1948年熱海生まれ
| モーツァルト:ピアノソナタ全集 | (5CD) | PH 468 356 2 | ||
知ってはいけないこと
私の場合、雑誌は貴重な情報源となっています。(誰でもそうかもしれないが・・・。)
レコ芸'01年7月号は、久々になかなかの情報を提供してくれます。そんな中の一つがこれです。
ロンドン交響楽団の自主制作盤リリース予定として、C・デイヴィス指揮によるエルガーの交響曲全集が掲載されています。
そこまではよかった、というより、そこまでにしておいてくれればいいのに、ご丁寧にご親切に、あるいは余計なお節介にも、それらが収録されるコンサートのプログラムまで掲載されているのです。
| '01年9月30日/10月1日 モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番(独奏:内田光子) エルガー:交響曲第1番 |
| '01年10月4日/5日 モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番(独奏:内田光子) エルガー:交響曲第2番 |
私は最初狂喜しました。てっきり内田光子との協奏曲も(録音され)発売されると思い込んだからです。
ところが、よくよく読んでみると、リリースについてはエルガーのことしか触れられていません。
「あっ、そうか・・・(がっかり)。収録されるコンサートのプログラムが載っているだけで、協奏曲が(録音され)リリースされるわけではないんだ。」
おそらく録音メーカー?との契約などの煩わしい問題があることと思う。録音メーカーは決してユーザーの立場に立っているわけではない。自分たちの利益が第一なのである。どんな企業でもそうだ。
それにしてもこの記事は罪つくりです。
こういうのを「夢の協演」というんです。チョン姉弟が協演するぐらいでは、何にも夢じゃないんですよ。(キョンファは一流であっても、ミョンフンがそうかといえば???であるから。おまけにオケはアレレ・・・。)
内田光子とC・デイヴィス。
「今」モーツァルトのピアノ協奏曲を聴こうとして、これ以上理想的な組み合わせがあろうか。(そら、人によっちゃーあるかもしれんが・・・。それに私がモーツァルトなんて言ってみても、ちっとも説得力がない?)
これが東京で・・・というなら、私は万難を排してでも駆け付けます。しかしロンドンまで・・・となると、残念ながらそうは問屋が降ろしません。(それにしても、何でLSOが、○ストロゴンタなんかと来るんだよ!・・・○=ロ。)
そういう(どういう?)訳で、私は海外のライヴ情報は、極力知らないようにしています。
実は、もうひとつあります。
| '01年10月19日/21日 (ピッツバーグ?) プレヴィン指揮ピッツバーグ響 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(独奏:エレーヌ・グリモー) ラフマニノフ:交響曲第2番 |
グリモーとプレヴィンの協演! 誰かちゃんと録音しておいてくれよー。そして海○盤でリリースしてくれよー。たのむで、ほんまに。
C・デイヴィスにしても失礼ながら、あとどのくらい活躍(動)できるのか、何も保証はないのです。(本人も語っていますから。)
プレヴィンの目は幸い回復したようで、いちおう一安心ですが。(私はてっきりこれで引退だと思っていた。)
時間とお金に余裕のある方は、是非いかがでしょうか。C・デイヴィス=内田光子なんて、おそらく国内で実現する可能性は・・・。
ヴァントが再来日するのと、いい勝負ではないだろうか。(ヴァントは02〜03年あたり、あっさり来そうな気もするが・・・。)
('01/06/25/月)
ミツコ・ウチダ
昨日はまさに夢の協演でしたが、今日は手の届きそうな現実の協演(など)です。
| 01年11月30日(金)19:00開演 サントリーホール 夢の競演 ヨーヨー・マ&内田光子 |
| 01年12月7日(金)19:00開演 サントリーホール ピアノ:内田光子 /ブレンターノ弦楽四重奏団 モーツァルト:ピアノ協奏曲 イ長調 K414(ピアノ五重奏版) ハイドン:弦楽四重奏曲 ヘ短調 Hob.III-35 op. 20-5 シェーンベルク:月に憑かれたピエロ |
| 01年12月11日(火)19:00開演 サントリーホール 内田光子ピアノリサイタル シェーンベルク:三つのピアノ曲 op. 11 シューベルト:ピアノ・ソナタ ト長調 D894「幻想」 ウェーベルン:ピアノのための変奏曲 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op. 111 |
その他にも内田光子の講演会なども予定されています。
まず、ヨーヨー・マとのデュオ。
最近この人の本名が、本当はどうなのか(どっちなのか?)わからなくなって混乱しています。このような混乱を生じさしめる行為は、社会的犯罪ではないのだろうか。
さて、私はソロチェロが「大嫌い」です。従ってこういうコンサートには全く興味がありません。
でも、チェロの合奏(ユニゾン?)は、「最高に」好きなんです。とっても変なんです。
次に、いわゆる室内楽にも興味はありません。
ここでの目玉は、ソロリサイタルです。しかもこのプログラム。これは「買い」です。
シューベルトの、そのまたしかも「幻想」。これは◎です。
内田光子の魅力の一つは、弱音の美しさです。「水晶のしずくが垂れるような」音。(何と噴飯かつ誇大妄想的表現!)
