欠陥住宅に出会ったら ――被害体験と対策活動の40年から得たレシピ――
代表幹事 澤田 和也(弁護士・体験者)
1 、当会の生まれた経緯(いきさつ(・・・・))と欠陥住宅の生まれた背景 ――― 住宅の生産システムの変遷が手抜き欠陥を生んだ―――
ただいまご紹介に預かりました正す会の代表幹事をさせていただいておる澤田でございます。
きょうは、土曜日の早朝からお集まりいただいて、ありがとうございます。我々は今まで、この名古屋においては欠陥住宅問題に関するキュンペイーンを余りしてまいりませんでしたが、きょうの機会にぜひ名古屋にも我々の拠点ができればと思っております。ただ、私は長い間東西を行き来しておりますが、名古屋というところはこれほどの大都会でありながら、欠陥住宅問題に割合冷淡といいますか、被害者の組織が少ないように見受けられます。もちろん設計者の会とか日弁連の外郭団体の被害対策ネットなどはございますが、それらはいずれも専門家を主体とする団体でございます。しかし、我々は消費者を出発点としておりますので、消費者サイド性は私どもの団体が最も濃厚であろうと思っております。
さて、当会は、昭和53年に「住宅のクレームに悩む消費者の会」として出発し、昭和54年4月に三笠書房から出した「欠陥住宅体験集」では大変な反響をいただきました。欠陥住宅というと皆さんは平成7年の阪神大震災以後のように思っておられるかもしれませんが、今我々の言う商品としての住宅の欠陥、つまり売り手の手抜き、生産者の手抜きが始まったのは、住宅の生産システムが変わった昭和40年ごろからであります。それまでは、消費者と同じ地域社会の中で信頼関係を持つ大工、棟梁が直接住宅をつくっていたのが、池田内閣の高度成長政策で皆に住宅を持たせるための国による住宅金融が行われたことをきっかけに、その国家資金を当て込んで住宅会社というものが出現したことに端を発します。それまで住まいつくりの中心であった大工、棟梁、それらの組織化された工務店、建設会社という形態のほかに、新たに住宅会社が登場してきたのですが、これは割り切った言い方をすると、技術からではなく販売又は集客から出発した会社と言っても過言でありません。事実、当時の住宅会社に技術要員はほとんどおらず、セールスマンと若い建築士を技術要員として雇用している程度でした。そして既往の他産業での知名度を生かして、例えば「ナショナル住宅」という会社がありますが、本来は電気製品の会社であるナショナルのブランドイメージを生かして、「ナショナルだから家も大丈夫」と消費者に思わせて、自らメーカーと称して恰も直接施工するかのように装いながら、自らは直接施工はせずただ目抜きの場所に営業所を構え、ブランドを活かして専ら集客に専念し、設計はするものの施工は各地域の工務店に一括下請に出すという謂わば住宅商社とでもいうべき実態でした。その名残りはは残念ながら現在もなお続いておりますが、技術本意で出発した建設会社や工務店と利益追究から出発した住宅会社とでは、技術を重んじるか利潤追求を第一にするかという会社そのものの姿勢の違いがあると思っております。
そして、今日で云う欠陥住宅、特に手抜き欠陥が顕著となってきたのが昭和40年代でございました。ちょうどネーダー氏が欠陥車の問題を取り上げ、日本でも安倍弁護士がユーザーズユニオンをつくったころで、そのアナロジーもあったのか、プレハブ住宅をよくする会やマンション問題を考える会(後に「マンション問題で行動する会」に改名)などもこの時期に生まれました。そして、その流れを受けて、戸建て住宅の被害者を主体とした私どもの正す会が大阪で生まれたわけでございますが、その出発点は、手抜き欠陥の現状に対して社会や国家が余りにも冷淡である、しかしわいわい騒いでいるだけでは欠陥住宅問題は終わらないという被害者の思いでありました。 |
2、正す会は欠陥住宅紛争の個別契約性と専門技術性に着目した活動を25年に亘り展開。
――― 欠陥住宅紛争は一つ一つ違って、集団的には解決できず、専門技術性が高くて解決には専門知識(頭脳)がいる。 正す会は消費者の要望にそう専門家団を育成し消費者サイドの判決獲得に力を尽くしてきた。―――
ところで、マンションやプレハブに関する会が当会に先行して立ち上がったのにはわけがあります。それは、マンションやプレハブの住民には共通項があるから集団の圧力で業者を糾弾できるだろうという考えからだったのですが、実際に行動してみるとマンションもプレハブもそうはいかないということがだんだんわかってきました。というのは、プレハブといえども住宅というのは個性のある土地に立脚しているもので、一つ一つの契約内容が違うものだからであります。世の中の多くの方は、雑誌に載っている建物の写真を見て、「このメーカーの建物が好きだ」と言われますが、それはスタイリングの好みを言っているにすぎないのであります。一つ一つの建物は違う土地に建ち、プレハブといえども、個性のある土地にさまざまな客の要求に合わせて建てられますので、契約内容は一つづつ違って結論的には、住宅の紛争解決では住宅の契約の個別性に着眼する、つまり本来的には業者と消費者が1対1でなければ解決しないという特徴があります。
又、消費者と業者とでは商品である住宅についての専門的知識(情報量)に雲泥の差があります。又、通常の民事事件とは違って普通の弁護士では契約の解釈―― つまり設計図書の理解力がなく、この種の訴訟はお手上げというところがあります。だから当初当会をつった被害者は「裁判をすれば時間と金がかかるだけだ」と嘆いたものでした。 しかしこれでは業者との紛争は解決しない、消費者サイドに立つ専門家(建築士と弁護士)を自ら養成しようとして、消費者の痛みを自己の痛みとしてとらえ、専門家団(建築士と弁護士)をつくり、これを育成してきたのであります。
