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作品別鑑賞記

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シベリウス:交響曲選集
  
ペトリ・サカリ指揮/アイスランドSO (NAXOS)
  
P・ベルグルンド指揮/ECO、ヘルシンキPO

フォーレ:レクイエム

  コルボ指揮/ベルン交響楽団(ERATO)
  
ネヴィル・マリナー指揮/アカデミー・アンド・コーラス・・・(Ph)

ブラームス:交響曲全集
  
A・ボールト指揮/LPO(DISKY)
  
M・ヤンソンス指揮/オスロフィル(SIMAX)選集

ベートーヴェン:交響曲全集
  
G・セル指揮/クリーブランドSO(SC)

ホルスト:惑星
  
A・ボールト指揮/ウィーン州立オペラ管弦楽団(DGウェストミンスター)

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フォーレ:レクイエム
コルボ
指揮/ベルン交響楽団
(ERATO)


 コボル、フォートラン・・・なつかしいプログラム言語である・・・といって通用する人が何人いるだろうか。
 
 これは泣く子も黙る名盤である・・・らしい。すこぶる評価が高い。
 最初のうちはあまり知らずに聴いていたのだが、数回聴くうち、どうも声楽がおかしい、奇妙であることに気付いた。そしてその時ぞくっと寒いものが走った。
 これは、少年を使っているのである。ボーイ・ソプラノと聖歌隊。
 それに気付いたらもうダメです。気持ち悪くて聴いていられません。鼻についてしかたがありません。私はこういうのはダメですねぇ。
 これとカウンター・テナー。あんなものを聴くくらいなら死んだほうがましです・・・とは言いすぎだが、そのくらいは言ってやりたい。強く言いたい。とことん言いたい。こんこんと言いたい。
 それに少年たちをビジネスに使うのも何だかなぁ、という感じです。演劇などでもよくあることなのかもしれませんが、私には腑に落ちないものがあります。いくら芸術という大義名分があるとはいえ。

 それはおいておいて、この演奏も妙に明るいです。すがすがしささえ感じます。何ででしょう。
 コルボというのはどういう人なのか、恥ずかしながらよく知りませんが、やはり教会(音楽)関係出身なのでしょうか。
 先だっての、リヒター、リリングのロ短調ミサ然り。この筋の人たちはなぜか明るい音楽をやります。
 それが私の描くミサやレクイエムのイメージとさっぱり合いません。そんなこんな、あんなどんなで、これはボツです。
2002年2月21日(木)


フォーレ:レクイエム
ネヴィル・マリナー
指揮/アカデミー・アンド・コーラス・・・ナントカ・カントカ
(Ph)


 マリナーさんねぇ・・・。残念な事に、可哀相にも、誰にも何とも言ってもらえないようです。
 まぁ、この音楽を聴けばそれも無理ないわねぇ・・・、というところでしょうか。
 
 マリナーさんに限らず、オリジナルのオケ?に、独特な名前を付けるのが好きな向きも多いようです。(「独特」なんてとってもソフトな言い回しで、「ケッタイ」と言いきってもよい。センチュリーだとか、ロマンティークだとか、エテルナだとか、もう赤面ものですね。)
 これも途中で写すのが厭になってしまって以下同文、以下省略、右代表、です。

 さて、これはマリナーの音楽を聴きたいがために買ったわけではない。断じてない。マリナーの名誉?のために申し上げておきます。私がわざわざマリナーを聴いて、けなしたかったわけではない。・・・既に手遅れかもしれないが。

 最近バンゼという素晴らしい(かどうかはわからないが、私好みの)歌手の存在を知り、遅まきながら歌手にも注目してみようと思い始めた。
 そこで昔それとなく聴いて、いい印象の残っている歌手をもういちど聴き直してみようと。
 但し、興味あるのはソプラノだけ。強いていえばバス。(バスとバリトンはどう違うのだろう。バリトンの方が少し高いのか・・・そもそもがこんな程度の知識である。)
 
 これは、シルヴィア・マクネアーである。
 うーん、やっぱり?柔らかい。しかし、柔らかいだけで芯がないようにも思える。
 いずれにしろ、この1枚だけでは何とも言いきれない。もう少し集めてみましょう。
2002年2月24日(日)

