。
 この「ローマ」は、出来がかなりよかったようで、演奏後カラヤンも満足そうな表情を見せています。
 私もこの「ローマ」に限っては不思議といい印象が残り、折りに触れて取り出しています。実は・・・。
 こういう自然なカメラワーク(カラヤンのうるさい指示もそれほど入っていないだろうから)で、普通に演奏すれば、いい映像ソフトができただろうに、と残念に思います。

 えっ、いつからカラヤンのことをこんなに良く言うようになったかって?
 今日よ〜。(っていうギャグのわかる方?・・・約5名ですか?)

 ところで、私がいつアンチ・カラヤンだなんて言いました?・・・と言って見るテスト。

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2002年12月22日(日)

 K(カー)である。
 私が彼について語ろうというのだから、Kのファンの方は速やかにこのページから立ち去るよろし。精神衛生上好ましからざること夥しいに違いない。

 私は名古屋圏に住んでいるが、このところ「テレビ愛知(テレビ東京系)」で連日Kのヴィデオを放送している。たいした興味もないので何度か空振りしたが、昨夜は録画しておいた。
 
 30秒見れば十分だった。Kが風呂をかき回しているところと、奏者が横一列に並んで、腕や指を機械のように動かしている絵ばかり。べルトコンベアに一列に並んで、画一商品を大量生産していた当時の世相を如実に反映した怪作といえよう。
 全編そんな風だから、映像の付いている意味がほとんど感じられない。といえよう。
 映像のカラオケが1本あって、どんな曲をアフレコしても間に合う。といえよう。
 ブラウン管の寿命を徒に縮める以外の何物でもない。といえよう。
 ベートーヴェン8番とブラームス4番だったが、後者などベルリンフィルハーモニーでのライヴにもかかわらず、どうみてもスタジオ録画としか思えないカットもあるようだ。
 といえよう。
 
 最近DVDプレーヤーを導入したこともあり、何かめぼしいものはないかと漁ってはみるのだが、どこへ行ってもKともう一人、彼の無二の親友であるBーンスタイン(バー)のものばかり。「KとB」逆にすれば「BとK」。これ以上は書かないが、そこから先どういう想像をしたかは、あなたの潜在意識のなせる業である。私には一切の責任はない。
 といえよう。

 いまのところ映像での「ドイツ・レクイエム」はKのものしかないようだし、ソプラノがヤノヴィッツだから、これは持っておいてもいいかな、と思っているのだが、いざモノを手にするとどうにもいけません。けったいな衣装を来て、幾何学的に並んだ合唱団の写真を見ると、あぁ、これを縦横斜めから遠近法の解説のように撮ってばかりいるんだろうなぁ、と良からぬ想像をして買う気がなくなってしまうのである。
 といえよう。

 Kのファンに加え、BのファンとUのファンも読まなかったほうがよかったようだ。
 といえよう。

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2002年12月20日(金)

 大変なニュースを知った。(あるいは、「今頃?」という向きもあるかと思う。)
 たまたま手に取った某週刊誌に載っていたのだが、安原顯が余命いくばくもない、ということである。
 具体的には10月20日の時点で余命1ヶ月と言われていたそうだ。しかしながら、11月末を凌ぎ切って、次なる目標は来年の正月だということだ。
 病名は肺がん。すでに3年前からわかっており、手術を拒否しながらここまで来たそうである。
 もはや生還?の道はなく、死は確実ということである。
 
 63才である。
 
 私は特に熱心なファンというわけではなく、音楽誌などに連載しているのを時折立ち読みするくらいだった。最近では寺島靖国の追悼本が発刊されたので、その中で読んだばかりだ。
 いや、正式には追悼本ではない。追憶本である。(ちがうってば。)
 しかし長岡鉄男の例でもあるように、早晩そうなることは確実といえよう。
 だが、それより先に安原顯へのオマージュとなってしまうとは。

 実を言うとこのページのタイトルであるが、真っ先に浮かんだのは「乱聴日記」であった。しかしながら、すぐにそれが雑誌での安原氏の連載のタイトルであることを知り、悔しがったものだ。止む無く現在の「駄聴日記」とした。

 どこかで、「人間60を過ぎたらどこでどうなるかわからないから・・・。」と読んだことがある。本人の弁である。
 私はそれを読んで漠然と「そうかもしれないなぁ」と思ったのだが、あるいは既にその時から覚悟していたのか。
 
 私は彼や寺島氏のオーディオや音楽の「趣味」に共感することは(極めて少)ない。しかし彼らのオーディオや音楽に対する「姿勢や生き方」には尊敬や畏敬や羨望の念を禁じえない。私もあのようにやれたらどんなに幸せだろうか、と。

 WントやA比奈らが亡くなっても、私はほとんど痛痒を感じることはない(なかった)。
 しかし安原氏が亡くなればある程度の寂しさを感じ、あるいは残念な気持ちになる。もちろん身内ではなく面識もないから、「悲しい」ということはないが。
 
 だが我々とて、他人事ではない。病気や老衰以外でも不慮の事故で亡くなるケースに事欠くことはない。朝にはあった息も、夕べにはたちまちになくなってしまうものなのだ。
 
 私の人生は80年なのか、60年なのか、はたまた50年なのか。
 たいしておもしろくもない、興味のない音楽に付き合っている時間など全くない。最高のものだけに限定しなくては。
 
 この「極めて限られた」時間で、果たしてどれを選び、何を聴けば良いのか。それは各自鋭意吟味検討選別するよろし。

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