燃えよ剣

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TVD 燃えよ剣


放映:NET 1970/04/01〜1970/09/23(全26話)
監督:河野寿一
音楽:渡辺岳夫
原作:司馬遼太郎
製作:東映京都TVプロダクション

内容:「新選組血風録」の放映終了から5年を経て、栗塚・歳三が、舟橋・勇が、島田・総司が、色鮮やかなカラー映像でブラウン管に帰ってきた。新選組副長土方歳三の生き様と剣をめぐる物語。TV黄金時代の傑作ドラマである。


燃えよ剣のテーマ

作曲:渡辺岳夫
28AH-2192,28KH-2211,32DH-725,MHCL-949,VPCD-81267,KIVE-39

 イントロが「交響詩ガンダム」の「ソーラ・パワー」と瓜二つです。こちらは作曲・編曲渡辺岳夫となっているので、「燃えよ剣のテーマ」も渡辺編曲でしょう。
 テーマ部分は'80年頃のカッコよさと上品さをすでに備えており、時代劇らしからぬクールさ加減。わずかに'70年を感じさせるのは、エレキがペンペ、ペンペと鳴るあたりです。


燃えよわが命 IN

作詞:結束信二
作曲:渡辺岳夫
歌:東京混声合唱団
28AH-2192,28KH-2211,32DH-725,VPCD-81267

 挿入歌です。時代劇らしい軍歌調であります。「歌:東京混声合唱団」とあるのに、男の声しか聞こえません。




管理人推奨盤
CD VPCD-81267 傑作時代劇音楽全集 燃えよ剣 ミュージックファイル


 オリジナル劇伴音楽満載!。テーマ曲は、フィルム・サウンドトラックから収録した音声だけでなく、TV用に編集する前素材楽曲をもボーナストラックとして収録している。挿入歌「燃えよわが命」はもちろんのこと、予告編音楽や提供紹介用音楽まで収録。
 同時発売の「新選組血風録ミュージックファイル」よりも音質が良い。また、全体にモダンな音楽が増えているので大いに楽しめる一枚である。時代劇ファンおよび渡辺岳夫ファン必携のミュージックファイルだ。


京のテーマ 音楽の1番

 なべたけ時代劇音楽には歩みのリズムを感じることがある。京のテーマでは淡々としたベースが寂しげに、しかし力強く歩んでいる。そういえば「燃えよ剣のテーマ」も「歩み」であるし(映像も歩んでいる)、映画「眠狂四郎」の音楽も市川雷蔵のクールな歩みに合っていた。曲によって歩き方が微妙に異なるところが一興である。
 このサントラの特徴として「XXのテーマ」といった曲紹介がある。これは「京のテーマ」をはじめとして、楽譜に書いてあったタイトルだろう。


新選組のテーマ 音楽の2番

 これも歩みの音楽である。こちらは「たん!、たたた、たん!、たたた」という、時代劇の王道をいく行進調。


ナレーションバック

音楽の4番
 ストリングスによるモダンな流れとメロディーのクネリ。これぞ渡辺TV劇伴音楽の世界。そして哀愁を帯びたトランペットのソロへと続く。

音楽の7番T2
 これもストリングスを中心とした優雅な音楽だ。単に静かで美しいだけではなく、命の重さと悲しさを!あるいは決意を!胸の内に秘める。


新選組出動 音楽の19番

 今度は歩みではなく「走り」であろう。出動なんだから悠長に歩いてはおれません。「たん、たん、たん、たん、たん、・・」と駆けて行く浪士たち。このリズムに加えて、ブラスとティンパニが間欠的に閃光するパターンは「闘い」への展開を期待させる。それは胸踊るチャンバラ活劇よりも、むしろ悲劇の予感だ。


鎮魂 音楽の22番

 「燃えよわが命」を男声合唱でルル〜♪と歌っている。この曲は「燃えよわが命」変奏曲と紹介されているが、これは一般的にテーマレンジと呼んでおいてさしつかえないだろう。(本来、変奏曲という言葉には別の意味がある)




