駄聴日記(セレクション2)

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エッシェンバッハの問題発言?
なんのために働くの?
人間は遊ぶために生まれてきた
文明なんて要らない

自然を破壊し続ける人間たち
農業問題
実録 猿の惑星
お客さん、お断り

出ん音・・・ですか
不思議な出版社
食糧が安すぎる


2000年9月12日(火)

エッシェンバッハの問題発言?

 レコード芸術2000年8月号に掲載されていました。

 私は彼を好きでも嫌いでもない、いまのところ中立的立場です。先日の来日公演にも行くつもりで、チケットは買っていたのですが、やむを得ない事情で聴き逃しました。いま振りかえると非常に残念なことをしたと思いますが、これもやむを得ません。
 
 このインタビュー記事から窺えるのは、彼は暗いということです。それだけに深い洞察力をもっていると言えましょう。
 この記事の中で彼は非常にいい事を言っています。引用させていただきます。

 ただ最近、世界中で若い人達が少しおかしくなっているとよく言われますが、これはメディアにも大きな責任があると思います。
 いいものと悪いものをはっきり伝えるのもメディアの大切な使命のはずでしょう? なのにメディアはくだらないもの−たとえばまがい物みたいなライト・クラシックとか、三大テノールの類に代表されるお祭り騒ぎとか。あるいはとてもトップクラスとはいえない歌手を「最高のものだ」と”称して”売り出してはいないでしょうか。

 こう語っています。

 まず、おかしくなっているのは日本だけでなく、世界中のようです。メディア「にも」大きな責任と言われていますが、私はもちろん最大の責任はその親たちにあると考えます。
 いずれにしろ人類の将来は悲観的なものと言えましょう。
 先日もたまたま、「新・猿の惑星」をTV放映していましたが、その中でも象徴的なことを言っていました。大意はこうです。

 たとえ将来、人類が猿に支配されるとしても、それが神の思し召しなら、俺はちっとも構わない。

 さて、問題はエッシェンバッハの発言の後半です。
 彼は「そういうもの」を、はっきり「くだらない」と言っています。もちろん日本語訳のときに微妙なニュアンスの違いは出ているかもしれません。

 私が発言すれば問題になりましょうが、エッシェンバッハ氏なら許されましょう。「くだらない」と言われて反発する向きは、エッシェンバッハ氏にクレームを出すようお願いしておきましょう。


2000年9月26日(火)

なんのために働くの?

 おそらく○○さんは、非常に忙しい日々を過ごされているに違いない。そしてこう思っていることだろう。
 「自分は世界一忙しく、かつ重要な仕事をしている。自分がいなきゃ、この会社はつぶれてしまう。」
 「病気で会社休んでなんぞいられるか、オレがいなきゃ仕事が始まらねえんだ。」

 しかし○○さんは、本当にそんなに重要な仕事をしているのだろうか。
 ○○さんがしている仕事の、ずっと先には何があるのだろうか。○○さんが仕事をした結果、最終的に生産されるものは一体何なのか。それは本当に必要なものなのか。もしかしたら、それはいたずらに資源を浪費するだけのものではないのか。
 ふと、立ち止まって考えたことはありますか? あなたがたはたとえば、子供に媚を売って、その結果子供たちがよりバカになるようなものを、血眼になって競争しながら生産していませんか?

 この世で一番重要な仕事は、食糧を生産・確保することである。即ち農業である。または漁業・狩猟業(そんなのはないか?)である。家畜業なども入るだろうか。
 極論すれば、それ以外はすべて無駄事である。しなくたってたいした影響はないのだ。

 もちろん「衣・住」も大切だから、それなりの供給は必要だ。だが差し迫った緊迫感はない。ちょっと古いが、ルーズソックスなんぞを作っている暇があるくらいだ。
 住宅だって十分足りている。ホテルの部屋がいったいどれだけあるのか。ホテルなんて無ければ無いで何の問題もないのだ。外国から人を受け入れる余裕だってある。(望んでホームレスしている人は別ですよ。)

 それに、子供をほったらかしにしてまで(共稼ぎで)働かなければならないほど貧しい人がいる。それはもしかしたら、その人たちが贅沢をしすぎているからではないのか。もっと質素な暮らしをすれば、今よりも豊かな人生が送れるかもしれない。
 子供に贅沢をさせ、放任しておけばロクなものができるわけがない。貧しくて放任されているのなら、まだそれなりに考え、知恵もつくだろう。それはあるいは悪知恵かもしれないが、少なくとも「考える」人間は安易には犯罪を犯さない。
 
 そんなこんなで子供がおかしくなって、世の中もますますおかしくなる。犯罪が増え、税金がさらに浪費される。結局それが自分達の首を締める。
 一生懸命働いた結果がこれなのだ。

 すべてが悪循環の罠に、はまっていないだろうか。

 外国からせっせと食糧を買って、国内の農業生産量を減らし、食糧自給率をさらに低下させる。お金がいくらたくさんあっても、それで食っていけるわけではないのだ。買うべき食糧がなければ、である。
 いざとなった時、(外国の)誰が優先的に外国(日本)に食糧を提供してくれるだろうか?

