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クルト・ザンデルリンク(2)

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ザンデルリンク引退

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」/BRSO/(ELS)
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」/BRSO/(AB)
ブルックナー:交響曲第3番

ザンデルリンク・バックス・ピアニスト
シューマン:ピアノ協奏曲/ブレンデル
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番/マリヤ・グリンベルク
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番/ディエター・ツェヒリン
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番/S・リヒテル

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/P・レーゼル
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/P・ヤブロンスキー
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番/H・グリモー
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1,2番/内田光子

ザンデルリンク指揮/ドレスデン国立O/1973年来日公演ライヴ
ザンデルリンク・ザ・ラスト・ライヴ
マーラー:交響曲第9番/BBCso
ベートーヴェン:交響曲第5番/フィルハーモニアO、BSO


ザンデルリンク引退

 ということなんですが、どうも動きがはっきりしません。これは、あるサイトに掲載されていたものです。(URLなどは失念。)

At last, a maestro departs with dignity
(Filed: 03/01/2002)

Norman Lebrecht examines the end of an era

NEW YEAR is a time for beginnings; it is also an apt moment for closure. The eminent conductor Kurt Sanderling has decided to lay down his baton. After 70 years on the podium, he is entitled to early retirement and a bask among the gold discs on his wall. Musicians are rueing his departure, while admiring its dignified restraint.

Sanderling, who turns 90 in September, is the last conductor to have experienced the symphonies of Dmitri Shostakovich in the raw. Having fled Hitler's Germany for Stalin's paradise, he befriended the composer in wartime Siberia, where the Eighth Symphony was premiered. Sanderling was selective about the symphonies he liked, never bothering much, for instance, with the widely-performed Seventh. But no man has given more performances of the wintry, thinly-scored 15th Symphony, and always from a manuscript with the composer's handwritten markings.

Contrary to the current academic fad for regarding Shostakovich as a cowed Soviet citizen, Sanderling avows that the "dominant theme of his life" was anti-Stalinism. He endorsed the authenticity of Solomon Volkov's disputed memoir of the composer and his interpretations are enriched by the ambivalences of survival in a terror state.

Sanderling was too fastidious a man to capitalise on his intimacy with genius in a blether of press interviews. His memories of Shostakovich were heard only in rehearsal, to illustrate a musical allusion. They will never be consigned to paper, more's the pity.

Returning to Berlin in 1960, he formed behind the Wall an ensemble to rival Karajan's Philharmonic. His Western career began in London in 1970 and flourished with the Philharmonia, whose recent seasons he opened with the pianist Mitsuko Uchida. Many orchestras will lament his exit. Simon Rattle phoned up, imploring him to preside over a Berlin Philharmonic tribute in September, offering to conduct half the concert himself.

Sanderling, however, stood firm. He wants to be remembered at his best, he said, not as a frail old man or museum piece. His stance is commendable. Most conductors carry on beating until they drop, usually to the detriment of music and their own posterity. Many who remember Karajan or Karl Bohm only in their dotage, dozing off in mid-symphony, struggle to picture them in their pomp. The fault is theirs, not ours: they should have checked out, like Sanderling, still erect and alert. All else is pathos.

Conductors are by no means the worst hangers-on. Arthur Rubinstein played truckloads of wrong notes in his eighties and Isaac Stern made many squirm in his years of decline.

Singers are the last to know when to go. Montserrat Caballe, at 68, is playing one of the young wives of Henry VIII in Saint-Saens's best-forgotten opera in Barcelona this month. Kiri Te Kanawa, who announced her retirement in this newspaper more than two years ago, was still on tour just before Christmas.

 このまますらすら読めれば誠に結構なんですが、これでは雰囲気しかわかりませんので、某翻訳ソフトにて翻訳してみます。

ついに、大家は威厳によって出発します
(出願日:03/01/2002)

ノーマン・レブレヒトは時代の最後を試験します

NEW YEARは最初のための回です;それは閉鎖のための賢い瞬間でもあります。著名な指揮者クルト・ザンデルリングは、彼のバトンを置くと決めました。指揮台の70年の後に、彼は彼の壁の金ディスクの間で早期退職と日なたぼっこを与えられます。ミュージシャンは彼の出発をrueingする一方、その威厳のある抑制に感心しています。

9月に90を越えるザンデルリングは、ディミートリ・ショスタコービッチのシンフォニーを自然のままに経験した最後の指揮者です。スターリンの天国のためのヒトラーのドイツを飛び越えて、彼は戦時に作曲者を助けました 8番目シンフォニーについて初演したシベリア 。ザンデルリングは、決して多く煩わさないこと例えば広く演奏された7番目のため彼が好きであったシンフォニーについて選択的でした。しかし、どの人も、冬および薄く得点された15番目シンフォニーのより多くの演奏を与えなかったこと、およびいつも 作曲者の手書きのマークを持つ原稿 。

ショスタコービッチを、cowedされたソビエト連邦の市民とみなすための現在の学究的な気まぐれに反して、ザンデルリングは、「彼の人生の支配的なテーマ」が、反スターリン主義であったと公言します。彼は、作曲者のソロモンボルコフの議論された実録の確実性を承認し、彼の解釈は恐怖状態の生き残りのambivalencesにより豊かにされます。

ザンデルリングは非常に気難しい人であったので、記者会見のbletherの天才と彼の親交に資本化できませんでした。ショスタコービッチの彼のメモリーは、音楽的なほのめかしを説明するために、リハーサルだけにおいて聞かれました。それらは決して紙に引き渡されず、より多くは哀れみです。

