
私は99年2月、卒業旅行ということで友達と母との3人でスペイン旅行へ行ってきました。なにしろ全てが生まれて初めての
経験で、驚きと感動の連続。あっという間の10日間を振り返ります。
2月7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日
2月7日(日)晴れ
午前11時45分。KLMオランダ航空KL870便が名古屋空港を離陸。生まれて初めての飛行機。そして海外旅行である。
行き先はスペイン。この飛行機は札幌を経由してアムステルダムへ向かう。アムステルダムまでは10時間40分の飛行。離陸も着
陸も正直言って恐かった。周りにはニュースの見過ぎだと言われたけれど、よく事故が起こるのは離陸や着陸の時であるという
ではないか。
日本とスペインの時差は約8時間。スペインの方が8時間遅れているという
計算だ。スペイン時間で17時50分頃、アムステルダム・スキポール国際空港に
到着した。さすがに日本の空港より広い。といっても名古屋空港にしか行った
ことがないけれどね(笑)。マドリッドへの飛行機が出るゲートへ移動するだけ
でも普通に歩いて15分くらいはかかったんじゃないかな。
アムステルダムからマドリッドまでは2時間ちょっとくらいだった。ここま
で来るとさすがに機内放送もオランダ語・英語・スペイン語だけになってしま
う。外国に来たんだなぁという実感が少しずつ湧いてきた。飛行機が着陸する
とあちこちから
スペインの首都マドリッドのバラハス空港に到着したのは21時を過ぎていた。
空港内も人気がなく、閑散としている。機内まで空港の係員が迎えに来てくれ
た。どこの空港でもそうであったが、自前の車椅子では幅が広すぎて座席まで
移動できない為、機内用の車椅子が用意されているのだ。幸い私の愛車はコン
パクトにたたむことができたので、手荷物のような扱いで客席内のクローゼッ
トに入れてもらうことができ、車椅子だけどこかに行ってしまうということも
なかった。しかし、私の愛車には恐ろしい事態が…。でもその時はまだ気づい
ていなかった。
両替を済ませ、タクシー乗り場へ案内してもらった。市内までは空港バスと
いう手段もあるが、バスに乗るのは難しいし、こんな夜遅くでは危険なので、
タクシーで日本から予約しておいたホテルへ向かうことにしていた。タクシー
に乗り込む時になって「あっ、左ハンドル、右側通行なんだ」と改めて気づい
た。タクシーの運転手さんはとても陽気な人だった。友達はかなりスペイン語 <私の旅行コース>
で意思疎通が取れるので、それが良かったのだろう。もし、自分だったらきっ
とうまく話せずに無事にホテルへ行けたかどうかもわからない。
無事、ホテルへ到着。部屋に入って先ほどの恐ろしい事態が発覚!車椅子のブレーキレバーが曲がってしまっていたのだ!!
動かせないほどではなかったからよかったけれど、きっとクローゼットの中で痛い目にあってしまったのだろう。
くつろいでTVを見ていると、サッカーのニュースが。日曜日ということで試合があったらしい。チーム名程度しか聞き取れ
なかったけれど、プレーは見ていればわかるから面白かった。それも何度も繰り返して結果を伝えている。やっぱり違うなぁ。
TOPへ
2月8日(月)晴れ
朝食を済ませて、ホテルをチェックアウト。いよいよ本格的な旅が始まる。コルドバへ向かうため、アトーチャ駅へ。スペイ
ン版新幹線といわれる高速列車AVEで約1時間40分。AVEには車椅子用の座席の取り払われた席が用意されていた。価格
も他の座席と同じ。乗車する時も駅員さんがリフトを持って来て乗せてくれた。コルドバまでの景色を楽しんだ。都会的なマド
リッドの街が終わると、いかにもスペイン的な赤土の大地とオリーブ畑が広がってきた。時々牛の群れも見える。日本の風景と
違い、街と畑の境目がはっきりとしている。周りに家が見えないようなこの辺りの畑へはどうやって収穫に来るのだろうなんて
ことを思ってしまった。
11時40分頃、コルドバ駅に到着した。9日の夜行でバルセロナへ向かうと決めていたので、先に寝台列車の切符を買った。
その後はホテル探し。駅構内の案内所でホテルリストをもらうつもりだったが、案内所の女性がとっても親切で、1階に部屋が
あるホテルをホテルを紹介してくれ、予約まで取ってくれた。フラメンコについても聞いてみたけれど、今はシーズンオフの為、
金・土・日しかやってないとのこと。残念!!
