封神演義
7 「東征」
張山の次は截教を学んだ洪錦に西岐討伐が命じられた。洪錦はあっさりと竜吉公主に捕らえられたが、月合老人の助言により二人は結婚することになった。
そしてついに姜子牙は武王に出師の表を奉り、紂王を討つための軍を出したいと申し出た。最初は渋っていた武王もとうとう承知し、姜子牙を岐山の拝将台にて大将軍に任命し、東征が開始されることとなった。途中、賢人の伯夷と叔斉がやって来て武王に東征をやめるように説いた。諸将はこの二人を殺すべきだと主張したが、姜子牙は天下の義士であるとして二人を許した。
金鶏峰では孔宣の軍が待ちうけていた。孔宣は背中より五色の光を出して周軍を苦戦させる。またその部下の高継能は蜈蜂袋(ごほうたい)によって黄天化を討ち取った。これが東征の最初の戦死者である。高継能の蜈蜂(ムカデバチ)は、祟黒虎の鉄嘴神鷹(てっししんよう)に食い尽くされた。大将の孔宣は実は孔雀の化身であり、西教(仏教)の準提道人(じゅんていどうじん)に西方へと連れ去られて行った。
さて、次の佳夢関(かぼうかん)では截教の幹部・火霊聖母が周軍に襲いかかる。姜子牙も深手を負って逃げ惑う。そこへ現れたるは広成子。彼の宝物・番天印によって火霊聖母は討ち取られた。広成子は彼女の金霞冠(きんかかん)を持って截教の本部・碧遊宮へと向かった。姜子牙はその後も申公豹に命を取られかけるが、危機一髪の所で懼留孫に助けられた。懼留孫に捕らえられた申公豹は、今度姜子牙の邪魔をしたら北海眼に閉じ込められてもよいと誓って解放される。
ところで碧遊宮に向かった広成子はと言えば、意外にも截教の元締め・通天教主は物分かりのよい態度を示し、彼を咎めずに帰してしまう。もちろん弟子たちはそれに不満である。闡教についてあることないことを教主に吹き込む。ついに通天教主は闡教と戦う覚悟を決め、四本の宝剣を使って界牌関(かいはいかん)に誅仙陣を敷かせたのだった。
その頃、黄飛虎は青竜関の攻略に当たっていたが、総兵の丘引に九公と黄天祥が討ち取られた。援軍に駆けつけた
や鄭倫の活躍で、ようやく青竜関を占領したのだった。次の
水関(しすいかん)では、刀傷を受けた者は死に至るという化血神刀を持つ余化が行く手を阻んだが、楊
が余化の師・余元から解毒薬を騙し取り、彼を打ち倒した。関の総兵・韓栄の幼い息子である韓昇と韓変が万刃車を兵士に持たせて抵抗を試みるも、結局は周軍に打ち破られ、
水関も陥落した。
界牌関では通天教主を始めとする截教の面々が誅仙陣を敷いて待ち受けていたが、十二大仙と元始天尊・太上老君のほか、西方より準提道人と接引道人も駆けつけ、誅仙陣を破り、周軍は界牌関を占領した。通天教主は雪辱を晴らさんとの決意を胸に秘め、去って行ったのであった。
さて、次の穿雲関(せんうんかん)では、以前周軍に敗れた呂岳が、瘟陣(おんこうじん)を敷いて挑戦してきた。しかし折り良く清虚道徳真君のもとから、元殷の大夫で掌中目(目のくぼみに腕が伸びており、手のひらに目がある)を身につけた楊任(ようじん)が下山し、五火神焔扇という宝物を使って瘟
陣を焼き払い、呂岳も火に包まれて灰となった。
次の潼関(どうかん)では、余化竜と五人の息子が周軍を迎え撃つ。余化竜の次男・余兆に蘇護が倒され、更に末子の余徳が呂岳と同様、周の陣地に毒を撒き散らしたが、やはり楊が三聖より薬丹を貰い受けて解決。余一族は悉く討ち取られ、潼関も落ちた。