1960年にベルリンに戻ることによって、彼は、カラヤンの交響楽団と競争するために、壁の後ろで総体を成形しました。彼の西のキャリアは1970年にロンドンから始まり、最近の季節のために彼がピアニストとミツコ・ウチダを開いたフィルハーモニア管弦楽団で茂りました。多くのオーケストラは彼の出口を嘆き悲しみます。サイモン・ラトルは、9月にベルリン交響楽団賛辞に司会することを彼に懇願して、上に、コンサート彼自身を半分で指揮すると申し出るのに電話しました。

しかし、ザンデルリングは堅くありました。彼が最高の状態で記憶されたいこと、彼が言ったこと、および弱い老人、または美術館断片として。彼のスタンスは立派です。ほとんどの指揮者は、それらが落ちるまで、打つことを通常音楽および彼ら自身の後世の損害に続けます。中間シンフォニーおよびそれらの壮観においてそれらを描く苦闘においてオフでまどろんでそれらのもうろくだけのカラヤンまたはカールベームを記憶している多く。障害は私達のものではなく、それらのものです:それらはザンデルリングのようにチェックアウトするべきでした まだ組み立てて、警報を出す 。すべては他に哀感です。

指揮者は決して最も悪い寄食者ではありません。80代のアルトゥール・ルビンシュタイン演奏トラック一台分の間違いの覚え書きとアイザックスターンは、多くを彼の年の低下においてのたくらせました。

歌手は、いつ行くかを知っている最後です。68で、今月、モントセラト島Caballeが、ヘンリーVIIIのもののひとつ若妻を、バルセロナの聖人-Saensの最もよく忘れられたオペラに行っています。2年より多く前この新聞での彼女の退職を発表したキリ・テ・カナワは、クリスマスのすぐ前にまだツアーにいました。

 敢えて手を加えずにそのママ掲載します。ひとつだけいつも笑ってしまうのは、「サイモン・ラトル」が「サイモンがらがら」と翻訳されることです。
 
 さて、この記事だけでは、これを持って引退宣言「した」かのようにも見えます。逆にいつ引退する、と明言もしていないようにも見えます。私はこの情報を1月16日(水)に得ました。・・・何となく翻訳ソフトっぽい口調だ。
 ところがですよ、その後すぐ、20日頃のはずですが、オントモ2月号を見てたまげてしまいました。
 これは、内田光子へのインタヴュー記事です。

−− 以前サバティカルとして長い休暇をとっていたけど、今度はいつとるのですか。

内田 実は、今日から来年の9月まで何年ぶりかのサバティカルです。いわゆる公の演奏会は、ちょいちょいと3つする以外はしません。

−− 3つというのは特別重要な意味があるのですか。

内田 そう。十何年前から約束したままのズービン・メータ指揮のイスラエル・フィル。それと、90歳になるクルト・ザンデルリンクさんの最後の演奏会。それと、サー・コリン・デイヴィスの75歳のお誕生日。だから、ちょこっとお歳をとっちゃった男の子2人のお誕生日とイスラエル・フィルの演奏会だけ弾くのです(註1)。

(証1)イスラエル・フィルとはベートーヴェンの協奏曲第3番、第4番を弾く。ザンデルリンクとの演奏会はベルリン交響楽団とモーツアルトのコンチェルトK491。また、ザンデルリンクの誕生日にはベルリン・フィルとロンドンで同K595を。サー・コリン・デイヴィスとは、ドレスデン州立歌劇場管と同K415。デイヴィスの誕生日には、「モーツァルトのトリプル・コンチェルトを弾くことがすでに決められています」

 このインタヴューは、昨年’01年12月の来日の際にされたもののはずです。ザンデルリンクと2回も協演することが明言されています。
 
 これらの記事を総合して考察するに、
 1.昨年’01年12月の時点では、’02年のスケジュールが予定されていたが、年末年始を経て、ザンデルリンクが引退を決意した。(引退してしまった。)
 2.少なくとも内田光子との2回の協演を含む、数回の演奏会が予定されており、その後引退する。(つもりである。)
 
 内田光子は、この時点で「最後の演奏会」と、明言しているようですから、どうやら「2.」の可能性が高いような気もします。
 とするとこれは貴重です。「世紀の・・・」と言ってもいでしょう。お金と時間と体力のある方は是非どうぞ。
 「私ゃぁねぇ君〜ぃ、昔ザンデルリンクを聴いたんだよ・・・。」何十年か後にこの一言が言いたい、動機が不純な方もよろしければ。数年後にようやく気付き、しまったーと後悔したくなかったら、ご予約はお早めに。あるいは、もう既に手遅れ(満席)か。
 ザンデルリンクの誕生日は9月19日です。
 
 それにしても内田光子、いつからこんなにC・デイヴィスとも仲良かったんでしょうか。私が気付いたのは昨年’01年9月のLSOライヴシリーズでした。
 今回はドレスデン。C・デイヴィスあたりが登場しなきゃ、ドレスデンもはじまらないですよね、やっぱし。「誕生日」のほうは、どこなのかはっきりしませんが、これはやはり「地元」ロンドンでしょうか。
 C・デイヴィスの誕生日は9月25日です。
 とすると、1週間くらいのツアーを組めば、これはもう一生ものの夢の体験が・・・。

 こんなよだれもののコンサートが現地では目白押しだなんて・・・。誰かしっかり録音しておいて頂戴よ。お願いしますわ、ホントに。
2002年2月12日(火)

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本命?ザンデルリンクを聴く

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

K・ザンデルリンク指揮/BRSO
(ELS)


