駄聴日記 2003年第3部 

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2003年8月10日(日)

ヴィヴァルディ「四季」

ジュリーニ指揮/フィルハーモニアO
(TESTAMENT SBT1155) '55/9/30-10/1
お勧め度:★☆
 
 「四季」を聴くのにジュリーニを選択する必要はない。他にもっとよい演奏があろう・・・と、ここまで考え、ふと気付く。
 な、な、何と、ヴィヴァルディもジュリーニもイタリアではないか。お国ものである。
 朝日奈指揮エヌ・エッチ・ケーPOが、吉抹作曲サンダーバード交響曲を演るようなものである。さぞかし名演になるに違いない。

 しかし、ここでの問題は演奏ではない。このディスクは、さまざまな問題を孕んでいるのである。
 
 まず、規格番号がよくない。
 2〜3年前のことであるが、一度このディスクをオーダーしたことがある。しかしその時、番号を読み(打ち)間違えて「1115」でオーダーしてしまい、不審なディスクを受け取って悩んだことがある。何故そんなディスクが届いたのかしばらく分からなかったが、番号を見てようやく気付いた。
 ま、これは私個人の不注意に起因するもので、ディスクやレーベルの責任ではなかろうが(当たり前)。それに懲りて、以後このディスクは無視し続け、最近ようやく入手した(何のこっちゃ)。

 次に、モノラル/ステレオ混在であること。
 これは珍しいことではない。それ自体は問題ではない。
 しかし、「四季」全曲がモノラルで収録され、最後にボーナストラックのようなかたちで、「秋」のみがステレオで収録されている。これは問題だ。いや、悪いと言っているわけではない。
 これは'55年9〜10月に収録されている。試験的に「秋」のみステレオで収録されたのかもしれない。
 私はそういう聴き比べ、比較検討が嫌いであり面倒であり苦手なのでやらないが、それらが同じ演奏かどうかはわからない。
 
 もうひとつの問題は、いったい最古のステレオ録音はいつどこで行われたかということだ。
 私はそういうことにもあまり興味を持ってこなかったが、漠然と'58〜59年頃だと思っていた。
 しかし、遂に(大袈裟な)'55年まで遡れたのである。あと1年遡れば、念願のフルトヴェングラーもステレオで聴けるかもしれないのである(意味不明)。


2003年8月6日(水)

ジュリーニ・オン・ピクチャー

 ジュリーニの映像ソフトは意外に少なくない。

 他にもロストロポーヴィチやパールマンとの協奏曲、オペラ、ドキュメントもの、などがある。
 私は残念ながらLD時代には全く興味を持たなかったので、今頃になって中古市場を漁っている。運良く入手できたものもあり、未入手のものもある。(原則として、入手困難なものはここでは詳しくはコメントしない。)
 
 これら以外にも市販されずに、欧州では放送された(であろう)ものも、相当数に上るようである。
 一体誰がこれらを復刻、DVD化させずに眠らせておこう、などと願っているのか。
 
 特定のレーベルからは特定の演奏家のものが、いやというほど出ているのに、希少価値があると思われるこういうアーティストのソフト化は遅々として進まないようだ。「希少」だからダメなんだろうけれど。
 いずれにしろ「売れる」という手応えがなければリリースはされない。ジュリーニ・ファンなら、ジュリーニのソフトを買う。観なくても買う。たとえ私が「お勧めできない」と言っても買う。ひいてはこれがより多くのソフトのリリースにつながる。
 そしてジュリーニ・ファンでなくても買う。観ればファンになる。
 
 今やDVDプレーヤーはVHSプレーヤーよりも手軽(価格的にも)だと言っても良い。よしんばDVDプレーヤーがなくてもソフトだけは買っておく。早晩廃盤になることは火を見るより明らかである。以下(↓)に紹介したものでさえ、既に入手困難ではなかろうか、と思えるものさえある。
 後になって、現在私が中古LDを漁っているのと同じような悲劇?を繰り返さないためにも。 


2003年8月3日(日)

マリア・カラス:ライフ・アンド・アート

(EMI/DVD)'00
お勧め度:★

 私はオペラにはほとんど興味がないし、勢い?カラスにもさほど興味はありません。しかし何故このソフトがここにあるのか?
 流れから推察できるかもしれないが、ここにもジュリーニが出演している(と聞いた)からである。
 
 それぞれ1分ほどで、3回出てくるだけであるが、そのコメントがまことに謎めいている。

 マリア・カラスと言えば、誰でも、芸術家、歌手、女優として考えるが、問題は女性としてのマリア・カラスだ。
 私にはわからない。

 私は自分に本当にカラスを知っているかと聞く。
 彼女は全く独立した、我々には無縁の人物で、自分(カラス)を知っているのは彼女自身だけなのだ。

 彼女に対しては、他人からの反応が全てでした。彼女の晩年はまさにその通りでした。
 それを忘れては、彼女は舞台に上がって歌うことはできなかったのです。

 私にはジュリーニの言っていることもよくわからない。
 含蓄がありすぎて、噛み砕けないのかもしれない。逆に当たり前と言えば当たり前のことしか言っていないようにも見える。
 あるいは日本語訳の問題かもしれない(字幕入り)。翻訳が悪くて真意がよく見えないのかもしれない。どうも英語でしゃべっているようだが、残念ながら私には100%聞き取ることはできない。

 結局パソコンの前で3日間悩んでいたが(ウソです)、コメントするべき言葉も見付からないので止む無くこのまま公開することにした。
 あとは皆さんで考えていただくよろし。


2003年7月31日(木)

ブルックナー:交響曲第8番

ジュリーニ指揮/ワールドフィルハーモニックO
(image/DVD)'85/12/8 ストックホルム
お勧め度:★★

 これはDVDとしてはかなり初期に出たものです。(以前、LDでも出ていたらしい。)
 当時はまだDVDデッキは持っていませんでした。しかしCDでもいやというほど経験しているように、あっという間に廃盤、気付いたら入手困難ということは当然予想されました。
 これは見られる当てもないまま、いつかデッキを手にした時のことを夢みて(んな、大袈裟な・・・)長く眠らせておいたものです。DVD購入第1号でした。

 先日のシュトゥットガルト放送交響楽団とのブルックナー9番もそうでしたが、これもまた然り。オケメンが完全に職務?を忘れて、自分たちのために音楽してしまった例、その2です。
 シチュエーションとしては、ユニセフの大会での記念公演で、メンバーもにわか寄せ集めということで、止む得ない部分もありましょう。
 特にコンマス氏、「もう身もココロもジュリーニ様に捧げます・・・。」と言っているにも等しいくらいの態度で、アブナイ雰囲気すら感じます。
 
