asahi.comトップ>社会>2005年08月26日17時25分
第2次大戦
で米軍による国内への空襲が本格化する直前、旧日本軍が新型爆撃機B29の編隊の運用方法などの
機密情報を入手していたことが明らかになった。
愛知県立大の倉橋正直教授(中国近現代史)が中国・吉林省の公文書館にあたる「档案館
(とうあんかん)」が保存していた関東軍憲兵隊の内部文書を入手、分析した。
1944年12月に旧満州国で撃墜され、捕虜になった搭乗員らが、
照準合わせは先頭の機がすることや帰路は電波誘導で最短距離を飛ぶなどの機密事項を詳述していた。
この内部文書は関東軍憲兵隊がソ連参戦で新京(現在の長春)から撤退する際、
焼却しきれなかったものを同館が保管していた。
文書は44年12月7日と同21日、旧満州国の奉天(現・瀋陽)にあった満州飛行機の工場に対する
空襲の際に撃墜された2機の搭乗員計12人の調書など。
B29は当時、中国・四川省の成都を出撃拠点にしていた。
調書によれば、午前3時に出撃した機は約1500キロ飛行した後、高度1万5000フィート
(約4570メートル)で12機ごとに編隊を組み、攻撃目標に向かった。
イニシャルポイント(IP)と指定された地点で先頭の機が照準器の作動を始め
照準合わせのため時速約320キロの比較的低速で10分間程度の直線飛行を続ける必要があった。
攻撃目標に達したら12機が一斉に爆弾を落として左回りに方向を変え、
成都からの誘導電波で一直線に帰路についた――など、爆撃の手法が詳細に語られていた。
「照準器は速度、高度、風向、風速などの数値を入力すると投弾のタイミングを知らせる形式。
先頭だけが使うのは衝突を避けるためで、他の機にはタイミングを無線で伝えた」
「レーダーはもっぱら飛行に使われ、爆撃の照準用としては精度は低い」など、
装備の性能について詳述。飛行機同士や基地との交信には統一の周波数を使い、
毎日変更する▽敵襲と区別するため、帰路は基地の640キロ手前で爆撃の概略を無線で報告する
▽尾翼に描かれた所属部隊を表す図形や数字の解読方法――など、
漏れれば重大な損害につながる情報もあった。
調書は44年12月10日、11日、27日付のガリ版刷り文書にまとめられており、
国内の関係機関に配布されたとみられる。B29の出撃拠点は年明けの45年から
太平洋のテニアン島に移り、国内の都市への空襲は同年1月から激化した。
2月には本土防衛部隊が再編されて太平洋沿岸に高射砲部隊が次々つくられたが、
調書の情報が活用されたかどうかはわかっていない。
旧日本軍の装備や組織に詳しい軍事評論家の辻田文雄さんは
「本土防衛部隊の幹部らに情報が周知された形跡はない。
情報が周知されていれば、迎撃や被害の抑止に利用できた可能性がある。
ただでさえ縦割りの軍の組織が、『本土決戦』を叫ぶ末期の段階で、
より柔軟性を失っていたためではないか」と指摘している。
写真説明:
発見されたB29の資料。
機密事項だったはずの機体の記号の意味などが解説されている
(倉橋正直・愛知県立大学教授提供)