京のテーマ
VPCD-81267 ,KIVE-39

 私も、この20年来のなべたけ者です。「 巨人の星」「ハイジ」「ガンダム」「白い巨塔」と、渡辺先生の傑作は多々ありますが、私の中では、何をおいても「新選組血風録」「燃えよ剣」なのです。(もともと新選組者でもあるのですが)
 とにかく映像とBGMのはまり具合には、男泣き、のひとことです。投稿を「京のテーマ」にしたのは、ビデオ「渡辺岳夫の世界」にたまたまタイトルがあったので、です。ホントは、ほかにもっと泣ける曲があったのですが、タイトルがわからなかったもので・・・。
誠の旗さん 1997/11/18 MAIL


 そして'98年10月21日、ついにサウンドトラック盤「新選組血風録」と「燃えよ剣」がリリースされたのでした。「音質の劣化は激しいのですが、この歴史的な音源をなんとかCD化したいと作ってみました。」とはプロデューサーさんの弁です。このような好企画をを応援しましょう。




CD MHCL-949「ちょんまーじゅ」

LP 28AH-2192,CC 28KH-2211,CD 32DH-725「栄光の東映テレビ映画〜懐かしのテーマ大全集」(廃盤)

VTR KIVE-39「渡辺岳夫の世界」




燃えよ剣・鑑賞の手引き


<第1話>「新選組前夜」

 時代設定は文久2年〜3年2月。試衛館道場の面々の紹介から、清河八郎の誘いに応じて京都に赴くところまで。一番のクライマックスは、土方が古道具屋孫六の店で土方の佩刀和泉守兼定と出会うところであろう。盲目孫六の怪しい容貌。雨上がりの夕日に輝く兼定。その兼定の輝きを見えぬ目に感じた孫六は「この刀はこの人に出会うためにこの世に出てきた」と直感し、土方にただ同然で譲り渡す。
 その話を聞いた沖田が自分も差料を、と土方にその古道具屋を案内させるが、あろうことか、孫六は既に死んでしまっていた・・・このシーンで、視聴者に「土方と兼定の不思議な縁(えにし)」を徹底的に摺り込んでしまう。そしてその兼定の切れ味を土方や視聴者に実感させたのが、宿敵七里研之助との対決の場面。(七里研之助は見ためが強そうなのに、いとも簡単に土方にやられてしまうのがご愛 敬か。)「これからこの男(=土方)はその一生をこの剣一振りに賭けるのだぞよ!だから見ていてね!」と訴えている。「燃えよ剣」というタイトルにふさわしい滑り出し、というべきである。

<新選組ワンポイント・レッスン>
*近藤、土方、沖田の差料について

 近藤の虎徹、土方の兼定、沖田の菊一文字というのが通り相場になっている。近藤と沖田の刀入手の由来については「新選組血風録」で取り上げられているが、「燃えよ剣」では土方と兼定のエピソードを取り上げている。「燃えよ剣」では二代目之定(のさだ)という設定であるが、近年の時代考証では十一代兼定とするのが定説となっている。なぜなら、土方の兼定の裏には「慶応三年二月」の年記が切ってあるからだ。
 因みに二代目之定は16世紀の刀匠。和泉守などのような「守」という字を持つことを許されていた 刀匠はこの二代目之定が初めてという。土方のこの兼定は明治2年の函館戦争の際に、小姓市村鉄之助に自分の写真とともに託して、日野に届けさせたものという。(「燃えよ剣」では第25話で、函館に土方を訪ねてきたお雪に兼定を託すという設定になっている)
 「之定」の異称の由来は本来「兼定」と銘を切るところ、二代目は「の」(=漢字が出ない!う冠に之の字)と銘を切ったためにこの異称がある。