 他のメンバーも似たり寄ったりで、もとよりあまり厳しく縦の線を揃えようとしない(ように見える)ジュリーニのこと。あちこちでずれるは、音は外すは、ひっくり返るは、フライングはするは。もう見てられません。
 でもそれでダメかというと、決してそうではないところが、音楽ちゅうもんのわからんところです。(私の嫌いな誰かの言い方。)

 アマオケが一生懸命やっていると、ヘタクソでもなんだかスゲエ感じがするのと同じ。
 また、ヘタにずれたり外したりすると、その旋律が浮き上がって、思わず「おぉ、対旋律!ポリフォニック!」なんて、変なところに感心したりします。
 
 とまれ、ジュリーニのブルックナー、しかも8番の映像ということでの記念碑的価値としてのポイントは高いでしょう。


2003年7月29日(火)

ムソルグスキー:「展覧会の絵」
モーツァルト:交響曲第40番
ファリャ:「三角帽子」組曲
ヴェルディ:「シチリア島の夕べの祈り」序曲

ジュリーニ指揮
フィルハーモニアO/ニュー・フィルハーモニアO
(EMI/DVD)'64〜68
お勧め度:★☆

 私が初めてジュリーニの映像を見たのは、以前少し触れたミケランジェロ/ウィーンSOとのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番(音声DG)です。
 当時(かなり以前ですが)、この映像を見た時はそれほどピンとこなかったのですが、この映像があることすら忘れていて、ある時偶然再発見し、見直してみて驚愕しました。
 その時の印象では、ジュリーニというのは、ほんの指先からせいぜい肘から下?ぐらいで全てをコントロールする、動きの小さい指揮者だと思っていたのです。
 
 しかしその後、少しずつジュリーニの映像ソフトが集まり、だんだんその認識とのずれが出てきました。
 決定的だったのはこれ(表題)です。思わずのけぞりました。ジュリーニというのはこんなに「濃い」指揮をする(していた)のか。
 まるで一音一音指揮しているようです。音楽の全てを指揮しているようです。
 気の弱い?人では正視できないかもしれません。成人指定(XXXぐらい)が必要かもしれません。

 (自称?)弟子の一人と言われるチョン・ミョンフン。彼が某日本のオケの監督になった時のドキュメントで、「音を掘り起こせ」と言ってました。そして何とスコップをオケに贈るという暴挙。
 私は彼を「音の土方職人」と密かに命名しました。そして任命しました。
 
 しかし表題の映像を見て、もしかしたらそのルーツはここにあるのかもしれないと思いました。ジュリーニが音を掘り起こすように指揮している。
 私は敬意を持って、ジュリーニをこう命名しよう。「音の土方職人の親方」
 すなわちマイスターである。


2003年7月26日(土)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番

ジュリーニ指揮/ミラノ・スカラ座O
ホロヴィッツ
(DG 474-3342/DVD/LD)
お勧め度:★

 をやをや、こんなのがDVDで出るんですね。しかしこれはそれほど嬉しくはありません。

 なんだか妙に尊大に構えるピアニストに、謙虚なジュリーニがしかたなく付き合っている様子がミエミエなのである。まぁ、年寄りの言うことだからしゃーないか、これも仕事だ、と割り切っているようだ。

『 あれこれ考えさせるLDである。
 ジャケットは最低である。のっけから言ってしまうが、私はホロヴィッツの顔が好きではない。ブレンデルほどではないが。しかしこれはまあ私個人の好みとしても、ここに写っている演奏家の服装がまったくかっこよくないのは誰もが認めざるをえないだろう。紙が日に焼けて色褪せでもしたら五十年前のものに見える。
 そのうえ、演奏者がひどく左寄りに写っているので、日本語の帯を付けるとホロヴィッツの姿は半分が隠れる。LD会社はこの製品が売れても売れなくてもかまわなかったのではないかと擬われても仕方がないだろう。少なくとも、製品に対する愛情もなければ、「私どもは、お客様に美しいものを買っていただくのでございます」という気持ちは皆目ないだろう。
 「ああ、いやだ、こんな製品を買うの」とあなたが思ってもちっとも不思議ではない。たまたま私はこのLDをタダでもらったから聴いているのだ。きわめて正直な話、とくに好きな曲でもないうえに最低のジャケットを世間にさらしているこの製品、たぶん百円でも買わなかったに違いない。
 
 ホロヴィッツのピアノは音色がいつもいっしょだ。転調しても表情が変わらない。これは致命的である。何も考えていないのか、感じていないのか、昔は「白痴的」という言葉を使う評論家が何人もいたが、私もかつてならそう書くであろう。今なら「おバカ」と鈴ホ氏は言うだろうか。そんなかわいいものではない。鈍感、と言うべきだろう。
 と、ボロクソにけなしておいて、なぜこのLDを推薦するのか。
 伴奏が立派なのである。いや、音楽的にはこちらのほうが堂々たる主役である。まるで、ピアノのほうがおまけのような演奏なのだ。第一楽章を聴き始めてすぐにわかる。快適なテンポ、生き生きした躍動感、あるところではヴァイオリンが優雅に歌い、あるところでは決めの和音が的確に決まり、最初の二分間で、ああ、大した演奏だと感心させる。
 ホロヴィッツは怪しい音楽家である。どう見ても悪徳企業人か悪徳官僚のような顔のくせに、突然柔らかい音を出して驚かせたりする。もっとも、この曲では隠れ軟派ぶりは見えず、小細工を弄さずに音楽を進める。あるいはオーケストラがすごいのか。たぶん、そうだろう。何しろ天下のミラノ・スカラ座である。転調するたびに弦が絶妙に表情を変えるところなど、ピアニストにも見習ってほしかった。もっとも、それができればとっくにもっとよいピアニストになっていたに違いない。』
 
 と、誰かならきっと書くだろう。


2003年7月25日(金)

ブルックナー:交響曲第9番
(リハーサル&演奏会)

ジュリーニ指揮/シュトゥットガルト放送交響楽団
(パイオニア PIBC-1081/DVD) '96/9/18-20
(EMI/LD)
お勧め度:★★★

 をやをや、こんなのがDVDで出るんですね。これは嬉しいことです。

 これは特にリハーサルが素晴らしく、観るも涙、聴くも涙、語るも涙の伝説的映像です。ジュリーニの音楽を聴いて、こういう音楽というのはきっとこういう人がやるんだろうな、と想像できるそのままの人柄が現れています。

 ジュリーニは、随所で歌え歌えと指示するが、特にソロ管の掛け合いやデュオの部分ではかなり細かく強弱やバランスにこだわる。
 楽譜に忠実たらんとするところは言うまでもない。楽曲(作曲家)の僕(しもべ)と化しているのである。
 このリハーサルの模様、少なくとも上手い、揃っている、きれいだなどとはあまり感じられない。ところが、出来つつある音楽は恐ろしく感動的なのである。
 どうやらこのオケへのジュリーニの客演はこれが初めてで、そしてたちまちのうちに楽員が完全に心服してしまっている様子が伝わってくる。

