A Worldwatch Institute News Brief on Wind Power
Bザイオン国立公園/Zion National Park/Utah
"ディス・バレー上空?"
早朝にシスコから空路ラスベガス経由で更にバスでザイオンを目指します。
航空路から判断してディス・バレー上空を飛行すると思われましたので眼下の景色を楽しみました。
シェラネバダ山脈の残雪が消えると今度はシルクロードのような不毛地帯が続きます。
ディス・バレー上空を飛行していると思われますが断定は出来ませんでした。
"ザイオンのロッジ前にて"
ラスベガスの北東194Kmにあるザイオンはグランドサークルの中でもグランドキャニオンに次ぐ人気のある公園で
かなりの賑わいでした。しかし、今年からマイカーでの乗り入れは禁止となり、バスもビジターセンター
までしか入れませんでした。園内のビューポイントへは無料のシャトルバスが頻繁に走っています。
我々は、聳え立つコロラド色の巨岩と新緑に迎えられました。真夏の暑さですが、木陰の爽やかさ
にビックリでした。早速芝生の木陰に入って食べたアメリカンサイズのサンドウィッチとコーラ(JTBがラスベガスで調達の弁当)
は最高に美味しく忘れられませんでした。それは、早朝からの遠征での空腹とザイオンの新鮮な空気
のお蔭です。
"聳える巨大な岩山"
ザイオン渓谷の観光スポットゾーンは約10Km間で、クリークを挟むコロラド色の岩壁群と新緑の
コントラスト、これがユタの大自然かと思う。オフィシャルガイドマップによると11のトレイルが設けられ、
多くのハイカーやファミリーが楽しめるようになっています。
西部はキャンプにバーベキューそしてトレイルが似合うようです。
バックの岩山は、ガイドの説明によると、オーストラリアのエアーズロックの2倍の大きさだそうです。
そう言われても信じられませんでしたが、余りの大きさに皆ビックリ仰天でした。
"Zion-Mt. Carmel Highway"
ザイオンがらの国道9号線(Page方面へ)は、このように岩壁をくりぬいた道路で、1930年に完成したそうです。
トンネルは素彫りの随道でした。この道はルート89へ接続され、
ユタの荒野をPage(Lake Powellのダムサイトの町)へと進みます。
ザイオン | ザイオン |
ザイオン | ザイオン |
この中央下をクリークが流れています |
向こうの岩山は、エアーズロックの2倍も有ると言う |
岩壁が近く巨大でカメラに収まらず |
園内はこのシャトルバスで移動です |
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Cモニュメントバレー/Monument Valley(Navajo Tribal Park)
"広大なナバホ・インディアン居留地"
ユタ・アリゾナ州にまたがる荒野がナバホ・インディアン居留地である。
我々は宿泊地Pageからこの荒野を200km東進し、西部劇の舞台をめざしました。
途中は何も無いのですが、Pageの近くに大きな火力発電所があります。理由は100km?くらい先の
居留地内で石炭が取れるので、彼らはその有効利用のために発電事業をしているそうです。
石炭の運搬用に専用の鉄路が敷いて有りました。
やがて、インディアン経営の道の駅があり、モニュメントバレー地区(面積は山口県の1.5倍)へ入ります。
そこは、岩峰や岩塔がニョキニョキと天を突いています。
高さは100m〜300m、数千万年にわたる風化作用で出来たそうです。
そして1939年、ジョンフォード監督が”駅馬車”のロケを行ない世界にこの奇観が紹介されたようです。
"ビジターセンターからの眺め"
この眺めは、TVに良く映る場面のようです。広大な砂漠の台地にそそり立つ岩塔群の現地現物はまた格別です。
余りの広さに距離感覚は麻痺してしまいました。
我々は、ロッジで昼食後、オープンデッキのワゴン車に分乗し、1.5時間かけてモニュメント巡りをしました。
季節によっては大変な砂塵だそうですが、この時期はそれほどでもなくやれやれでした。
"ジョンフォードポイント/John Ford's Point"
この場所は、ジョンフォード監督のお気に入りで「駅馬車」や「黄色いリボン」はこの当たりで撮影された様です。
写真の右端で手を上げている赤シャツの男が私です。左端の赤シャツの男がインディアン
(ファースト ネイティブ アッメリカンのナバホ族のお金持ち)です。
"インディアンは嘘言わない?"