<第2話>「春の月かげ」

 第2話は京都で近藤、土方が芹沢一派と新選組を結成するまでを描く。時代は文久3年2月、3月あたり。
 本編のクライマックスは新選組同士を集める場面。多摩の百姓の出である土方が思い描いている理想の武士のあるべき姿は、「本当に男らしく、武士の生き方をしたい、誠(まこと)の人間」と言い切っている。彼が同士として求めているのはまさにこの「誠の男」なのである。さあ、ここで土方が「誠の男」とはどんなものかを朗々と見るものに訴える。土方の御高説だ。居ずまいを正して拝聴しよう。そこな御仁!ゆめハナクソなぞほじって、聞き逃すことのないようにしなければいけませんぞ!
 この「燃えよ剣」全編にわたって貫かれるテーマは「誠」。新選組の隊旗に象徴される「誠」の一文字。最初これを見せられたときは「なんと青臭い設定か!」と思うかもしれないが、素直に受け入れてその気になってみると、案外ハマる。最終話に土方が、ボロボロになった誠の旗を腹に巻きつけて、死地に赴く場面があるが、圧巻である。土方と誠の旗は表裏一体というよりも、誠の旗が土方そのものである。「土方=誠(の男)」なんだよ!といったほうが正解か。
 このビデオを見る者は今後何回となく「誠の旗のもとに ドーシタコーシタ・・・」と土方が言う場面に出会うことになり、その余りのくどさ、シツコサが鼻につくこともあるが、土方の、そしてそれはそのまま新選組の存在そのものとなっているのだから、まぁ、ご勘弁願おう。
 一方「新選組血風録」第2話はズバリ「誠の旗」という題名である。ここでも旗ができる際のエピソード(これは勿論フィクション)を交えながら、やはり「誠」へのこだわりを見せている。できれば「血風録」も揃えて見比べたいところだ。

<新選組ワンポイント・レッスン>
*新選組のトレードマーク、ダンダラ染めの羽織について

 新選組のトレードマークとまでいわれている派手派手なダンダラ羽織。この羽織は浅黄色で袖口を白く山形に染め抜いたものといわれている。新選組の隊旗同様このダンダラ染めの羽織も現存してはいない。
 新選組の制服は鴻池善右衛門から200両を借用した芹沢が、大丸呉服店(御幸町松原上ル)で麻の羽織、紋付きの単衣、小倉の袴を新調させたものである。有名なダンダラ染めの羽織は菱屋大兵衛店(西陣山名町)で調えたという。ところが菱屋大兵衛店に対する新選組の支払いは芳ばしくなく、業を煮やした菱屋大兵衛が自分の妾、お梅を壬生の屯所に取り立てにやる。その際、時の局長芹沢鴨に見初められたお梅はそのまま芹沢に囲われることとなり、その後芹沢暗殺の際に巻添えを喰って殺されることになる。
 「大丸には新選組制服注文に関する記録は残っていない。菱屋の所在は大正末期まではわかっているが、その後の消息を知る者は誰もいない・・・」(このあたり、左右田一平の口調を真似てみた)


<第3話>「三条木屋町紅屋」

 時代設定は文久三年(1863)〜元治元年(1864)頃。つましく、質素な生活を送る近藤一派に対して、酒地肉林を地で行く芹沢派の乱行が際立つ。芹沢派の悪辣ぶりは見事というほかなく、筆者も今度飲みに行くときは是非実行してみたいと思う。
 無軌道な芹沢を始め、たくさんの浪士を抱えるようになった新選組を束ねるために、土方が規則を作る。これが有名な「局中法度」だ。列挙してみよう。

一、士道に背きまじきこと。
一、局を脱するを許さず。
一、勝手に金策致すべからず。
一、勝手に訴訟取り扱うべからず。
一、私の闘争を許さず。
右の条々相背き候者切腹申しつくべく候也

 「燃えよ剣」では土方が局中法度を作ったことになっているが、実際は芹沢が近藤勇、新見錦らと相談の上作ったとか、近藤一派により作られたとか諸説あるところである。
 さて、ビデオでは近藤らがこの局中法度を芹沢に見せたところ、最初の「士道に背きまじきこと」の士道とは何かと迫られる。答えに窮する近藤・・・近藤は郷士であり、本当の侍の身分ではないのだ。武州三多摩の百姓がなにをぬかすか!と馬鹿にされ、屈辱の呈を表す近藤一派。同じくだりは「新選組血風録」にも出ている。
 しかし、ここで「そうだ!そうだ!このド百姓めが!」などと芹沢に賛同してはいけない。
・酒に明け暮れる水戸武士道(=芹沢派)
・質実剛健な水のみ百姓(=近藤派)
 ここではこの二派の対比を楽しみ、後日に備えよう。そのうち芹沢一派は自らがこの局中法度の前に粛清されてしまうのであるから。
 さて話はタイトル通り、三条木屋町にある料亭「紅屋」で6人の長州侍を土方が斬り捨てたことにより、新撰組と長州藩との対立、芹沢一派との確執が明らかになっていく。特に芹沢一派の土方に対する恨みが明示されるに至り、土方の波乱万丈な人生が暗示されてゆく・・・

