駄聴日記(2003年第2部) 

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2003年6月6日(金)

めぐりんのHappy Tune

 「ぶあらぼ」という雑誌があります(ないない)。
 最近総合誌へ向けての動きが慌しいとの、もっぱらの噂です(約1名が騒いでいるだけですが)。
 
 今まで、この雑誌で読むべきところはただ一つ「めぐりんのHappy Tune」。私はこれだけが読みたいためにこの雑誌を定期購読してきました(大袈裟な)。
 
 この人は本当に見識ある意見を吐きます。いつも感服し唸らされてしまいます。
 昔からピアニストには文豪が多い。これ定説です。
 そしてカレー好きな人もまた多い。これは定食です。

 ベートーヴェンの作品にもそれ(ドストエフスキーの小説)と同じことが言えるのではないだろうか。
 力強く、あるいは静謐にあるいは朗らかに、あるいは悲愴感をもって始まるベートーヴェンの音楽の第一音目から我々はそのテーマ(主人公)がどんな運命に引きずり込まれていくのか、どんなドラマを引き起こしていくのか、一瞬も目が(耳が)離せないような状態になってしまう。
 たくさんの登場人物はそれが伴奏形であれ、休符であれ、トゥリラーであれ、低音の一打ちであれ、それぞれの生命を与えられており、やれぞれのやるべきことをやるべき時にやっているのである。
 ベートーヴェンはそれらをまさに「行動」させているのだ。

 これは今月号(6月)の中の一節である。
 ドストエフスキーの小説とベートーヴェンは同じである、との大胆不敵な意見である。(大胆不適でもまちがいではないような気がした。)
 その論に与(くみ)するかどうかは別として、こういう聴き方をしてみるのもおもしろいと思います。
 
 「英雄」は誰とどこへ行ったのか? 「運命」はその後どうなったのか?
 連ドラの予告編のようになってきました。
(つづく)・・・こんなエンドロール、最近見ませんね。


2003年6月4日(水)

スクロヴァチェフスキ指揮/ザールブリュケンRSO

 「また少しごそごそ・・・」などと言いながら、早くも3日で息切れ。あるいは3日坊主。

 「ぶあらぼ」という雑誌があります(ないない)。
 元々はコンサート案内が専門のようでしたが、最近では総合誌の様相を呈してきたようで、読むべきところが増えてきました。
 いろんな雑誌が現れてはいつの間にか消えていくようですが、最初は「○○専門」を標榜しながら、多かれ少なかれ最終的には総合誌的な方向へ収束するようです。この雑誌にオーディオ関係の記事あるいは広告が掲載されるようになるのも時間の問題でしょう。そしてその行く末は・・・、はっきり言えば休刊。
 
 今月(号)はほとんど忘れかけていたのですが、たまたま通りかかったところに置いてあったので、ゲットしてきました。気付いたらCD評やら何やらで、結構読むところが増えていて、先のような感想を持った訳です。
 
 中でも「おっ、これは」と思せたのは、エームス・クラシックの広告です。これはアルテ・ノヴァの後釜のようなレーベルですが、スクロヴァチェフスキーが出ています。これ(写真)はバルトークですが(未聴)、問題は今後のリリース予定に「幻想交響曲」がアナウンスされていることです。スクロヴァチェフスキーの幻想と言えば、VOXかどこかから以前出ていたような記憶があります。現在ではほとんど入手困難な状況ですが、新譜としてリリースされるのはありがたいことです。
 同じ音源かどうかはわかりません。

モーツァルト「魔笛」(スウェーデン語)

エリック・エリクソン指揮/スウェーデンRSO
イングマル・ベルイマン監督
紀伊国屋書店 KKDS-61(DVD) \5400

 
 もうひとつはこれです。

 エリクソンがオペラを振っていたとは。
 紀伊国屋書店がオペラDVDを出していたとは。
 
 いろんな意味で驚きのDVDです。謳いでは、ベルイマン監督の演出が見ものだそうです。
 
 でも、私はオペラ観ててもちっともおもしろいと思わないし。それにこの値段ではね〜。とてもリスク?を負って買って観る気にはなれません。


2003年3月29日(土)