純粋透明でありながら無味無臭ではなく、宝石のようでありながら決して硬質でない柔らかなタッチ。
99年9月19日、やはりサントリーホールで披かれたリサイタル。そのアンコールで「幻想」のメヌエットを弾いてくれました。
その時私は、天国にいるような、文字通り「幻想」にとらわれ、永遠の安らぎの時間を過ごすことができました。一瞬にしてその世界に引き込まれてしまいました。
「永遠」というのはこの世にあるものであって、あの世にあるものではない。そういうことを体験させてくれ、信じさせてくれるものでした。
その音(楽)はもちろん今でもしっかり脳裏に焼き付いていて、思い出すだけで目がウルウルしてきてしまいます。
私にとっては、これが本当の感動を与えてくれる音楽なんです。
「技巧」とか「熱狂・興奮」なんていうのは、ほんの表面的なささいなことにしかすぎません。その先にあるものを見せてくれるのが、本当の音楽家なのです。
なぜ、タイトルに「ミツコ・ウチダ」と書いたのか。その理由を明らかにしたかったのですが、あまりにも感動的なコンサートを思い出して、つい長くなってしまいました。これはまた改めて。
('01/06/26/火)
内田光子は日本人なのか
法律上はそうなんでしょう。
私はプライヴェートなことは全く知りませんが、日本国籍は確かに持っているのでしょう。
しかし、12才で海外へ渡り、(多分)それ以降日本では暮らしておらず、もっぱら「現地」で生活し、音楽を学び、文化を吸収した人を、音楽芸術上?日本人とカテゴライズしてしまうのは単純すぎるのではないでしょうか。
もちろん「血」の中にある決定的なものを消し去ることはできないと思います。最後のぎりぎりのところでそれが出てくることは否めないでしょう。
私はこの人を「日本人だから」という偏見で見たことはありません。(そのつもりですなんですけど・・・。)それゆえ贔屓するとか、逆に嫌悪するとか。
その音楽を聴いて「(そういえば)日本的だな」と感じたこともありません。それらは確かにモーツァルトでありシューベルトであり、そしてベートーヴェンであったはずです。
以前、別のところに書きましたが、私は音楽は人類共通語だとは思っていません。
確かに地域性があり、民族性があり、国境があるのです。言葉による壁があるのと同じように。
ただ、その表現するものは、人類普遍に共通するものであるがゆえに、それらを超越して理解が可能なのだと認識しています。(おぉ!なんと格調のある文章なんだ。痒くなってくる。)
さて、ところで、時々このようなフレーズを見かけます。
内田光子
「日本が誇る世界的ピアニスト」・・・サントリーホールの紹介文
チョン・キョンファ
「LDのチョンの演奏も韓国式で、必ずしも普遍的ではありません」・・・メンデルスゾーンVn協奏曲に対して。里予口悠糸己雄/レコ芸01年7月号
「・・・アジア・・・」
この人たちは本当にそんなことがわかるのでしょうか。
ブラインドで聴かせて、日本的か、アリラン的か、コーリャン的か、アメリカ的か、アフリカ的か、インド的か、シベリア的か、南極的か、・・・区別できるのでしょうか。
アルゲリッチに対しても「いかにも、南米アルゼンチン的・・・」と表現するのでしょうか。(いや、もしかしたら、これは半分は当たっているのかもしれない。)
でも、こんな屁理屈なんて、実はたいした問題ではないのかもしれません。
結局のところ「偶然」その個人が好きになれるか、なれないか。それだけのことかもしれません。私は最近それは「相性」ではないかと思っています。
かく言う「不肖」私も、小シ尺や朝日名や小木木(コハ゛ケン)に対して「浪花節だ」などと妄想を働かせているわけですが。
(そういえば、小木木についてはよく知らないが、小シ尺も、確か朝日名も「大陸」の生まれだったはずだ・・・。この人たちも単純に日本人とは言えまい。)
('01/06/27/水)
2001年の不明盤
シェーンベルク:ピアノ協奏曲 他
内田光子/ブーレーズ指揮 クリーブランド管弦楽団
(Ph)
2001年のレコードアカデミー賞が華々しく発表されています。
いずれにしろ、私には全く縁のない話なんですが、約90枚がノミネートされています。さて、この中で私が買ったディスクは・・・。
ありました。約1枚。立派な成績です。こうでなくては。
その1枚とて、ほとんど買ったことも忘れてしまっているものでした。ああ、そういえばこれも今年買った1枚だったっけ。
内田光子だという理由だけで、無謀にも買ってしまったのですが、いざ聴き始めてみてもさっぱり訳がわかりません。
やっぱり私にはこういう現代的な、最先端を行くような音楽は無理です。
('01/12/20/木)
シューベルト:ピアノソナタ第7番/楽興の時
内田光子
