
爆撃に参加したB29も485機が撃墜され5335(485機 X 11名)人の 米兵のほとんどが犠牲になったと言われています。そして”超・空の要塞”とは如何なるもであったか。 その先進性を探りつつご紹介致します。20世紀を締めくくる今、最後までごゆっくりご覧下さい。
〔開発経緯〕・・・B29の開発は、日米開戦1941.12.8以前の1939年に発想、1940年に設計明細、 1942年初飛行、1945年までにB29型を2513機製造、B29A・B29Bの改良型を含めると、 なんと3942機も製造した。発想は1939.11、当時、米陸軍航空隊の司令官であったヘンリー・アーノルド大将の発案で、 ドイツなど枢軸国が南米大陸のどこかに基地をつくった場合を考え、アメリカを防衛するために開発されたと言われています。
当時、1939.9英仏が対独戦線を布告、1940.9日独伊三国同盟、日米開戦の環境が整いつつあった。 軍事技術的にはドイツのメッサーシュミット戦闘機(755km/h)の脅威、原子核物理学の研究が秘密 裏に進められる中で、B29は製造着手から2年後の1942.9初飛行の時は、既にミッドウェー海戦1942.6で勝利を おさめたのを機に、米連合軍が太平洋南西部の拠点島攻撃に転じて以来B29の改良が進められた。
そして、その後生産されたB29は、積載爆弾容量を拡大、航続距離を5000kmに伸ばし、 さらに対空戦用銃座を強化するなどの措置がとられた。この時からB29は、東京・広島・北九州・長崎 などを目標にした日本列島攻撃専用の戦略爆撃機に仕立てられた。
また、このB29大作戦の背景は、太平洋の彼方でめきめき伸張する日本帝国を徹底壊滅せよと 言うルーズベルトの対日戦略の策定を出発点として、その航空戦略のさまざまなニーズを満たす”ツール”としての機体設計に始まり、生産、搭乗員の訓練から兵站、作戦運用・・・・。 さらに海上に撃墜された搭乗員を飛行艇や潜水艦で救出する方式までを含めて構築された、 壮大な技術・戦略システムの中心がB29であったのです。 そして、次ぎの3社で、B29の大増産が開始された。
@Boeing社Wichita,Kansas plant. 1620機/1943年9月〜1945年/10月
AMartin社Omaha,Nebraska piant. 536機/1944年/年央〜1945年/9月
BBell社Marietta,Georgia plant. 357機/1944年2月〜1945年1月)
![]() 本機の先進性溢れるフォルムを、余すところなく捉えた秀逸な一葉。 キャビンは気圧調整と空調(与圧)まで完備。 |
![]() 全長99’00”(30.18m)、翼長141’3”(43.10m)、 全高27’9”(8.46m) |
![]() Serial NO 44-86292 was Enola Gay, Which doropped atomic bomb on Hiroshima スミソニアン博物館展示中のエノラ・ゲイ B-29-45-MO S/N 44-86292 スミソニアン博物館では、エノラ・ゲイのクルー11名が現在も原爆投下の正当性を訴えています。 それは、もし我々の行動が無かったら、その後の戦闘でさらに多くの犠牲者が出たであろうと! |
![]() ガラス窓の内側に、有名な”ノルデン”爆撃照準器ガ取り付けてある |
![]() Serial NO 44-27297 was Bock's Car -- tha Nagasaki bomber, now on display at WPAFB Museum, OH デイトン空軍博物館展示中のボックス・カー B-29-45-MO S/N 44-27297 デイトン空軍博物館には、B29・B50など数多くの軍用機を展示。 |
![]() Pilot's instrument panel and controls. これがパイロット席です。この右側に同様の副操縦士席がある。 B29の操縦マニュアルのよると、設計者は安全確保のため、パイロットにこれらの計器と制御装置 の位置、操作目的、操作方法を完全にマスターし、かつ多くの”飛行の制限”を定め遵守させた。 写真右端のカバーを被せた部分が、当時は最高の軍事機密扱の ”ノルデン”爆撃照準器。その手前が爆撃手席で昼間は視界良好な状態で爆弾を投下。 この照準器は,、B29墜落時には、事前に破壊する様に指令されていた。 これは、大変な精密光学計器で、爆撃手が投下機の爆撃高度・目標の標高・気圧・気温・投下角度・ 速度・偏向風等を基にノルデンの各設定器を設定し、光学系で攻撃目標を確認し、 投下爆弾数・着弾点までの距離間隔を決めて投下していた。 それらのデータと着弾所要時間を爆撃手が計測記録し、着弾精度向上に努めた。 |
