「紅き久遠−−−新世紀」

パート2

                               想音斗

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マヤは冬月の傷の手当てを続けつつ、少し心を痛めながら口を開く。現在、戦
闘は小康状態であった。戦場には似つかわしくない静寂が辺りを包んでいる。


「好きな人をって、それは、さっき言われたマリさんって方のことですか?」
「・・・・」
「司令?」
「・・・以前、君にスニーカーをあげた事があったが・・・」
「はいっ。・・・すごく嬉しかったです。きゅって、歩く度に音がして・・・」


「・・・私には、かつて娘がいてね・・・」
「!」
「まだ1980年代前半の頃、サヤという娘と恋をしてね。同棲していたんだ」
「司令が・・・あの・・・同棲、ですか?」
「意外かね? あの頃は、そういう事を世間が認め始めた時代・・・というよ
り、フリー・セックスがマスコミをはじめとして容認されるようになり、若
者もそれを常識と捉え始めていた時代だった。バブル景気に向けて日本全体
が、異常に浮かれだして加速を始めた頃の話だよ・・・」



冬月は遠い目をして語り始める。

先ほど見たユイくんとの会話の記憶が、呼び水になっているのだろう。ユイく
んの中に別の女性を追い求め、伊吹くんの中に娘を見ている自分が、非常に滑
稽に思えてくる。しかし、それが私なのだ。今更、変わる訳にもいかぬ。それ
だけ過去の想いに引きづられているという事か・・・。人とは本当に何とも不
器用な生きモノだな・・・。

私が、碇に組し、補完計画を目指したのは・・・良かれ悪しかれ過去に捕らわ
れてしまうような人間を、更なる高みに導くためだった・・・。いや、ちがう
か。過去に引きずられ、過去を乗り越えることの出来ぬ自分に・・・過去と正
面から向き合うことも出来ぬ自分に失望していたから、というのが真実なのだ
ろうか・・・。何とも呆れた男であるな、冬月よ・・・。

自嘲気味に苦笑しながらも、これから先の事を思う。私が過去を振り切るとす
るなら、今しかあるまい。ここが私としても正念場だな。シンジくんや葛城く
ん、それに伊吹くんたちが頑張っているのだから、精々、老骨に鞭打って、や
るしかあるまいよ。そうだろう? なぁ、サヤ・・・?



「その内、子供が出来た。まだ私は大学の講師に過ぎず、結婚するのは躊躇わ
れた・・・。今からすれば何とも馬鹿げたことなんだが・・・助教授になっ
てから、と思っていたんだ。それを彼女も望んでいたように思えてね」
「それは・・・違うんじゃ?」
「そうだ。今なら分かるよ。彼女は私を煩わせたくなかっただけで、彼女の本
心ではなかったのだな。いずれにせよ私には過ぎた相手だった・・・」


マヤには冬月の言葉に、若干の悔恨の情が滲むのが判った。でも、悲しんでは
いけない。司令は自分に何かを伝えようとしている・・・そう感じられた。


「・・・そして娘さんがお生まれになったんですね・・・」
「そうだ。マリと名づけた。籍だけは入れたのだが、皆に喧伝することはしな
かった。学閥というのは妙に古めかしくてな・・・、助教授に上がれるか否
かという時期は、私生活まで結構、審査されるものなんだ。だから隠した」
「そんな・・・」
「マリが歩き回るようになり、片言のセリフを喋り始める頃、私は形而生物学
の助教授になり、そして意外に早く教授になった。家族を隠す必要もなくな
り・・・その時の私は幸福だったよ、この上なく。しかし・・・」
「しかし?」
「祝いを兼ね、それまで苦労かけた事を詫びる意味も含め、初めて三人で街へ
出かけた・・・。そう、三人で外出したのは、あれが初めてだった・・・」


あれは雨の降る日だった。雨模様だったにも拘わらず、四条通り界隈は多くの
人で溢れていた。ペンギン模様の傘と黄色い長靴がお気に入りだったマリは、
雨の中でも賑やかな街に、えらくはしゃいでいた。それをサヤと二人で好まし
く眺めていたのだが、その内、靴屋の前でマリがピタリと歩みを止めた。


「また、だわ・・・」
「何だい?」
「あそこに飾られてるピンクの運動靴が欲しいらしくて・・・。前もあそこ通
った時に、引き離すのに苦労したの」
「・・・フーン・・・どれどれ」