 本命であろうか? もし「誰か一人」と言われたら、ザンデルリンクと答えるかもしれない。
 「無人島に持っていく一枚は?」 私は、基本的にこういう質問が嫌いである。
 「考えたくない」というのが正直なところだ。そんな境遇になるなら死んだほうがましだ、と思うかもしれない。これは「逃げ」なのかもしれない。いざその時にならないとわからない。「さあ、今から(無人島へ)行きますよ。」と言われてから決めることにしよう。
 葬式の時に流す曲は? これは、ばかばかしい。私が聴けないなら、そんなものはどうでもよい。好きなようにやってくれ。
 しかし、死ぬ時、あるいは直前に、最後(期)に聴きたい曲は?と聞かれれば、真剣に悩んでみようとは思う。しかし、今はまだ決めていない。
 
 ザンデルリンク、ジュリーニ、P・マーク、C・デイヴィス。これが私の四天王である。
 もう少し絞れば、泣く泣くC・デイヴィスには降りていただく。しかしその先が難しい。強いていえば、ジュリーニを落とすか。しかしブルックナーの8番はジュリーニしかない。P・マークのベートーヴェンを聴いてしまったら、これも外せない。でもザンデルリンクのベートーヴェンだってそれに負けてはいない。シベリウスやブルックナーの7番もあるし。
 やっぱり難しい。
 
 じゃー、改めて死ぬ時の最後の一曲は?と聞かれたら。
 うーん、内田光子のシューベルトの21番かな。内田みっちゃんと一緒に心中しましょうか・・・。(なんじゃ、そりゃ。)
 でも、死ぬ時に最後の一曲が聴けたら、本当に幸せでしょうね。そんな死に方ができれば。
 
 で、このレコードは?
 残念ながら紙面も尽きましたので、また改めて・・・。
2002年2月8日(金)


本命かもしれないザンデルリンクを聴く

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

K・ザンデルリンク指揮/BRSO
(AB)


 昨日(上↑)のELS盤は、最近発掘・リリースされました。
 うれしいことに、日本語解説(ライナーノーツ?)付きです。あるいは、ただの押し売り・宣伝文句か。(ジャケット下のオビの部分です。)

 「大衆的人気とは無縁でありながら、一部ファンの間で熱狂的な支持を得ている巨匠ザンデルリンク。この「ロマンティック」も淡々と流しているようでありながら、随所に無限のニュアンスと、深い読みがちりばめられており、聴衆に極限の集中力を要求する演奏となっています。ファンの方はもちろんのことですが、そうでない方にこそ是非聴いて頂きたい超絶の名演です。音質極上。」
 ということです。ありがたくて涙が出てきます。
 
 ELS盤もAB盤も、同じ’80年代のライヴということです。どちらもBRSOです。どちらも「ロマンティック」です。だから非常によく似ています。もしかしたらこれは同一の演奏かと思って、聴き比べてみましたが、どうもノイズの入り方が違うようです。しかしよく似ています。
 同じサイクルの別の日の演奏だろうか。でも、そう頻繁にうまく録音されていたのだろうか。あるいは、別の時期のものだろうか。今一つ判然としません。
 いずれにしろ、どちらも「超絶の名演」です。
 音質は、ELS盤が「極上」だとすると、こちらAB盤は「極優・極楽」です。さらにいいんです。最上級です。エクストラ・オーディナリー・モウスト・ベストです。どちらか一方、と言われればAB盤を取ります。ただし、AB盤では拍手がカットされています。これは残念です。
 それとAB盤は現在では入手困難かもしれません。ELSレーベルは最近台頭?してきているようですが、いずれにしろ入手はお早めに。
 こういう貴重盤が入手困難になる暗黒の時代が、遠からず来るかもしれません。
2002年2月9日(土)

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ザンデルリンクで凡作?を聴く

ブルックナー:交響曲第3番/K・ザンデルリンク指揮

 ザンデルリンクさんてのは、困ったことに、割合マイナーで地味な曲が得意なんですよね。これもそのうちの一つです。特にこの曲が好きなようです。この曲のレコードがすでに3種類も(手元に)あるんです。
 私は困ったことに、マイナーで地味な曲は嫌いなんです。この曲もどこがいいのかさっぱりわかりません。
 しかし、本場?では、意外に人気のある曲で、マニアと言える人もいるらしいです。(だから録音も多いらしい。)ザンデルリンクを含め、現地人の共感を呼ぶものがあるんでしょうねぇ、きっと。
 
 私には、この「ぎくしゃく度」がたまりません(嫌いです)。とにかくスムーズでない、流麗でないものはダメです。突然金管が吠え出して、盛り上がったようなふりをしたり。大袈裟すぎるんですよ。ザアトらしいんです。
 聴いててアホらしくなってしまいます。「チェッ。ッタクなにやってんだか・・・。」これが私の「この手」の曲に対する見解です。

 ブルックナーで言えば4番もつまらないですね、実は。底が浅い。
 専門的に見ても、ようやく5番から形を成し始めたらしいですが、このあたりがベートーヴェンでいえば1番に相当するくらいなんじゃないですか。私はこれも大したことはないと思っています。
 6番もダメですね。冒頭の刻みから、金管のモチーフ、ここを聴くだけでがっかりして、それ以降を聴く気をなくします。生理的にダメなんでしょうね。これはどうしようもありません。
 しかし、7番。ここに来て大転換する。私はそう考えています。何とこれは、私の中でもベストを狙うほど好きな曲なのです。
 よく、3番が勝負だと言われます。また名作が発生するところだと言われます。例えば「英雄」。
 ポップスなどでも、一曲目が大ヒットしたら、ニ曲目もその延長線上でいける。しかし三曲目はそうはいかない。ここでイメージチェンジ(路線変更)して勝負をかける。イメージチェンジしなければ飽きられてしまう。これが成功すれば生き残れるが、そうでなければ一発屋で終わり。
 