![]() Engineer's instrument panel controls and switch panel. 機首内部右側の、副操縦士席の後ろに位置する機関士席。 エンジン4基分の計器、及び操作レバー類を整然と配置。 B29と言えども当時はエンストも起こるキャブレター装着のガソリンエンジン。始動から始まる 各種の運転条件はこれら操作レバーやスイッチのON OFFの操作により、潤滑油温度・ シリンダーヘッドの温度・混合気のRich Leanの切り替え・過給圧(設定はマニュアルで、設定後は電子管制御のAUTO) の設定などなど盛りだくさんのマニュアル 操作。そんな中でも最も重要なシリンダーヘッドの温度は、許容温度を越えないようにカウルフラップを調整し 冷気導入で加熱を防止。 さらに、キャブレターの氷を除去するためのスロットル操作・ターボ過給圧調整とインタークーラーを 通さずに圧縮された吸気の熱で氷を溶かす操作など今人では到底失敗しそうな操作をしながら日本上空へ飛来。 さらに、エンジン始動時には、消火器待機での始動を義務付けるなど、 B29の安全確保に努めた。 |
![]() 機関士席の後ろに位置する無線士席。当時の日本では及びもつかないような、 高感度無線機とその操作機器類をセット。机中央がBC348H受信機、上部に3つ並んでいるのはコマンド受信機、 左側にはBC-306-Aアンテナチューナー、左手のチューブは酸素マスク。 当時の無線機は全真空管式のアナログ。デジタル時代の今考えるとなんとも原始的ですが、 それでも日本人には想像を越える高級機器群です。当時でも日本軍の最新鋭受信機は、 ”高周波2段・中間周波2段のスーパーヘテロダイン”(一般家庭は並4受信機の時代)を採用していました。 B29搭載の受信機は、勿論最新鋭のスーパーヘテロダイン方式でかつ各種の付加回路を備えたかなりの 高級機。しかし、送信機のファイナルチューブとアンテナのチューニングはプレート電流計を見ながらディップ点を探る マニュアル操作。送・受信周波数の設定は、周波数計(Xtal)をつかって、目的周波数の上下の 2つの周波数から補間数を求めて受信ダイヤルを設定した。 したがって全ての操作はマニュアル、通信士が大活躍の時代です。この方式は、 戦後20から30年続いた。日本軍は撃墜したB29からBC-348-H受信機 を回収し大学の教授に調査を命じていた。このBC-348受信機は戦後20年以上も世界中の ハムのあこがれでした。日本のハムもこのジャンク品を求めて海を渡るほどでした。 |
![]() 前後2つある爆弾倉のうち、前部のそれを仰ぎ見たショット。画面中央を、与圧トンネルが 通っており、その両側から下方に伸びるレール状のものが爆弾懸吊架。 与圧トンネルとは、搭乗員のいる前後のキャビン(与圧区画内)をつなぐトンネルで、 彼らはCREW TUNNELと言って乗員の移動通路。 |
![]() 後部爆弾倉内を前方に向けて撮ったショット。左右の懸吊架には、220ポンド(100kg)焼夷弾 が懸吊されている。中央の通路は、展示用のためのもので、実際の機体にはない。 |
![]() 500ポンド(227kg)通常爆弾。主に軍事目標の爆撃に使用。 |
![]() 220ポンド(100kg)焼夷弾。 日本の各都市を焼け野原にしたのが、この焼夷弾。 この焼夷弾が投下後に48個の子焼夷弾を空中で放出(破裂)し、燃えながら花火の様に市街地に落下。 |
![]() 右内側エンジンナセル。直径5mを越えるプロペラが圧巻。 このプロペラがターボ過給2600rpm、2200馬力の出力を吸収し時速550km/hの推進力となる。 |
![]() B-29の高性能の源。 ライトR-3350空冷星型複列18気筒エンジン(2200hp)。 この写真はエンジンを軸方向に立てて展示したもの。上方に突き出しているものがアウトプットシャフト。 |
