覚書
『封神演義』を読んでいて疑問に思いそうなことを項目別にまとめてみました。しかし私は『封神』に関して専門的な研究をしてきたわけではなく、いきおい『封神演義の世界』や『封神演義』(集英社文庫版)の解説の主張に沿ったものとなっておりますので、ご了承ください。
『封神』が日本で知られていなかった理由
『封神演義』は、魯迅の『中国小説史略』(今村与志雄 訳・ちくま学芸文庫・全二巻もしくは中島長文 訳・平凡社東洋文庫・全二巻)によれば、『西遊記』と同じく神魔小説というジャンルに属する。神魔小説とは聞きなれない言葉だが、要するに妖怪退治の物語ということである。そして『封神榜』・『封神伝』とも呼ばれる。現代の中国では『封神榜』と呼ばれることが多いようである。
今でこそ『少年ジャンプ』でコミック化され、テレビゲームにもなるほどに有名になった『封神演義』だが、安能務氏による講談社文庫版の訳本が出るまで日本では一般にその存在が知られていなかった。中国ではそれこそ『三国志』や『水滸伝』なみによく知られている物語なのに、なぜ日本では長らく知られていなかったのか?
講談社文庫版のまえがきでは、太公望が、儒教の祖とされている周公旦を押しのけて活躍する『封神演義』の存在を後代の儒家がやっかみ、辞書から『封神演義』の項目を抜くなどの情報操作をしたと言うのである。この運動は中国本土ではうまくいかなかったが、日本などでは効力をあげたのだと言う。一見もっともらしい説明であるが、それでは歴代王朝が禁書にしたはずの『水滸伝』や『金瓶梅』はどうして日本に伝わったのかという疑問が出て来る。
では、なぜ日本でマイナーな存在であり続けたのか?それは『封神演義』の小説自体は『三国志演義』なんかと比べると文体等の面で問題があり、さほど良い出来では無かったこと、そして中国においては、その物語や登場人物は主に講談や戯曲によって人々に知られ、元の小説を読んだ人は案外に少なかったからというのが真相のようである。
補足
平凡社中国古典文学大系の『平妖伝』の解説(416頁)に、日本でも江戸時代に『封神演義』が輸入されて読まれていたという記述がある。江戸時代の『平妖伝』の翻訳である『通俗平妖伝』の序を引いて、皆川淇園・富士谷成章・清田叟(きよたたんそう)といった好事家が競って『西遊記』・『三宝太監西洋記』・『金瓶梅』・『封神演義』・『女仙外史』等を読みあさり、最後に『平妖伝』を読んで特に感心したと言う。ここからも「儒家による情報操作が功を奏し、日本では『封神演義』を輸入して紹介しようとする酔狂な人はいなかった」という安能氏の主張が的はずれであることが分かる。
これらの小説のうち、『三宝太監西洋記』は鄭和の大航海をテーマにした海洋版『西遊記』といった内容であり、『女仙外史』は明の唐賽児の乱をテーマにしている。ともに『封神演義』と同じく神仙と妖怪との戦いを扱った神魔小説に分類され、日本語訳はされていない。
『封神演義』が今まで日本であまり紹介されてこなかったというのも、単純に読み比べてみて内容が『西遊記』や『平妖伝』より見劣りがしたからであろう。決して儒家の情報操作に騙されて最初から見向きもしなかったからではない。つまり、『三宝太監西洋記』だの『女仙外史』だのと質的に同レベルの作品と見られていたというわけである。百科事典や漢和字典を引いても確かに『封神演義』の項は無いが、替わりに『三宝太監西洋記』や『女仙外史』も載ってないでしょ?