駅から街の中心部までは歩いて20分ほど。ホテルもすぐに見つかった。少し休憩した後、メスキータを見に行くことにした。
メスキータとはもともとイスラム教のモスクであったが、のちにキリスト教徒によってキリスト教の教会に改造された建物で、
外から見るとモスク、しかし内部は聖堂と面白い造りになっている。外を歩くと暑かったけれど、中に入ると思いのほか涼しい。
全体が大理石で作られている為だ。夏は中にいるのがちょうどいいそうだ。中央部にある祭壇には圧倒された。細かいところま
で装飾されていて、一体どうやって造ったのだろうかと思えた。何世紀もかけて建てられたと思うと、人の一生なんて本当にわ
ずかなものだなぁと感じた。シーズンオフで閑散としていたのもあって、全体的にとても静かだったので荘厳な雰囲気が感じら
れて良かった。中庭にはオレンジの樹が立ち並んでいる。天気もとても良く、真っ青な空と木の緑、オレンジの実、薄い黄土色
をした建物との色合いが絶妙だった。
食事後、ローマ橋を渡り、川の反対岸からメスキータの全景を眺めた。さらにドン・キホーテが泊まったという旅篭屋ポトロ
の広場へ行き、途中で水とオレンジ、チーズを買ってホテルへ戻った。昼に出たパンが残ってしまって、朝食べようということ
になったのだった。喉が渇いてもその辺に自動販売機が置いてあるわけでもないし、水だって買わなくては飲めない。その辺り
は頭では分かっていてもなかなか感覚としてまだつかめなかった。
ホテルでのんびりと過ごす夜。良く分からないけれどTVを見ていた。またサッカーの番組をやっている。いまいち趣旨が分
からなかったけれど、リバウド(FCバルセロナ所属、ブラジル代表)の応援歌みたいなのをやっていて、「♪ロナウドより優れ
ているリバウド〜♪」といったような内容の歌詞だったので笑ってしまった。テロップが出ていたからわかったんだけどね。確
かロナウドはインテル(セリエA)に移籍する前はバルセロナにいたっけ。
TOPへ
2月9日(火)曇り時々雨
9時30分頃ホテルを出た。荷物はホテルで預かってもらった。まずは花の小道へ。この小道からはメスキータにそびえたつ塔
が見え、絶好の写真撮影ポイントになっているところだ。小道を入っていくと両側にお土産屋さんが立ち並んでいる。一番奥は
ちょっとした広場になっていた。お約束の写真を撮り、冷やかしにお土産屋さんに入ってみた。コルドバは革製品で有名なとこ
ろだそうだ。革製品はもちろん陶器もたくさん並んでいた。店の奥の方にいると、日本人のご一行がやってきた。なんとなく顔
を合わせたくないので奥でひそんでいたら、大阪弁の女性の集団の声が聞こえてきた。まさかコルドバで大阪弁を聞くとは思わ
なかった…。荷物を増やすのも出来ないので結局何も買わなかったけれど、店の看板には日本語で「コルドバ皮の専問店」と書
かれていた。字が間違っているのがポイントである。
日本人はどこにでもいるものだと思いながら、本日第2の目的地、ビアナ宮殿へ。これは個人所有の宮殿を一般に公開した博
物館で、13のパティオ(中庭)があることで知られている。それぞれのパティオに名前が付けられていて、しかもすごく手入れ
が行き届いていてきれいだった。きっと花の季節だったらもっと美しいだろうなぁと思った。ちょっと残念。天候も薄曇で肌寒
かった。前もって知識を入れておかなかったけれど、なかなかいいところでした。
昼ご飯。スペインの昼休みは14時から16時頃まで。ほとんどの店は閉店し、博物館なども閉館する。この食事時間に慣れない
といけない。13時ごろ店に入ったけれどほとんど客はいなかった。ここで初めて私がお金を払った。スペインでは客が伝票を持っ
てレジへ行くのではなく、ウェイターをテーブルに呼んで代金を支払うしくみになっている。あまり合理的ではない気がする。
値段も何とか聞き取れた。というよりも大きいお金で払ってしまった(笑)。
さて、次の目的地であるアルカサルは16:30にならないと開かない。それまでデパートで過ごした。エル・コルテ・イングレス