 ブルックナーも5番から始まり、7番が重要な三曲目なのではないだろうか。私はそう考えています。そして、8番でクライマックスを迎え、9番ではやっぱり元のブルックナーに戻って行こうとしている。どことなく荒荒しい、ギクシャクした彼に。私は9番もどちらかというと嫌いです。
 
 ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーのそれぞれ9番。実は、これが私の「三大嫌いな9番」です。悪ですねぇ。誰もが信仰・崇拝・礼賛する三大9番を嫌いだなんて言い切るのは。
 
 何故か、3番から9番に話が飛んでしまいましたが、ここでの問題はザンデルリンクの3番です。
 うーむ、これは困りました。
2002年2月10日(日)


ザンデルリンクで凡作?を聴く(2)

ブルックナー:交響曲第3番

K・ザンデルリンク指揮/ライプチヒ・ゲバントハウスO
(BC)’63


 さて、ザンデルリンクのブルックナー3番ですが、ご案内のように、今手元に3種類あります。
 ザンデルリンクというのは、実演と録音の差が極端に少ない指揮者なのではないかと思います。「実演と録音の差」というと、誤解を招きかねませんが、実演をライヴ録音したものと、レコード製作用のスタジオ録音との差、という意味です。
 ですから、ライヴ並の緊張感を、正規のスタジオ録音でも維持している。ベートーヴェン然り、ブラームス然り、ブルックナー然り、シベリウス然り、ショスタコヴィッチ然り、その他諸々然り。
 従って、正規録音があるものは、それを聴いていればまちがいない。敢えてリスクを犯して海属盤を聴く必要がない。強いて言えば、正規盤のないものだけでよい。
 これは素晴らしいことだと思います。
 このブルックナーの3番もそうです。私自身がこの曲がよくわかっていないせいもありましょうが、どれを聴いても同じです。音質の違いでわかるくらいで、それ以外は、ブラインドで聴かされたら区別できないでしょう。
 
 さらに驚くべきことは、録音年代の違いです。このBC盤は’63年、最新盤であるSS盤は’01年です。その差40年! この時間的隔たりを経てなお、その解釈に大きな違いがない。
 従って、一旦正規録音したら、あまり録り直しをしない。これは見識です。
 これを、「なーんだ。ザンデルリンクって、成長しねーな。」と思うか、「40年間確固たる信念をもって、この解釈を貫き通した。」と見るか。どちらをとるかは、皆さんにおまかせしましょう。
 
 さらに凄いのは、どのオケの演奏で聴いても、また差がないことです。オケの個性(そもそもそんなものがあれば、の話ですが)がまるで感じられない。見事に(ザンデルリンクの音・・・カッコ付きで)になっているのです。厳しい練習で知られて、あるいは、嫌われているようですが、徹底して「理想の音」(単なるザンデルリンク固有のという意味ではなく、普遍的な音)を出すように訓練しているのでしょう。オーケストラビルダーとしてもまた一流なのです。
 そういう訳だからかどうかは知りませんが、VPOとの演奏は(少)ないようです。少なくとも私の浅学かつ寡聞かつ狭小な見聞では知りません。
 
 まだあります。ついでですから勢いで語りましょう。
 伴奏が抜群に上手い(協奏曲がよい)ことです。伴奏が上手いとはどういうことか。・・・ソリストの脇役になり下がる、ということではありません。
 常に音楽の流れの先を読み、臨機応変にアクシデントなどにも対応できる、ということです。全体が見えているということです。たとえソリストが下手でも、うまく引き立てて全体をまとめ上げることができるのです。

 こういう各論や講釈は、捜せばまだまだあるでしょう。しかし最終的に出来あがった音楽が素晴らしく、感動的である。これに尽きます。これだけでいいのです。これは聴けばわかります。
 だから凡作でも名作に聴こえてしまうのです・・・?

ブルックナー:交響曲第3番
K・ザンデルリンク指揮/BRSO
(AB)’80年代

 この手の録音としては、中の上といったところでしょう。ホワイトノイズは多いですが、高域が伸びていますので、そこそこ楽しめます。
 CD−Rでなく正式プレスで、ジャケットもしっかりしていますので、何かと安心感があります?

ブルックナー:交響曲第3番
K・ザンデルリンク指揮/ベルリン放送SO
(SS)’01/9/7

 これはバリバリの海属さんです。CD−Rです。音質はハイ落ちで芳しくありません。「いかにも」といった感じです。
 繰り返しますが、私はブルックナーの3番「なんて」どうでも良かったんです。しかし、どうしてもこれを入手しておきたかった理由は、演奏(録音)年月日です。これは、もしや録音で聴ける最後(最新)の演奏になるかもしれないと思ったからです。
 本当はそうは思いたくありません。もっと新しいものが(古くてもちっとも構わないのですが)発掘されることを望んでいます。しかし、正式?に引退を表明した以上、「やっぱり」ということにもなりかねません。そういう意味で、「今のところ」貴重な録音です。
2002年2月11日(月)


ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(1)

シューマン:ピアノ協奏曲

ブレンデル/ザンデルリンク指揮/PO
(Ph)

【水洗】

 本当はこんなジャケットは載せたくない。おぞましい限りである。
 
 名指揮者といえども、名演・名盤ばかりではないわけで、推薦盤だけを紹介しようと思うと結構大変なわけです。
 そこで肩の力を抜いて、こういう駄盤・水洗盤も紹介してみようと。(「水洗盤」とは、「こんなレコードは、さっさとトイレにでも流してしまえ。」という意味です。色もそれにふさわしく・・・。)
 だめなものはだめ。つまらないものはつまらない。「買ってはいけないCD」ということで、玉石混交、清濁併呑、賛否両論でいってみたいと思います。