マリの頭越しにウィンドウを覗き込む。そこにはアニメ柄のピンクの運動靴が
あった。ミンキーモモとかいったアニメだったか・・・。歩くと音が出る類の
子供靴だ。


「なんだマリ? ・・・マリはあれが欲しいのかい?」


マリは上背の高い冬月を、精一杯見上げて、雨の滴に顔を濡らしながらも、輝
かんばかりの微笑みで、顔をくしゃくしゃにして勢い良く肯くと、冬月の膝に
しがみついてきた。そのマリを抱き上げ、店の中に入る。買い上げる前、少し
店内で履かせてもらい、一足ごとにキュッキュッ鳴る音に嬌声を上げて、はし
ゃぐマリを眺め、何故もっと早く、こういう生活をしなかったのか・・・自分
を恥じる冬月であった。

再び長靴に履き替え、ピンクの靴が入った袋を握り締めたマリは、前にも増し
て活き活きと元気一杯に雨と戯れながら、二人の周りを行ったり来たり、嬉々
として歩いていた。サヤもそれは幸せそうに、マリを眺め、冬月に腕を絡め、
静かに歩みを進めていたのだ。永遠に続けばいい、と心から願った日常の中の
幸福だった。

そして、あの交差点に差し掛かった。その時、冬月は少し手前の販売機で煙草
を買っており、信号を待つ二人の方へ雨でスリップした車が突っ込んだ瞬間を
直に見ることはなかった。鋭いブレーキの音と、信号機などにぶつかる衝突音
に、それまでの微笑みを氷つかせたまま、呆然と交差点を振り返ったに過ぎな
い。

犠牲者6人を出す惨事であった。マリが履く筈だったピンクの運動靴の片方が、
無情にも冬月の目の前に転がっていた。その靴の映像が深く彼の心に刻まれ、
決して忘れられぬ辛さが、胸に住み着いた瞬間である。以後、彼は煙草を口に
していない。


「じゃあ・・・あの、お二人とも・・・・」


静かに肯く冬月を前に、既に涙で頬を濡らしていたマヤは、鳴咽を抑えられな
かった。しかし、思いの他、冬月は晴れやかな表情をしている。


「こうして話をしてからでは何だが・・・気にしないで、くれないか」
「でもっ・・・」
「この事を話したのは君が最初だ。碇にすら話してはおらん・・・。私がこれ
からを生きるためには・・・話す相手が必要だっただけの事だ・・・。すま
んな、老人の戯言に付き合わせてしまって」
「いいえ・・・そんなこと。幾らだってお付き合いします、これからだってっ」
「ありがとう・・・。さ、君は赤木くんを。私はうまく足が動かんから、此処
で相手の足止めに徹することにしよう。メンバーを一人だけ貸してくれ給え」


そう、泣いてなんか居られない。先輩を助けなくてはならない・・・マヤは意
識を強引に引き戻した。


「・・・・判りました。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「フム・・・。幸運をな」
「はい、司令も。・・・後で必ず迎えに来ますから・・・」
「よろしく頼むよ」
「あの・・・司令?」
「なんだね」
「あの・・・私、マリさんに?」
「あぁ・・・よく似ているよ・・・。そのまっすぐに見つめる黒い瞳がね・・
・・・。だから、思わずあんな物を・・・」


マヤは、壁に寄りかかった冬月に優しく抱き付くと、微笑みながら言う。


「光栄です。マリさんと重ねていただいたなら、尚のこと。マリさんの分まで
私、頑張らなくっちゃ・・・。それに私、あのスニーカー、大好きですものっ。
今のお話聞いて、益々、お気に入りになっちゃいました」
「そう言ってくれて・・・感謝するよ。ありがとう・・・」
「それじゃ司令、私、行きます・・・そして司令の許へ帰って来ます」


冬月はそれを見送り、やっと自分の過去にケリを付けられたことを実感してい
た。その過程の中で、マヤを敵の銃弾から救うことも出来た訳だ。残った保安
部員一名と共に、敵の進行を止めながら、冬月は自然と微笑む自分を、或る意
味では誇りを持って眺めていた。


「どうだね、葛城くん・・・。私もそれなりに役に立っっているだろう?」


マリが生きていれば、同世代となっていたであろうミサトの顔と、マヤが救い
に行ったリツコの顔を、思い起こしながら、冬月は一人嘯いてみせた。



* * * * * * * * * * * * * *



「葛城さん! 無人部隊、完全に沈黙。もう手駒がありません!」
「まずいわね、これじゃ、JAがエヴァを撃てない・・・」


苦渋の表情のミサト。JAの配置が少し遅れているものの、整うまで後わずか
という所まで来ている。うまくJAがS2機関を撃ち抜き、内部電源のみの活
動時間を限定させ、その数分間を耐えられれば、こちらに勝機が生まれる。