というスペイン全土にあるチェーン店だそうだ。デパートというだけあってなんでも揃っている。見るのも疲れてしまうくらい
だ。適当に時間をつぶしてアルカサルへ向かう。スペインのどの街も言えることだったけれど、道はほとんど石畳。座っている
から振動が結構伝わってくる。これはなかなかの強敵だった。
アルカサルにはちょうど16時半頃着いた。入場券を買おうとしたら、係員がやって来て、「階段が多いから車椅子で中を見て
歩くのは難しい」と言われてしまった。そう言われたら残念だけどあきらめるしかない。友達だけ見に行って、母と公園で待っ
ていた。ベンチに座っていたら雨がパラパラしてくるし、寒くてたまらなかった。アルカサルを出て、近くのバルでお茶をして
から闘牛博物館へ向かった。コルドバ駅でもらった名所案内では火曜日は入館無料となっていたのに、なぜか入場料をとられて
しまった。でもここも2階建てで階段しかないということで、私は1階だけを見学。だからなのか何なのかわからないけれど無
料で入ってしまった。マタドールの豪華な衣装や闘牛風景を描いた絵が飾られていた。
22時25分の夜行列車でバルセロナへ向かう。初めての夜行列車だった。
TOPへ
2月10日(水)晴れ
朝8:30頃、バルセロナはサンツ駅に到着。列車の窓からは地中海が見えた。とはいってもこの時間では朝もやで色もはっきりし
ていなかったけれど。まずは私の希望でFCバルセロナ(通称バルサ)のホームスタジアムである、カム・ノウ・スタジアムに行
くことにした。このスタジアムにはサッカー博物館があって、バルサの歴史だけではなく、スペインのサッカーの歴史もわかる
とのこと。地下鉄で行こうと思ったら、なんと!エレベーターがない。路線によってエレベータがあるところとないところとあ
るらしい。結局、歩いていくことに。なかなか遠く30分くらいかかった。
スタジアムが見えてきたら興奮してきた。さすがにデカイ。今まで見たスタジアムの中でも一番の大きさだ。なんといっても
収容人数は11万人。国立競技場の2倍近くある。周りには柵が張り巡らされていて、なかなか入り口がわからない。グルッと回っ
てようやく博物館の入り口を見つけた。博物館は2階にあり、エスカレーターしかなかったが、係員がスタジアム内のエレベー
ターへ案内してくれた。入るとまずはバルサの歴代の名選手たちの顔写真。う〜ん、あんまり良く分からなかった。そしてチー
ムの歴史をたどっていく。今年99年はバルサ100周年の年だったので、全体として盛り上がっていた。1899年に創立されたこのチ
ームは完全な市民チームで、ソシオ制度という一般会員制度で成り立っている。日本では横浜FCが目指そうとしているチーム
の形である。チームの歴史とともに、ソシオの数が増えていく様子がグラフで表されていた。ただ表示がカタルーニャ語(バルセ
ロナを中心とした地方で話されている言語)とカスティーリャ語(一般で言うスペイン語)と英語表示だったので、ちょっとわかり
辛かったけれど…。さすがに名門チームだけあって、トロフィーの数が並ではない。たくさんのトロフィーや盾を見ていて、長
い栄光の歴史を感じた。また、日本でも有名なロナウドやストイチコフが所属したチームで、スパイクも展示されていた。
バルサにはサッカーチームだけではなく、ホッケーやバスケットのチームもあり、それらのチームの活躍の様子も知ることが
できた。日本のJリーグも総合的なスポーツクラブを目指しているらしいので、ぜひとも頑張ってもらいたいなと思った。
博物館を見終わってスタジアムへ。3階建ての2階席の一部分が一般に開かれていて、自由に見学することができる。やはり
今まで見たスタジアムの中で一番大きかった。そして2階席にも関わらず、ピッチが近くに感じられる。きっと陸上のトラック
がなく、サッカー専用のスタジアムだからだろう。こういう中で行われる試合を見てみたいと思った。
スタジアムを後にしてサンツ駅へ戻った。昼食は友達の留学時代の友人が勤めている日本料理店に行った。久しぶりの緑茶が
嬉しかった。やっぱり日本人なんだよね。でもさすがは日本料理店。店員もスペイン人なのに流暢な日本語で「いらっしゃいま