ライトR-3350デュプレックス・サイクロン(サイクロン18)、空冷複列星型18気筒、筒径155.6mm、 行程160.2mm、エンジン1基当り総排気量54、860cc、直径1、413mm、乾燥重量1、212kg、ギヤ比0.35(20:7)、 圧縮比6.85、離昇出力2、200hp・/SL/2,800rpm、戦闘出力2、200hp/25,000ft{7,620m}/2,600rpm, 標準出力1、800hp/14、000ft(4、267m)/2、400rpm、 ターボ過給機:GE製B-11、ギア比6.06:1、エンジンに各2基装着し電子装置で自動制御、 このエンジンの耐久性と高性能を維持する為に彼らは使用温度条件(許容温度) を明確にしている。具体的には、シリンダーヘッドの温度は、地上での離陸出力(5分間) 時は260℃まで、定格の70%出力での連続運転時は218℃、潤滑油温度は、 連続運転時は85℃、キャブレター入り口のエアー温度は30℃(凍結防止のためマイナスは不可) とし、機関士が容易に調整できる。このようにしてエンジンの信頼性を確保しかつ高性能を引き出した。 また、このエンジンの最大の特長は、4基の各エンジンにそれぞれ2つのタイプのターボ過給器を装備し、最高12000mの高度を飛行できたことです。 これはターボ過給器の威力であり当時としては大変画期的であった。 |
![]() 総重量60トンの巨体を支える主脚。写真は左主脚を右後方から見たところ。 |
![]() R-3350エンジンを内臓するナセル。写真は右外側。写真左下が排気口、 なお排気口は左右2箇所にあり、それぞれに、高高度飛行に威力を発揮した排気タービン 過給器を装着。 |
![]() 胴体後部上面の、12.7mm連装機銃を後方よりみる。主翼とナセルの膨らみが見事に 融和している。銃手はこのような特等席で、 上空待機の日本の迎撃戦闘機を狙って撃ちまくった。しかし、夜戦では視界が効かず、日本軍の 照空隊のサーチライトで捕捉され標的となった。 |
![]() 機首下面の、12.7mm連装機銃を前方よりみる。その後方は前後爆弾倉で、 扉が開いた状態。 |
![]() 搭乗員と火器管制装置を保護するため非磁性装甲板を取り付け。 軽量ではあるが、充分な安全性を確保。 |
![]() 標準電子装置:コマンド無線セット・連絡用無線セット・長距離航法装置(Loran)・ラジオコンパスセット・ 電波高度計・マーカービーコン受信機・計器着陸誘導装置・VHF無線装置・味方識別装置・ 周波数計・インターホン装置・濾波(フィルター)装置・緊急海難救助信号発信機・自動操縦装置・ 航法/爆撃レーダー・捜索レーダー・及び各種アンテナ・独立した各装置の電源など。 彼らは、このような無線機器を駆使した。そして、隊長機には既にレーダーが搭載されていたことが確認されていた。 しかし、2500kmかなたの日本本土、しかも夜間の地形を 把握するために当時はまだ分解能の低い電波地形判別機(レーダー)であり、 そのスコープを覗いていたレーダーオペレーターは大変苦労したと思う。 |
![]() ![]() 乗員は通常11名。フロントキャビンの前方より、爆撃手・パイロット・副操縦士・機関士・航法士・通信士。 リヤーキャビンの前方より、右側面銃手・左側面銃手・上銃手・レーダーオペレイター・尾部銃手 |
![]() 前上方銃座に12.7mm連装機銃(2挺)(ガン・カメラ付き)、 前下方銃座にも12.7mm連装機銃(2挺)を装備。 |
![]() 後上方銃座に12.7mm連装機銃(2挺)、左右の銃座に12.7mm連装機銃(2挺)、 尾部銃座に12.7mm連装機銃(2挺)と20mm機銃1挺及びカメラ6台(内ガン・カメラ1台) を装備。 |
![]() 燃料タンクは、主翼内にぎっしり搭載され、さらに、前後の爆弾倉にも搭載している。 このようにしてガソリンタンク(危険物)満載(35000リットル)での10時間もの飛行は、 今日のジャンボジェット(燃料は灯油)と較べて大変に危険であったと思います。 そして、敵地で主翼内の燃料タンクに高射砲や迎撃戦闘機の37mm機関砲が命中したら 一発で火だるまとなるB29でもあったようです。 日本軍の迎撃戦闘機(屠龍)はこの主翼の直下に接近して37mm砲を一発必中で挑んだと 迎撃戦体験者は報告。 |
![]() 燃料系統は、エンジン毎に分割して供給するようにし、信頼性に配慮している。 燃料は、エンジン駆動のポンプで供給される。緊急用として、各タンク出口に電動ポンプを装着し 各タンク間の移動を可能にした。 |
![]() キャビン内空気調節:キャビン内(与圧区画内)の気温と気圧は自動的にコントロールされている。 空気は第2、第3エンジンを動力源とした遠心分離型過給機による2つの独立したシステムで供給される。 各過給システムには後段冷却機とガソリン燃料ヒーターがあり、機関士の計器盤上にある熱調整器 で調節される。 キャビン内の圧力調整は高度2400mまでは差圧はかかっていない。2400mから9100mまではキャビン内は 2400mに相当(0.74気圧)する圧力を維持する様にした。 |