 そのためかどうか、本番では楽員が自分たちのための音楽を演ってしまっているようで、(聴衆のための演奏会の)出来としては今一のような気がする。しかしそれも止むを得まいと思う。初めての協演で「あんな」リハーサルをやられたら、舞い上がってしまってもおかしくはないと思う。
 おそらく何度か協演を重ねて、オケがジュリーニに慣れてくれば、素晴らしい演奏会が持てたに違いない。

 これは全くの憶測であるが、この協演の後、オケ側は直ちにジュリーニに再度の客演を申し込んだ。
 それは辛くも実現し、1998年6月、ジュリーニはこのオケと再び2回の演奏会を持つ。ジュリーニの現役最後の演奏会である。
 最後の演目はシューベルトの「グレイト」であった。


2003年7月24日(木)

メンデルスゾーン:真夏の夜の夢、フィンガルの洞窟

マーク指揮/ロンドン交響楽団
(DECCA)'57,60
お勧め度:★★

 実のところ、都響との「真夏・・・」は大したことはありません。「マークが指揮台に立ったドキュメント」以上の価値はあまり感じません。聴くならこちらです。
 買え買えと言っておきながら、そんな無責任な・・・。そんな声も聞こえてきそうだが、心配はいらない。マークの録音はどれも一家に一枚必携である。(・・・?)

 ところで(話題を反らす)、マークやC・デイヴィスで聴くと、メンデルスゾーンはとても「濃い」と感じる。優雅で爽やかで軽やかなメンデルスゾーンはここにはいない。
 マーク/LSOの一連の録音では、特に弦楽に特徴がある。ヤニヤニネバネバゴリゴリ・・・。もう、粘り付き、まとわりつき、糸を引くようだ。
 最近のLSOライヴを聴いて、このオケの弦楽は最高であると感じている。しかしこの当時からこんなにヘヴィーな弦を聴かせていたのだ。
 しかし暑苦しくはならない「真夏」だ。これは「フィンガル」も「スコットランド」も全く同傾向。温度感は低く、寂寥感漂う雰囲気を醸し出している。


2003年7月23日(水)

モーツァルト:交響曲第29番
セレナード第9番「ポストホルン」

マーク指揮/スイス・ロマンドO
(DECCA)'50,51
お勧め度:★☆

 珍しくマークの新譜がアナウンスされています。
 ひとつは、デンオン1000円シリーズで、東京都soとの「真夏の夜の夢」(COCO-70595)。こっそりというか、どさくさにまぎれて出ていますので見逃しがちですが、お忘れなく。
 もうひとつは、何とTESTAMENT。スイス・ロマンドO/モーツァルト:交響曲第29番、第34番、セレナード第9番「ポストホルン」(SBT-1318)。
 テスタメントというのはEMI専門なのかと思っていたのですが、こういうこともやるんですね。いずれにしても50年経ってしまえば何でもあり、なのかもしれません。

 さて、この(表題の)ディスクについてですが、私がモーツァルトの初期〜中期の作品に対してするべきコメントは何もありません。広告文にてお茶を濁しておきます。

永遠のモーツァルティアン、マークによる清涼感漂うすがすがしいモーツァルト!
 
 このCDはその得意のモーツァルトを弱冠31、2歳の時に録音したもの。初々しいなかにもすでに今日の大器ぶりを示しているのです。スイス・ロマンドの輝かしい響きも嬉しいものです。

2003年7月22日(火)

ベートーヴェン:交響曲第9番

ジュリーニ指揮/ロンドンSO
シーラ・アームストロング(S)
アンナ・レイノルズ(A)
ロバート・ティアー(T)
ジョン・シャリー=カーク(B)
ロンドン合唱団(合唱指揮:アーサー・オールダム)
(EMI) '72 [HS2088]
お勧め度:★★☆

 
 ある方のご厚意によりジュリーニの第九を入手した。ジュリーニ指揮チェコフィル('77)盤である。これはSARDANA/SACD178と同じもののはずだ。
 この録音の特徴は歌詞もチェコ語であることだ。
 作曲家は「音声」をも含めて作曲しているわけだから(はずであり、べきである)、音声データ(言語)を変えることは、作品そのものを改変してしまうことである。従ってそれは邪道である、との主張であった。だから、この録音は敢えて無視してきた。
 
 しかし私には、仮に原語であってもその歌詞の意味がリアルタイムにわかるわけではない。だから原語(ドイツ語?)であろうと、チェコ語であろうと、英語であろうと、猫語であろうと、火星語であろうとあまり関係がない。最初はさすがに違和感があるが、慣れてくれば「そんなこと」はどうでもよくなってしまった。

 問題は、やはりフィナーレであった。このチェコ盤のフィナーレを聴いた時、「え゙っ〜!!!」と驚愕した。ハイドンった。ぶっ飛んだのである。
 なんじゃ、こりゃ。ジュリーニって、ギーレンと同じことやるのか!(昨日分参照↓)
 
 ん?待て待て。落ち付け落ち付け。反対だ。ジュリーニ'77年('72年)、ギーレン'94年(意外に遅いと思った。)ぢゃないか。するとギーレンがジュリーニの真似をしたのか?
 ギーレンが「他の演奏(録音)を研究していた」というのは、まさかジュリーニのこの演奏を含むのか?

 あわてて聴き直してみたのが、ジュリーニのLSO盤(EMI)とBPO盤(DG)である。BPO盤は時代が下っている?こともあり、あまり極端なことはやっていない。しかしLSO盤では、やはり同じことをやっていたのである。過去に聴いた時には気付かなかった、あるいはそれほど気にならなかったのだが。
 
 ジュリーニはこの「解釈」を一体どこから持ってきたのか?
 どこかに置いてあるわけでもなかろうから、これはジュリーニのインスピレーションであろうし、スコアを読み込めばそうなるのかもしれない。
 しかし誰がジュリーニとギーレンが同じ(ような)ことをやるなんて予想しただろうか。
 もちろん私とてそれほど何種類も第九を聴いたわけではないから、他にもあるのかもしれない。
 
 それにしてもジュリーニ、ギーレンよりさらに恐るべし!

