「紅き久遠−−暗転」

 

パート2
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リツコは、ミサトと別れてすぐにセイジと合流し、車で青森へ向かった。出張
の名目ではあったが、冬月とミサトの配慮もあり、仕事自体は数時間で終わる
ものに過ぎない。しかし、その「仕事」には4日を費やさないといけないこと
になっていた。つまり、ほとんど4日の休養を与えられたのと同様なのだ。


「出張先へ行く前に、途中でアスカに花を手向けたいんだけど・・・」


ハンドルを握るリツコは、傍らのセイジに話し掛ける。外の風景に目をやって
いたセイジは、リツコに視線を向けると、軽く肯いて言う。


「母さんに? ありがとう、母さんもきっと喜ぶと思うよ」
「アスカには、まだちゃんと報告していなかったものね、私たちのこと」
「そうだね・・・」
「それに、私自身が、アスカに会いたいのよ。・・・この道の先よね?」
「・・・うん」


しばらく山道に揺られながら、ようやくシンジたちが暮らした小屋に着いた頃
には、雲行きがかなり怪しくなっており、一雨きそうな気配であった。

以前は炭火職人の作業小屋だったものをシンジが見つけ、住まい用に改修した
ものの、その無骨さは人家と呼ぶには抵抗があるようなものだった。しかし、
それだからこそ、温かみが感じられ、周りの風景に無理なく溶け込んでおり、
セイジにとっては、今も大切な場所であった。


「ここで暮らしていたのね? あなたもシンジくんも・・・アスカも・・・」
「汚いとこでしょう?・・・でも楽しいことも結構あって・・・あっ!」


扉を開けたセイジの口から叫びが漏れる。


「ど、どうしたの?」


リツコも扉から中を覗く。そこは荒れ果てていた。いや・・・荒らされ尽くさ
れていた。セイジもシンジも、生活の場を既に第三新東京市に移しているから、
大事なものは、あらかた運び出しており、実害が在るわけでは無い。が、気持
ちの良いものではなかった。セイジは自分の記憶が汚されたような気になった。

こういう時はリツコの方が立ち直りが早い。くぐって来た修羅場の数が違う。
セイジを慰めつつも、彼女は状況の観察に余念がない。浮浪者とかハイキング
に来た人が荒らした類のものではない。何か目的のものを探したような。はっ
きりはしないが、この徹底さは、プロの手口に見える。

何? 何を探したの? 一体、誰が? しばらく考えていたが、一つ嫌な考え
がリツコに浮かんで来た。ううん、いくらなんでも、そんなこと・・・。でも
・・・でも・・・。


「セイジ・・・。アスカのお墓は・・・?」
「え・・・・、あぁ、この上の見晴らしが効く場所に・・・。そうでうすね、
せっかく花を持って来たんだし・・・母さんに会わなくちゃ・・・」
「セイジ。あのね、黙って言うこと聞いて。あなたには此処にいて欲しいの」
「え? 何故ですか?」
「・・・・」


セイジの顔に理解の色が浮かんだ。思い至りたくもない考えだった。


「まさか・・・」


セイジはアスカの眠る場所へと走り出す。リツコはもう、彼を止めない。一生
懸命、セイジの後を付いて走っていく。ピンヒールの靴なんか履いてくるんじ
ゃなかった、と後悔する。暗く立ち込めた空から雨の滴が落ちはじめていた。


「!」


見晴らしの良い、ちょっとした野原に、アスカの墓所があった。シンジが渾身
の気持ちを込めて作った墓標。天気の良い日は、遠く海まで視界が効く筈の、
アスカが眠るにふさわしい場所。安らかに眠り続けた筈の・・・・場所。


「・・・・なんてひどいことを・・・っ!」


リツコは絶句した。怒りが彼女の眉を吊り上げ、哀しさと痛ましさが瞳から涙
を流させた。雨に濡れながら、感情の置き所がない彼女は天を睨み付けて、た
だ立ち尽くしていた。


その場所は、完膚なきまでに、其処らじゅうを掘り起こされ、見るも無残な姿
を曝していた。シンジの作った墓標も粉々になって散らばっている。そう・・
碇アスカ・ラングレーの眠る神聖だった場所は・・・何者かによって、冒涜さ
れ、荒らされていた・・・。