![]() 予圧室被弾時には乗員は酸素マスクで戦闘を継続できるように16ヶの酸素ボンベを 搭載し、高度25000フィート(7620m)で乗員全員に十分な酸素を4時間供給できる。また、4時間は日本 本土からテニアン空軍基地への飛行時間に相当。 |
![]() プロペラブレードに氷が張り付くのを防ぐために融氷液(AN-F-13イソプロピルアルコール) が各ブレードの前縁に沿って流される。この配液はプロペラ・スリンガーリングの各ブレードの根元に 取り付けられたノズルを通して行う。 |
![]() 着水までに、搭乗員は爆弾・着水に必要のない燃料・銃器・弾薬・カメラなど捨てられる 装備すべてを投棄。手持ちの拳銃で爆撃照準器などの秘密機器はすべて破壊。 搭乗員は救命筏に乗船後、少なくとも6日間は海にとどまる覚悟をしなければならない。 そして、B29操縦マニュアルには、着水の手順・救命筏(放出で自動的に膨らむ5人 乗り救命ボート4艘)には医療装備・非常食ボックス・飲料水などかなりの物資が チャックなどで固定された。 可能な限りの配慮がなされていた。さらに、当時の米空軍司令官は、 日本の陸軍は非人道的であり、陸地より海へ着水し日本海軍の捕虜を選べと指示したそうです。 |
B29の理解は、当時の米国の技術力をしる上での貴重な情報であり、 その設計思想は現在でも役立つ情報と考えます。これに立ち向かった日本の迎撃戦闘機は、 高高度下では零下20°C以下となり操縦桿を握る手は凍えていました。 B29の機銃で翼のタンクに被弾するとすぐに炎上するので、”ライター防衛隊” と呼ばれていたそうです。
そして、55年後の今、経済大国と言われる日本の現状 を見ると当時と変らないような状況も散見さらます。貧困な政治・保身官僚・金権社会・目先主義・ 企業戦死・リストラ戦死・いじめ社会・家庭崩壊などなど、大戦下の官の驕り・人命軽視、目的のためには手段を選ばずといったところは本質的には変っていないように思います。
私は、幼少の追憶を求めてB29の墜落現地を訪問しました。そして、B29と再会し、 この”B29写真博物館”を編集し皆様にご覧いただきました。 そして、B29を20世紀が産んだ”世界の負の遺産”と考える時に、 米国がこの負の遺産B29を3943機も造った事に対して、日本も50%以上の責任があります。 私は、日本政府が”世界遺産B29博物館”を建設することを望みます。
また、篤志家にお願いし
B29を1台購入し、長島スパーランドか航空博物館または愛知万博の跡地に展示すると良いと思います。いまさら、あの忌まわしいB29とは何事かと思うかも知れませんが、そのように思う人もいなくなる時代です。
今ならぎりぎりで間に合います。さもなければもうすぐB29と共に、
先の大戦も日本人の心から消え去るでしょう。
私は戦争の無い21世紀を願っています。
ご来館の皆様如何お考えでしょうか?皆様のご意見をお待ちしています。
この博物館は、下記の”B29関連HomePage”及び”B29関連ドキュメント”を参照して編集しました。
さらにB29関係の情報を知りたい方は,これらをご覧下さい。
〔お知らせ〕B-29Museum
開館後、訪問者からのご紹介で、軍用航空機の専門家に記載内容を点検していただきました。
そのご指摘事項を訂正したものを”第1回改訂版”とさせて戴きます。
ご支援有難うございました。
| Boeing B-29 Superfortress | American Memorial Park | Heavy Bombers.Com | 東京大空襲 |
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| 超空の要塞 | 第2次世界大戦バーチャルミュージアム(サイパン・テニアンからの日本爆撃) | 第2次世界大戦の米空軍 | 東京大空襲体験者のHP |
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| Smithsonian Museum | B-29の追憶"New" | B29搭乗員の記録 | Backward into Battle |
|---|---|---|---|
| Enola Gay Restoration Home Page | 米兵奇跡の生還 | 元第314航空団330大隊レーダー観測員の出撃手記 | 後尾機銃手Andy dotyの記録 |
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B29トヨタ爆撃の真相
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