 さて、これはブレンデルだそうである。
 「おーぃ、この野郎、なんでこんなにつまんねぇ演奏するんだよ。」何回か聴いてみた。そのたびに苦痛であった。どう聴いても退屈する。
 知性派と言われている。知性派とは何だ。モノの本によると、どうやら感情移入をしないことらしい。つまり、楽譜の上面(うわつら)だけを、ささっとなぞっているだけなのか。
 その割りには変にリタルダンドをかけてみたり、もったいぶった弾き方もする。それがまたサマになってない。イモくさくてしょうがない。それに、知性派が鼻歌まじりで(唸りながら)弾くか?
 ピアノの音にも、さほど魅力があるわけでない。
 このバック、ザンデルリンクなんだろ。
 併せるのがうまいから、ソリストの特徴を真似して、こんな風になってしまうのか。なんと薄味な。POだからか。

 もうとても聴いてられまへん。こんなレコードすぐさま売り払ってもいいんだけど、悪い見本としてとってあります。
 CD屋の店頭で漁っていても、「お、ザンデルリンク・・・。」と引張り出してジャケットを見ると、このむさい顔が出てくるので、「たっ、バカヤロー!」と引っ込めることになる。
 滅法売れ行きが悪いのか、どこへいってもあるんです、これがまた。ウザイことこの上ない。こんなものこそさっさと廃盤にすればいいのに。
 こういうレコードには、フライング・ヘッドバットをくらわせて由。
2002年2月13日(水)


ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(2)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番

マリヤ・グリンベルク/ザンデルリンク指揮/モスクワRSO
(TRITON) Mono


 
ザンデルリンクがバックをとった(についた)ピアニスト、と言う意味である。守護神あるいは背後霊になった、と考えていただいても結構である。
 
 往年の女流というと、どうしても力技が見え隠れしていけません。目いっぱいたたいてしまっているのか、音がこわれてしまっています。録音技術の未熟さによるもので、生で聴けばそうでもないのかもしれません。
  しかもモノラル。旧ソ連は少し遅れてようやくステレオの時代になったようです。そういうことも手伝って、だいたいにおいて旧ソ連の録音というのは好きになれません。

 これもモノラルですが、問題は細工がしてあることです。音が終わる時にはっきりわかります。
 中央からスピーカーの外に残響が流れ、そしてぐるっと回って耳の後ろあたりに「じゅわ〜ん」ときます。ぞぞぞぞー、と変な感じがします。
 どうしてこんなおかしなことをするのでしょうか。
 私は、もうこれだけで、このレコードを正しく評価する気が起きません。(最後まで聴き通す勇気?もなくなる。)
 レーベルがアーティスト(の名誉)を潰した見本といえましょう。

 本当のモノラルというのは、下の図のように中央に極めて薄い音像ができます。私のイメージでは、凸レンズ型をしています。遠近感(深さ)もちゃんと出ます。
 これで十分じゃないですか。何が不満なのでしょうか。
 不思議なことに、未だかつて「擬似ステレオがいい(よかった)」という評価は聞いた事がありません。聴く方はそんなことちっとも望んでないのに、メーカーだけがひとりよがりで余分な手間暇をかけて、質の低いものを作ろうとしている。
 肝腎のアーティストだってそんなことを望んでいる人はいないだろうに。(この業界?では、ユーザー・リスナーのニーズより、著作権者の権利・利益のほうが重要らしい。)

 演奏について強いて言えば、これは独特なカデンツァを採用しています。こういうのもいけません。聴きなれない音楽は「異様」です。「新鮮」だとは感じられません。
 私が求める音楽は、残念ながらこういうものではありません。
2002年2月14日(木)

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ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(3)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番

ディエター・ツェヒリン/ザンデルリンク指揮/ライプチヒGHO
(BC)’63


 
このピアニストについては、あまり詳しいことはわかりません。
 1926年、東ドイツの生まれ。1991年Queen Elisabeth International Music Competition of Belgium 入賞? 来日経験もあり。
 現在はベルリンの音楽学校で教授職に就いているらしい。
 この程度である。
 
 この録音は、まだ35才ぐらいでの録音。確かに若い。未熟な感じがする、ということ。しかし技術的にはこれ以上成長するとは考えられない。
 それほど感銘を受ける演奏でもない。ピアノを聴いている限りは・・・。

 そう、何度か聴くうちに、不意にオケに注意が向き、そして愕然とした。「うまい、うますぎる!」
 最初に気付いたのは、2楽章の導入。素晴らしい弦のアンサンブル。そしてバックのオケを中心に聴くうちに、これはオケのための録音であるように思えてきた。
 改めてオケを確認すると、「ライプチヒ・・・」。そうか、この時代のこのオケは天下一品であったのだ。
 しかしここでも「ライプチヒの音(楽)」なんていうものはない。いつものザンデルリンクの音である。(「ザンデルリンクの音」と言うのも相応しい表現でなく、「求められる最高の音」と言ったほうが正しい。)
 
 今、ライプチヒからこんな音楽は聴かれまい。その後どういう経過を辿ったのか、オケマニアではない私の知るところではない。
 私が最近聴いた、ヘルベルト・某の指揮するこのオケの音楽は、コントロールの効いていない粗野なものであった。
2002年2月15日(金)


ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(4)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番

S・リヒテル/ザンデルリンク指揮/ウィーンSO
(DG)’63


 
リヒテル。このピアニストもそれほど好きではない。特にソナタでよく聴かれる「ピコピコ」という音。あれを聴くとこれまたがっかりしてしまいます。リヒテルも古い録音が多いので、そのせいもあるかもしれない。
 