* * * * * * * * *



シンジが青葉シゲルと共に、第二新東京市内にある戦自の特設病院に駆けつけ
た時、トウジそしてヒカリの姉と妹は廊下でやつれた表情で、意気消沈してい
た。

電話を受けたあと、シンジは冬月の力を借り、戦自の緊急病棟を確保した。本
来ならネルフ管轄下へ運びたいところだが、とにかく時間が勝負なこと、ヒカ
リが距離のある搬送には耐えられない重症であること等から、政治家が入る予
定だった集中治療室を強制的に排除して、第二東京市で最高とされる此処への
搬送となったのだ。


「トウジ!」
「シンジ兄ちゃん!」


シンジの叫びに応えたのはトウジではなく、ヒカリの妹のノゾミであった。シ
ンジに走り寄ると声をあげて泣き始める。今まで感情をぶつけられる相手が居
なかったのだろう。


「コダマさん! 委員長は?」
「・・・今、緊急治療室で。まだ、分からないの! 死んじゃうかもしれない
の! 左胸を刺されて、心停止の状態だって・・・。私、私・・・」


そこでコダマは貧血を起こしたらしく、崩れ折れる。それをシゲルが抱き留め
た。廊下の長椅子に、そっと横たえてやる。いつもの明るいコダマの姿は見る
影も無い。ずっと心が張り詰めていたのだろう。しかし、コダマは気丈にも、
自分を支えてくれるシゲルに少し微笑みすらして「ありがとうございます」と
消え入るように、口を動かした。

シゲルの心に、言いようのない怒りが込み上げてくる。なんだってこんな可愛
い娘が悲しむ事をするような奴がいるんだ! 普段、激昂することがない彼に
しても、これはアドレナリンを沸騰させ得る出来事であった。医者に話は聞け
ないでいるが、非常に難しい手術になっているようだ。

左胸を刺された? 何故? 普通なら即死で絶望的であろう。廊下を行ったり
来たりしているシンジは、知らず知らずの内に、アスカに祈っていた。

アスカ、アスカ・・委員長を護ってあげてよ! まだ彼女が逝くのは早い。余
りにも早すぎるよ! そんなことはさせない、絶対に。何よりも僕が、許しは
しない。その想いが強くシンジの心の底に根づいた。

気が付くとシゲルが、シンジを手招きしている。


「何ですか?」
「うん・・・。これ、見てくれないか?」


控え室に入った2人は、ヒカリの所持品が置かれているサイド・ボードの前に
立つ。いずれ警察機関に提出しなくてはならないものだ。カバンは泥だらけで、
制服は朱に染まり、上半身がひどく破れている。見ていられない程、痛々しい。
その中でシゲルが指し示したのは、一本の紐であった。赤いリリアンを数本束
ねて三つ編みにした細いものだ。


「これは・・・?」
「多分、お守りか何かが付いてたんじゃないかと思うんだ。でも、そこに付い
ていた筈のモノは、ここには無い・・・」
「それって・・・。そのお守りだかアクセサリーだかを、この騒ぎの中で落と
したってこと、ですか?」
「違うな。勿論、断言できないけど、制服の下で、こうして大切にして肌身離
さず、身に付けてたモノが、この状況下であっても無くなることは、不自然
な気がするよ・・・かなりな」
「・・・・そうですね」
「残酷な言い方になるけど・・・トウジ君の話を聞けば、有無を言わさずに胸
を一突きだったらしい。それなら何故、制服が破れてるんだ?」
「・・・・やはり、その何かを奪うことが目的だったってこと? そして、そ
れが何かを他人に告げられては困るから・・・こんな・・・」


シゲルは黙って肯く。目的が何かは判らない。ただ通り魔的な犯行とは違うよ
うだ。シンジは明確に敵の存在を認識した。みんなが危ないかもしれない。こ
れは、シンジにして初めて、何か自分がしなくちゃいけない、と思わせる事態
であった。

何か、僕に出来る何かを。二度とあんな事はごめんだ。シンジの心に積極的な
行動へと駆り立てる「何か」が生まれた瞬間であった。


数時間が経過し、魂の抜けたようなトウジも幾分、落ち着きを取り戻したもの
の、ヒカリの延命措置は、まだ続いていた。長い。長くかかり過ぎている。ジ
リジリしながらも、手の下しようがないシンジにとって、過去に決別した筈の
無力感を思い出させるには充分な時間であった。その時、シンジの携帯が鳴り
響いた。そこにいた皆がビクっとする。