この馬上の人はナバホ族のお金持ちの様でした。沢山の飾り物を首と腕にはめていました。
彼を見ていたら、”インディアンは嘘言わない”と言うTVコマーシャルを思い出しました。
早速挨拶をして聞いてみようと思いましたが、
彼は観光客相手にポーズを取るのに忙しそうなので止めました。その反対側の売店の空き地で
ナバホ族の若者2人が35年くらい昔のJeepのフードを空けて何やら修理中です。
よし、彼らに聞いてみよう。にこやかに挨拶し、修理の話も一段落したので、所で一つ聞きたいことが有る
質問をして良いかと訪ねてみました。何でもOKということで、
日本では”インディアンは嘘言わない”というTVコマーシャルを流している。これは本当か?
何度も彼らの理解を確認しました。2人は顔を見合わせ、Humm!It is a lie.
そして、私は、”インディアンは嘘言わない”ことを確認できた、有難う。そして3人で大笑いが出来ました。
monument valley
| monument valley |
monument valley |
monument valley |
何時まで見ても飽きない大自然の芸術作品 |
ビジターセンターの駐車場 |
赤いモニュメントと青い空のコントラストがなんとも |
ロッジの前にて、ここからワゴン車で出発した |
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Dグランドキャニオン/Grand canyon National Park Arizona
"夕日に映えるグランドキャニオン"(Yavapai Pointにて)
コロラド川の絶え間ない流れが、アリゾナの雄大な大地を削り取って造りだしたのが、
グランドキャニオンです。全長約540kmにも及ぶ大渓谷の岩肌には、
17億年という地球の歴史のおよそ1/3に当たる地層が見られるそうです。
太古人類はこの岩壁に洞窟をくりぬき生活していたという。そして、少し前まではインディアンの
生活の場でした。今は、世界中からの観光客で賑わっています。
我々は、East Rim(夕方)とWest Rim(日の出)の各ビューポイントからこの大渓谷の美しさを
堪能する事が出来ました。
"アメリカン ヤングレディー"
この大自然を眺めている観光客は皆んな幸せそうです。目が合えば皆んなにっこりです。
直ぐに友達になれるから不思議です。
"ケンタッキーからやってきたおばあちゃんと"
彼女は、2人の孫娘と一緒にケンタッキーから飛行機で7時間かけて来たという。
米国民も一生に一度は訪れたい様です。
"朝日に映えるグランドキャニオン"(Hopi Point?にて)
旅の疲れもピークを迎えていましたが、全員元気で朝食前の日の出のキャニオン見物に出かけました。
日本人観光客の多くは、御来光をみて直ぐに引き上げて行きました。
我々はその後もじっと留まり、朝日に浮かび上がり、時時刻刻変化するグランドキャニオンを堪能しました。
"Route 66で40年前のアメリカンを訪ねて"
Route 66は、1950年代の国道で、ロスからシカゴまで5000kmと続きます。今はFree WayのRoute 40になり、
寂れていますが当時のアメリカンにとっては懐かしい思い出の道です。
"Route 66で40年前のアメリカンを訪ねて"つづき
そのRoute 66の保存会の会長が頑張っているという町へ迂回しました。
若い頃、アメリカ映画で見なれた風景が続きます。
彼は、寂れた田舎町で観光客相手のアイスクリーム屋で、大変なアイデアマンで人気者です。
奥さんも土産物屋で電卓を使わず消費税をすばやく計算します。ここを訪ねる人は、シニアーの
アメリカンとシニアーの日本人が目立ちました。
"Free way Route 93"
このようなフリーウエーをひた走り、遥か先に見える山の向こうがフーバーダムで、
そしてラスベガスへと続きます。
"Hoover Dam"
このダムは、1929年の世界大恐慌の頃に出来たというから驚きです。一見数年前に出来たような
感じでした。ここは砂漠の気候で高温乾燥下で、コンクリートはカビも生えず新鮮でした。
ダム建設当時、多くの建設作業員が連日のように病死されたそうです。