 さて、チェコ盤には、やはりフィナーレにもうひとつハプニング?が潜んでいます。人によっては、それは何でもないこと、と捉える場合もあるようですが、私にとって、それはこの録音をかけがえのない、忘れられないものにしてくれました。
 
 それが何か。気になる向きには聴いてみていただくしかない。結果は聴いたあなたが判断するよろし。(どちらもそれほど入手困難ということはないと思いますが、かえってLSO盤(EMI)のほうが困難かも。)

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」(チェコ語)
ジュリーニ指揮 チェコフィル 1977年6月3日
SARDANA/SACD178

 プラハの音楽祭ライヴなので、チェコ語による歌唱。そこがちょっと引っかかるかもしれないが、ジュリーニの指揮は重厚路線に加えて歌心に満ちた豊かなもので、素晴らしい。
(広告文)

 当盤(表題)は、[HS2088]リマスターである。幸いなことに私の装置では最高の音質で楽しむことができる。空気感、立体感、定位の良さ、高域の伸び、低域の重み、どれも申し分ない。
 あれこれ言われるこのリマスターであるが、装置との相性によるところも大きいのであろう。
 ちなみに、このリマスター、あまりにも高(良)音質なため、本家EMIからartより良い音質で出してはいけない、と発禁を食らった話は有名である。


2003年7月21日(月)

ベートーヴェン:交響曲第9番

ギーレン指揮/南西ドイツSO
ヴラトカ・オルザニック(S)
ハナ・ミルチィーヨ(A)
グレン・ウインスレード(T)
アラン・タイトス(B)
ベルリン放送合唱団(合唱指揮:ロビン・グリトン)
(EMI/INT.) '94
お勧め度:★★

 
 夏本番。シーズンオフを迎え、「第九」を聴くのに恰好の季節になりました。暑苦しい曲は、暑苦しい時に聴くに限る。
 しかしギーレンは違う。ブルックナー、マーラー、ベートーヴェン。これら暑苦しい「第九」を、尽く「涼しげ」なものに変えてくれる。だから私の嫌いな三大9番でも、ギーレンなら聴いてみようと思う。

 このシリーズは、現在入手困難なこともあって、なかなか揃わない。「1&5」「2&8」「3」「9」が現在手元にある。残すところは「4」「6」「7」である。
 ギーレンのベートーヴェンは手強い。
 わかりにくいところもあるし、首をかしげることもある。3番「英雄」では、めまいがしてきた。
 ここまで聴いてみて、全部揃える必要はないかな、と思いはじめていたが、今回第九を聴いて考えを改めた。この第九はなかなかのものだ。

 とかく即物的、無味乾燥と言われるギーレンだが、この演奏に関しては、そういう感じはあまり受けない。いつも聴いている第九のように思える。
 ひとつには「慣れ」ということもあろう。最近の古楽器(奏法)やベーレンライター版による、しなびたような演奏を聴いていると、ギーレンのようなこういう演奏がまことにあたたかく潤いをもって聴こえてくるものである。なんともありがたいお話で、それだけで涙が出てきます。

 これは国内盤なので、日本語解説を読むことができるが、その中でテンポ設定について語られている。ギーレンもばかではない(当たり前か・・・)。かなり詳細にスコア(オリジナル?)や、他の演奏(録音?)を研究しているらしい。そして導き出された結果がこれである。(「どれ」なのかは、聴いてみていただくしかない。)
 
 これが意外と普通なのである。極めて真っ当なのである。ヘンテコリンなところがまるでないのである。拍子抜けしてしまうほどだ。もしかしたらこれが正統なのではないかとすら思えてくる。
 ただ1ヶ所、凄いと思ったのはフィナーレである。
 具体的には、(弦の下降パッセージで始まる)最後のコーラス部〜終結部に入るところ、普通はテンポを落とす(指示もそのようなのですが)コーラス部を、早目のテンポで「通過」し、プレストの指示のある終結部をテンポを落として入る。
 こうすると、まるで重量級の戦車か機関車が急発進するようなすごい推進力が生まれてくる。
 ここまで押さえに押さえ、我慢してきてところで、最後にかましてくれた。そんな印象です。
 ウケ狙いといえば、そう言えなくもないでしょうが、アザとさが見えないのでいやな感じは受けません。人によっては「ぶっ飛びます」と表現するでしょう(≒私もそう表現していることに他ならない)。
 ギーレン、やはり恐るべし。


2003年7月16日(水)

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」


ザンデルリンク指揮/バイエルンRSO
(GA 4-17/4CD) '90/5/25
お勧め度:★★★★


 ザンデルリンクがえらいことになっていたのである。の続きである。

 先日、ザンデルリンクのベートーヴェンを紹介して、そう言えばもう一つ忘れていることに気付いた。このディスクである。
 正直に言うと、この「田園」は最初に聴いた時、録音にやや難があり、ぱっとした印象がなかったため、そのままお蔵入りになっていた。
 ところがこれを機に改めて聴き直してみたところ、大変なことが起きたのである。
 
 1、2楽章は特に印象に残ることなく経過したが、3楽章に入って、ちょっと雰囲気が変わったようだったが、その日は疲れていたのでそのうちに眠ってしまったのである。
 
 その後、気付くとちょうど全曲が終わっていたのだが、それと同時に「ガバッ」と起きて、今聴いていたのはいったい何だったのか、というとてつもない感覚に襲われた。おそらく、潜在意識あるいは無意識で聴いていた音楽に感動してしまっていたのである。
 あわててもう一度3楽章から聴き直したのだが、その日はどうしてもダメで、やはり途中で眠ってしまった。
 日を改めて聴くと、やはりこの演奏は只者ではなく、大演奏であることを確信した。
 どこがいいのかはよく分からない。具体的に言うのは難しいが、何となく言えることは、ここでのBRSOは、異常に丁寧に弾いている。タテの線もヨコの線もきっちり合っている。
 私が言う「ヨコの線」とはピッチのことである。例えば弦楽の1セクションが薄紙のように1枚に揃っている。そしてそれが何枚(各セクション)も重なって全体のハーモニーができているようだ。
 
 もうひとつ、この曲のキモはずばりティンパニである。(新説!?)
 この曲でのティンパニは(多分)4楽章にしか出てこない。
 この「雷」がいかにキマるか。それがこの曲全体の成否に大きくかかわっている。と私は確信するものである。者である。物である。
 「雷」とは「神鳴」であり「神也」であり「神の声」である。
 
 そう、ここでのティンパニはまさに素晴らしい。見事の一言に尽きる。名演である。
 
 そしてまた、あることに気付いた。「田園」のライヴと言ったって、そう何種類もあるわけでもなかろう。BRSOと言えば、もしやあのファースト・クラシックス盤と同一ではないのか?
 タイミング的には微妙な差異がある。これは当然だろう。
 あとは、ライヴ特有のノイズだ。これは聴き比べるしかない。しかし私はこれが苦手で大嫌いである。いちいち記憶し、とっかえひっかえ比較する。面倒だ。
 
