blueball.gif (1613 バイト)   覚書   blueball.gif (1613 バイト)


平凡社・中国古典文学大系所収の訳本の解説部分を「覚書」としてまとめてみました。


作者と作品について

この『平妖伝』は元々、北宋期に貝州で起こった王則の乱を題材にして、おもしろおかしい語り物として作られていったものである。明代になると、この物語が全二十回の小説・『三遂平妖伝』としてまとめられた。その作者は、あの羅貫中であるとされている。ただ、それが本当かどうかは、かなり疑問である。

しかしこの二十回本は、量的にも内容的にも人々を満足させるものでは無かった。そこで明末の有名な小説の編著者である馮夢龍(ふうぼうりゅう)は、『平妖伝』の増訂を行った。この増訂版が全四十回の『北宋三遂平妖伝』である。いま、日本で出ている『平妖伝』の翻訳は、全てこの四十回本を訳したものである。蛋子和尚が白雲洞から天書を盗み出す、胡媚児が胡永児に転生するといったエピソードは全てこの増訂の時に新しく加えられたものである。(詳しくは後の項目を参照)

また、ジャンルは『西遊記』や『封神演義』等と同じく神魔小説(伝奇小説)に属す。特に九天玄女や袁公の設定に関しては『水滸伝』や『西遊記』の影響が見られる。逆に『平妖伝』が影響を与えた小説としては、明の唐賽児(とうさいじ)の乱を描いた『女仙外史』等が挙げられる。ただ、『平妖伝』の書自体は中国でも限られた人々の間でしか知られていなかったようである。

この書は、日本へ江戸時代に、他の小説と一緒に輸入され、好事家の間で愛読されていた。特に『南総里見八犬伝』の著者である滝沢馬琴が『平妖伝』に深く傾倒していたと言う。


史実としての王則の乱

『平妖伝』は、上にも書いたとおり、北宋の時代に起こった貝州の王則の乱を題材にして書かれた小説である。この王則の乱は、中国史でもほとんど取り上げられることの無い反乱である。現代の視点から見ればあまり歴史的価値の無い些細な事件ということになる。しかし当時の人々にとってはそうでは無かった。王則が弥勒教団に属する妖人たちと反乱を起こしたということは、宋代の人々に強いインパクトを与えたようである。(『宋史』「明鎬伝」に、この事件についての詳しい記述がある。)

これについては、一連のオウム事件を思い浮かべるとよい。確かに現代の我々にとっては、オウム事件はかなりの大事件であり、色々と話題の種となっている。しかし1000年後の人々からすれば、オウム事件など何の歴史的な価値も無い、取るに足らぬ事件ということになるだろう。王則の乱もこれと同じ事である。ともかく、この史実としての王則の乱を少し見てみることにしよう。

貝州はもともと弥勒教団の中心地であったと言う。軍の下士官であった王則も、弥勒教団の妖人たちに混じって妖術や予言書の類を学んでいた。彼らは、いずれ釈迦如来が衰えて弥勒菩薩がこの世を支配するようになると説いていたのである。やがて王則はこういった弥勒教団の邪教徒たちから信望を受けるようになる。彼の背中には元々「福」という字の刺青を彫っていたが、この刺青を福徳の印として邪教徒たちは王則を信仰したのである。

州の役人の張巒(ちょうらん=物語中の張鸞)と卜吉は王則を信仰する一味であり、仲間と連絡を取り合って慶暦八年(1048年)の元旦に河北一帯を乱そうと計画を立てた。しかしこの反乱の計画は官側に知られてしまい、計画を早めて慶暦七年の冬至に行動を起こした。王則たちは州の倉庫を襲って軍資金を押さえ、州知事の張得一を捕虜にして自分達に刃向かう官僚を皆殺しにした。王則は州城を占拠すると東平郡王(「郡王」は「王」よりひとつ下の爵位)を名乗り、張巒を宰相に、卜吉を枢密使に、その他の部下を州知事に任命した。そして国号を安陽とし、年号を得聖に改元した。