 この演奏ではそれほど気にならないが、かなり力が入っています。曲の性格から言っても、そういう演奏もありなのかもしれないが、私の好みではない。 どこでだったか、この曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲中でも最も抒情的だと書いてあった。本当だろうか。
 この曲はまずいことに、ベートーヴェンのピアノ協奏曲中でもっとも好きでない曲である。ハ短調という調性も手伝ってか、奇妙な暗さが嫌いだ。ハ短調といえば、そう第5交響曲である。何を隠そう私はあれもそれほど好きではない。特に2楽章出だしのなんとも重苦しいどんよりした雰囲気。あれを聴くと本当に鬱な気分になってくる。
 あまり沢山の種類を聴いたわけではないが、ただ一つ、サヴァリッシュだけは厭な気分がしなかった。こういう風にやってくれれば聴いてみてもいいかな・・・。
 
 話しが反れております。ピアノ協奏曲なんですが。
 要するに、これもあまり深刻に大袈裟にやられると、ちょっと・・・ご遠慮したくなりますので、もう少しあっさり、すっきりした演奏のほうがよろしいかと。
2002年2月16日(土)


ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(5)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

P・レーゼル/ザンデルリンク指揮/ベルリンSO
(BC)


 
大変恐縮かつ申し訳ないが、私はこのピアニストも嫌いである。いちいち嫌いだなどと言っているのは、かえってしち面倒であろうか。はっきり言ってしまえば、ほとんどのピアニストが嫌いだと言えよう。

 こういう渋いピアニストを「いい、凄い。」といえば、マイナー派の面目躍如であり、沽券も保てるというものであろう。しかし不幸にして私は正直である。だから隠れ名演だなどとは決して言わない。
 
 モノの本をひもとくと、こっそり絶賛されていることが多い。曰く「真実、まっすぐ、真撃、核心」。曰く「自分を主張しない、音楽そのものが主役」。曰く「鍵盤をむやみに叩かない」。
 前二者は当たらずとも遠からずだが、3番目は大ウソである。
 この野郎(ピアニスト)はぶっ叩き野郎である。ただでさえ野蛮な打楽器であるピアノを力まかせに叩くので、私にはとても聴いていられない。腹が立ってくる。(弾いているのは「蛮族」だそうだから。)
 力仕事をしているようだ。これは力強さとは違う。断じて違う。とことん違う。
 
 私は物好きにもベートーヴェン(協奏曲全集)も聴いてみた。しかしとても聴いていられる代物ではなかった。多分とっくに売り払ってしまって、今は手元にはないと思う。
 
 最大公約的にこの曲に期待されるであろう、泣きたくなるようなロマンティシズム(これも単なる妄想か?)のかけらもない。筋肉番付を見ているようなむさ苦しさ?だ。
2002年2月17日(日)


ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(6)

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

P・ヤブロンスキー/ザンデルリンク指揮/NDR
(NAV)


 ヤブロンスキー、若手である。P・マークとも協演盤のある異色?のピアニストである。しかし、さほど魅力があるとも思えない。「それなりに」というところだろうか。「年相応」というと、「やっぱり若い」と、これまた予定調和的になってしまいますが。
 フィナーレの導入で、おそらくこの曲の難所と思われるところがありますが、いまひとつキレがよくありません。若手でテクに問題があれば他に期待できるものは少ないでしょう。
 このピアニスト、ときおり来日しているようですが、まだライヴは聴いたことはありません。私にとっては、「わざわざ出かけよう」と、ぐっと動かされる程の魅力が、もう一つ感じられないピアニストです。今後に期待しましょう。(とはいえ、青年、壮年、老人を問わず、将来男のピアニストに興味が湧くとは想像しがたいのですが。)
 
 これは、この手の録音のなかでも程度のあまりよくないものです。ホワイトノイズは多いし、距離がかなり遠いようです。演奏並、録音やや難あり。水洗ぎりぎりのところですね。
2002年2月18日(月)

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ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(7)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番

H・グリモー/ザンデルリンク指揮/BRSO
(SACD)


 いつか言っていた「隠し玉」とはこれのことです。
 えっ「隠し玉」って何のこと? もう誰〜れもそんなこと覚えてませんよねー。
 私ははっきり言って執念深いですから、何かあればよほどのことがない限り覚えているんですが、最近ではとんと記憶力が悪くなり、たいていのことは少し経つとすっかり忘れてしまって、結局どーでもよくなってしまいます(のようです)。
 
 最初にこの存在を知った時「これは珍しいな〜」と思いました。ザンデルリンクのモーツァルトとは聞いたことがありません。グリモーもモーツァルトというと、ちょっとピンときません。イメージと少し違うかな、と。
 しかしこれが見事にハマッテいるのです。キマッテいるのです。
 私はモーツァルトなんて、まともに聴かないですから、Pf協奏曲23番と言われても、(カップリングの)交響曲25番と言われても、どんな曲なのか知らなかったんですが、蓋を開けてみれば「あぁ、どこかで聴いたような・・・。」ということなんです。
 
 Pf協奏曲では、グリモーの生き生きとした演奏が印象的です。おそらくモーツァルトの若い頃の作品だと思いますが(晩年でも若いですが)、はつらつとした感性がグリモーのそれと見事にマッチして、ストレートに伝わってきます。
 バックのザンデルリンクは、いつものザンデルリンク、何の不安もありません。大船に乗った気持ちで安心して任せられます。
 特にグリモーとも相性がいい・・・、いや、最早「よかった」と言わなければならないのが誠に悲しい限りですが、もっともっとこのコンビで名演が残されるべきであったと残念でなりません。これは人類の損失とは言えまいか。(どこかで聞いたような・・・。)
2002年2月19日(火)


ザンデルリンク・バックス・ピアニスト(8)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1,2番

内田光子/ザンデルリンク指揮/BRSO
(Ph)


 そして最後はここに辿りつく・・・?
 