 結果は「同一である」と認められた。
 
 【まとめ】
 1.最近「ファースト・クラシックス(FC)」の流通在庫?が大量に出てきたようで、各方面から安価で供給されている。実勢1200円前後である。
   カップリング
   シベリウス:交響曲第2番/BRSO
   チャイコフスキー:交響曲第4番/BPO 

 2.こちらGA盤は4枚組みで、レギュラー?プライスである。
   カップリング
   ブラームス:ピアノ協奏曲第1番/ラドゥ・ルプー
   ラフマニノフ:交響曲第2番/BPO
   ショスタコヴィッチ:交響曲第15番/BPO
   
 3.音質はFC盤のほうがはるかに良い。
 
 ということで、「田園」を聴くなら、断然FC盤が有利である。これは私も予てより一押しの推薦盤としてきた。また、最近巷間でも評価の高いものである。
 これでもまだ、この「FC/田園」を見逃すようなら、最早「田園」を語る資格なしと言えよう。いえよう。

 先日「デイヴィスの田園」に驚嘆し、「田園」とはいったい何か、こちら(デイヴィス)のほうが本筋なのか、と疑問を持ちかけていたが、今回ザンデルリンクを聴き直して、やはりこちらも良いし、どちらも良い、という結論に達した。
 尚、ペーター・マーク、ジュリーニの「田園」も素晴らしいことを申し沿えておきます。
 これらは、我が四天王である。


2003年7月11日(金)

ベートーヴェン:交響曲第2番
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

リーラ・ジョセフォヴィッツ(Vn)
ザンデルリンク指揮/スウェーデンRSO
(PARA MOTH RM524-S) '99
お勧め度:★★☆


 ザンデルリンクがえらいことになっていたのである。
 
 たまたま昨日のラフマニノフ2番に続いて何枚か聴く巡り合わせとなった。
 中古店で運良く見付けた日に、通販にオーダーしていたものが届く。集まる時には集まるものである。集まらない時には全く集まらない。そして、当たるときは尽く当たり、外れる時はこれまた尽く外れる。

 ここでのザンデルリンクはやってくれているのである。
 こんな2番がかつてあっただろうか。とにかくスケールが大きい。この曲が後期の作品にも匹敵するが如く重々しさで迫ってくる。12番、いや22番ぐらいに据えてもいいくらいだ。
 驚かされるのは、ティンパニがぶったたいてしまっていることである。思わずのけぞってしまう。しかしそれは、めったやたらにではない。押さえるところは押さえている。
 
 あわててPOとの正規盤を聴き直した。これはとかく録音(リマスター)に問題有りと言われるディスクである。しかしその向こうにあるものが聴き取れる者にとって、そんなことは問題ではない。
 なんのことはない、ここでもちゃんとやってくれているのである。
 
 かつてバック・トゥ・ザンデルリンク、バック・トゥ・ベートーヴェンを訴えてきた。それは今も変わらない。ザンデルリンクのベートーヴェンは少ないが、絶対である。
 
 ザンデルリンクを見捨てる前に、どうかもう一度これらの録音を聴いてほしい。もう一度彼にチャンスを与えてやってはもらえまいか・・・。 
 って、ザンデルリンクをも仕切ってしまおうとするアタシって・・・。

交響曲全集
フィルハーモニアO
(EMI/D Classics)
交響曲第5番
ベルリン交響楽団
(レーザーライト)
交響曲第6番「田園」
バイエルンRSO
(ファースト・クラシックス)
交響曲第8番
ドレスデン国立O
(TDK)

2003年7月10日(木)

ラフマニノフ:交響曲第2番

ザンデルリンク指揮/レニングラードPO
(DG) '56 mono
お勧め度:★☆


 このディスクは2つの理由でそれほど重視していませんでした。
 1.モノラルであること。
 2.この楽曲にはそれほど興味がないこと。

 この曲はようわかりません。なんとなくぼや〜っとしたメロディがとりとめもなく続くようで、飽きてしまいます。特に第一楽章がそういう感じですから、早くもそこでリタイヤしてしまうことになる訳で。
 ムーディなところが人気の一部でもあるようですが、そういうものを求めるなら、初めからポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、カラベリ、あるいはカラヤン?あたりでも聴いていたほうがましなのでは。

 ザンデルリンクの同曲といえば、新録がエラートから出ています。こちらはカップリングがショスタコヴィッチ15番ということもあって、またステレオでもあるので、早くから入手していました。
 それでも意外とこの録音(DG盤)が上位で推薦されていることがあるので、気にはなっていました。今回たまたま安く手に入るチャンスがあったので、穴埋め程度に入手してみたんです。
 
 うーむ。聴いてみて、なるほどいい演奏のように思います。あまり自信がないのは、そもそもこの曲自体がよくわかっていないからです。スタイルとしてはいつものザンデルリンク・・・と言ってしまうのは簡単なんですが、この時彼は44才。50年も前の演奏です。
 プラス若さ?もあって、とにかくハイテンションで流れて行きます。暑苦しいくらいです。最後のほうでは、いい加減疲れてしまいました。
 これがロシアンパワーなのか。
 
 私としては、何度も聴きたいディスクではありませんが、かなり印象に残ったことは確かです。 


2003年7月9日(水)

ブラームス:交響曲第4番

スクロヴァチェフスキー指揮/ハレO
(IMP)
お勧め度:★★


 ブラームスの3番シリーズで来ましたが、スクロヴァチェフスキーでは、続けて聴いた4番が恐るべき内容だったので、ここではそちらを取り上げます。

 ブラームスの4番というと、晩秋・哀愁・夕映え・・・そんな言葉で表現されることが多い。
 しかし、この演奏にはそんなことは微塵も感じられない。
 もしスクロヴァチェフスキーにそのことを質問したら「アニッ!?、そんな女々しいことにつ付き合ってられっかよ#」と怒られそうである。(そんなに恐い人ではないとは思うが。)

 この演奏は、まことに雄雄しく力強いのである。だから4番としてはとっても変なのである。
 これは男のブラームスである。(じゃ、他のブラームスは何なのよ?)
 こういう4番なら私でも好きになれます。イジイジナヨナヨした音楽なんて聴きたくもありません。

 スクロヴァチェフスキーのところではいつも言いますが、彼は「音楽の裏にあるドラマや背景」などというものには全く関心がないのでしょう。
 そのかわり音符として書かれたことには徹底的にこだわる。そして導き出された結果がこれである。
 これは、スクロヴァチェフスキーを代表する演奏(録音)と言ってよいかもしれません。
 