 バルビローリというのは不思議な−というより単に偉大な、と言ったほうが相応しいのでしょうが−指揮者です。
 行くところ、行くところで楽員の心を掴み、再演を強く希望されたようです。
 有名なのはBPOとのそれでしょう。BPOにとっては因縁のマラ#9。
 Bという指揮者が来てマラ#9をやる度に楽員に動揺が起きるという、まことに不思議な楽団です。
 
 最近テスタメントからACOとの録音が復刻?され、やはり聞いたことのあるようなエピソードが披露されています。

 バルビローリがオランダの名門コンセルトヘボウ管に客演したのは死の前年、1969年のこと。それは1921年に四重奏団のチェリストとして訪れて以来、48年ぶりのコンセルトヘボウヘの登場でした。
 ハイティンク時代のクリアで現代的なアプローチに慣れたACOに初めて出会ったバルビローリは、少なからず落胆を感じたようです。あまり健康状態がすぐれないのも顧みず、1つのプログラムのために異例の12時間にも及ぶリハーサルを敢行。後に彼はこのリハを「まるで、フリュンヒルデを長い眠りから呼び覚ますジークフリートのくちづけのようだった」と表しています。
 こうして宿命の絆を手に入れた指揮者とオケが行ったライヴがこの録音にあたります。コンサートは大絶賛を浴び、ACOはバルビローリの再演を熱く希求しましたが翌年、彼の死によってこの願いが叶うことはありませんでした。

 これは広告の宣伝文句ですが、かわいそうなのはハイティンクでしょう。まるでハイティンク=ACOなんてカスのような言い方です。ハイティンク=ACOを絶賛する向きの立場なんて、あったものではありません。
 いくらそれが事実だとは言え、もう少し気をつかってやってもいいのではないでしょうか。

 バルビローリについては、デンオン・クレストシリーズでも「チェコ・フィルとのフランク:ニ短調」という、これまたレアであろう音源もリリースされています。
 おそらくここでも全く同じエピソードが聞けることでしょう。
 「(前略)・・・チェコ・フィルに初めて客演したバルビローリは・・・(中略)・・・楽員から強烈な再演のリクエストを受けたが、残念ながら・・・(後略)。」

 ただ残念ながら、私はバルビローリの音楽に共鳴するところは少なく、ほとんど聴きません。これ(マラ#9)とマラ#5、この2枚だけは(処分できずに)持っています。
 因みにハイティンクのレコードは1枚もありません。


 2003年3月21日(金)

 クラシック、音楽、オーディオ関係の雑誌も(業界事情を全く知らない私の目から見る限り)、何だカンダ言いながら結局この出版社の一人勝ちの様相を呈しています。
 この雑誌、実は普段はあまり買わないのですが、3月号は何となく閃くものがあって、買ってみたら大正解でした。たくさんの収穫があり、勉強させていただきました。
 
 その中の一つが、「ボールト指揮/ウィーン国(州)立歌劇場O/ホルスト:惑星(ウエストミンスター)」です。
 
これは以前、「と演」ということで紹介しています。
 
 この雑誌に記事が載っていたのですが、おもしろいことが書いてありました。
 『しかし「火星」の冒頭をはじめ強奏部での響きが粗かったり多少の乱れがあるのは、まだこの曲にオケが不慣れだったためだろうか。』
 なるほどねぇ。
 私はなんちゅう下手くそなオケか、としか思っていなかったのですが、そういう深い読みをしなきゃいけないんですね。当時はまだこの曲はゲンダイオンガクであり、このような歴史と由緒あるオケにとっては歓迎されざる音楽だったのでしょうか。
 