 私はこれが出た(買った)時、こればっかり聴いていました。多分3ヶ月ぐらいは毎日聴いていたと思います。
 それほど気に入ってしまっていました(今でもですが)。それ以来これがスタンダードになってしまいました。
 この演奏は「何もしていません」。何のクセもありません。これに慣れてしまって他の演奏を聴くと、いかに恣意的に、ザアトらしくやっていることか、辟易してきます。
 
 これに限らず、このコンビのベト全(Pf協奏曲)は全てよい。曲の魅力で押せる後期モノは当然として、こういう初期モノを正攻法で立派に聴かせる手腕は素晴らしい。
 当時、3&4→1&2とリリースされたわけですが、全集に発展することが前提であったとはいえ、1&2というカップリングでくる大胆さ。これは自信の表れではないだろうか。

 さて、うんざりする?ほど「ザンデルリンク・バックス・ピアニスト」シリーズを続けてきたわけですが、ひとまずこれできりです。
 この他にも数種類のピアノ協奏曲があるようです。詳しくは
ザンデルリンクのメインページをどうぞ。
 私はそれらのピアニストには興味がないですから、聴きたいとも思いませんが、お好きな方にはぜひどうぞ、と申し上げております。私はザンデルリンクならなんでもいい、というタイプではありません。(ザンデルリンクに限らず、どのアーティストに対しても、ですが。)
 ザンデルリンクがバックなら、少なくともバックに足を引っ張られてつぶされることはありません。ソリストは、十全に実力を発揮できるはずです。ザンデルリンクのバックでダメなら、他のどの指揮者と併せてもうまくいく可能性は限りなく低いでしょう。
2002年2月20日(水)


 さて、今年もいよいよ押し詰まってきまして、恒例の「今年のベスト10」発表の時期になりました。(あ・・・、まだチョト早い?)

 この半年の間には、私に「これは買っておかなければ」と思わせるアイテムが、珍しくたくさん(とも言えないが)出てきました。
 しかしながら最近の傾向として不思議なことに、それらのアイテムに対して、誰かが絶賛してくれるので、敢えて私がガタガタ言わなくてもよい雰囲気ができてきました。

ザンデルリンク指揮/ドレスデン国立O
1973年来日公演ライヴ

(TDK)


 これは、国内盤でもあり、レコ芸でも公式に推薦されています。誰が聴いても素直に名演だと思える、とってもわかりやすい演奏でしょう。
 しかし、である。このチクルスでのメインプログラムは、それぞれ、
1.ベートーヴェン:交響曲第8番(フィルハーモニアO/EMI/Disky/’80)
2.チャイコフスキー:交響曲第4番(ベルリンSO/DENON/DS/’79)
3.ブラームス:交響曲第1番(ドレスデン国立O/DENON/オイロディスク/RCA/’71)
である。
 カッコ内に示したように、これらは全て既に正規盤としてリリースされているものばかりである。
 私は試みに、それらの正規盤と聴き比べてみた。
 
 何も違わないのである。
 ホールの違い、録音条件の違い、オケの違いはあるものの、その内容に言葉にできるほどの違いがあるとは私には思えない。その差が語れるほど私の耳はよくはない。駄聴・駄耳を標榜する所以である。

 であるからして、来日ライヴがリリースされたからと言って、手放しで絶賛するのはいかがなものか。
 録音年代はより最近であるとはいえ、以前からリリースされていた、これら正規スタジオ録音に、いま一度虚心坦懐に耳を傾けてみよ。(臥薪嘗胆でも可。)
 特にザンデルリンクのベートーヴェンは必聴である。
 バック・トゥ・ベートーヴェン! バック・トゥ・ザンデルリンク!

ザンデルリンク・ザ・ラスト・ライヴ

(HMF)


 ごく限られたサイトしか行かないとは言え、まだこのジャケットを目にしたことがない。このレコードについて語られるのを聞いたことがない。
 業界の七不思議である。
 
 ひとつには、現、在日ザンデルリンク後援会長兼私設応援団長であらせられる杵光俊氏があまりにも絶賛するので、他がみな敬遠しているかのようだ。まるで独壇場(あるいは土壇場)である。
 ショップの広告にまで引っ張り出される始末。そろいもそろってどの広告も、である。恥ずかしくないのか。
 こういう広告で売ろうとするショップ、買おうとするリスナー。(えっ、誰もそんな広告見て買ってない?)
 これでは野村えびふらいや志島栄八郎や吉田委和や字野功芳の名盤ガイドをあてにしてそうするのと何ら変わりないではないか。これは、今や売り手も買い手ももっとも嫌う方法論なのではなかったのか。
 趣味や芸術というのは、自分だけの価値基準を見出すことではなかったのか。(あんまり関係ない?)