<新選組ワンポイント・レッスン>
*軍中法度

 新撰組の法度書には有名な「局中法度」の他に「軍中法度」がある。元治元年(1864年)に陣法とともに作成されたものであるが、その内容たるや、やたらに「切腹」を振り回す局中法度にも負けずにすざましい。
 この「軍中法度」は所謂戦時に際しての兵士のあり様を示したもの。定められた部署を守り、組頭の指示に従い・・・云々あたりはまだよいが、組頭討死の時は組員は全員その場で戦死を遂げよ、とか組頭以外は戦死した仲間の屍を引き下げてはならない(=屍を踏み越えて突撃せよ)とか・・・勿論これに違反した者が斬罪となったことはいうまでもない。原文は9か条からなる漢文式なので割愛させていただいた。


<第4話>「里御坊の女」

 第4話は次第に隊の体制を整えつつある鬼の土方が、早速誠の旗と局中法度の効力を示す物語である。史実とは直接関係ないが、武州宮司の娘(おそらく府中の大国魂神社)佐絵と片腕の剣客七里研之助(いずれも第1話に登場)が京都まで土方を追ってくるというもの。
 哀れ佐絵は草莽の美臣(難しい単語だ。辞書で調べておこう。試験に出るぞ、きっと!)の働きも空しく自害を遂げる。七理研之助も土方に粛清される。しかし七里研之助は相変わらずヨワイ。見た目は強そうで怖そうなのに、土方の前ではいとも簡単にやられる。「この話がなんで誠の旗と関係があるんだ?」という疑問を抱くあなた!早速ビデオを購入だ!。

 さて、今回注目したいのは沖田総司と裏通り先生。この第4話で早くも裏通り先生が沖田総司の体調不備を看破する。番組終了間際で沖田は咳き込み、こっそりと裏通り先生調合の薬を飲む後姿が今後の沖田の健康に不安の影を落とす。残虐で冷酷非道の鬼の殺人集団新選組にあって、病に倒れる青年美剣士という組み合わせが見るものの関心と同情を引く。

 裏通り先生のモデルは誰か?。まぁ新選組に関係のあった医者ということで松本良順あたりが妥当な線だろう。(しかし番組中で裏通り先生ははっきり「私の師匠である松本良順先生が・・・」と言い切っており、なかなか空々しいではないか!)この裏通り先生に扮する左右田一平は、前回の「新選組血風録」では斎藤一として出ているが、明らかに「裏通り先生」の方が良い味付けとなっている(気がする)。

 「燃えよ剣」で、史実とは関係なく良い味を出しているのが、この裏通り先生以外では河合耆三郎と伝蔵である。河合耆三郎は実在の隊士であるが、彼の「燃えよ剣」における設定は事実とかなり異なっている。(河合耆三郎の本当の最期を知っているものは、この際黙っていよう。)伝蔵は特にモデルとなった人物はいないだろう。彼は最後に誠の旗を守って死ぬという重要な役目を番組では負わされているのだが・・・。

<新選組ワンポイント・レッスン>
*松本良順

 天保3年江戸麻布の生まれ。西洋医学を長崎のポンペに学ぶ。文久3年に将軍家茂の侍医となる。元治元年には近藤勇と交流し、慶応元年には当時西本願寺に新選組の屯所を訪問。戊辰戦争では旧幕軍に同行したが、やがて縛につく。明治2年に放免され、その後陸軍軍医総監として西南戦争に従軍。明治40年に死亡。
 松本良順が慶応元年に、当時西本願寺にあった新撰組の屯所を初めて訪問した際に、屯所内に余りに怪我人病人が多いのに驚き、西洋医学でいうところの病院についての概要説明を始める。その数時間後に土方が手回しよく松本の説くように病室をこしらえたので、松本をおおいに驚かせたというエピソードが残されている。


くりくりさん 1999/02/20〜2001/04/23 MAIL




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