魯迅の『中国小説史略』を見ると、『封神演義』や『三宝太監西洋記』は、『西遊記』や『平妖伝』、あるいは『三侠五義』には及ばないが、それなりに大きく取り上げられている。小説史の中では四大奇書には及びもつかないが、中堅どころの小説としてはまあまあ重要というのが妥当な評価のようである。
『封神演義』の作者
『封神演義』の作者(ここでは、それまで流布していた封神物語を小説としてまとめた人という意味。)は、コーエーの『完訳 封神演義』では「許仲琳(きょちゅうりん) 編」と明記しており、また一方で陸西星(りくせいせい)という人物こそが『封神演義』の作者であると主張している本もある。許仲琳、陸西星、いずれがその作者なのだろうか?陸西星は明代の道士である。『封神演義の世界』では、彼は『封神演義』に登場する陸圧という仙人のモデルであり、それが陸西星作者説の根拠のひとつとなっているという説をまず紹介している。しかし同時に、陸西星の没年が、『封神演義』の元ネタとなった小説の完成よりも早いことなどを根拠にそれを否定している。
ではいったい誰が作者なのか?今の段階では許仲琳と、そして明代の『封神演義』の版本で序文を書いている李雲翔という人物との合作であるとする説が有力とのことである。
元ネタとなった小説
『封神演義』は、許仲琳なり李雲翔なりの完全な創作小説ではなく、ちゃんと創作の元ネタにした小説が存在する。それが『武王伐紂平話』と、『春秋列国志伝』の巻一である。この二編は、残念ながら日本語訳は出ていないが、『封神演義の世界』にそれぞれダイジェストが掲載されている。
それによると、太公望こと姜子牙が周の文王・武王を助けて、妲己におぼれた殷の紂王を倒すという大筋は『封神』と変わらないが、ストーリーは随分とシンプルになっている。すなわち、や楊
、申公豹・聞仲といった仙人・道士がほとんど登場しない。また「封神」の概念が語られることも無く、闡教と截教の争いも存在しない。つまりこれらの要素は比較的後になってから物語に加えられたのである。一番大きな違いは紂王の王子・殷郊の設定であろう。彼は『封神』とは違って周に味方し、最後には自らの手で妲己を処刑するのである。
『武王伐紂平話』と『春秋列国志伝』の違いであるが、登場人物やエピソードの異同(例えば黄飛虎が登場している・いない)が何点か見られるほかは、そう大きな違いは無いようである。
『封神演義』と史実
『封神演義』は歴史小説ではなく、上にも書いたように妖怪退治の神魔小説であり、一種のファンタジーである。だからストーリーのどこそこが史実と違うとかいった事をいちいち指摘することは、『西遊記』での三蔵法師一行の旅と、実際の玄奘の旅の内容を比較してツッコミを入れまくるのと同じくらい大人気無いことかもしれない。しかし『封神』と史実との違いは、封神ファンにとって気になるところであるのもまた事実。そこで、『封神』の登場人物で実在した人と、あと時代考証について簡単に触れておくことにした。
まずは主要な登場人物で、『史記』にその名が見えるのは、太公望・殷の紂王・妲己・商容・比干・祟侯虎・費仲(『史記』殷本紀では「費中」)・飛廉(『史記』秦本紀では「蜚廉」)・悪来・周の文王・武王・伯邑考・周公旦・散宜生・南宮(『史記』周本紀では「南宮括」)といった面々である。元始天尊や申公豹を始めとする仙人・道士はもちろんのこと、残念ながら聞仲や黄飛虎一家・殷郊と殷洪・武吉なども実在していない。
更に、である。殷末周初の甲骨文や金文(鼎や鐘などの青銅器に彫られた銘文)を見ると、紂王や周の文王・武王・周公旦などの名前はちょこちょこと見られるが、太公望や妲己の名を刻んだ物は未だ出土しておらず、この二人も伝説上の人物という可能性がある。
時代考証については、よく言われるのが戦争の方法である。『封神』では騎兵による戦いがよく見られるが、北方民族のように人が馬に直接乗って戦うようになったのは戦国時代も半ばを越えてからである。殷周革命期の戦争は、戦車(馬車から幌を抜いたようなもの)による戦いが中心だったのである。その他、物語の最後の方で大砲が出て来るなど、(コーエー版第93回・300ページの上段を見よ。講談社文庫版ではさすがにカットされているが)ツッコミ出したらキリが無い。
『封神演義』に限らず、この種の古典小説は元々が高尚な物とは見なされておらず、時代考証も得てしていい加減になりがちである。従って物語中の風俗もそれが書かれた時代のものを基に書かれているようである。『水滸伝』など、書かれた時代からそう間が空いていない時代の物語では、ボロが目立ちにくいが、『封神演義』のように思いきり時代が空いている物語では、特にそういうボロが目立ってしまうというわけである。