 このライヴの模様は、遅かれ早かれ何らかの形で出てくるとは予想していた。しかし、私は先に正規盤で出てしまったことを素直に喜べない。
 ノイズを押さえるために、おそらくかなり手が加えられたであろう印象が強いのである。しかも拍手は一切カット。
 ノイズも拍手もミスも「ママ出し」のライヴが聴きたかった。
2002年11月16日(土)


ベートーヴェン:交響曲第5番

ザンデルリンク指揮/フィルハーモニアO
(Disky HR704632/EMI/HMV)
お勧め度:★★

 誤解を恐れずに言ってしまえば、ザンデルリンクの音楽はどれも同じである。
 例えばラトルもそうである、アルゲリッチもそうである。
 しかし彼らには「くささ」がつきまとう。匂いがきついのである。その匂いが好きになれるか、あるいは嫌悪感を抱く事がないか。そういう人たちは彼らを好きになれるに違いない。
 「くささ」という言葉自体が気に入らなければ「くせ」と言い換えても良い。
 ザンデルリンクのつくる音楽には「くささ」がない。仮にあったとしてもそれが楽曲本来の匂い、あるいは作曲家の匂いに近いため、それと気付かない。自然なものと感じられる。
 これは方法論と考えても良い。どんな作曲家であれ、楽曲であれ、同じ方法論でアプローチする。だからベートーヴェンでもブラームスでも、あるいはシベリウスでも同じような音楽に聴こえてしまう。しかしそれは極めて真っ当で、本質を突いたものである。
 だからザンデルリンクには「外れ」がない。どれを聴いても「なるほど」と唸らされてしまうのである。
 例えば、最近ブリリアントからリリースされたシベリウス全集。「レギュラーではお高くてちょっと・・・、」という向きも、安さにつられて聴いてみれば見事に納得。そしてザンデルリアンと化していく。

 こういう方法論ならベートーヴェンが良いのもまた当然。最近の古楽かぶれした耳で聴けば「をを! ベートーヴェンて、こんなに大きかったのか・・・。」一目瞭然である。

ベートーヴェン:交響曲第5番

ザンデルリンク指揮/ベルリン交響楽団
(LASER LIGHT 15825/Delta Music)LIVE:録音年月不詳
お勧め度:★★★


 そんな(どんな?)ザンデルリンクであるが、最近私の目の前にこんな名盤が忽然と登場した。
 「なんじゃ、こりゃー?」「ブラッハー」
 近年、ここ数年、これほど驚くべきCDに出会ったことはありません。
 少なくとも私はこの録音がある、という話しも聞いたことはありません。古今東西ザンデルリンクの代表盤、名演として、この演奏が取り上げられていたのを見た事もありません。
 
 そして恐る恐る聴いてみて、またびっくり。
 「なんじゃ、こりゃー?」「ブラッハー」(あ、もういい?)
 PO盤に比べ、BSOは弦に厚みがあります。「ごうごう」と音楽が流れていきます。奔流のようです。ライヴということもあり緊張感も熱気も数段上をいっています。
 
 これはもしかしたら海賊盤ではないのか。録音にも不審な点を感じます。やや遠めからワンポイントマイクで録ったような音質なのです。そう、丁度客席で聴いているような。
 しかし、然るべき筋に問い合わせてみたところ、これは正真正銘、正規盤で、現在でもいちおう入手可能とのことである。「いちおう」というのはカタログに載っていても事実上廃盤、生産中止ということは日常茶飯事だからである。日曜のお茶会なのである。お茶漬け定食なのである。中華飯店での飲茶なのである。

 しかし敢えてここに紹介し、興味を持って下さった方がたくさんオーダーしてくれれば、復刻、再プレスの可能性もなきにしもあらずである。
 こんな録音を眠らせておいてはいけません。これぞまさに世界的損失である。
2003年3月6日(木)


マーラー:交響曲第9番

ザンデルリンク指揮/BBC交響楽団
(BBC/CARLTON/IMP)
Produser : Peter Marchbank
Recorded : BBC Studio 7 , Manchester on 17th July 1982
Remastering : John Hunt , BBC Radiophonic Workshop

お勧め度:★★

 ザンデルリンクにはこの曲の録音が何種類かあります。正規盤では他にフィルハーモニアO、ベルリン交響楽団との録音がありますが、これ(BBC盤)を同曲のみならず、ザンデルリンクの代表盤とする声をもよく聞きます。
 
 敢えてここでマラ#9という、私にとって最も忌むべき楽曲を持ち出したのは何故か?
 こんな曲を積極的に聴きたいとは思わない。そしてマーラーの精神と一体化しようなんて思わない。決して思わない。断じて思わない。
 第1楽章から聴いていけば、とても聴いていられないほど支離滅裂な印象を受けるが、それでも第4楽章だけならなんとか聴き通せる。
 それにしてもザンデルリンクあるいはジュリーニくらいの演奏であって初めてである。巷評判の高い、感情移入ドロドログチャグチャの演奏だったらとても耐えられない。
 ちなみに意外なところではベルティーニの録音もある。「酔わないマーラー」という触れ込み(タレコミ?)だった。
 
 さて、今日の問題は別のところにある。
 敢えてここでマラ#9という、私にとって最も忌むべき楽曲を持ち出したのは何故か?
 実は、マラ#9でなくても何でも良かった。他に適当なCDがなかっただけのことである。

 ある時、クレジットの中に「John Hunt(ジョン・ハント)」の名前を見付けたのである。
 ははーん、そういうことか、と思った。John Huntというのは、いくつかのディスコグラフィーで有名な人である。彼はこういう立場で仕事(本業?)をしている人だったのか。
 
 これは「BBC RADIO classics」というシリーズ(レーベル?)であるが、BBCといえば他に「BBC Music/LEGENDS」というのもある。私は業界事情にはとんと疎いので、両者に関係があるのかどうかは全く知らない。だが「BBC Music/LEGENDS」のシリーズにはJohn Huntの名前は見当たらないようだ。
 
 「BBC Music/LEGENDS」は、どれも音質が良い。だが、この「BBC RADIO classics」も負けず劣らず良い。あるCDを再生して、思いがけず音質が良かったので、録音データを改めたところ、そこにJohn Huntの名前を見付けた次第である。

 John Huntさん、い〜仕事しているようです。
2003年6月20日(金)


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