 スクロヴァチェフスキーのマーラーなんて聞いたことはないですが、もし彼がマーラーをやったら、きっと私は好きになると思います。ギーレンやシャイー並み、あるいはそれ以上の乾いたマーラー、爽やかなマーラー、軽やかなマーラーになることでしょう。
 あるいはメカニックなマーラー・・・。冷気が漂ってきそうです。
 しかし彼がマーラーをやらない訳は、あまりにも指示が細かすぎて、それが鬱陶しいか、ガキ扱いされているようで厭なのかもしれません。指示通りやれば、誰でもできちゃうから。

 私には「聴いた音楽を説明する」ということはできません。(それができるのがプロの評論家なのでしょう。)
 聴いて「感じたこと」を書くだけです。だから私の文章から音楽を想像するのは難しいと思う。(もちろん「音楽の内容」と「私の感想」の境界線が特定できるわけではない。)
 だから、最後はいつもこれで締めるしかない。
 気になる向きには聴いてみていただくしかない。結果は聴いたあなたが判断するよろし。


2003年7月7日(月)

 最近では海属盤にも解説(広告文)付きのものが多く、これがなかなかおもしろいので、ボチボチ紹介してみましょう。

ブラームス:交響曲第3番

ザンデルリンク指揮/バイエルン放送交響楽団
1996年ミュンヘン

ムソルグスキー:歌劇「ホヴァンシチナ」前奏曲
R・シュトラウス:「四つの最後の歌」

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団
録音年月不詳
(En Larmes ELS 02-261)
お勧め度:★★☆

 先頃惜しまれながら現役を引退したザンデルリンクの初出ライヴです。
 十八番の「ホヴァンシチナ」前奏曲の充実しきった表現、絶美と言えるR・シュトラウス、そして途方もない巨大なスケールの中で悠然と展開されていくブラームス。
 どの曲のどの部分をとっても、ザンデルリンクの個性が見事に刻印されてた破格の名演ぞろいです。 音質極上。 世界初出。
ブラームス:交響曲第3番
ベートーヴェン:「コリオラン」序曲

ザンデルリンク指揮/ベルリンフィルハーモニーO
1992年6月16日
(sardana sacd-199)
お勧め度:★★★

 巨匠ザンデルリンクとベルリンフィルという注目盤。じっくり遅めのテンポだが、巨匠の表現はメリハリのはっきりしたコントラストの強いもの。聴いていて弛んだところがまるでありません。

 この曲はザンデルリンクの十八番(私の勝手な思い込み)とあって、どちらもお勧め度のポイントは高い。もちろん「逆回転度」も最高。ザンデルリンクの場合「逆噴射」といってもいいくらいのパワーだ。
 今回とりわけ素晴らしいと思ったのはベルリンフィルとの録音だ(sardana盤)。特に例の「ジュリーニ/(ヘタクソ)VPO/ブラームス:交響曲第3番」の後に聴いたので、このBPOが異常にうまく感じられた。 


2003年7月6日(日)

ブラームス:交響曲第3番

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/VPO
(DG)
お勧め度:★☆


 さて、「初めに終わりがある」ということなんですが、この曲はその最たるもので、何と「終わりから始まる」のである。
 
 ある時ブラームスは、交響曲第2番を愛用の蓄音機で聴いているときに、うっかり針を内から外へ向かうように置いてしまったのである。すぐ間違いに気付いたが、しばらく聴くうちに、これはこれで面白い音楽が出来そうだと閃いて、そのまま譜面に落としたのがこの曲(第3番)なのである。
 これは、本当のような嘘の話である。
 
 だから、この曲は終わりのような始まり方をして、始まりのような終わり方をする。もちろんそれでも、フィナーレは冒頭で予告されている。
 
 私にとって、この曲の代表盤は依然として「ザンデルリンク指揮ドレスデン国立O(RCA)」である。ザンデルリンクはこの曲が得意で、何回も演奏したようで、ライヴ盤でも何種類か聴く事ができる。
 しかし(紹介するのが)いつでもそればかりでは面白くないので、何か別の演奏を、と思って捜してみた。ジュリーニのこの演奏は以前割といい印象があったので、今回聴き直してみたところ、意外にも推薦するには少しばかり憚られた。
 オケが最悪なのである。これはあるいは録音のせいもあろうかと思うが、とにかくバラバラ。ハーモニーとしてちっとも溶け合っていないのである。まるで弦楽器をひとつひとつ別々に録って合わせた(寄せ集めた)ようである。
 一部からは信仰を集めているとも聞く同オケであるが、この演奏におけるトホホ感は否めない。
 
 このチクルスの録音は、幸い?ライヴ盤も出ている。HALLOO/HAL25-26(1,3,4番)である。試みにこちらを聴いてみると、その傾向は一層はっきりする。こちらで特にひどいのは木管金管である。あちこちでプー、ピー、アヒャー、と吹き損なっている。
 弦楽ダメ、木管ダメ、金管ダメ・・・。残るのは打楽器ぐらいであろうか。
 こんなヘタクソオケを相手にジュリーニは耐え、よくがんばった。感動した!!

 尚、このオケにはグレードがあって、VO、VSO、VPO、VSPOの順に技術レヴェルが高いらしい。


2003年7月3日(木)

ブルックナー:交響曲第8番

ヘルベルト・ケーゲル指揮/ライプチヒRSO
(PILZ/EAST GERMAN REVOLUTION)
お勧め度:★★☆


 およそクラシック音楽とカテゴライズされるものは、そのほとんどがキリスト教文化の思想に基づくものではないでしょうか。
 その根底にある考え方を一言で言えば「初めがあり、終わりがある。」
 「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(ヨハネ黙示録)
 さらに発展させると「初めに終わりがある。」・・・?
 
 音楽でそれが表現されているものはたくさんあります。
 例えばこのブルックナー8番。第一楽章冒頭「タラッ、タラータラータラー、タララ(ミレド)」
 この「ミレド」の動機は随所に出てきます。第一楽章は、ほとんど全てこの動機(の変形)でできているといってもいいくらいです。そして最後はこの動機で終わります。
 さらに第四楽章の終わり、つまりこの曲の終わりもこの「ミレド」なのです。
 
 冒頭で「終わり」が予告されているのです。すなわち「初めに終わりがある。」

 このHPを読んで下さる方々はおそらく百戦錬磨の兵(強者?)でしょうから、こんなことは当たり前かもしれません。しかし、そういうことを知らなかった方には、まさに目からウロコ、あるいは目が飛び出るほど仰天する事実かもしれません。
 