 しかも昨今では、9000だとか14000だとか、わけのわらないおまじないを唱えたり、TPMなどと「ごっこ」遊びに夢中になり、ますます余分な仕事を増やす。
 その成果が、最近の異物混入ブームだ。すばらしい品質向上活動である。いかにこっそりトンデモものを混入させるか、競っているかのようだ。
 一方では、人を減らすのが企業の使命とばかり、失業率向上に寄与する。

 やることが全て逆じゃないですか?
 企業内での仕事を減らし、人を増やし、質を上げるのが本来の使命でしょうが。その結果、一人あたりの所得が減ったって何の問題もないのだ。それに文句をいう自己虫こそリストラすればよいのだ。

 そして、その挙句が借金まみれ(国債残高?兆円)というこの不思議。
 でも、こんな借金なんか、棒引きすればそれで済むんですけどね。でもその前に、どこかの植民地になってしまうかもしれませんね。借金のカタにクニを取られてね。

 まさに日本は神秘の国と言えよう。(解説・・・当時、某首相が「神の国」発言をしていた。)

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2000年9月27日(水)

人間は遊ぶために生まれてきた

 自然の動物たちを見よ。
 彼らは、餌を摂ることと、子孫を残すこと以外は、何もしていない。
 しかも共存共栄関係を結び、究極のエコロジーを築いている。自然破壊など絶対にしないのだ。
 人類だけがそれ以外に無駄なことばかりして、貴重?な地球資源を浪費している。
 これは、はっきり遊んでいることに他ならない。無駄事という。

 人類というのは他の動物に比べて、実に「不自然」な存在なのだ。

 私は、人類が猿から進化したなどというバカバカしい仮設は信用していない。もしかしたらそれは全く逆で、むしろ、これから人類が猿に進化(退化)していくのではないかとさえ思えてくる。
 猿と人類は明らかに違う生物である。それは生物学的にも、決定的な違いがあると証明されているらしい。

 とすると、人類というのは、やはり?他の惑星からこの地球に移り住んできた異星人ではないかと思う。
 それは侵略でもあるが、人類が生存するために必要な行為であったことは間違いない。
 そして、もはや地球にも住めなくなる日が近づきつつあることを悟った人類は、次なる生息先を求めて、宇宙に出ようとしているのではないだろうか。
 宇宙に出る「目的」がないとしたら、宇宙開発こそ恐ろしくバカバカしい遊びである。

 私はバードウォッチングも好きで、ついでにいろんな動物も見るが、彼らを見ているとつくづくそう思う。

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2000年9月28日(木)

文明なんて要らない

 さて、人類は何万年か前に誕生して、現在まで生存を続けてこられた。だから放っておいても、この先それと同じ位の期間は大丈夫なはずだった。

 仮に、あくまで仮にですよ、猿が人類の祖先だとすると、彼らはさらにその何万年も前から生存しているわけである。しかも驚いた事に、彼らはその間ほとんど生態を変えていない。文明らしい文明なんてないのだ。猿には医者もいない。それで何の不都合もなく生存していける(こられた)のである。自然に生まれ、自然に死んでいくだけで。

 ところが、数百年前、いやもっと最近になって、人類は急速に文明を発達させた。そしてそれは止まることを知らず、まさに加速的に進んで行く。
 携帯電話は1年で半分の重さになり、機能は数倍になり、値段は半分になる。
 一体どこにそんな必要があるというのか。同じままの仕様で、3年くらいは生産を続ければいいじゃないか。それで誰も困らないじゃないか。
 何の必要があってそんなに急いでいるんだ?
 しかもその恩恵を享受しているのは、主に「子供」であるというこの異様な光景。

 文明を発達させれば、それだけ幸せになれるのか?