多くの消費者団体の中で、当会のように業者と互角に戦うために必要な専門家を育成し、この専門家がたえず消費者と討議して消費者の痛みを自己の痛みとして捉える努力をしている団体はまずみあたらないと思います。
特に欠陥住宅問題は法律と技術(建築)にまたがる学際分野で、発会当時満足な著書すらなかったこの分野に、当会は新しい分野を開拓し、のたに述べる最高裁に消費者サイド判決を出させる一助になつたことは、当会の誇りとするところであります。 |
3、住宅の注文者を消費者として捉える意味
―――最高裁判例いま欠陥住宅紛争は、消費者サイドに立つ新転機を迎えている―――
この「消費者」という言葉もそのころから用いられたたもので、我々の会の前身は「住宅のクレームに悩む消費者の会」と申しておりました。消費者と注文者はどう違うかと申しますと、民法では、注文者と請負人の関係について、むしろ請負人を弱者としてとらえ、少々欠陥があっても対処し得ない場合は瑕疵の修補はしなくてもよいとか、一たん建物ができ上れば契約の解除はできないなどの請負人保護の規定をしています。 その理由は、今でも生きている民法が103年前の明治32年にできた法律だからであります。借地借家や労働といった他の分野に関してはそれぞれ特別法が生まれ、実質的な不平等を是正して弱い方にハンディを持たせていますが、住宅に関してはそれが全くないのであります。今もそういう意味では積極的に消費者を保護するという特別法がありませんので、我々は解釈努力で消費者サイドに立つ道を今日まで歩んできたのでありますが、その結果、去年からことしにかけて日本の法曹界において欠陥住宅の問題に関する大きな転換期を迎えました。 それは、取り壊し建てかえしなければならないような手抜きがあった場合には、取り壊し建てかえ相当代金が賠償として認められるという最高裁判決が出されたということであります。そんな説は認められないというのがこれまでの大多数の法律家たちの考え方でありましたが、当会が30年来その争点を目標に下級審から判決をとり続けてきた結果が、去年最高裁判決にあらわれたのであります。
また、今年に入っては、約束よりも細い鉄骨の断面を使った場合、計算上その安全性が確保されるとしても、鉄骨の構造は契約の要素なので欠陥であるということも認められました。これは極めて当たり前の明快な話なんですが、これについてもこれまでは「手抜きをしていても欠陥ではない」という主張が認められていたのであります。仮に細い鉄骨ででも安全性は確保されるときでも、最高裁は、約束した太さの鉄骨を使いなさいという判断を示したのであります。当たり前といえば極めて当たり前の話で、まさに世間の常識が法律界の非常識だったのでありますが、異端の少数説と言われながらも私が自説を信じてこの40年間やってまいりましたのは、私の言っていることが庶民レベルでは当たり前のことだと信じてきたからであります。 |
4、裁判所に業者サイドの判決を出させてきた原因
――― 建設業界と政治の結びつきの強さからくる法制改革の阻止、 裁判官の横並び意識の強さからくる先例踏襲の強さ―――
このように一見非常識と思われる説がとられてきたのには幾つかの原因があります。その1つは、日本の建設業界が政治と強い結びつきを持っていることであります。日本の予算の大部分が土木建設分野に流れているという現状が社会のさまざまな力関係に反映し、消費者サイドの法制改革の動きをとめてきたのであります。あるいは、一般に通常 裁判官の独立性が言われていますが、裁判官にもやはり先例に従属の原則が働いていたという理由もあります。一人一人の裁判官は確かに立派な方が多いのですが、いざ判決を出すとなると、やはり世間のことを気にして自分の正しいと思うことがなかなか言えない、他に判例がないとできないという横並びの考え方があるということであります。個人的には私の主張に賛同の意を示してくださる裁判官も、いざ判決を書くときは保守的なものになる、それは裁判官自身に「革新的な判決を書くと出世ラインから浮き上がるのではないか」という気持ちがあったからではないかと推察しています。 |
5、欠陥住宅を生み出していた一つの原因。
――― 建設業者に設計施工を認めたことから、建築士の工事監理が働かなくなっている。 名義貸しを正した今回の最高裁判決―――
設計施工を業者に認めてきた、そのため本来三者的であるべき建築士の工事監理が適正に行われなくなってきた、ことが欠陥住宅を生み出した一つの大きな原因です。
その結果、建築士は工事監理者に名だけ貸して形式的に確認手続をパスさせるということが、常態化してきたのです。その結果、現在では建築士自身が「名前を貸しただけだ」と平然と言うようなありさまであります。 「名前を貸すということは手形の裏書きをしたのと同じことではないか。あなたが見る見ないは勝手だけれども、建物に欠陥があれば、工事監理者として署名捺印した以上、自分が責任を負うという意味ではないか」と私は言ってきたのですが、政治的に強い影響力を持つ建設業界を背景に建築士は平然とそれに対する反論を言い、また業界ではそれが常識だとされてきたのであります。そして、裁判官の多くもそういった抗弁を受け入れてきたのですが、今回、名前を貸した以上、着工までに実際に工事監理する者を注文主に選ばせない限りは責任を負えという最高裁の判断が下されました。このように、今や日本の欠陥住宅の闘い、特に根本となる法律上の救済に関して大転換が遂げられつつあり、少しオーバーかもしれませんが、「歴史の流れが変わった」と言えると私は思っています。ですから、ここにおられる被害者の方も、裁判をすれば金も時間もかかると言われますが、それは今までの法律制度の不備と、この後に申し上げる弁護士や建築士の選び方、建築業者や建築しの在り方に原因があったからで、希望を持って終わりまで頑張ってほしいと思います。 |