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忘れかけたブラームスを語る

ブラームス:交響曲全集
ボールト/
LPO他
(DISKY)


 この演奏は、一言で言えば「渋い」。もう一言足せば「男の背中」。 これぞブラームスの本音かもしれないな、と思わせる演奏です。
 これがわかる人には「あんたも苦労してますねー」と声を掛けたくなります。
 スタイルはいつものボールト。あわてず騒がず、則(のり)を超えず。東の孔子に対し、西のボールト・・・。

 さて、本盤はそんなこと?より、この逸話を是非とも紹介しなくてはなりません。
 内容云々よりも、その存在に対して異常な(負の)執着があるのではないかと思われる方がおられます。

 ちまたではかなり安く売っている全集。演奏自体は控えめで上品であり、音質も良好である。しかし、録音データ、解説は皆無で、しかも第3番第1楽章の冒頭は音が一瞬欠けているなど、安易な作りもうかがわせる。つまりは価格相応ということである。
クラシックフ゜レス2/音楽出片反社

 廉価盤といえば、最近ではEMIからライセンスを受けて発売しているDISKYというレーベルがある。このレーベルからはボールト指揮のブラームスの『交響曲全集』が出たが、これはCD三枚セットで千六百円から千八百円程度で買えるということで、一部のファンはたいそう喜んでいるらしい。
 しかし、私は全然喜べない。ジャケットが安っぽいのは仕方がないにしろ、解説なし、録音データなし、それに音質は一律に調節してあるようだし、おまけに『第三番』の冒頭はダビングのミスによって一瞬だが欠落している。
 私は、いくら安いとはいえ、このような粗悪なものを喜ぶ気持ちにはとてもなれない。これでは趣味・嗜好品ではなく、単なる生活必需品である。このようなCDが良いというならば、その人たちは駅頭のあやしげなCDをせっせと買うがよい。
クラシック、マシ゛て゛やは゛い話/請求社

 私は氏の指図通り、駅頭のあやしげなCDをせっせと買い集めております。
 それに私にとって音楽は、最早趣味・嗜好のレベルを超えて、完全に生活の、あるいは自身の一部と化しております。必需品です。
 おっしゃる通りでございます。ご足労、ご登場、ご指南、誠にありがとうございました。

 でも録音データや解説なんか無くたって、音楽は楽しめるんですけどねぇ。
 依存症になってしまって、そういうものに頼らないと、自分自身の耳と頭と心だけでは正しい?評価が下せないようになってしまっているのでしょうか。だとするとかなり重症かもしれませんね。評論と一緒に診断書も掲載していただく必要があるかもしれません。

 尚、これ(氏の文章)は今回のスクロヴァチェフスキー、およびイッセルシュテットの全集(注:当時、これらのブラームス全集が相次いで発売された。)に対しても、そっくりそのまま適用できる至言であろうと存知ます。

2002年1月30日(水)


2001年の失敗盤

ホルスト:惑星
A・ボールト指揮/ウィーン州立歌劇場管弦楽団
(DG・ウェストミンスター)


 評判がいいんだか悪いんだか、さっぱり評価が定まらないように見受けられるDGのウェストミンスターシリーズですが、ボールトの惑星ということで、どーれひとつ、と買ってみました。

 ある人は素晴らしくいいリマスターだと言い、またある人はたいしたことはない、と言います。
 演奏がいいか悪いかは、意見の分かれるところでしょうが、リマスター(音質)がいいか悪いかは、だいたい一致しなければならないはずです。そういう音質が好きか嫌いかということなら分かれてもしかたのないことですが。
 某CDショップ(夕ワー)の2001年売上げトップ40によりますと、クナッパーツブッシュのブルックナー8番についてコメントしていますが、「ごく微かに化粧が施され・・・」と、玉虫色の発言をしています。はっきり言えば「エフェクトかけてまっせー」ということです。
 何故こんなことをするのかは、メーカーの良識を疑うとして、こういうものを手放しで喜んでいるようでは、ちょっと首を傾げるを得ません。
 