 少なくとも、人類と同じくらいの文明を持たない猿たちは、空の鳥たちは、不幸なのか?
 私にはそうは見えない。みんなとても楽しそうにしている。もちろん厳しい自然と戦ってはいる。
 だが人類も、自然破壊した結果、当然のように起こる災害と戦っている。何も変わらない。
 「自然」にも意志があって、人類に復讐しているのだ。自然は、造物主たる神である。

 もう、いいかげんに立ち止まったらどうだろうか。少なくと、もう少しペースを落としてみたら。

 このまま突っ走た結果の、「わずか」千年後(いや百年後でもいい)の人類の姿を予想できますか?
 それとも、そんな(気の遠くなるような)先のことは自分には関係ない、どうでもいいことですか?
 明日、会社で何をしなければならないか心配するほうが、それよりも大切なことですか?

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2000年9月29日(金)

自然を破壊し続ける人間たち

 気になるニュースを報道しています。

 本来、日本にいなかった動物が野生化して、それが見事繁殖しているというのだ。
 聞けば、今とんでもないペットブームだそうだ。
 「とんでもない」というのは「非常に流行っている」ということではない。「とんでもない動物の」という意味だ。主には爬虫類である。カブトやクワガタなどの昆虫もふくまれている。
 こういうものを好き好んで飼う変人がいて、それを商売にしようとする非道徳的人種がいる。

 確かにこれは違法ではなかろう。だが、法律さえ守っていれば何をしてもいいのか?

 いくら現在の(日本の)知識で無害だからといっても、未知の細菌やウィルスがいる可能性はないのか。最近では、こういうものでさえ、人工的に合成できる時代である。
 当然自然の生態系が崩れる訳だから、今までバランスよく生活していた、他の「善良な」生物にも影響を与える。これは自然破壊以外の何物でもない。

 問題は、飼いたがる人間のほうである。こういう動物が野生化する背景には、一時の好奇心でペットにしたものの、やがて飽きたり、手に負えなくなって放すのだという。
 きちんと保健所や、買ったところのペットショップに処分を依頼するとか、責任持って自分で成仏させて埋葬するなど、およそできない責任感のない者どもなのである。
 それが「可愛そう」などと思うなら、安住の地である故郷から、未知の土地へ強制送還し、不当に拘留するという行為は一体何なんだ。

 一時的な興味で結婚し、飽きたら離婚する。子供が生まれれば邪魔者扱い(あるいはペット扱い)し、これも飽きたらほったらかし。また同じような話になってきた。

 それはきっと、こういう人間たちがすることなんだろうと思う。

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2000年10月4日

農業問題

 オリンピックが終わってNHK「クローズアップ現代」が再開した。
 月曜日は見なかったが、火曜日は見た。偶然にも農業問題をやっていた。
 「(国産)有機野菜」がなくなるというのだ。農業分野にも、ついに国際規格が導入され、「有機」を名乗るためには認証が必要になるというのだ。ISOと同じである。「あ〜あ」と思った。何やってんだか。
 農家にやる気をなくさせる以外の何物でもない。
 欧米の戦略に次々とはまっていく。
 
 日本の国力がどんどん落ちていく。もう何一つ自国で賄うことができなくなってしまう。
 外国から食糧を買うのなら、今後50年間は一定の需給をお互いに保証するくらいの確約を交わして欲しいものだ。
 現在の日本の食糧自給率は40%ぐらいらしいが(違っていたら失礼)、外国からの供給が止まったら一体どうするつもりだろう。
 
 こちらは食糧を「買う客」だなどというバカな発想に陥らないで欲しい。
 いざとなれば、頭を下げて、ある時は彼らの「奴隷」となってまで食糧を乞わなければならないのだ。物乞いである。乞食である。
 
 その覚悟ができているのか。

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2000年11月04日(土)

実録 猿の惑星

 アイ、アユムというチンパンジーの親子のことが、おりに触れて放送される。
 

 この猿たちに、教育をしようとしている人たちがいる。いったい彼らは何をしようとしているのだろう。こういうことを試みることで、人間が知能を発達させてきた過程を知ることができるかもしれないと言っている。だが、そんなことを知ってどうしようというのだ。
 
 教育なんて彼らにとってはよけいなお世話だ。これは人間が猿をオモチャにして遊んでいるにすぎない。
 これも自然破壊だ。そして破壊された自然はその破壊者に必ず復讐する。

 すでに元の世代である親でさえ文字認識ができるようになったという。そして、その子は着々とそれを学んで、より知能を発達させていく。
 猿の世代交代が何年位で行われるのかは知らないが、5世代もすれば、そら恐ろしいことになるに違いない。「話もできる友達のような猿のペット」なんていうものが出てきそうだ。
 
 そして「人間よりもはるかに生存能力の高い」猿たちが急速に繁殖して、人間どもを征服していくに違いない。もし、そういう危険が明らかになったときに、彼らを「きちんと抹殺する」ことが今の人間にできるか。
 おそらく動物愛護団体などという訳のわからない連中に阻止されて、その計画は失敗するだろう。猿を弁護する弁護士なども登場するに違いない。

