この本の題名は、THEY WERE CALLED SILVERPLATE
『彼らはシルバープレート(銀の器)と呼ばれた』と書かれています。
著者は、元第509混成軍団の指揮官リチャード・H・キャンベル氏で、内容は、原爆投下のための1943年から1960年にかけてのシルバープレートB-29の配備と作戦の歴史がまとめられています。
この本(243頁)は、日本では発売しないを条件に米国で発行され、私は、友人の元B-29搭乗員のHap Halloranさんから入手しました。
その後、IT Friendの
『史跡探訪』
のWebsite編集者Mr Hayashiが著者の承諾を得て許可された一部の章に付いてその翻訳Siteを公開しました。その翻訳Siteは貴重です。前頁右の”関連リンク”で紹介しますので興味のある方は是非クリックしてください。
次に、この本の序文を翻訳紹介します。
『序文』
原子爆弾やボーイングB-29スーパーフォートレス(超・空の要塞)爆撃機の製造に関する開発プログラムについては多くのことが書かれてきた。また,われわれが原子爆弾投下の任務をどのように準備したか,とか,どのようにその任務を果たしたか,などについて書かれた,多くの本や雑誌の記事が出版されてきた。現時点までになお欠けていることといえば,原子爆弾の投下を実行したB-29特殊モデルの製品寿命とか開発の歴史である。シルバープレートB-29についてのこの物語は,その空隙を埋めるものである。
私は,日本やヨーロッパに原子爆弾を落とすことに責任を持つであろう部隊を編成・指揮するよう選任された。それは1944年であった。私は,優先権記号で“シルバープレート(銀の器)”という言葉を使うことによってなされる仕事を遂行するのに必要なものはすべて手に入れることができると教えられた。特殊仕様のボーイングB-29超・空の要塞が,われわれが使用するであろう航空機であった。そして,結局は,それがシルバープレートB-29として知られるようになった。私は,ほとんどまる1年,そのB-29をテストし,任務に就くことになるが,そのときには,この航空機の弱点を把握し,そのいくつかの弱点の矯正方法を知りえたと確信していた。
われわれは,1944年の秋に,ウェンドーバー陸軍航空隊基地において,後に,第509混成隊となる部隊の編成を始めた。特殊仕様のB-29は,シルバープレート(銀の器)仕様として知られる内容に設計変更されてからは,諸所に分散して配属された。この航空機は,燃料直接噴射エンジン,急速作動爆弾投下室ドアを備えていた。また,すべての銃座や装甲板を取り除くことにより,7,200ポンド(2,700キログラム)軽くなっていた。最後尾の銃は残された。これらの変更により,この航空機が,30,000フィート(9,000メートル)以上の上空を,平均時速260マイル(416キロメートル)の速度で,10,000ポンド(4,540キログラム)の原子爆弾を搭載し、ほぼ,2,000マイル(3,200キロメートル)飛行させることを可能にした。この性能は,これまでに知られた,いかなる戦闘機の性能をも上回るものであり,また,対空砲火の危険をも超越するものとなった。
原子爆弾を運搬するための仕様変更とは,爆弾投下室の変更であった。爆弾の留め金を,一個のひっかけで保持するため,H型骨材が取り付けられた。そして,爆弾を激しい気流の中へ確実に送り出すため,揺動するメカニズム(sway braces)が付け加えられた。最も重要な変更は,キャブレター付きエンジンを燃料直接噴射エンジンに置き換えることであった。この新しいシルバープレートB-29は,また,ピッチを逆にできるカーチス・エレクトリック社のプロペラを装備していた。これによって,機体の制動力が改善された。
われわれは,この時点で,陸軍航空隊の全部隊の中で最高のB-29を持つに至った。そして,われわれに指令された任務をいつでも遂行できる状態にあった。われわれはテニアンへいった。そして,特命飛行を行った。戦争は終わった。シルバープレートB-29は課せられた任務を遂行した。そして,戦後何年もの間,われわれの核抑止力であり続けている。
シルバープレートB29スーパーフォートレスについてのこの物語は
フレデリック・C・ボックおよび第509混成隊の隊員たちに奉げられる。
かれらは,テニアンのウェンドーヴァーおよびローズウェルにおいて,祖国のために奉仕した
彼らの努力とこの航空機が,第2次世界大戦を終わらせ,かつ,原子力の時代を開いた。
以上、翻訳は、元大学教授 井上治樹氏による。