 これは、クナッパーツブッシュ盤についてですので、私はそれを聴いていませんから、詳しいコメントはできませんが、少なくとも本盤では、あからさまな細工は感じられません。
 但し、音質は大したことはありません。少なくとも成功したリマスターとは言えないでしょう。(もともと録音が悪ければどうしようもないことですが。)
 
 私は、CD自体の音質についてはそれほど問いません。それほど良くない音質でも、その本質はある程度汲み取ることができるからです。確かに、いいに越した事はありませんが、悪いからといって、それが非難の理由になることはありません。但し、エフェクトなどの細工はノーサンキュウです。
 問題は、やっぱり演奏の質なんです。
 
 さて、本盤はどうなんでしょう。
 まーず、ヘタクソなオケです。圧倒的にぶちこわしにしているのは金管群です。この曲で金管がなってなければ、聴くところなんてありません。
 ボールトは、(それっぽく言うと)縦の線を合わせることにあまりこだわらないようですから、それをいいことに、オケが手を抜きまくった、というところでしょうか。

 だいたいこの名前。どこの田舎オケじゃい!と言いたくなります。こんなヘタクソなオケは、○ってよし!
2001年12月


ベルグルンドのシベリウスってそんなにすごいの?

シベリウス:交響曲選集
P・ベルグルンド指揮
/ECO、ヘルシンキPO

 一部の「シベリウスをわかる」識者の間では大絶賛の全集である。
 わたしは物好きにもヨーロッパ室内盤とヘルシンキ盤をある程度揃えてみた。そしてなるべく好意的に聴いてみた。
 しかし、この演奏から、北欧の冷涼な空気感を感じ取ることはできない。あるいは希薄である。あえて押さえているのだろうか。あるいはオーケストラの性格であろうか。(特にヨーロッパ室内盤)
 なにかに追われるような緊張感?はある、しかしそれは聴きようによっては単にせかせかしているだけで、落ち着かないようにも聴こえる。引き締まった造形感は線の細さともなりえる。

 これが「本当のシベリウス」なのであろうか。曲の構造や音形が明晰になればいいのであろうか。
 ザンデルリンクやコリン・デイヴィスらの演奏からはその「空気感」を感じ取ることができる。シベリウスの世界とは、そういうものではないだろうか。
 例えばこの両者、5番1楽章の終結部をゆったりしたテンポで朗々と謳い上げるところの自然な高揚感はどうだ。思わず涙があふれてくる。ところがベルグルンドでは、あれ、いつの間に終わったの?というそっけなさ。ギーレンが演奏してもかくやと思わせる。
 土俗性や民族性があるからいいとか、ないからどうとかは関係ない。そういうものを求めるなら純粋な民族音楽(エスニック?)を聴けばよいのだ。(「北欧の空気感」も土俗性のうちだろうか?)
 私が勝手に想像する「フィンランドの代表的な作曲家の手になる交響曲」のカタチができているかどうかの問題なのだ。
 
 話は変わるが、シベリウスファンの一人として、彼の曲が実演でなかなかとりあげられないのを嘆く。2番以外は聞いたことがない。それになぜ2番なのだ。
 逆に、ブラームスの1番なんぞの多い事といったらどうだ。目を覆うばかりである。かつて「音友」でこの曲が読者投票で人気bPになったことがあるそうだ。こんなにしらじらしく大げさな曲のどこがいいのだろう。全く、私とは異なる価値観の人が多い国だと思う。(そう、私は常に少数派である。)
 ちなみに、私が交響曲を全曲聴くのはベートーヴェンとシベリウスだけだ。他の作曲家は一部の特定の曲しか聴かない。まあ、ベルリオーズやフランクなどは「全曲」といえばそうだが、、、
 特にシベリウスは、全曲をぶっ通しで聞くこともままある。ベートーヴェンでもそうしたいのだが、主に時間的な関係でそうもいかない。
 こういう聴き方をすると、また別のものが見えてきておもしろい。