 さて、この録音はケーゲルを代表するものであり、また同曲の代表盤としても指折られるべきものだと思いますが、その割りに話題になっていないように見受けられます。あるいは絶対数が少ないからでしょうか。中古市場でも見過ごされていることがよくあります。残念なことです。
 この録音を未聴の方は、どこかで見かけられたら迷わず入手することをお勧めします。
 全編を支配する異常な緊張感と静けさ。音楽を聴いて何かを想像するということは、私の場合あまりありません。しかしこの演奏を聴くと、夕闇迫る荒野に一人取り残されたような光景が浮かんできます。
 但し、フィナーレでの追い込みはケーゲルらしくていいのですが、ちょっと響きがごちゃついて、肝腎の動機が埋没して不明確になっているところがあります。
 尚、このレーベル。CDとしてのモノの作りは今一なところがありますので、中には再生不良を起こすものもあるようです。念の為。 


2003年7月1日(火)

ベートーヴェン:交響曲第5番

サー・エードリアン・ボールト指揮/ロンドンPO
(Vanguard)

お勧め度:★★☆


 
私の場合、それほど多くの作曲家および演奏者の音楽を聴くわけではありません。しかも話題の新譜に飛び付く、なんてこともない訳でして。
 勢い、同じ録音を飽きもせず、繰り返し聴くことになるわけです。
 
 これもそんな1枚で、もう何度目かの登場になります。「なんだ、またかよ。」そんな声も聞こえてきそうなものですが、実際には全く聞こえてきませんので、調子に乗って取り上げます。
 
 最近発売された某ムックの中で、「副島クン」が、かつてこの録音を代表盤(好きな演奏)に挙げたところ、「見損なった」「あんなダルイ演奏のどこがいいのか」と批判を受けたというのである。
 私は信じ難いことだと思いました。この演奏を聴いて「ダルイ」などという感想を持つなんていうのは、耳か頭が腐っているとしか思えないからです。
 
 こんなに毅然とし、力強く引き締まり、かつ熱い心を持ったベートーヴェンがどこにあるというのでしょうか。
 こういう「ダルくない」スタイルが嫌いだというのならわかります。しかし、これを「ダルイ」と言ってしまったら、他に「ダルくない」演奏なんて考えられません。この式でいけば、フルトヴェングラーですら「ユルイ」と言わざるを得なくなってしまいます。(造形を、あるいは意図的に崩す、という観点から。)
 
 さて、そんな「ダルイ」演奏とは、一体いかなるものなのか。気になる向きには聴いてみていただくしかない。結果は聴いたあなたが判断するヨロシ。ウタマロです。

 尚、「ボールト/LPOのベートーヴェン:第五」ということで、必ずしもこのVanguard盤を指しているのではないかもしれない。可能性としては、EMIにも同じ録音があり得えます。

 このCDは、最近新レーベルから復刻され、入手しやすくなりました。

ARTEMIS RECORDS (実勢 \2400/2CD)

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、第5番、コリオラン序曲、レオノーレ序曲第3番
ATM-CD-1191(2CD)

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、第7番、フィデリオ序曲、エグモント序曲
ATM-CD-1192(2CD)


2003年6月28日(土)

ブラームス:ドイツ・レクイエム

サー・コリン・デイヴィス指揮/BRSO
Angela Maria Blasi(S)
Bryn Terfel(Br)
BRcho.
(BMG 74321 987052/2CD/BMG France) '93
お勧め度:★★★


 
出ました・・・。
 このレコードに対しては、この一言で十分であろう


2003年6月27日(金)

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

サー・コリン・デイヴィス指揮/BBCso
(PHILIPS)
お勧め度:★★★

 
学嫌(がっけん)という出版社からムックが発売されています。タイトルは忘れましたが、指揮者の代表盤を何枚か挙げるという企画でした。
 A4豪華版で確か2000円。あまりの大袈裟さに思わず引いてしまいました。紙質や装丁なんかもっと落としてもいいから、もっと安くすれば、と思いました。中もなんだかスカスカ(余白が多い)で、空気膨れしているようです。
 私はどうせ数人の項しか読みませんから、端から購入する気はなく、立ち読みを決め込んでいました。
 その中のサー・コリン・デイヴィスの項で、意外な録音が挙がっていました。ドレスデン国立Oとの「田園」です。
 「へー」と思いました。私はその録音には、ぱっとした印象もっていませんでした。
 それで、改めてデイヴィスの「田園」を聴いてみたんですが、むしろこちらの録音を聴いたときに驚くべき印象を持ったのです。この録音は、ごく最近のリリース時に割と簡単に紹介しましたが、その時は「第五」のほうにとりわけ感動したものです。
 
 「田園」というと、牧歌的、平和的なイメージを持っている向きが多いと思います。ひどい時にはBGMに最適などという意見も聞きます。
 そして代表盤としては「あたたかい」演奏が好まれるようです。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。
 この演奏を聴くと、この曲が実はモノマニアックで、ベートーヴェンの異常なしつこさ、あるいは狂気を描いた音楽であることがよくわかります。
 特に、第一、第五楽章でそれが顕著なのですが、いかに単純な繰り返しが、延々と続くことか。執拗なまでのこだわりようです。しかしこれは単調とは違います。
 ベートーヴェンは変奏の名人でもある、とも言われます。これもその見事な成功例でしょう。
 
 別の某ムックで杵光俊氏が、バントの「田園」を指して、第一楽章での「ターラー」という音形が、さざ波のように各楽器(パート)に受け渡されていく様が見事であり、これ以外の演奏は全部間抜けだとかボンクラだとかカスだとか言っていました。
 私は、何とバントも一部のブルックナーを除いて既に見切っており、ベートーヴェン全集も処分済みですので、それがどういう演奏なのかは最早聴くことはできません。
 
 しかしながら、このデイヴィスの演奏を改めて聴いてみて、「ターラー」どころか、全てのメロディが同じように繰り返されていく様に驚嘆したのです。杵氏が言っていたのは、こういうことなんだな、と納得するのと同時に、これはもしやバント以上ではないのか、とも思いました。
 こういう、形式や構造を重んじた(であろう)演奏を聴いていると、特に第五楽章などでは、いったいいつまで続くのだろうという印象を受けます。また、いつまでも続いてほしいとも思います。
 デイヴィスは表面上の音の美を磨くということにあまりこだわっていないように見えます。しかし「きれいな音」でなくても音楽の本質的な美は表現できる。ベートーヴェンの本当に言いたかったことが。
 これはその模範解答なのではないか。
 
 私はこの音楽に永遠に浸っていられるのではないか、というささやかな幸福感と共に、ぼんやりとそんなこと考えていました。


2003年6月26日(木)

モーツァルト:レクイエム K626

サー・コリン・デイヴィス指揮/BBCso
ヘレン・ドーナス(S)
イヴォンヌ・ミントン(CA)
ライランド・デイヴィス(T)
ゲルト・ニーンシュテット(B)
ジョン・オールディーズ合唱団
(Ph) '71
お勧め度:★★
モーツァルト:レクイエム K626