狙撃のためには、エヴァを静止させる必要がある。ほんの数秒でいいのだけど
・・・。ミサトは歯ぎしりするものの、手が見つからない。

エヴァが芦ノ湖に達するまで、何の手も打てないまま、時がいたずらに過ぎて
いく。ここで止めないと射撃ポイントから外れてしまう。駄目か・・・。ミサ
トが覚悟を決めた時、日向が大声で叫んだ。


「シ、シンジくんがっ!!」
「え?」


ミサトは日向を凝視する。そして司令席を仰ぎ見て、まだシンジが戻っていな
いことに初めて気づいた。不安が、急速に胸一杯に暗雲のように広がる。


「葛城さん! エヴァの前方200メートルに、シンジくんの姿、確認!」
「な・・・っ」


モニターの解像度を上げさせる。拡大され、少し歪みの生じた画面に4階建て
の小ビルの屋上が映し出される。同時に紛れも無いシンジの姿が捉えられた。


「シンちゃんっっ! どうしてっ!」


ミサトはパニックになった。今までの冷静さを完全に失っていた。予想外の出
来事に、そのまま床に腰を下ろしてしまう。なんてことなのっ。どうしてっ。
どうしてよっ! シンちゃんを止めなきゃ。とにかく止めなきゃ。シンジ、シ
ンジ・・・! でも、どうやって? どうやったら? シンちゃん・・・。


「葛城さん! しっかりして下さい!」


ユミがミサトの肩を抱えるようにして支えていた。ミサトの瞳は焦点を失いつ
つある。ユミには、まだケンスケのように頬を張る勇気は無かった。しかし、
その代わりに自分の携帯を取り出して、ミサトに押し付けるように渡す。


「あの、シンジさん、携帯お持ちでしたよね? それで連絡取れませんか?」
「・・・連絡? ・・・携帯!」
「ええ、私たち此処に呼ばれた時・・・携帯で話しましたから・・・」
「!! ・・・そうだったわね、ありがとう!」
「いいえ。さ、早く・・・」


ミサトは、また立ち上がるとモニターをキッと見据えながら、シンジの携帯に
回線を繋げる。モニターの中のシンジが鳴り出した音に気付き、携帯をポケッ
トから取り出すのが見えた。


「シンちゃん!」
「・・・ミサトさん・・・」
「このバカっ! 早く戻りなさいっ!」
「・・・今は・・帰れない・・・」
「どうしてっ! そんな・・・そんな無茶しないでよぉっ!」
「・・・ミサトさん、僕にはやらなくちゃいけないことがあるんだ・・・」
「何? それは何よ? 私を置いて行ってしまうようなことなのっっ?」
「違う・・・そんなこと望んじゃいないっ。でも、アスカに会わなきゃいけな
いんだ!!」


ミサトは涙でグシャグシャになった顔を拭おうともせず、説得を続ける。


「シンちゃん! お願い! 戻って!」
「・・・・」
「あのアスカは、私たちの知るアスカじゃないのよっ!! 会ったところで何と
かなるものでも無いでしょう!」
「ミサトさん、それは違うよ。そうじゃないんだ。あれは、アスカなんだよ」
「あんた、何寝ぼけてんの! あのアスカはゼーレがっ!!」
「あのアスカは、確かにゼーレが造ったのかもしれない。でも・・・その素は
アスカなんだ。僕が知っているアスカの一部から、生まれたんだ。紛れも無
い僕の知っているアスカなんだよっ!」
「シンちゃん・・・」
「ごめんよ、ミサトさん」


そこで通話は、シンジの方から切られてしまった。ミサトは力無く、肩を落す。
しかし、ミサトに落胆する暇を与えずに、日向が叫び声を上げる。


「ATフィールドの発生を確認! エヴァ、前方に対し攻撃を仕掛けますっ」


モニターがひときわ明るく発光する。エヴァがATフィールドを円盤を投げる
如くに前方に放った瞬間、ミサトは手で顔を覆いながら、思わず目を瞑った。

もう、ダメっ・・・。血の気が一気に引き、貧血を起こしたように頭が真っ白
になる。また・・・また、独りになってしまった。これも過去、子供たちを戦
闘に駆り立てた報いなのか・・・。セカンド・インパクトで味わった自閉の壁
が、再び彼女を覆おうとした時、ユミの驚愕した声がミサトの意識を繋ぎ留め
る。