早速ハーバード大の教授が調査した結果、水分と塩分不足による熱射病と判明、再発防止は
法律で労働時間・条件を定めたそうです。それが今、TVのポカリスエットのコマーシャルで流れています。
"Hoover Dam"
ダム下221mの発電所です。大きな発電機が何台もうなっていると思われます。
"Hoover Dam"
ダムサイトを散策しましたが、その暑さにはたまげました。40℃以上の熱風でした。
"Lake Mead"
フーバーダムは、グランドキャニオンの350km程下流のボトルネック部を堰き止めたので、
その上流は広大な水がめとなりました。それが"Lake Mead"で、面積は日本の琵琶湖ほどです。
そして、この水と電力がラスベガスさらにロスを潤します。
ラスベガスの不夜城は、この夜間電力の有効利用の一部と勘ぐりました。
Eラスベガス/Las Vegas Nevada
"マッカラン国際空港近くのホテル"
皆さんよくご存知のラスベガスです。70年前のフーバーダム関係者の賭博場が発展した町です。
マッカラン国際空港は、年間3000万人もの人が利用するそうです。なんと780便/日以上です。
"ホテルRioのカジノ上空のショー"
噂の通りカジノの町でした。カジノの一部がホテルのようで、毎夜このような客寄せのショーが行なわれます。
"つづき"
彼女(ダンサー)が、投げるネックレスは大好評のようでした。孫の土産に一つ戴きました。
"フリーモント・ストリート"
ダウンタウンもこのようなネオンにうずもれています。このアーケード街は両側ぎっしりカジノ場です。
中央の彼は、ストリートミュージシャンです。
"つづき"
このストリートに長さ450m、高さ30mのアーケードが登場し、210万個の電球を使った音と光の
大スペクタルショーが行なわれています。この写真の様に天井がコンピューター制御で
大音響と共にスクリーンとなります。その意気込みには脱帽でした。
"つづき"
この不夜城は朝まで続きます。体力に限りがありますので程ほどで引き上げました。
Fロサンゼルス(多民族都市、人口370万人、近郊含むと940万人)
"リトル東京から見るダウンタウン"
200年前は原住民の集落が点在する荒野、現在Los Angelesの都市圏には140ケ国の移民が生活し
96種類の言語、そして25万人の日系人です。リトル東京も110年の歴史です。立派な日本文化センターや
東本願寺が出来ていました。
"サンタモニカ海岸"
青い空にパームツリーが似合います。手前の大砲はスペイン戦争のなごり?
"ハリウッド"
映画の都は、観光客で賑わっていました。
"Dodgers Stadium"
ドジャーズのホームグラウンドは傾斜地をうまく使っています。周囲は360°の大駐車場ですが、
それぞれの観客席の高さから入場できます。
"Little Yokyo"
朝の10時までリトル東京を散歩しました。二宮金次郎と東本願寺が頑張っています。
100年前の日本を思う日系人が偲ばれました。
"ロス夜景?"
グリフィスパークからみるロスの夜景。この日はガスが出ていてぼんやりでした。
Hollywood
| Dodgers Stadium |
James Dean |
Little Yokyo |
ゲリー・クパーの足型と手形、私の大きな手を遥かに越えていました。 |
これがメインスタンドの入り口です |
”理由無き反抗”以来の再会でした |
日本文化センターのIsamu Nogutiのモニュメント |
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〔あとがき〕
修学旅行の感想ですが、日々多くの情報に触れる西海岸でも、
@現地現物の豊かな情報に感激しました。素晴らしい修学旅行であった。
A自由と独立心を尊ぶアメリカの豊かな心を、日本人は謙虚に学ばなければならない。
今後も、楽しい旅の想い出をこのページに掲載します。お楽しみ下さい。
I publish the recollection of an enjoyable trip in this page. Please have fun.
日本語の最初のページに戻る
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