八重山旅行 (07年 12 / 21 〜 29 )

 

12/28(金)8日目


   朝食をとり、波照間島の名の入った手ぬぐいを買い、
  1便の高速艇の時間にはまだ早いが、8時15分出発。
  ミニチュアボトルを○○本も買ったので、バックパックが重すぎる!!

   集落の出口を探していると、前から女の人が歩いてきた。
  歩き方、姿は、道を聞いたお姉さんだ。
  しかし、今、チューリップハットはなかった・・・。

   知った人に会ったら、目を見て挨拶をするっていうのが僕の信条だ。
  だから、朝の挨拶をした。初めて顔を見た。

   美人さんだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
   「高速船、欠航しろ。」と思ったかって?

  

   

   ニシ浜に寄ってから、波照間港に到着。
  折り畳み完了したんで売店を冷やかしに・・・。
  つい、絵はがきを買ってしまった。

   帰りもTVの取材の人と一緒だった。
  カメラマンに話しかけると、大分のローカル局のクルーだそうだ。
  端っこでお宝をゲットするという企画。

   波照間のお宝は、もちろん・・・

   9時40分、高速艇は欠航することなく無事出港。
  帰りもそんなに揺れなかった。

   

   10時40分、石垣港に着岸。
  本日のお宿、ハイパーホテル石垣に行き、バックパックと自転車を預けた。
  今日は、石垣市街の観光だ。

   三枚肉そばで腹ごしらえしてから、
  酒屋で、オリオンビールの限定商品”いちばん桜”を家と知り合いに送った。
  泡波、二升半のでっかいビンが4万円していた。

   テクテク歩いて、

   

   12時半過ぎ、100 円、払って八重山平和祈念館に入る。
  ここでは、戦争マラリアについての展示がメインだった。

   戦争マラリアとは、太平洋戦争末期(1945 年)に、八重山郡の住民が、日本軍の命令によって
  マラリア有病地帯へ強制移動させられ、多くの人がマラリアに罹り3647名が亡くなった事実のことだ。
  日本軍が食料として、住民の牛馬、ヤギを奪うのが目的だったそうだ。


   こんな事実、知らんかった・・・
  呆然とする。


   

   向かいにある具志堅用高記念館へ、400 円、払って入る。
  入場料は高いけど、まあ、話の種だ。ははは。
  笑うしかないなあ。

   具志堅用高・ちょっちゅねー手ぬぐいを買った。
  館の人に商店街で泡波を売ってる店を教えてもらった。
  入場料には、情報料が入ってるみたい。

   

   1時20分、桃林寺へ。
  旅人らしき女性に、CDのリサイクルについて話しかけられた。
  お守りを授かった。  


   

   宮良殿地にも寄った。
  ここでは受付のおじいさんと石垣、国際情勢の話をした。

   おじいさんは、太平洋戦争中、ビルマにいたそうだ。
  また、石垣島は明和大津波(1771 年)に襲われて、3万人弱の人口が2万人ほどに減り、
  その翌年、この津波の海水による塩害で大飢饉になり、多くの人が亡くなったそうだ。

   おじいさんとは、北朝鮮は絶対に核を放棄しないという意見で一致した。

   八重山博物館を見学した後、公設市場にある石垣市特産品販売センターで、お土産をまとめ買い。
  明日、バックパックを背負えるだろうか・・・
  
   泡波を売ってる店を冷やかしに行った。
  3合ビン、8800 円。僕の買ったミニチュアボトルも 680 円している。
  僕は320 円で買った。

   とても疲れたんで、4時前に宿に戻って、休憩。
  鏡を見たら、僕も日焼けで島んちゅになっていた。
  NHK では復帰35年・年末ハイライトの番組をやっていた。


   

   6時、体調は万全ではないけど、最後の夜くらいはというわけで、
  来た当初に目星をつけておいた居酒屋・栄に行く。
  予約席があったり、すぐに地元の人で一杯になった。

   マスターやカウンターの隣のゴルフ仲間4人組の人と話をし、泡盛・請福を水割りでやりながら、
  石垣牛のタタキ、島タコの刺身、ジーマミ豆腐、テビチの唐揚げ、海ブドウの酢の物、竹豆腐などを食べた。
  全てのものが、美味い美味い!!
  
   地の人と話しながら、地の酒で地のものを頂く。
  いやー、旅の醍醐味や!!!
  一品一品の量が多すぎて品数、食べれんかったけど・・・。

   適当なところで、「よい新年を・・・。」などと言いながら店を後にした。

   宿に戻り、食べ過ぎで苦しいけど、気分良く就寝
   



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