本HP製作者、井上祐宏、自らを語る!!
注目すべき人々との出会い
出会いについて。
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憎しみについて。
エネルギーについて。
聴くことについて。
語ることについて。
理解を分かち合いたい
1997年7月2日(水)記
私は、東京の北青山で生まれたそうです。
両親は私が二歳の頃離婚し、私は父に育てられました。
しかし父と母が離婚したことをハッキリと聞いたのは、確か小学校六年生の頃だったではないでしょうか。
それまでは、僕の母は病で長く病院にいると聞かされて育ちました。
物心がついた三歳の誕生日を迎えた頃には、僕は既に目黒区碑文谷にある伯父の家に、父と二人で居候をしていました。
そこには、伯父夫婦と六歳になるその長男、父の母、それに居候の南さんという人が住んでいました。
四歳頃父は再婚し、練馬に小さな家を買った父と僕と継母の三人の生活がいきなり始まりました。しかし父と継母はうまくいかず、一年と少しで二人は離婚し、また僕は父と二人で碑文谷の伯父の家に住んだのです。
小学校二年の時、父と碑文谷の義理の伯母との仲がうまくいかず、大岡山のアパートに引っ越した父と僕は、そこに中学に入るまでは住んでいたと思います。
小学校の頃の僕は超腕白でいたずらっ子だったようです。
三年生になって、それまで苦労をかけた女の先生は担任が変わり、男の三谷先生が担任となりました。
彼は毎日僕を殴りました。毎日僕は泣きました。しかし恨む気持ちは起きませんでした。だって自分が悪いことをしているのですから。
先生が勝手に解釈して理不尽に怒られたのは確か二回だけだったように記憶しています。
僕は、漫画大好き少年でした。
毎日立ち読みをし、一日で「巨人の星」を16巻読破したこともありました。
存在の不条理について最初に考えさせられたのも「赤の他人」という手塚治虫の短編がキッカケだったかも知れません。
確か小学校二年生の頃、岩波新書の「中国の思想」を読み、その中で荘子が唱えている「彼是論」に感銘した記憶があります。
荘子は「彼は是があるから存在し、是も彼があるから存在している。つまり一切の存在物は相対的であり、本質は無である」と説いていました。
「おお、これは真実だ」となぜか子供心に思ったものです。
三谷先生の厳しくも愛情深い指導のおかげなのでしょう。だんだんと、僕はまともになっていったようです。
小学校五年生のある日、いつものように近くの本屋で立ち読みをしていた時、
突然僕の脳裏にこんな想いがやってきました。
「このままでは俺は駄目になる」
そしてその日から「社会自由自在」という参考書を買って、毎日二時間社会科の勉強だけはするようになりました。
そして自分から「塾に行きたい」と父に頼み、中学も受験しました。
中学受験は失敗しましたが、子供ながらも「小学校時代のイメージの自分を捨てて、もう一度やり直したい」と思った僕は、わざわざ大岡山小学校の卒業生がほとんどいかない別の区立中学に進学しました。
僕の少年時代に精神的に多大な影響を与えた人物に、義理の従兄の「S君」がいました。
彼は僕より六歳年上で、哲学の好きな好人物でした。
彼の言っていることが分からなかった僕は、悔しくて中学の頃から難しい本を好んで読むようになりました。
エンゲルスの「空想から科学へ」の解説本で社会主義に感化され、立花隆の「中核対革マル」では絶対に誤爆でテロられて死にたくないと思い、「日本共産党の研究」やソウルジェニーツィンの「収容所群島」にも参りました。
高校は早稲田大学の付属高校に進み、やがて精神分析へと興味は移って行きました。フロイトを読もうとしたけれど、難しすぎて良く分からず、岸田秀の「ものぐさ精神分析」にはかなり影響されました。
彼の説く「史的唯幻論」にはかなり説得力がありました。
岸田氏はこう説きます。
「人間は生物学的に他の動物と較べて極端に未発達の状態で生まれてくる。そのため、本能に従うだけでは外の世界に適応できず、やむなく文化という幻想を創り上げた。しかしそれは所詮本能ほどの絶対性も安定性も得ることは決してできない。文化は擬似的子宮であり、人間は子宮に回帰したいという欲求によって文化を生み出したが、どうあがいてもその文化は子宮そのものになり得ない。それ故人間は決して救われない動物なのである」