 私は今ではこの曲も、「そうだ、『惑星』聴いてみよう。」と積極的に、自然にその気になって聴くことはありません。やっぱり中身がないし、大袈裟で恥ずかしい曲のような気がします。
 ですからこういう機会がなければ滅多に聴かないのですが、改めて取り出してみますと、やはり先ずオケの下手さ加減が目に付きます。
 録音もケッタイなもので、金管は後ろのほうにいるのに、木管は弦より前にしゃしゃり出ていたり、スピーカーの「外」から音が聴こえてきたり。これはやはり何か細工してるかも、と思わせます。
 とにかく元の録音がおかしい(時代の特徴?)のに、恥の上塗りをするように細工したらもう見てられません。 ☆
 
 せっかく「ボールトの惑星」聴くなら、是非別の録音をお勧めします。
 でも、「そんな変な演奏、録音て、一体どんなんだ?」と、結局買って聴いてみなければわからない。かくしてこういう方法論でもCDの売上げ、普及に見事貢献しているのである。
 しかし、これで今日も、全国150万人の絶対的信仰を集めるウィーン国(州)立歌劇場Oのファンをも敵に回してしまったことも、また確かである。


2003年3月19日(水)

ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲

ザンデルリンク指揮/ドレスデン国立O
TDK(左)

C・デイヴィス指揮/BBCso
PHILIPS

 これらは、他の楽曲が目的で買ったら、それぞれ「ニュルンベルク」が付いてきました。
 「三人寄れば、文殊も派閥・・・。」というわけで、相互に聴いてみたんですが、どうもいけません。
 
 結局誰がやっても大した違いはないんじゃないか、それが一応の結論です。
 何故なんでしょう。
 楽曲があまりにも明快で、演奏者の「解釈」が入り込む余地がない。それだけ完成度が高い、と言えば聞こえはいいですが、単純で底が浅い・・・のではないか。
 繰り返しますが、私は「オペラ本体」は聴かないですから、そちらはわかりませんが、少なくとも「前奏曲」に関しては、そこらへんにころがってるの聴いておけばそれで済む・・・のでないか。
 
 あぁ、これでまた全国35万のワーグナーファンをも敵に回してしまったか?

 さて、「ニュルンベルク」と言えば、ちょっとした思い出があります。
 ずっと昔のことですが、FM放送でフルトヴェングラー指揮でのこの曲(楽劇)のフィナーレの部分だけが放送されたことがあります。(多分レコード、CDにもなっているのでしょうが。)
 エンディングで、「あの」メインテーマが回帰してくるのですが、その演奏はライヴで、もうそこから拍手が入り始めていたのです。
 私はその時、「あれ、演奏の途中で(終わり切らなくても)拍手入れたって、全然構わないんじゃん。」「本場でもそうしているんじゃん。」「そのほうがかえって感動的じゃん。」
 そう思いました。もちろんこれはオペラですから、途中で拍手なんてことは、当たり前のように起きますし、また長大な曲ですから、ほとんど終わったも同然かもしれませんが。
 それ以来−といってもそれはもう25年くらい前のことですが−拍手やブラボーがフライングするなどと、ちまちました議論?など、ちゃんちゃらおかしくて聞いてられなくなりました。
 
 私の考えは、本当に感動したならそういうものは全然構わないと思うが、ろくでもない演奏に対してそういう反応をするのは全く理解に苦しみます。
 「おめぇ、一体どこに耳付けてんだよ。足の裏かい?」

 あぁ、これでまた、全国1050人のアンチ・フライングブラボー派と、全国35人のブラボーマンをも敵に回してしまった。 


2003年3月17日(月)

ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲
サー・エードリアン・ボールト指揮/ニュー・フィルハーモニアO
EMI 62539-2
 

 「へー、ワーグナーなんて聴くんですか?」
 「いえ、聴きません。滅多に聴きません。断じて聴きません。」(そこまで言わんでも・・・。)

 私にとって、ワーグナーはいなくてもいい作曲家です。同じような意味ではR・シュトラウスもです。ついでに言えばJ・シュトラウスもです。
 
 何故でしょう。
 確たる理由などというものはありません。何となく好きになれないからです。音楽の趣味なんて、こんな程度の根拠で十分でしょう。
 強いて言えばカッコいいから、かもしれません。「カッコいい→華やか→大袈裟→恥ずかしい」という、いつもの図式ができるわけで。