 この映像を見ていて、すぐに先日TVで放映された「新・猿の惑星」を思い出した。
 まるで同じシーンを見ているかのような気がした。
 TVなどまったくばかばかしい、くだらない放送しかしていないが、中には見識ある人がいて、この問題に警鐘を発しようとしているかのようだ。
 驚くべきことは、この映画が30年前に作られたということだ。
 (当然アメリカではこの手の研究?は10年、いやもっと進んでいるに違いない。意識的にリークされて我々の目に触れるのは、ほんの一部にすぎない。)

 猿たちは、教育なんかしなくても自分たちだけでちゃんと生きていける。自然を破壊することもなく、いたずらに他の動物に危害を加えることもない。
 だが、人間は放っておけば確たる理由もなく他の人間や自然に危害を加える。
 最近の研究では、生まれてから17年目ぐらいが一番狂暴らしいことがわかってきた。

 いま本当に教育しなければならないのは、こういう猿以下の野蛮な動物たちである。

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2001年2月12日(月)

お客さん、お断り

 月間「エ○ク」より引用いたします。

お願い

しつけの出来て
いない子供さん
動物(犬猫等)の
入店はかたく
お断り致します

店主

「ペットの持ち込みお断り」という飲食店の看板をよく目にする。
しかし、丹波・篠山の城跡近くで見つけた寿司屋の看板は少し異なっている。
それに加えて「しつけの出来ていない子供さんお断り」とある。

子供はこれを見ても何も思わないかもしれない。
しかし、その親はぎくりとするであろう。

この寿司屋はあたかも断るようにして、実は本当の客を呼び求めている。
これが商売の妙味であろう。
(宇野正○)

 私には、この「寿司屋の店主」は、「しつけのできていないガキ」と「動物(犬猫等)」を同列に(たいして、変わりのないものと)とらえているように思えてならない。
 そして、「そういう親たちもくるな」と言っているように思えてならない。「しつけのできていない輩」は年齢にかかわらず「子供」であると。
 
 世間一般には、「お客様は神様です。」という考えが常識になっている。そして、一旦自分が客の(銭を払う)立場に立ったら、もう何をしてもいいのだ、とお考えになる方が多い。
 
 果たしてそうだろうか。
 自由主義経済である以上、「売らない自由」というもあってしかるべきだと思う。店に迷惑をかけるような輩は、断じて客ではない。売らなければならない義務はないはずだ。外へつまみ出して、「二度とくるんじゃねー!」と追い返すこともできるはずだ。
 
 「お願いです。お金はいくらでも払いますから、食べるものを売って下さい。」、 あるいは「お金はいくらでも払いますから、命だけは助けてください。」と、医者や、ある場合には賊に対して懇願しなければならないこともあるはずだ。
 
 そんな時に「我輩は客である・・・。」などと悠長なことは言っていられまい。

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2001年5月11日(金)

出ん音・・・ですか

 盛者必衰ですから、これもやむを得ないことでしょう。

 デンオンがなくなったところで、クラシック音楽界にさしたる影響もないでしょう。(レーベルがなくなるわけでもないでしょうが。)
 
 こうしてこのクニは、だんだん外国に乗っ取られていくのです。

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2001年5月24日(木)

不思議な出版社

 5月23日付けの新聞に、おもしろい記事が載っていました。

パロディー本で迷惑  扶○社 出版差し止め申請
利益はどこへ消えた?


 「チーズはどこへ消えた?」の出版社の扶桑社は、外見のよく似た本を作られ、被害を受けたとして、「バターはどこへ溶けた?」を出した道出版に不正競争防止法に基づく出版差し止めを求める仮処分申請を、東京地裁に提出した。
 「チーズ・・・」は315万部。「バター・・・」は外見も版型、色合い、レイアウトなどが「チーズ・・・」に似ている、一種のパロディー本。書店では「チーズ・・・」と同じ場所に並ぶことが多く、15万部売れている。
 これに対し、道出版側は類似性の指摘に反論。
「米国のベストセラーを翻訳、出版する安直な業界への異議申立ての意味もある」と、全面的に争う構えだ。 

 315万部に対して15万部。これぐらいで被害を受けたと言えるだろうか? 逆に相乗効果で「チーズ・・・」の売上にも貢献しているのではないのだろうか?