 先日のヴァンスカ/ラハティによるすみだトリフォニーでのチクルスは、大変な大演奏会であったようだが、私が聴きに行った大阪での演奏会は、残念ながらさほどでもなかった。
 BISレコードがよかったので(あっという間に全曲「揃って」しまった。もちろん「北欧の空気感」を感じる。)期待して出掛けてみた訳だが、どうもヴァンスカの体調が悪かったのか、あるいは機嫌でも悪かったのか。また、聴衆も集中力がなく、演奏者も乗れなかったようだ。
 すみだでは、素晴らしい聴衆の皆さんであったようで、うらやましい限りである。是非ともそういう演奏会に立ち会いたかった。
 それから、プログラムも5番→2番の順で、これも嘆かわしい限りである。
 これが本当に演奏者の意図であろうか。あるいはシベリウスなんぞにたいして興味のない異邦人への気遣い(サービス)なのであろうか。
 すみだでのプログラムをみると、なるほどと思わせ、納得感のあるものだ。

 ところでヴァンスカらは、5番の初版を演奏(録音も)しているが、私はこういうものには全く興味がない。(ブルックナーなどにしてもだ。)
 (作曲者による)最終版のみが決定稿であって、その改訂前のものは破棄されるべきものであると考えている。これは音楽(作曲)に限らず、およそ創作活動をされる方は一様にそう考えているものではなかろうか。文学であれ、美術作品であれ、プログラムのようなものであれ。
 前のものが気に入らないから改訂するのに、そんなものを蒸し返されたらたまらない。やめてくれ、と言いたくなる。
 たとえば皆さんは、ホームページを公開されているだろうか。一旦アップしても、折に触れ内容を更新し、改訂し、試行錯誤し、その都度洗練され充実していくものではないのだろうか。昔の(第1稿!)デザインを見たら、あるいはとても恥ずかしくて人には見せられない、とは思わないだろうか? たとえそれが他人に指摘された結果の改訂であったとしても、本人が納得して改訂したものであれば、それが最終的な作品であるはずだ。

 また、未完成のものに何かを付け加えたり、必要以上に楽譜に手を入れるのも同じだ。そんなことがしたければ、自分のオリジナル作品を堂々と発表すればよいのだ。

だが、かく言う私も同じ穴のむじなかな・・・
’00年8月


ヤンソンスのブラームス

ブラームス:交響曲第2、3番
ヤンソンス指揮/オスロPO
(SIMAX 
PSC 1204)’99

ブラームス:交響曲第4番
ヤンソンス指揮/オスロPO
(SIMAX
 PSC 1205)’99

 ヤンソンスのちょっと意外なレパートリーである。いや意欲的なプログラムというべきか。

 ブラームスの2、3、4番を聴いた。先に4番が手元に届いて、後から2+3番の順である。
 実は最近、4番をまともに評価することができなくなっている。この曲がどういう曲なのかさっぱり解らなくなっているのだ。
 よく秋の夕映えの風景だとか、枯葉散る晩年に心境だとか言われるが、2楽章まではなんとなくそんな雰囲気で進んでいくが、突然3楽章で表情を変え、わめき散らす感じになる。そのまま4楽章になだれ込み、シャンシャンと終わる。何だこりゃ?
 演奏のせいかもしれないが、「まあまあ落ち着いてよ」と言いたくなる。かつて実演で、マイナーな○ルベルトさんが、とてもスペクタクルにやってくれて、トホホな経験をしたことがある。荒っぽかったとも言える。相当勘違いされていたようだ。しかもご丁寧にアンコールで3楽章だけを繰り返すのだ。そんな「切抜き部分」だけ聴いたって、ちっともおもしろくない。
 それ以来この指揮者がとても怪しく思えるようになった。それまでは、正当穏健派だと思っていたのに。

 だが、このヤンソンスの4番は悪くないと思う。ライヴである。ならではの熱さの中に、しなやかさがある。あまり刻まずに、あくまでメロディアスにもっていっている。4番を再評価させてくれる演奏だ。

 ところで、この2番はいい。熱いブラームスが聴ける。アンサンブルもいい。特に弦の表情に深みがあり、素晴らしい。ヤンソンスの実力を、しかと確認できる。

 しかし、残念ながら3番では、オケの荒さが出てしまって美しさがない。ほとんど同時に録音されたようだが、同時期の演奏とはとても信じられない。こちらはいずれもスタジオ録音である。いったいどうしたことか。これがオケの限界なのか。