サー・コリン・デイヴィス指揮/バイエルンRSO
angela maria blasi(S)
marjana lipovsek(A)
uwe heilmann(T)
jan-hendrik rootering(B)
バイエルン放送合唱団
(BMG)'91
お勧め度:★★★

 私の場合、半ばお約束のように、こういう形で話は収束する訳でして。わかっているのに、それを期待してしまう。水戸黄門の引導、暴れん坊将軍の綱吉、金さん銀さんの桜吹雪のようなものです。

 コリン・デイヴィスのモツレクでは、91年のBRSOとのBMG盤が圧倒的に優れています。私にとっては、ということですが。
 これは音楽が轟々と流れています。よく引き合いに出しますが、大雨の後の増水した川の流れのようです。洪水とまでは行かないが、何もかも洗い流してしまう。川岸に立って眺めているだけで一緒に流されそうになってしまう。
 ホームに立っていると、発作的に通過列車に飛び込みたくなってしまう。あの感覚と全く同じです(って、どこが・・・)。
 一面ではザンデルリンクの音楽作りにも似ています。これはデイヴィスの声楽曲(ミサ、レクイエム系)に共通した特徴です。しかしながらそれがレクイエムやミサ曲の本質かと問われれば、あるいは否と答えなければならないかもしれません。
 これは、私のレクイエムやミサ曲の聴き方と大いに関係がありそうです。私の場合、言葉の意味を全く知らずに、純粋に音としか聴いていません。この曲が宗教的に意味を持ったレクイエム(ミサ曲)であるということを考えず(知らず)に、「レクイエム」という名前の曲である、という聴き方をしています。
 もちろん、時折対訳は読みますから、歌詞?がどういう内容かぐらいは知っています。しかしリアルタイムに「今」どういう意味のことを歌っているのかは全くわかりません。以前別のところでも延べましたが、人声を音響としか聴いていないわけです。(ですからオペラを「聴いて」も、全くおもしろくない、ということになるわけで。)
 
 自分も一緒にレクイエムしよう、と考える向きにはBBCとのPh盤のほうが好ましいかもしれません。「それらしい」雰囲気が出ているからです。
 それに対し、BMG盤では圧倒的な音の力に感動してしまいます。
 コリン・デイヴィスとは、そういう力を楽員から引き出せる、そういう術に長けた指揮者なのです。


2003年6月24日(火)

モーツァルト:レクイエム K626

ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
バーバラ・ボニー(S)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(A)
アントニー・ロルフ・ジョンソン(T)
アラステア・マイルズ(B)
モンテヴェルディ合唱団
(PHILIPS/DVD) '91
お勧め度:★

 
私はガーディナーを既に見切っています(のっけから・・・)。
 ベートーヴェンの交響曲で騙され、バッハのロ短調ミサで騙され・・・。
 ただ、VPOとのシューベルト「グレイト」だけは気になっています。いつかエヌ・エイチ・ケイでその(映像)ライヴの模様が予告で放送され、いい印象をもっていたからです。
 しかしCDはレギュラーで3000円と高い。中古で見付けても何故か1800円。中古屋さんも中身じゃなく、定価を元に値付けすることが多いようですから。もちろんそれが我々にとって良い(おいしい)こともあり、諸刃の剣なのですが。

 これはDVDですが、これを買った理由は3つ。
 1.女声が、ボニー、オッターであること。
 2.DVDで見られる唯一のモーツァルト:レクイエムであること。
 3.K427のミサ曲とのカップリングであり、その上値段が3200円と、その割りに安かったこと。
 
 どう見てもお買い得であった。買わざるべからずという内容である。
 しかしそれには訳(裏)があった。中身が伴っていないのである。ハズレであった。ガーディナーには、またしても騙された・・・。
 
 ところで、今月号の「しコ芸」にはオッターが特集されています。
 オッターさんもずいぶん年とりましたなぁ・・・、そう思いながらページを繰ると、女性アーティストのプロフィールには珍しく、生年月日が出ているではありませんか。 
 ん?1955年生まれ・・・。
 ということはまだ48才ではないですか。写真で見たらそれより10才くらいは上なのではないかと・・・。


2003年6月21日(土)

モーツァルト:レクイエム K626

リリング指揮/バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト
ゲッヒンゲン・カントライ

クリスティーネ・エルツェ(S)
インゲボルク・ダンツ(A)
スコット・ウィア(T)
アンドレアス・シュミット(B)

(hanssler) '91
お勧め度:★★

 この演奏の特徴は、通常のジェスマイヤー版ではなく、ロバート・レヴィン版という変わり種なことである。リリングが初演したらしい。
 ところどころ変テコリンなところがある。有名なところでは、ラクリモサ(涙の日)における「アーメン・フーガ」である。最初聴いた時には「こりゃカデンツァか!?」と、たいそう驚かされた。その他にも管弦楽の使い方で聴き慣れない部分が散見される。

 しかしここで特筆したいのは、版の問題ではない。
 ソプラノが素晴らしいのである。非常に清らかで澄み切った声である。歌唱にも特に不満は見られない。
 最近では気に入った演奏が見つかれば、それ以上むやみに種類を増やすことをしなくなったので、この曲については、数種類しか聴いたことはない。それに元来声楽曲は言葉の壁があって、それほど多くの楽曲を聴かない。そういう条件付きではあるが、私が聴いた中ではピカ一のソプラノである。
 最近のお気に入りのソプラノは、ユリアーネ・バンゼ、クリスティーネ・シェーファーであるが、この一曲を聴いた限りでは、クリスティーネ・エルツェも同率一位と言ってよい。

 この演奏を支えているのは、録音がまたとびきり優秀なことである。
 このところ再生装置の音質改善が効を奏して、かなり良い音質で聴けるようになってきた。こうなると実はどんな録音を聴いても優秀な音質に思えるのである。もちろんそれぞれ録音技師が狙った方向性は違うから、同じ音質に聴こえるわけではない。しかしそれぞれ長所があり、最終的には結局好みの問題としか言いようがなくなってしまうのである。

 音質が悪い、と相手(メーカー、レーベル)を非難する前に、再生する側に何か問題があるのではと、まず謙虚に受け止めるべきであろう。相手の責任にしているうちは何ら進歩は期待できない。
 オーディオとは、物としてのCDから、電気信号→空気振動へとエネルギー変換するものである。広義での物理法則に完全に従った現象なのである。である以上、何か一つパラメータを替えれば、絶対に結果は変化する。パラメータを替えるとは、例えばケーブルを変える、振動モード(インシュレーター)を変える、電磁波・静電気・ノイズ対策をする、ということである。


お勧め度:★=1点、☆=0.5点
満点は★★★ですが、その曲または演奏家の代表盤とも言えるものには★★★★も。


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