2002年の購入第二号はこれでした。
このレコードは昨年発売されたものです。しかし、「あわてなくても、このレコードはどこへもいかない。」(内田光子のレコードが、早々に入手不能になることはあるまい。)という考えのもと、のんびり構えていましたが、いよいよ買うものが無くなると、とっておきのこういうレコードを買ってみます。
このレコードは録音が素晴らしいように思います。とても細かいニュアンスまで聴き取ることができます。内田光子が動く音から、鼻息まで聴こえてきそうな・・・。いや、そんなものは聴きたくもない?それは失礼しました。
演奏は、ありきたりですが、期待通りといっていいでしょう。いつのもシューベルトです。
相変わらずタッチが素晴らしいです。いったいどうやったらこの打楽器から、こんな柔らかい音が出せるのだろうと思います。どこかで、「とても体が柔らかい」と言われていましたが、そういうことも関係しているのでしょうか。
繰り返しますが、「水晶のしずくがぽたりぽたりと垂れてくるような音。」私はこのピアノを聴くとそういうイメージをもちます。
メインは多分「楽興」だと思いますが、そこここにちりばめられたチャーミングな旋律をとても心地よく聴かせてくれます。いい気持ちで聴き入っていると、いつのまにか終わってしまう、そんな音楽です。「何気ないのに、とても深い。」
珍しく「見やすい」?ジャケット。これもうれしいですね。
('02/1/14/月)
シューベルト:ピアノソナタ第21番
内田光子
これは「当時」買ったものです。
私はこのレコードを初めて聴いたときのことが忘れられません。
まるで部屋中に灰色の霧がたちこめたように感じられ、息苦しくなり、髪は逆立ち、背筋が凍りついたようになり、金縛りにあったように身動き一つできない。そんな恐怖の時間を過ごしました。
さすがに今ではそんな「感動」も薄れてきますが、死のオルゴールが、これが最後だと、こわれる寸前に最後の力を振り絞って不気味に鳴り響いている。そんなイメージも湧いてきます。
しかし、そんな恐怖感も楽章の進行と共に薄れていきます。徐々に平静を取り戻して行きます。
そしてフィナーレ。捉えどころのない、明るいんだか暗いんだかよくわからない。妙にはしゃいでしまって、俗にいう「突き抜けてしまった」音楽である。
死ぬ時というのはこういう心境になるのかもしれない。「喜劇のようだった。」と。◇
このライナー・ノーツの中でも、非常に興味深いことが語られています。
| 演奏者の仕事はただひとつ、楽譜に書かれていることを音として聴けるようにすること、そして書かれていることを解釈しようとすることです。だから書かれてあることが絶対的にすべてです。 でも私が思うに、どこにも書かれてないものがあります。それが何であるかははっきりと説明できないのですが、私はすべての音楽作品に魂のようなものがあることを感じます。 私が内心で行おうとしていること、それはこのまったく説明しがたい何ものか―つまり音楽の魂―を捉えることなのです。 |
楽譜を忠実に再現しようとする人たちには、こういうことは不可能でしょう。「書かれていないことは、行ってはいけない。」
内田光子は常に聞くべき言葉を吐き、そして聴くべき音楽を奏でます。
('02/1/15/火)
シューベルト:ピアノソナタ第18番「幻想」
内田光子
内田光子の「幻想」については以前にも書きましたが、かつての来日公演で素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
あの、ほんの一瞬の間に天国へいざなってくれたような、夢のような時間。こういう感動は忘れられるものではありません。
このレコードを聴いてその感動が再び得られることはありませんが、ほんの片鱗だけでも味わうことはできます。また、あの時の思い出のために取り出して聴く、そういう大切なレコードです。
やはり(昨日の)21番のライナーノーツにこのようなくだりがあります。
| 音楽作品に何らかの心理学的な説明を与えることはとても危険なことですが、シューベルトの音楽に起こっていることはいわば聴く者を突然まったく予想もしていなかったような所へ運ぶことです。 聴く者がどこかに浮遊しているような自分を見いだす、といった感じです。もちろんある時点ではもとの場所へと引き戻されますが、ひと時の間―なんと言ったらよいか―天上を垣間見るような、永遠を見つめるような幻覚に捉われるのです。 彼の音楽はとても長くて―短い作品でさえとてもとても長くて―そこには永遠なるものがあるかのようです。 |
私はまさにこのような感覚を、その実演で味わうことができました。感謝です。
(残念ながら、昨年12月の来日公演に立ち会うことは、叶いませんでしたが。)
('02/1/16/水)