 実は私もこの2冊は買った。もう1冊似たようなのが最近出ていたが、これはいまのところ止めている。大切なことは、こういうハウツー本を読むことではなく、実行することだと、この2冊(だけではないが)を読んで勉強したからだ。ただ、その動機となり得る点で、これらの本を読む意義はある。

 私の場合「チーズ・・・」の方は前から気になっていた。たまたま買おうと思って書店に行った日に、偶然「バター・・・」の方も発売されていて隣に並んでいた。もしそこに「チーズ・・・」しかなかったら、立ち読みだけで済ませたかもしれない。隣に「バター・・・」があったからこそ、これは全く逆のことが書いてあるに違いないと予想し、「両方買って」読んでみる気になったのだ。

 普通の人で、どちらか一方だけ買っていくというのは、私には考えにくい。両方買うか、両方買わないかのどちらかではなかろうか。まさか、「チーズ・・・」と「バター・・・」を間違えて買っていく人もいまい。
 しかし、最近3冊目が出て、少し状況が変わったかもしれない。3冊同時に・・・というのはちょっと考えにくい気もするのだ。
 だとしたら、3冊目の出版社を訴えないのはどういうわけだろう。片手落ちとしか思えない。やることに一貫性がみえないのだ。

 ただ、これらの本は値段も比較的押さえてあるので、難しいところだ。どちらも838円。もし1000円以上だったら、私もこの両方を買うことはなかったと思う。
 
 次に、道出版側の言い分、「米国のベストセラーを翻訳、出版する安直な業界」というのもよくわからない。なぜそれがいけないことなのか、そして道出版も同じことをしているのではないのか。「オマエモナー」である。
 そんなえらそうなことをいうなら、日本の著者によるものを出してみなさい、っての。(・・・北野武でした。)

 さて問題は、こんな裁判にどういう判決が出ても、全体からみれば何の生産性も高まらないということだ。ある企業からある企業になんらかの(意味のない)お金が流れ、弁護士に法外?な報酬が入る・・・だけ。

 結局、裁判所や検察に無駄な税金を使わせるだけ、損なことなのである。納税者のみなさん、わかりますか?
 
 だまされてはいけません。これは話題性を高めて、それをネタにさらに売上を伸ばそうとする出版社「同士」の戦略に他なりません。
 こんなところに無駄な労力をかけている出版社の本は、絶対に買ってはいけない。

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2001年5月12日(土)

食糧が安すぎる

 最近食事をしていて、ふと気づきました。
 買ってきてあったアンパンに「44円」の値札がついていたのです。定価は90円ぐらいでした。 これは安すぎます。こういうものは、賞味期限がありますから、それに伴うものかもしれませんが。(腐らせて捨てるよりはましだと。)

 それにしても、こんなに安く売っていていいのでしょうか?
 このアンパンを作るのに、おそらく海路はるばる輸入された小麦と小豆と、おまけに砂糖と。さらにそれを焼くための電力あるいはガスと。そして製品を運ぶためのガソリンあるいは軽油。いずれにしてもそれは石油が原料に違いないでしょう。
 それらを作ったり運んだりする設備のほとんどは鉄でありましょう。私は鉄の自給率がどれほどのものかは知りませんが、このようにアンパンにかかわるそのほとんどを輸入にたよっているのに、それをたった「44円」で売る。しかも全ての人件費込みである。
 
 あなたは、一日の稼ぎでこのアンパンをいったいいくつ買うことが出来ますか?
 500個ですか、600個ですか、あるいは1000個ですか?
 
 極端な話、一日にアンパン5〜6個と牛乳3本ぐらいでなんとか凌げるでしょう。この式でいけば5〜600円でしょうか。
 あなたはちょっと稼ぎすぎていませんか?贅沢をしすぎていませんか?

 食糧に限らず、最近はデフレと称して(称しているだけでなく、現象としてですが、)モノの値段が安くなりすぎています。
 我々は本当にそんなことを求めているのでしょうか?適正な価格で適正な利益が得られるべきではないのでしょうか?

 最近発生するさまざまな問題の根源は、実はここにあるのではないかと、ふと思いました。
 あまりにも簡単に(安く)モノが手に入るから、何の苦労もしない。何も考えない。何も知らなくても食べていける。
 この結果増えるのが、自分では何もできないマニュアル人間と失業者です。

 親の言うとおりに英才教育を受け、塾に通い、進路を決めてもらう。会社に入れば上司の言うとおりに働き、単身赴任や寮生活もなんのその、仕事はマニュアルで決められたとおり。家庭では子どもに言われるままに何でも買い与える。

 他人の言うとおりにやっていれば、決められたことさえやっていれば、それで人生が済んでゆく・・・。
 自前の価値判断ができないコドモばかりになってしまった、ということです。

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