くわの実(おじいちゃんの子供のころ) 畑のすみっこにくわの木が2、3本残っていたよ。くわの木は、大正のころこの地方でも養 蚕がさかんだったときの名残だったようだ。冬は落葉してしまうが、春になるといきおいよく 芽をふき、枝や葉をのばす。6月か7月ころだったと思うが、1cmたらずのぶつぶつした実 がむらさき色にうれて、食べるとあまくておいしかったよ。赤とんぼの歌にもあるように、く わ実は昔の子供のおやつだったんだ。 品質改良でもして、あの実を2、3cmにできないかなあと思うことがあるよ。 くわの実に形のよくにた果物に、立ちいちごがあったよ。 柿(おじいちゃんの子供のころ) 家には、柿の木がかなりの太さのもので10本以上もあった。太いものは根元の直径が50 cm近くあった。柿は1年おきに実をつけたが、なり年には枝がたわむほどだった。 早くしぶのぬける木もあったが、冬、もみがらにうめて、しぶぬきをするものもあった。 しぶ柿は12月になって赤くじゅくしても、まだしぶかった。自転車で走りながら、枝から 1つもいで食べてみて、しぶいのにびっくりし、捨ててしまうこともあった。 おじいちゃんたちは学校から帰ると、竹で落としたり木に登って、皮もむかずに食べたんだ よ。秋も終りころになると、木になったままうれてやわらかくなったものを、もずが来て食べ ていた。しものおりるころまで、木にあったものは特にあまかったんだよ。 大あんまき(おじいちゃんの子供のころ あんまきを売っていたよ。今は知立のあんまきが有名で、観光バスのお客さんが買っていく ほどだね。 むかし岡崎にあった大あんまきは、1本5銭だったよ。今はたしか、1本120円だから、 2400倍に値上がりしたわけだ。 おじいちゃんのおばあさんが康生町へ用足しに行く時、よくついて行ったよ。うば車を押し て行くことが多かったので、うば車に手でとまって4Km先まで往復したんだよ。そんな時い つも、岡崎で5銭の大あんまきを買ってもらえるのを楽しみに、ついて行ったんだよ。だから 今でも、足はわり合い丈夫なんだ。 明は、あんまき1本買ってやると言われて、岡崎まで往復できるかな。 おまんじゅう(おじいちゃんの子供のころ) おまんじゅうといえば、子供にとって最高と言えるおやつだったね。あまいものがふんだん に食べられない時代、あんこの入ったあまいおまんじゅうは、大変おいしいものの1つだった んだ。 おまんじゅうにも小さいものや大きいものがあった。記憶に残っているのは、お祝いに出る 紅白の直径12、3センチのものだったね。これだと大きいのであんこもたくさん入っている し、食べたような気がしたね。 よく、「いい子だから、おまんじゅうもらったら、かわをやろう」というくらい、あんこが おいしいものにされていたね。 今の子供はチョコレートは食べるけど、あんこはあまり食べないようだね。 すいか(おじいちゃんの子供のころ) 農家では、田んぼですいか作りをする家が多かったよ。すいかはかんそうするとだめなんで、 明の家のところが田んぼだったので、毎年すいかを作っていたよ。 何しろ昔は、この辺りすいかの産地で、駅から貨車にのせて遠くへ送っていた時もあったく らいだからね。駅にも、もう1本ホームがあったよ。 家でもたくさんとれると、翌朝リヤカー1ぱい積んで、矢作の青果市場へ出かけたんだ。お じいちゃんは、リヤカーの後ろから押して行ったんだよ。 家ですいかを食べる時は、前の日から井戸へつるして冷やしておくと、冷たくておいしかっ たことを覚えているよ。 うなぎ(おじいちゃんが子供のころ) 川や田んぼに、うなぎやどじょうがいっぱいいたよ。 あれは4月末のころだったと思う。下山田に田んぼがあって、田植え前の田起しに行ったん だ。田んぼはとこ土といって、固い土の上にこう作する土がのっている。大きなびっちゅうぐ わで、こう作する土をひっくり返すたびに、とこ土とのさかいからうなぎやどじょうがころこ ろ出てきたよ。 うなぎやどじょうも冬眠するのかなあ。4月末ではまだ土の中は温度が低く、元気がないの で、手でかんたんにつかまえられた。 とって帰り、さっそく魚屋さんへ持って行き、ひらいてもらい、夜はうなぎのカバ焼きで、 大ごちそうだったよ。 |
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