 しかし、「ボールトのワーグナーはいい。」そういう噂を聞き付けて聴いてみました。ボールトなら恥ずかしくない演奏かもしれない。かのベートーヴェンやブラームスのように。
 ですから、特に「ニュルンベルク」が、というわけでもなかったんですが、最近たまたまこの曲が3種類ほどたまりまして、3種類寄れば文殊もなんとやら、というわけで取り上げてみました。

 「ニュルンベルク」というのは、実はあまり出来がよくない曲なのではないか、と思います。どうも流れがスムーズでないような気がします。
 私はオペラは聴かないですから(ましてやワーグナーときたら)、本体は知らないのですが、序曲や前奏曲というのはどれでもそうなんでしょうが、聴きどころの寄せ集めのようなものですから、構成に無理があるのではないかと。
 そういう一面もあって、どうしてもつながりがぎくしゃくして、無理やりもっていくと関節が外れたようになってしまう。言ってみれば脱臼音楽と化してしまうのである。

 この演奏にもそういうところがあって、「あれ、今のところ、つながりがちょっとおかしかったぞ。」
 ボールトというのは、苦手なところは苦手なように、下手なままやり過ごす?というところがあったようで、そういう意味でもまことにストレートな印象を受けます。
 三振だろうとホームランだろうと直球勝負。ピッチャーの側から見ても、バッターの側から見てもそういう潔さ、豪快さというもの感じます。

 「タイトルバックがクリーム色になって、見やすくなったジャン。」
 こう感じた方は、いままでとても見にくいという印象を持っていたかもしれませんが、それは私の本意ではありませんでした。
 少し以前にも申しましたが、本当は最初からこのくらい見やすい画面を意図していたんです。

 今日、たまたま他の環境で自分のページを見る機会があったのですが、やっぱりダメだったんですね。本当は木目の格調高い背景が設定してあったのですが、残念ながら新しいバージョンのブラウザでは表示できない、という致命的なバグがあるようです。
 泣く泣く単色の似たような色にしてみました。とりあえずこれでいきますが、追い追いもう少しいい色にならないかトライしてみます。


2003年3月15日(土)

寄稿

 梶山さんからは、以前からたくさんのメールをいただいています。
 その中から「エロイカ」をメインテーマに、一部を抜粋、再構成して、ここにご紹介します。梶山さんのコメントも、思わず唸ってしまうものばかりです。

「エロイカ」三題

ベートーヴェン:交響曲選集(第3,5,6,7番)
サー・エードリアン・ボールト指揮/LPO
ヴァンガード

 「エロイカ」の終楽章の冒頭部分を、このように泰然としたテンポで入っていく指揮者は他にないのではないでしょうか。非常に格調の高い表現です。
 同じ個所を、手持ちの他のレコード(CD)と比べてみましたが、ほとんどの指揮者が、快速テンポで一気に走り抜けるような演奏をしている中で、ボールトが最も遅いテンポをとっています。ただ一人、クレンペラーはボールトとほぼ同じ遅めのテンポで始めていますが、オーケストラが合っておらず、指揮者の意図が台無しになっているように感じました。
 このボールト盤を聴くまで、ここは速く駆け抜けるように演奏するものだと、信じていましたが、このように落ち着いたゆったりした自然なテンポでの演奏に、共感を持つようになりました。

 「田園」もよい。軽快なテンポの中にも、生きる勇気のようなものを感じる演奏です。こんなに勇気付けられる6番に初めて出会った気がします。

ベートーヴェン:交響曲第3、8番
サー・コリン・デイヴィス指揮/BBCso
PHILIPS


 「エロイカ」は、一聴して一般的な解釈で、何も特別なことはしていないのに、音楽としての質がすこぶる高い。一音一音があたかも生命をもって歌っている。ピアノでもフォルテでもすべての音がそれぞれの使命を自覚し誇らしげに響いている、とでも言えましょう。
 月並みな表現が許されるならば、無意味に鳴っている音が皆無である。どの楽章も素晴らしいですが、特に第2楽章が感動的でした。