「一部ATフィールドが消失していますっ。シンジさんの方角です!」
「・・・・これは・・・葛城さん! シンジくんは無事ですよっ!」
「・・・!」



* * * * * * * * * * * * * *



マヤは、まだ迷路のような通路に戸惑っていた。思うように手早く、リツコを
探すことができない。思っていた以上に地下は広かった。軽く野球場くらいの
面積を有するのだろう。それが賽の目のようになっているのだから、当然と言
えば当然の帰結であり、迷わない方がおかしいのだが、マヤには、そんな余裕
は無くなっていた。リツコの無事を祈るのは当然として、冬月の怪我も、ネル
フ本部のことも気になってしょうがない。とにかく時間との勝負なのだ。


「・・・ここも違う? もう・・・なんて所なの!」


マヤが感情を爆発させかけた時、フッと彼女の目の端を、蒼い風がよぎった。
慌てて視線を向ける。・・・と、そこに廊下の角を、音も無く曲がって行く少
女の後ろ姿を見た気がした。青い髪の残像だけが、マヤの漆黒の瞳に焼き付く。


「まさか・・・レイ・・ちゃ・・ん?」


咄嗟に、その姿を追いかけて角まで走る。角を曲がると、その先の分岐点を、
左に曲がる蒼い後ろ姿を、再び見た。追いつこうと、何も考えずにただ走るマ
ヤの進行スピードは一気に上がった。それまでの遅々としたモノとは一変した
マヤの行動に、他のメンバーは怪訝な面持ちで不思議に思いながらも、その後
に続く。かなり急いでいるつもりなのに、追いつけない。見るのは彼女の青い
後ろ髪だけ。

この時のマヤは、蒼い影−−−レイを、道標に走り続けているだけだった。敵
に出会わないことや、全力で走っているのに息が切れないことの不思議さには、
全く気づいていない。


「!」


その角を先頭で曲がったマヤは、やっとこちらを振り向いたレイの姿を捉えた。
マヤの知るレイそのままの、可憐な少女の姿。レイは、一つの扉の前に佇むと
マヤに軽く肯いてみせてから、手を上げてその部屋を指さした。微笑みながら
の、その優雅な動作に、マヤは一瞬、全てを忘れ、陶然とレイに見入ってしま
った。


「伊吹二尉・・・! どうかしましたか?」


追いついてきたメンバーの一人が声をかける。マヤがハッと我を取り戻した時、
既にレイの姿は掻き消えていた。が、彼女は幻を見たとは思わなかった。すぐ
にレイが指示した扉の前に行く。


「電子錠・・・! ここよっ!」
「爆破しましょうか?」
「だめっ! 先輩が部屋の中の何処にいるか判らないから、小規模であっても
爆発させたりしないで下さい」
「判りました。しかし、こいつは厄介な代物ですよ。暗号の解除が・・・」
「・・・大丈夫です。・・・それは、私がやりますっ!」


保安部の面々は、その時、やっとマヤが背負っていたバックパックの中身を知
った。彼女愛用の携帯端末と様々な接続用コードが出てきたのである。扉の脇
にある電子錠のパネルを抉じ開けると、テキパキと埋め込まれたコードと数字
パネルおよびシールの張り付いた愛機の接続を行い、簡単なハッキング・プロ
グラムと、暗号解析のオート・プログラムを打ち込み始めた。

爆破を申し出たメンバーは目を見張る。ピアノを弾くが如く、滑らかに、しか
しスゴイ早さで液晶画面が文字で埋まって行くのである。MAGIとリツコ相
手に仕事をしてきた彼女にとって、そんなに難しいプログラム作業では無かっ
たのだが、保安部員たちにしてみれば、それは魔法の指に他ならなかった。彼
は決めた。この事件が終わったら、この電子錠の開錠プログラムを保安部にも
提供してもらうことを。


「開いたわっ!」
「お見事です、二尉・・・!」
「じゃ、ここ、見張っていて下さい。あと簡易タンカの準備を!」
「はいっ。了解しました!」


マヤは扉が開くのも、もどかしく半開きの隙間に身体を押し込むようにして、
部屋の中に転がり込んだ。顔を上げたその先に、横たわったリツコを見つける。


「先輩っっっ!」


素早く起き上がると、リツコの寝かされている、ベットとは言い難い寝台へ走
り寄る。リツコは腹部に怪我を負っていたが、まともに治療されていないのは
一目瞭然だった。左手に点滴が打たれており、殺す気は無かったようだが、あ
まりの仕打ちにマヤの目頭が熱くなる。しかし、頬が少しこけているものの、
リツコの規則正しい呼吸音が聞こえ、胸をなで下ろしたのだった。


(続く)
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想音斗さんへの感想は
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