「はい、碇・・・。ミサトさん!」


電話はミサトからだった。ミサトも今のシンジの状況を既に知っている筈だっ
た。余程、緊急の事態でない限り、この場へ連絡してくることは無い。そのミ
サトが向こうから連絡を入れてきたのだ。不安感が再び大きく膨らむ。


「シンちゃん! すぐにジオ・フロントのネルフ病院へ来て! セイジくんが
大変なのよっ!」
「セイジがっ!?」


慌ててシゲルを見る。彼はこっちは任せろ、というように肯いてみせた。シン
ジは続いてトウジを見る。トウジも軽く肯く。すまない気持ちで一杯になりな
がらも、自分の息子に対する焦燥感も耐え難い程にシンジを苛む。


「シンジさん、ここは大丈夫だから・・・。行ってあげて!」


そのコダマの声に、やっと肯き、コダマとノゾミを強く抱きしめてから、戦自
病院を後にした。覚えたての運転で車を飛ばし、ジオ・フロントへ急ぐ。着い
た時、シンジは体中から発汗しており、まさに鬼のような形相になっていた。


「ミサトさん!」
「あ、シンちゃん!」
「な、何があったんですか!」
「セイジくん、昏睡しちゃってるの。撃たれてて、かなり出血しているわ。無
理して此処まで運転してきたのね・・・」
「撃たれた? 誰に? 何の危険もない旅行だった筈だよ!」


相手は分からない。小屋での惨状を見た直後、十人ほどの何者かが襲ってきた
とのことだ。プロのような俊敏な動きに二人は、全くと言っていいほど、太刀
打ち出来なかったようだ。それでも何とか逃げ、セイジはそれを伝えるために、
ここまで全力で戻ってきたのであった。それを入り口の警備員に伝えた途端に
昏倒したらしい。


「アスカの墓が、荒らされてる?」


シンジは呆然とした。愛する妻が冒涜され、息子が瀕死の重傷、ヒカリが意識
不明・・・。一体、何が起こっているのか。そしてシンジは、もう一つ大切な
ことに気が付いた。


「リツコさん・・・・は?」


ミサトは答えない。窓の外に顔を背けて、シンジの方を向こうともしない。ミ
サトは肩を震わせて、忍び泣いていた。シンジはミサトの肩を抱くと自分の方
に引き寄せ、しっかりと抱いてやる。絞り出すような声でミサトは言葉を吐く。


「撃たれて、拉致されたみたいなの・・・。無事なのか、どうかは判らない」


ついさっきだ、リツコと手を振り合ったのは。ほんの、ついさっきだった。ま
だ今朝の話なのに、たった半日前のことなのに、それなのに、今、無事かどう
かも判らなければ、行方すら判らないなんて。あの時の、別れがたい感覚は、
これを暗示していたの? だとしたら、リツコは、もう・・・。


「ミサトさん、しっかりしなきゃダメだ。指令所へ行こう。早くリツコさんの
捜索の指揮を取らなくちゃ・・・。こういうことは一分、一秒でも早く動い
た方がいい!」


ミサトは悲しさに負けそうになりながらも、シンジの強さに目を見張った。や
はり、彼は碇司令の息子なのかもしれない。的確な判断だ。情感に流されるだ
けでなく、冷徹さを持っている。しかしその冷徹さは、決して冷たいだけのも
のでは無い。感情を無理矢理押え込んでいるのが判る。その上で、尚、歯を食
いしばって、理性で行動出来る強靭さなのだ。そう、言ってみれば、あったか
さの在る力強さだった。


「解った・・・。行くわ」
「僕も行くよ。・・・ここでは待つだけしか出来ないから」
「ホント? 頼りにしちゃうわよ? ううん、側にいてくれるだけでも、私は
いつもの私でいられる。・・・私が、普段の私でいることが、一番早くリツ
コを見つけられるってことよね?」
「そうだよ。辛くても、此処は泣いてるような時じゃない。一緒に行くよ・・」
「うん・・・ありがと」