せ!」と言ってきた。
この日、スペインに来て初めてビールを飲んだ。おつまみもなかなかおいしかった。それにしてもスペイン人はよく食べる。
TOPへ
2月11日(木)晴れ
朝、昨日行ったお店の方が仕入れに行くというので、一緒に市場へ行った。バルセロナは海に面していることもあって、魚介
類が豊富だ。日本人も結構訪れているらしく、「高級からすみあります」という看板も出ていた。からすみを買っていく人もあ
るんだなあ…。それにしても物を売る単位が大きい。ほとんどが1キロ単位の価格表示になっている。そして、一番強烈だった
のは肉屋さん。牛の内臓から脳みそまでそのまま売っている。かなりグロテスクだった。子豚も丸焼きにして食べる習慣がある
ため、丸のままの子豚も売っていた。これまた驚いた。
その後、少し遅目の朝食。カフェに入った。隣のお客さんが犬を連れて来ていて、自分の隣に座らせていたのでビックリした。
スペインでは結構犬を飼っていて、家族のように扱っているとのことだった。日本でももちろん犬をかわいがっているけれど、
まさかレストランなどには連れてこれない。こういうのも文化の違いだなぁと思った。でもスペインの犬は本当におとなしい。
日本だったらきっと鳴きわめいて、食事どころではなくなってしまうだろう。
午後からは日本人向けの半日観光ツアーに参加した。行き先はモンセラット。カタルーニャ地方の聖地である。大型バスで約
1時間半。ガイドさんは現地ガイドの方と日本人ガイドの方。集合場所のホテルに着くなり、日本人ガイドさんに「さぁマリア
様にお会い致しましょう」といわれてちょっとビックリした。お客さんは新婚旅行の方やおばあさんがほとんどで、若い人達は
私達だけだった。多くの若い旅行者は列車とロープウェイなどで行くようだ。モンセラットとは「のこぎり山」を意味している。
その名の通りギザギザとした山だった。中腹に修道院と聖堂があり、博物館とその聖堂を見学した。聖堂には黒いマリア像とい
うのがあり、その手に触れることができるということだったが、階段が多くてあきらめてしまった。それで、現地ガイドの方と
二人で皆が戻ってくるのを待っていた。せっかくのチャンスだからスペイン語で少し会話をした。彼女はバルセロナの語学学校
で日本語を3年勉強していると言った。私も大学でスペイン語を勉強していると言った。彼女もゆっくりと話してくれたし、意
志の疎通ができて嬉しかった。
みんなが戻って来て、聖水が湧き出ている蛇口のところへ来た。日本人ガイドさんが聖水を飲みましょうとしつこかったので、
飲んでみた。別にただの水であるような気もしたけれど。帰りの集合時間も迫っていたから、予想していたよりも時間がなく、
急いだツアーになってしまった。往復のバスばかりが印象に残ってしまった。
TOPへ
2月12日(金)
本当ならこの日はサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を見に行って公園をブラブラして、夜行に乗ってマドリッドへ向かう予定
だったが、事件が起きてしまった。な、なんと、寝ていてベッドから落ちてしまったのだ。今までになかったことだけにとても
驚いた。大きな怪我ではなかったけれど、とりあえず左の足の甲が痛い。慌てて「湿布」と「包帯」をスペイン語でなんていう
か調べて、薬局が開くのを待って、友達に湿布と包帯を買って来てもらった。でも「湿布」がうまく伝わらなくて、ガーゼになっ
てしまった。とりあえず足首から下を固定する。ひょっとしたら骨が折れてるかもとも思ったけれど、病院に行くのもこわいし、
なんとかなりそうだったので、旅を続けることにした。ただできれば1・2日はおとなしくしていたい。サグラダ・ファミリア
行きをあきらめて、早めにマドリッドに向かうことにして、サンツ駅へ行った。
しかし!マドリッド行きの昼間の列車は夜行しかなかったのだった。夜まで時間をつぶさなくてはいけない。どうしようかと
思ったが、オリンピックスタジアムのある、モンジュイックの丘へ行くことにした。タクシーで丘のてっぺんまで行った。そう