 この指揮者は、もっとメジャーな活躍の場を与えられてもいいと思うのだが。(BPOには振れる!ようですが。)まだまだ今後に期待する。
2000年9月29日(金)


トホホなベートーヴェン全集を聴く

ベートーヴェン:交響曲全集
セル指揮
/クリーブランドO (SC)

 いよいよセルのベートーヴェンに取り組んでみようかと重い腰を上げてみた。かなり長くためらっていた。今更、という気持ちもあった。
 この指揮者は、過去にはブラームスを少し聴いたくらいだ。これがシルクの弦か、と少し「感心」した記憶はある。あとはドヴォ#8ぐらいか。

 さてベートーヴェンや如何に・・・。
 このじいさん(妙にこの呼び方がびったし来る)、出だしはオーソドックスと見せ掛けて、途中からとんでもない奇襲をかましてくれる人だ。
 それがまた理にかなっているとはとうてい思えず、陳腐としかいいようがない。言葉を変えればあざとい演出だ。鼻につくあれだ。はからずも「自然でない」音楽に、ここで出くわした。

 たとえば8番の楽章毎の異様なテンポ設定。全体としてのまとまりがまるでない。その他にも途中で急加速したり、減速してみたり。金管を異常に強調してみたり。まさに吹き出してしまう。目を丸くするばかりだ。
 全9曲聴きとおす勇気はとてもなかった。(途中で、それ以上聴いても無駄だと判断した。)

 だが問題は録音なのかもしれない。責任の半分はレーベルにもありそうだ。(どこにもそうは明記してないが、これはサブレーベルのエピックらしい。おお!エピックといえば、何故かジェフ・ベック!)
 これは個別マイクを併用して収録し、整形した結果ではなかろうか。残響も不自然に多い。

 録音の古さ(技術の陳腐さという意味。音質劣化ではない。音は逆に異様に鮮明で気味が悪いくらいだ。)も含めて、現代聴く必要、あるいは価値のあるベートーヴェンとはとても言えない。

(ここで私は、セルの芸術の全てを否定しているわけではない。このベートーヴェン全集は、セルにしては不出来で「準推薦にも値しない、無印」であると言いたいのだ。ものは言いようだ。)
2000年9月11日(月)


やっぱりNAXOS?

シベリウス:交響曲第1、3番
ペトリ・サカリ/アイスランドSO (NAXOS
 8.554102)
シベリウス交響曲第2番
ペトリ・サカリ/アイスランドSO (NAXOS 8.554266)


 NAXOSのシベリウスを聴いた。一部の「プロ」の評論家の方が推薦していたように記憶する。となると一応チェックしておかなければなるまい。
 ペトリ・サカリである。曲目は1、2、3番

 結論的にいえば、1、2番はまあまあ。3番はまだまだ。
 値段は、もちろん手頃。録音も悪くはない。入門用?にはいいかもしれないが、保存盤・愛聴盤となると「?」である。
 さすがに地元?北欧らしく、それらしい雰囲気は出ている。これだけ聴いている分には、特に不満はないんです。「あれ、なかなかのもんじゃないの? これでどこが不満なの?」と、一時は感じた。
 
 「それじゃ」ってことで、比較のために続けてC・デイヴィス/LSOの2番を聴いた。冒頭の10秒でした。「ダメだ、こりゃ!」
 一体、何がダメなのか。ラベルが違うんですよ。モノが違いすぎるんです。 「そりゃ、C・デイヴィスと比べたら可愛そうだよ。」そんな声も聞こえてきそうだが。

 一体、どこがどう違うって?
 サカリでは、一生懸命こちらから聴きに行かなければ聴こえてこない部分が、C・デイヴィスでは、放っといてもむこうからバンバン聴こえてくるんですよ。自然に耳に入って来てしまうんですよ。
 これはもう、格の違いとしか言いようが無いですね。ライオンの前で、子犬がキャンキャン吠えているようなものでしょうか。
 繰り返しますが、サカリも決して悪くはないんですよ。仮に「これしか知らなければ」いい演奏なんです。でも、C・デイヴィスの前ではさすがに・・・。
2000年10月1日(日)

シベリウス:交響曲第2、7番
A・リーパー/スロヴァキアPO (NAXOS 8.550198)
こんなのもあります。


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