朝廷は文彦博と明鎬(めいこう)に王則の討伐を命じたが、貝州の城壁は背が高く、攻めあぐねる。そこで城中に至る穴を掘らせ、その穴から兵士を貝州の城へ進入させたのである。官軍は見事王則を捕らえた。王則は都に送られて処刑されることとなる。こうして六十六日にして、王則の乱は平定されたのである。またこの戦いの中で、物語にも登場する馬遂が王則に投降を勧告し、殺されたと言う。

以上が王則の乱のあらましである。史実の時点で張巒(張鸞)・卜吉・馬遂らの名前が見える。残念ながら聖姑姑・胡永児・蛋子和尚・黜児らの名前は史実には見えない。


二十回本と四十回本の違い

さて、馮夢龍が編纂した四十回本は、羅貫中が編纂したと言われる二十回本のどの部分を増訂したのであろうか?中国古典文学大系版の訳本の解説にはその増訂部分をこと細かに記しているが、ここではその大要のみを示しておく。

その増訂部分は、まず四十回本の前半部分(第一回〜第十五回)が挙げられる。白猿神の袁公が九天玄女の弟子になる所から、胡媚児が関帝に殺される所までである。(詳しい内容についてはダイジェストの方を参照のこと)つまり二十回本は、胡永児が生まれる所から王則の乱が平定されるまでしか書かれていないのである。また、馮夢龍は後半部の第十六回以降にもに所々オリジナルのエピソードを加え、旧版である二十回本の内容を二十五回分にまとめ直した。

そればかりか、聖姑姑母子が狐の化身・胡永児は胡媚児の転生・蛋子和尚が諸葛遂智に化ける・如意宝冊は天界の秘宝といった設定も、後から付け加えられたものであるし、九天玄女と袁公などは二十回本には登場しないのである。また後半の、張鸞が雨乞いをするエピソードなども後から挿入された。

いま我々の見る『平妖伝』からこれらの要素を抜いた二十回本が、かなり面白みに欠けることは想像に難くない。馮夢龍はこの二十回本の欠点を改め、新たに物語の構想を練り直して色々と人々を面白がらせる要素を加え、『平妖伝』をいま見える形に仕上げたのである。


『平妖伝』の主人公

『平妖伝』の訳本やダイジェストを読んでいると、この物語の主人公は一体誰なんだろうかと疑問に思われるかもしれない。一応この小説は王則の乱を朝廷軍が鎮圧するという史実に基づいており、そういう観点から言えば王則を倒した三遂(名前に「遂」の字が付く、李遂・馬遂・諸葛遂智の三人)が主人公であると言えよう。元々の題名も『北宋三遂平妖伝』、つまり「北宋期に三遂が妖人を平らげる物語」と言うからには、この三人が主役なのであろう。しかしこの三人は物語の終盤にようやく登場し、しかも敵役である妖人と比べてまるで面白みの無いキャラクターである。少なくとも現代人にとっては、三遂主役説はどうにも受け入れにくい。

やはりここは、物語の前半から登場する妖人たちが主役であると考えたい。しかし妖人たちの誰を主役とするかがまた難題である。『水滸伝』と同様に、『平妖伝』も物語の前半部は聖姑姑母子・蛋子和尚・張鸞らの銘々伝という形を取っており、物語全体を通して活躍する人物がいないのである。しかも彼らのうちの大半は、王則の乱以後悪役となっていく。

結局のところ、誰を主役に据えるかは読み手の好みに任されそうである。私の場合、翻案物の『新・平妖伝』の影響もあって、蛋子和尚を主役だと考えることにしている。(『新・平妖伝』の前半部の主人公が蛋子なのである。)まず物語の前半部から通して登場していること、如意宝冊を盗み出して王則の乱の遠因を作ったこと、後半には諸葛遂智に化け、三遂の一人として妖人たちを討伐することから考えあわせて、彼が最も主役にふさわしいように思えるのである。

蛋子主役説が的をえているにせよ、いないにせよ、これは私の解釈である。あなたは誰を主役と見るだろうか?


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