したら素晴らしい眺め!地中海が眼下に広がり、後ろを向けばバルセロナの街を一望することができた。この丘の頂上は軍事博
物館になっていて、周りには砲台がそのままの形で残されていた。ここまで来る予定はなかったけれど、意外にいい場所だった。
そこからでもサグラダ・ファミリアを見ることができた。
丘を下っていくと、ミロ美術館がある。友達は前に入ったことがあるからということで、母と二人で入った。ミロの絵はわか
り辛かったが、原色の色使いがとてもきれいだった。そのまま坂を下っていくと、カタルーニャ美術館がある。ここは入り口が
階段の上にあり、エスカレーターしかなかったので、入るのをあきらめてしまった。普段なら冒険してエスカレーターも使おう
と思うだろうけど、石畳のお陰で足もやっぱり痛かったし、あんまり動きたくなかったのだった。
遅いお昼を食べて、サンツ駅に向かう。結局丘の上から駅まで歩いてしまった。こんなことをする人はなかなかいないだろう。
夜行が出発する2時間近く前に駅に着いてしまってかなり暇だった。夜行列車はこの前と違って、3段ベッドが2つの6人部屋
だった。結構揺れたし、足もかなりジンジンと痛かった。
TOPへ
2月13日(土)晴れのち曇り
マドリッドには7時頃着いてしまった。コルドバ行きの列車に乗ったアトーチャ駅ではなく、チャマルティン駅に到着した。
この日はエル・エスコリアル宮を見に行った。この宮殿は私の卒論のテーマでもあり、スペインへ行ったからにはどうしても見
ておきたい建物だった。16世紀に建てられ、非常に荘厳な造りになっている。ヨーロッパの建物というと、大体凝った装飾が売
りになるが、この建物の場合は、そういった外見的装飾があまり見られないのです。
チャマルティンに荷物を置いて、RENFE(国鉄)で約1時間。エル・エスコリアル駅に到着。場所も良く分からないので、タ
クシーを使った。いよいよ来てしまったという感じ。とにかく広い。予想以上にすっきりした造りだと思った。切符を買ってい
ざ入ろうとしたら、係のおじさんがやってきた。階段が多いから1階部分しか入れないと言われてしまった。入場料を返してく
れた。係のおじさんは「昔は車椅子の人が来ることなんて考えて造らなかったんだ」と言っていたのが印象的だった。
友達と母が回ってくる間、私は1階の回廊付近で待っていた。会議室として使われていたらしき部屋には、ベラスケスやエル・
グレコなどの名画が掛けられていて、丸天井には細かな絵が描かれていた。そこを見るだけでも十分価値があると思った。なか
なか観光客も多く、時々団体がやってきては説明をしていた。さりげなく近づいて聞こうとしたけれど、英語とスペイン語が主
で良く分からなかった。二人が戻って来て、聖堂を見た。いままで資料写真でしか見たことがない(しかも白黒)ものを実際に見
てみると圧倒される。飾り壁は予想以上に大きく、豪華だった。人が結構多くてちょっと騒がしかったけれど…。中庭に建てら
れているユダとイスラエルの王像も間近で見ると大きかった。
外へ出てみるともう曇っていて、すごく寒かった。建物全体が花崗岩や大理石でできているせいもあるかもしれない。話によ
ると夏でも内部は16℃くらいで涼しいそうだ。コルドバ・バルセロナは比較的暖かかったので余計に寒く感じた。
チャマルティン駅に戻ってきたのは15:30頃だった。ホテルを探さなくてはいけない。私達の希望はプラド美術館やソフィア王
妃芸術センターがあるアトーチャ駅周辺のホテルだったが、電話で問い合わせても予約は一杯。どこも取れないからとりあえず
タクシーでアトーチャ駅へ向かうことにした。タクシーの運転手さんにホテルを探しているということを伝えたら、お祭り?が
あるためどのホテルも混雑しているのだろうと言われた。でも彼はホテルをいくつか回ってくれて、結局駅の近くのホテルに入
る事ができた。
夜、スペインに来て初めてパエーリャを食べた。二人分なのに三人でも食べきれないほどの量。それなのに店員はデザートはい
かがとかコーヒーはいかがとか言ってくる。この国の人、明らかに食べ過ぎだって!!
