リストカット、つまり手首を切ること。自殺の手段でもありますが、そうでないものもあります。
リストカットは境界性人格障害と、自己愛性人格障害においてよくみられます。
●境界性人格障害
物事や他人等全ての対象に対して「良い」「悪い」という二つに分けて認知してしまう。
対人関係や情緒が不安定になる。
原因は明確にわかっていないが、アイデンティティの形成が上手くいかなかったときに起こると考えられている。
思春期に多く見られる。
*アイデンティティ
過去から現在までの自分の連続性を持っていること。
形成が上手くいかないと「自分とは一体何者なのか?」という問いに答えられない。
●自己愛性人格障害
愛のエネルギーを他人に適切にまわすことができない。
自己愛そのものは誰もが持っているものだが、それが強力になると他人との関係が上手くいかなくなってしまう。
しかし本人は愛されたいと思っているので情緒が不安定になる。
「理想の自分」を強く持つ傾向がある。
どうして切ってしまうのでしょう?
こうした障害によって出てくるリストカットは「ダメな自分を切り捨てる」「不安を切り捨てる」という意味で用いられることが多いです。
辛い現実から逃避したいという意味もあります。
自分が生きている事を確認できる「自己確認」の手段でもあります。
なぜ切るの?そう聞くと「気分がすっきりするから」と答える人もいます。
リストカットをすることによって精神の安定をはかっているのでしょう。
痛くないのかな?これは疑問ですよね。。
人には痛覚がありますから、もちろん痛いはずです。
リストカットは心の痛みを体の痛みとして感じることなのかもしれません。
「痛くない」「覚えていない」「わからない」と言う人は、リストカットの時、解離状態にあるものと考えられます。
●解離状態
人格が一時的に分裂してしまって、自分が何をしているのかわからない状態。
感覚としては、手足が自分のものでないように感じる、スクリーンを通して外界を見ているように感じる、自分に起こっていることをテレビで見ているように感じる、などがあげられる。
段階がすすむと、記憶が飛ぶ場合もある。
どうすればやめられるのでしょうか。
リストカットには「繰り返す」という依存症に似た部分があります。
依存症はその行為を自力で止められない本人が「苦しくて辛い」と感じ「変わりたい、治したい」と切望して初めて成立します。つまり、「別に一生リストカットしてていーんだ。好きだから♪」って人は、もうすでに「楽しみ」としてやっているので他人が介入する事はできないんですよね。
依存症の完治の目標は元の人格に戻る事(リストカットなら手首を切らないようになること)ではありません。
楽になれればどんな状態でもいいのです。
大切なのは元の人格(依存しない自分)にこだわるのではなく、常に変化を繰り返す現在の自分を受け入れることです。
自分を受け入れるって難しい事だけど、ゆっくりでいいんです。
●有希の場合
有希は長い間リストカットをしてきました。何針も縫うほど深く切り、左手は不自由になりました、切るところがなくなると、足を切っていました。ひどい傷痕が今も残っています。一時は、自分がやった事なのに「こんな体じゃ生きていけない」と思いました。
解離状態もひどく、気付いたらいつも血だらけ。止めたいのに止められない状態にいました。
有希がリストカットを止められたのは、ある人のおかげです。自分を傷つけている私の気持ちを理解したい、とその人は自分自身に傷を付けたのです。
ショックでした。私のせいでその人にも消えない傷を残してしまった。。止めようって思いました。
ネットなどで情報が溢れている最近では、リストカッターが増えているように思います。今まではリストカットをしないでもなんとかやってきた人が「切るのもアリなんだ」とリストカットに手を出すこともあります。
切ってしまうのは仕方が無い。切ってしまう自分を責めないで欲しい。
けれどそれが最良の方法だと思ってしまうのは悲しい。。
体は換えられない。一生付き合っていくものだから、やっぱり、大事にしたいですよね。
『必要じゃない人なんていない。
あなたにしか出来ない事がたくさんあるんだよ。
どんな人でも必ず誰かに愛されるんだ。』
あなたが、あなた自身を大事にしてあげなくちゃ。