ミサトは衝動的にシンジにキスをしてから、そのまま指令所へ走り出した。シ
ンジも遅滞なく後に続く。



* * * * * * * * *



セイジは昏睡下にあった。それでも潜在意識の中では、苦渋に満ちた決断をせ
ざる得なかった数刻前を、何度も何度も繰り返し、思い返していた。

母の墓所でしばらく呆然としていた。気が付いたのは、リツコが自分の手を引
いて、かなり急いで車へ戻ろうと斜面を小走りに駆け下りている時であった。


「セイジ。辛いのはよく判るけど、すぐに本部へ戻らなきゃ。何かが・・・ま
ずい何かが起こってる」
「・・・・そうだね」
「明らかに、敵。・・・敵と言っていいわね。敵はアスカの・・・」



彼女がそこまで口にしたとき、突然、一つの銃声が轟いた。そして−−−。


「!」


そして、セイジは、ゆっくり崩れ折れるリツコの姿を理解出来ないまま、その
瞳に映った光景を眺めていた。リツコの手にしたユリの花が静かに宙に散った。


「リ、リツコさん!」


セイジは倒れたリツコを護るように、覆い被さって周りに鋭く視線を飛ばす。
シンジたちと自然の中で生きてきたセイジにとって、生物の気配を感じ取るこ
とは、さして難しくない。いや、その筈だった。しかし、その時、彼には敵の
気配を察知することが全く出来なかった。


「リツコさん、しっかり!」


セイジは急いで止血作業に入る。撃たれた場所は、脇腹のようだ。不味い。銃
弾が抜けていなければ、一番厄介といってもいい場所である。くそっ、ここじ
ゃ大した応急処置が出来ない。彼が焦燥感に身を置いたその時。リツコが彼を
押し出すように手を動かした。


「セイジ・・・。早く、車へ。・・・あなた一人でも、車へ走りなさいっ!」
「そ・・・そんなこと出来るもんかっ!」


リツコは痛みに顔をしかめながらも、セイジにしっかりと視線を当て、諭すよ
うにしゃべる。こんな時なのに、セイジは、リツコに凛とした気高い美しさを
感じた。


「よく聞いてセイジ。このことはとにかく、ネルフに伝えなきゃダメ。例え、
私たちが別れることになっても、絶対に伝えなきゃならない。でないと、み
んなが危険になるのよ。・・・もしかしたら、今だって・・・もう手後れか
もしれない・・・」
「でも・・・嫌だ。リツコさんも一緒にっ!」
「時間が無い・・・わ。私は・・・大丈夫よ。それに、周りを囲まれる前に、
行く必要があるのよ・・・」
「!」


気が付くと、多くの敵の気配が周りを囲みつつあった。こんなに近づくまで自
分が察知できないとは。敵はプロなのだ。危険、とリツコが判断したのは正し
い。このままだと二人とも捕らえられるか、殺されるかのどちらかだ。投降す
るか? しかし、それでは、本部のみんなが・・・。


「セイジ、まだあなた一人なら逃げられるわね?」


此処はセイジの生まれ育った場所だ。自分の庭なのだ。多少困難だが、車まで
たどりつくことは出来るだろう。・・・そう一人で、なら。


「ミサトに伝えて。今朝、話した対応を取るようにって。解ったわね?」
「・・・・・」
「あなたは、私が惚れた男なのよ。こんな明快な選択が出来ないようじゃ、離
婚を考えなきゃ・・・いけなくなる・・・わ」


そう言いリツコは、青ざめながらも微笑んだ。セイジは顔を歪めると、リツコ
を一回ぎゅっと抱擁し、立ち上がる。リツコの想いを継がなくてはならない。
そして、その想いを継ぐのは他の誰でもない・・・自分じゃなきゃいけないの
だ。


「絶対に、助けにくる・・・!」
「うん。・・・判ってる。・・・・愛してるわ」
「・・・・僕もだよ。・・・じゃ、行くよ」


セイジが走り、裏の草の生い茂った斜面へ飛び込んで行くのを、涙に曇る目の
端に捕らえながら、リツコは雨滴に打たれていた。彼の姿が消え暫くしてから、
何発もの銃声が続いて聞こえてくる。銃声が聞こえてくる限りは、セイジが倒
れてないってことね、と満足気に肯くと、ミサトと別れた今朝の言うに言われ
ぬ感情を思い出していた。そして・・・意識が混濁していく中で、ミサトと共
に、ずっと彼女の心に住んで彼女を支え続けてきた、一人の女性の優しい微笑
みが頭をよぎる。

マヤ・・・、と呟いた時、リツコの意識は暗黒に飲み込まれていった。




****************************<< 暗転(了) >>*************************

 

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