…本当はこの日マドリッドでサッカーの試合があって、行きたかったのだけれど、夜遅いということと、足のこともあってあき
らめてしまった。その分はTV中継で我慢。2部チームの試合も生中継されていてビックリした。
TOPへ
2月14日(日)晴れ
日曜日はプラド美術館が無料ということで早速出かけた。正面にはベラスケスの像。無料ということもあってか、入り口から人
が並んでいる。さすがは世界三大美術館の一つだけある。なかも人でいっぱい。もちろん日本の企画展ほどの混みようではない。
広すぎてどこから見ていいかわからないし、とても一日二日で全て見ることはできないので、友達が見たがっていたゴヤの黒い絵
シリーズだけを見て回った。彼女はゴヤの黒い絵を卒論のテーマにしていたので、一枚一枚詳しく説明してくれて、本当に印象に
残った。
プラドの外では絵を売っていたり、観光客相手の商売が盛んだった。私達も声を掛けられ、「中国人?」と聞かれたので、日本
人だと答えたら、いきなり日本語を使い出して、「ココ(闘牛のポスター)ニアナタノナマエ、イレルヨ、ゴジャクエンダヨ」と言
われた。だから「ゴジェクエン」じゃなくて「ごひゃくえん」だって(笑)。たくさんの日本人が来ているんだなぁ…。
午後はレティーロ公園を散歩しに行った。公園までの道のりは人気がないのに、公園内にはたくさんの人がいた。ただ並の広さ
ではない。全体の半分くらいしか回らなかったけれど、中心部の人が集まっているところでは、大道芸人や占い師、絵描きなどが
集まっていて、みんなが周りを囲んでいる。似顔絵を描いてくれるおじさんも何人かいて、しばらく見ていたけれどとても上手い。
描いてもらおうかとも思ったけれど、元の造りがよくないのでやめておいた。
夜はTVでバルサ−Rマドリーの試合を見るつもりだったけれど、何を間違えたか、見ようとしたらもう試合は終わっていて、
ハイライト番組しかやっていなかった。バルセロナで行われた試合で、3−0でバルサがレアルを圧倒した。この前行ったスタジ
アムでやったかと思うとなんだかワクワクした。スペインのサッカーから受けた印象はイタリアよりも客がおとなしいということ。
イタリアはガツガツ激しい感じがするけれど、スペインはどちらかというときれいな感じ。ちょこっと見ただけだから偶然そうな
だけかもしれないけれど…。
TOPへ
2月15日(月)晴れ
いよいよスペイン旅行も終盤。朝食でチュロスを食べた。日本でも最近あるけれど、細い揚げドーナッツのようなもので、スペ
インではホットチョコレートに付けて食べるのが通例らしい。朝からクドいもの食べるなー。食後はピカソの「ゲルニカ」が所蔵
されているソフィア王妃芸術センターへ。月曜日はこの美術館以外はほとんど休館になっている為、開館前から人が並んでいた。
でも中に入るとあんまり混んでいなかった。展示場は2階から4階までで、かなり広い。ここも全部の絵を見るのは無理だと思っ
たので、まず4階を急いでみて、メインの2階へ。やっぱり人が多い。主に、ダリ・ミロ・ピカソの絵が飾られている。ダリの絵
はもっとわけわからないかなと思っていたけれど、そうでもなかった。ピカソの「ゲルニカ」の前は人が多かったけれど、間近に
見ることができたし、じっくり見ることができた。戦争に対する憎しみというか怒りが伝わってくる作品だった。その他、「ゲル
ニカ」に使われたスケッチなども展示されていた。ここまで見に来てよかったと本当に思った。
午後は一応お土産でも買いましょうということで、デパートへ。お土産と言いつつ、自分ものばかり買ってしまった。そして昨