これには非常に僕のマインドは納得しました。
自分自身のやるせなさ、虚しさは、人間として当然のことである、と考えると楽になるのです。
しかしある日、堤という友人の勧めで僕はニーチェの「ツゥアラトゥストラ」に出会います。
その本を読んで、自分の状態に納得している自分に対しある種の疑問が頭をもたげ始めました。
ツゥアラトゥストラはこう説きます。
「あなた方ができる最も偉大なこととは、大いなる軽蔑だ。あなたの熱情は自らを焼き尽くすほど、熱いだろうか。自らの卑小さを受け入れた時、そしてそんな自分に対し、軽蔑しえた時、初めてそれらを超える可能性があなた方の中に生まれる」
確かこんな内容だったと思います。
内容のほとんどは、あまりに詩的で、深淵で謎に満ち、理解できませんでした。しかしその書に込められたエネルギーには尋常ならざるものを感じ、惹かれていきました。
そして、正直に今の自分の状態を見つめた時に「こんなあやふやで何も確かなものの無い自分自身を肯定はできない」というのが本音なのです。
「本当の自分」そんなものは無いのかも知れない。いや、あるという証拠は全くない。少なくとも自分の中を見渡してもとんと心当たりがない。
でもとにかく捜してみよう。
そんなふうに思っていた矢先に、その頃まだ廃刊になっていなかった「シティロード」という情報誌の講座欄に「エーリック・フロムと共に生きる会」という会の案内を見かけました。
エーリック・フロムという人の本は読んだことがありませんでしたが、彼が高名な心理学者で、フロイトの弟子であることぐらいは知っていました。
怖いもの知らずの勢いでその会に初めて顔を出したのは、ちょうど高校三年生の春でした。
そこの世話人をしていたのは小林雅三という二十五歳ぐらいの青年で、五、六人の参加者の小さな会でした。確か高円寺あたりの喫茶店が会場だったと思います。年齢も顧みず、僕は偉そうに自説を並べ立てました。
「今の人間は不幸ではないか。なぜなら極限状況が無いから、あやふやにしか生きることができない。むしろ戦時中の日本人がお国のためと言って、特攻隊になって死んでいったのは羨ましい。自分には命を掛けられる程の確かなものは何もない」と。
するとその会の元世話人であったI氏という人は静かに僕にこう言いました。
「特攻隊で死んで行った人は私から見たら思いこみですね」
僕はその言葉にカチンと来て、しかし何も反論できず帰りました。
帰りがけに僕は「主体的交流による出会いの広場」という渋谷で毎週火曜日の夜七時からI氏が主催している会の案内をもらいました。
それからしばらくして僕はその会に足を運んでみました。
井上氏に対し、「じゃあどうしたら良いんだ」という疑問をぶつけてみたところ、「いやー、仲々良いところを突いているんですけどねー」とはぐらかされ、話相手を紹介され、その日は初めて会った片倉さんという三十代の男性と知名さんと言う十九歳の女性とナンヤラカンヤラ話して帰りました。
理屈好きの僕はそれからもちょくちょくその場に顔を出し、色んな人と言葉を交わしました。
和尚ラジニーシ(その頃はバグワン・シュリ・ラジニーシ)のTAOという本もそこで紹介されました。
I氏はセルフイメージ開発講座という二泊三日の自己開発講座を開いていて、そこの教材としてバグワンの本が使われていたのです。
早速TAOという本を買って読んでみましたが、どうも良く分かりません。
「中間にいること、偏らないことが重要だ。しかし中間にいようとすること、偏らないようにしようとすること自体が偏りを生んでしまう」とバグワンは説きます。
しかし「じゃー、どうすればいいんだ」となってしまいます。
何かを伝えようとしているのは分かるのですが、核心が見えません。
十八になるかならないかの頃、講座に出てみることにしました。
しかし二泊三日の中で起こったのは、極端な睡眠不足による疲れと下痢でした。何もつかめないまま講座は終わりました。
それから一ヶ月も経たないある日、出会いの広場で僕はKさんという四歳年上で漫画家志望の女性と会いました。以前一回二ヶ月ぐらい前に話したことがあったのですが、その日はどうも様子が違いました。