 「8番」も生命力が漲った名演です。第一楽章の冒頭から最後まで一貫して、聴き手の生命を揺さぶらずにはおかないぞ、というデイヴィスの気迫が伝わってきます。

ベートーヴェン:交響曲第3番、「エグモント」序曲
サー・コリン・デイヴィス指揮/ドレスデン国立O
PHILIPS

 この(上記BBC盤の)直後に、SKDとの「エロイカ」を入手し聴きました。これはBBC盤のさらに上をゆく素晴らしさでした。
 
 デイヴィスの解釈に一段と深みが加わり、絶品の仕上がりとなっています。
 漆黒の夜空満天に輝いていた無数の星々も、一旦、太陽が昇るとそのあまりの明るさに、ひとつ残らず見えなくなるように、このデイヴィスのエロイカは、私にとっては、まさに太陽のごとく熱く燃えながら中天に君臨しています。
 このレコードを聴いて、ベートーヴェンの偉大さと、この第3番交響曲の深さと大きさを、今までになく強く感じました。この曲の真髄を聴かせてくれたデイヴィスに深い敬意の念を抱きました。
 そしてまた、デイヴィスは詩人であると思いました。彼は演奏を通して、曲に込められたベートーヴェンの精神と対話しているように感じます。ベートーヴェンに限らず、多くの作曲家は、詩人が詩を書くのと同じようにその作品に人間の精神性を高めようとの願いを込めているのだ思います。また、そうでない作品には、私は、暇つぶし以上の聴く意味を見出せません。音楽を含むすべての芸術は人間精神の高揚に寄与するものでなくてはその意味がない、と信ずるからです。
 デイヴィスの演奏にはすべて、そういった、人間の精神性を極限まで高め、生きる力を鼓舞しようとする、詩人の心が息づいているように思えるのです。しかもそれは常に、かなりの力強さをもって、彼の演奏の底流に流れているように思えるのです。
 表面だけ聴き流すとつまらない平凡な演奏に聴こえるかもしれません。事実、以前の私がそうでした。真摯に一音一音に耳を傾け、そこに精神を聴き取ろうと努力する時に、デイヴィスの演奏は実に饒舌に響いてきます。巨大な演奏です。
 作品の巨大さに身が震え、作曲家の精神の偉大さに頭を垂れるのみです。

 カップリングの「エグモント」序曲も、今まで聴いた中で最高の演奏です。全力投球した、非常に巨大な演奏です。

梶山幹夫


2003年3月13日(木)

バッハ:マタイ受難曲

Stephan Cleobury指揮/The Brandenburg Consort
The Choir of Jesus Collage,Cambrige
The Choir of King's Collage, Cambrige

BRILLIANT 99929(DVD)

 ブリリアントのリリースには注意していないといけません。とにかく何が入っているかわからない。やりたい放題なのであります。
 といっても、決して悪い意味ではなく、極マイナーながら珍しい音源が含まれるということで。
 日本語(ではなく、英語でしたかね?)カタログはいちおうあるようですが、必ずしも体系的かつ詳細とはいいがたく、また新譜の反映は当然ながらかなり先になるわけで、なかなか正確な情報を得るのが難しいのが現状です。

 これもそんな1枚(DVD)で、ほんの偶然マタイ受難曲が収録されていることを知りました。
 有名曲でもあり、普通ならそれほど大騒ぎしないんですが、今回敢えて取り上げた理由は「超低画質」だったからです。
 もとより曲自体は言葉がさっぱりなこともあって、何のこっちゃわかりません。何気なく聴き始めたんですが、その画質の悪さに気を取られて結構聴き込んでしまいました。混濁感のある、眠くなるような、薄暗い夕闇のような重苦しさ。長岡流にいえば「歪み感最大。」といったところでしょうか。
 
 バッハの受難曲は私には難しいです。もしや字幕でも入っていれば、と淡い期待をしてみたのですが、やっぱり字幕はなし。なかなか聴き通すことも敵いません。
 DVDということもあり好事家向きということで ★(但し、画質は☆)。


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