日のサッカーの結果についての記事も読みたいと思い、マルカというスポーツ紙を買った。さらに、Rマドリーについての雑誌
(アントラーズでいうフリークスのような雑誌)も買ってしまった。これが意外に読み応えがあり、子供たちから選手への質問コー
ナーや、ある選手の一日、文通希望のコーナーなど面白かった。マルカは新聞ということで読むのには難しかったけれど、「昨日
の試合のロベルト・カルロスに対するレッドカードは妥当か?」という記事が見開きで載っていて、奥の深さを感じた。ちなみに
全員が「妥当である」という答えだった。私もそのシーンを見たけれど、後ろからの危険なタックルだったので致し方ないかなと
思った。
他にはチーズやお菓子を買っていった。生ハムはどうしようかと思ったけれど、あまり荷物の余裕がなかったのであきらめた。
とうとうスペイン最後の夜。明日の朝は早い。思えばあっという間だった。足の痛みもだんだん落ち着いてきたし良かった。
TOPへ
2月16日(火)晴れ
朝4時過ぎに起床。大事な時は起きられるもので全く不思議。7時の飛行機に乗る為、5時には空港に着かなくてはいけない。
フロントでタクシーを呼んでもらおうとしたら、外へ出ていって手を挙げてタクシーをつかまえてくれたのでビックリした。そし
て運転手にもビックリ。なんとなく酒臭いし、トランクが空けられないからといって、車椅子を助手席に詰め込んだのだ。さらに
後ろの窓も少し開いていて寒いし、めちゃめちゃスピードを出す。友達がメーターを見たら、120キロは出ていたらしい。あぁ
恐ろしい…。でもとても親切な人だった。
来た時も帰る時も変な時間で閑散とした空港だった。ペセタを使いきらないといけないと思って、売店で買い物を。そうしたら、
私が探していた「ドン・バロン」というサッカー雑誌を見つけたので買ってしまった。その他にもお菓子やらを買ったけど、1000
ペセタ以上余った。帰りの飛行機はビジネスマンらしき男の人でいっぱいだった。
来た時と同じようにオランダで乗り換え。時間があったので、免税店に寄ったけど、オランダはギルダーという通貨だし、だい
たいのメドもわからなかった。帰りも同じように札幌経由で名古屋へ。気流の関係からか、1時間くらい早かった。着いたのは17
日の午前10時。なんか損した気分だった。久しぶりの日本。また現実に帰ってくると思うと嫌な気もしたけれど、それはそれで楽
しいこともいっぱいある。とにかく楽しい旅になって良かった。
スペインを旅行していて一番思ったことは、周りの人が皆親切だということ。押し付け的な親切ではなく、さりげなく優しいの
だ。例えばレストランに入ろうとしてドアを開ける時でも、中にいるお客さんがサッとドアを押さえてくれたり、奥の方の席へ案
内されて、どうやって行こうかと思うと、スッと席を立って通してくれる。そして、こちらが「ありがとう」とか「失礼」とか言
うと笑顔を返してくれる。この笑顔は日本人では真似できないかなぁと思う。そういう意味でスペイン語の「シンパティコ(愛想が
いい)」という単語はいかにもスペイン的というか、スペイン人にしか合わない言葉なのかなと思った。
−FIN−
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。急いで書いた文章なので、読み辛い部分もあったことと思います。
もし誤字脱字がありましたら、この場でお詫びしたいと思います。
ESSAY メインページへ
Mie's Homepage
ご意見・ご感想はこちらまで!!
tmie@sun-inet.or.jp