何と彼女は開口一番「私、目から鱗が落ちる体験をしたんです!」と言うではありませんか。
「目から鱗が落ちる体験」とはセルフイメージというグループの中で「小悟体験」を指す言葉なのです。
彼女は「とにかく全てが楽しくてしょうがない。何を見ても、何を感じても嬉しい」と言うのです。
色々と疑問や論争を投げかけようとしても、体験している人にはかないません。僕はなぜかその夜どっと落ち込んで帰りました。
それから数週間考えた末に出た理解は、「僕は彼女が羨ましかった。自分が求めてはいるけれども、あるかないかさえ分からない何かを彼女が得てしまったことに対し、僕は嫉妬したのだ」と。
そして、「不幸な人の前で自分は幸福だ、幸福だ、と言うのは罪なことだ」と思いました。
約一ヶ月後、出会いの広場で再会した僕に対して彼女はこんなことを語りました。
「あなたと一ヶ月前に会った後、私はなぜか落ち込みました。それまではあんなにハイな状態だったのに、一体なぜだろう、と考えて、あることに気づきました。私はあなたの状態を感じて話をしていなかった。つまり体験の余韻に酔って、今のあなたを受け入れていなかった。とても大切なことを教わりました」
「ああー、なんていい人なんだろう。僕の気持ちを分かってくれたなんて」
それ以来彼女と仲良しになった僕は、出会いの広場が終わった後も夜遅くまで彼女と色んなことを話しました。とにかく彼女と話していると、自分がどんどん素直になるのです。そして、自分のそれまでの人生で起こったことを彼女に聞いてもらうだけで、わだかまっていたことがほぐされ、癒されていくのです。
そして知らず知らずのうちに、内側で「Kさんはいい人だなー。いい人だなー」と思い続け始めました。三日ぐらいそんな状態が続くうちに、いつもまにか内側でのささやきは「いい人だなー」から「いいなー」という言葉に変わっていきました。
「いいなー。いいなー」と胸の中で唱えながら、ちょうど何かの用で目黒駅の階段を降りている途中のことです。自分にこんな風に問いかけてみました。
「もしも今Kさんが自分に対して優しく接してくれたことが、セルフイメージという名の実は宗教団体の信者獲得のための演技だと知ったとしたら、今のこの胸に満ちる感覚はどうなるだろう」と。
するとそれをイメージしても、この「いい」という感覚は消えないのです。
「ああ、この感覚は絶対だな」と特に何の感慨もなく、静かに思いました。
駅のホームに降りて周りを見ると、妙にものがハッキリと見えるのです。ホームから線路を見下ろし、「もし今線路に自分が落ちて、電車に轢かれて身体がバラバラになったとしたら」と想像しても、恐怖心がやってきません。
胸に満ちる暖かい感覚はますます強まり、誰かに話したくて、駅ビルからI氏の自宅に電話を掛けました。
電話に出たのはその当時のI氏の奥さんでした。
僕は開口一番「いいんですよ」と話しました。言葉がこぼれ落ちるように。
すると「わかります!」と彼女も答えるではありませんか。
「人間生きていると良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいこともありますけれど、今井上さんが感じていることは一番大切なことだと思います」と彼女は更に続けました。
「ああー、この人も分かってくれるんだ」と僕は思いました。
そして、その時ちょうど読みかけだったバグワンの「究極の旅」という本を読むと、それまでと違って彼の語る言葉が、何のひっかかりもなく、すらすらと僕のハートに響いてくるのです。
それまでの僕は、人も自分も信じられませんでした。
何も確かなものがありませんでした。
しかしこの、言語を超えた体験の中に、自立、自由、愛、信頼、といった言葉の全ての源泉があることを、僕は理解しました。
もちろんこの状態は一週間もしないうちに消え去りましたが、僕の人生観はこの体験を通して百八十度変わったのです。
それ以後、セルフイメージが、I氏がやろうとしていることも良く理解できるようになり、その活動にも更に積極的に関わるようになりました。
(続く)
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