7、アメリカ西海岸の旅

3大都市と4大自然の旅(2000/5/26〜6/2)


これは”じっちゃんの修学旅行”の報告です。今頃なんだとお思いでしょうが、 じっちゃんにとっては初めての米本土上陸です。つかの間の現地・現物体験ですが、その思いは 幼少のB29体験から自動車大国を学び、今年第100回の全米オープンゴルフ(ペビルビーチ)へと 巡ります。 この地図で、カリフォルニア・ネバダ・ユタ・アリゾナの各州にまたがる観光地(赤く塗った所)です。 米国本土のほんの一部どころか西部のほんの一部ですが、その荒野をバスで2000km ひた走りました。そして、150年前のゴールドラッシュと西部開拓の歴史を想像しながら西部の 大自然を満喫しました。その状況を笑いながらご覧下さい。

〔観光ルート〕
@第1日目:サンフランシスコ観光(早朝名古屋発、成田経由、シスコへ)・・・シスコ泊
A第2日目:ヨセミテ国立公園(サンフランシスコから日帰りバスツアー、往復750km)・・・シスコ泊
B第3日目:ザイオン国立公園(空路ラスベガス経由後、バスツアー386km)・・・ペイジ泊
C第4日目:モニュメントバレー(ナバホ族居留地の公園)(ペイジからバスツアー196km)
D第4日目:グランドキャニオン国立公園(モニュメントバレーからバスで284km)・・・グランドキャニオン泊
E第5日目:ラスペガス観光(G.C・フバーダム見学後ラスペガスヘ,バスツアー443km)・・・ラスベガス泊
F第6日目:ロサンゼルス観光・・・ロス泊
G第7日目:ロサンゼルス発、空路帰国

〔交通機関〕
・飛行機(6回)・・・JAL・ANA・アメリカンウェストを利用
・船舶(1回)・・・フィシャーマンズワーフからサウサリート間のフェリー
・バスツアー(5回)・・・合計、約2100Km


@サンフランシスコ(1769年スペイン遠征隊発見入植、人口75万人)

”霧のゴールデンゲイトブリッジ”
(1933年着工、1937年完成、全長2737m)

ゴールドラッシュにより大発展を遂げた町に出来たのがこのゴールデンゲイトブリッジ。 彼は私よりも1年先輩でした。早速、先輩をバックにシスコ見物記念写真。自分もずいぶん生きたものだと思う。 そして、約100年前に日本からの移民船は、この対岸近くの島の検疫地に投錨、移住者は1ヶ月間の検疫待機後、 発病無き者に限り移住が認めれられたようです。現在は、年間480万人もの日本人が米国旅行をする時代です。 また、1000社を越す日本企業が西海岸エリヤに群がっています。そして、シスコは多くの旅行者で 賑わっていました。日本の年金生活者の訪問もかなりの数の様です。



”ケーブルカー”(1873年開通、今でも時速15km/h)

最初に仲良くなったのが、この”グリップマン(=車掌さん)、私が声をかけたので、何やら早口で説明してくれた。 かれの仕事は、地中を走るエンドレスのワイヤーを大きなレバーを引いてグリップする事でした。 この坂道のケーブルカーは、ゴンドラが路面を行くようなものでした。彼は私に発車合図の紐を引かせて、 幸せいっぱいです。そして、前を見ずに動き出したのでビックリして聞いてみたら、前にもう一人いると 言うことで、安心してデッキにぶら下がりフィシャーマンズワーフヘ。 2人コンビのグリップマンが100年以上もリストラされず顕在で心和む思いでした。



”フィシャーマンズワーフ”(もとイタリア人漁港、1960年代から観光地化)

このような露店で、カニやエビの釜茹でが食べれるものと思って来て見ました。看板を見ると CrabもBay shrimpもMarket priceと書いてあります。テラスで皆が食べている物を見ると カニのサラダが入った大きなパンでした。我々は、港の見えるシックなレストランの2階で昼食です。 期待していた通り大きなカニの真半分が出てきました。結構な大きさで感激でしたが、それが良く冷えて いまして、皆揃ってこれが茹でたてならさぞかし美味しかろうと顔を見合わせていました。 後で、レジのマダムに、日本人はカニは茹でたてが美味しいと思う、何故冷たいカニを出すのか? と訪ねてみたら、アメリカでは通常カニは冷やして食べるとの説明でした。



”Mobile Ham”

アメリカはHamのことを"King of hobby"と言います。本場のHamに会えるかと思って近づいて見ましたが 局長はいませんでした。でも立派な車にBig Antennaです。これがカリフォルニアKWのモビル ハム?と見ました。彼らのシグナルとまた会えることを楽しみにフェリー乗り場へ向いました。



”フェリーでサウサリートヘ”

もと漁夫の波止場では、対岸の観光地へ向う旅行者で溢れていました。長い行列もあっという間に さばかれて、サンフランシスコ湾上へ。海上から見る霧にむせぶシスコの全景に感激しつつ、 アルカトラズ島、ゴールデンゲイトブリッジ、エンジェル島を巡り、サウサリートヘ。 ここは、海を渡っただけで気候温暖で、リッチマンが好んで住むらしい。豪華ヨットの停泊料は70万円/月 とか。 どうやらクルーザーかヨットがもてない様ではここに住む資格がないように思われました。



ケーブルカー ストリートミュージシャン? アルカトラズ島 霧のにむせぶゴールデンゲイトブリッジ
この後日本のツアー客で一気に満員となった。 大きなトラックで乗り付けたバンドマン達が大活躍でした。 悪名高い囚人が投獄された連邦刑務所、アル・カポネも晩年過ごした。 沿岸でアラスカからの寒流が蒸発、シスコは霧の町となる。


ケーブルカー サウサリート ヨットハーバー 吊り橋のワイヤー
このようにぶら下るのが
Goodらしい
海辺の丘陵地には豪邸がずらり、シスコにも近い高級住宅地 バスの運転手に豪華なクルーザーですねと話しかけたら、これは小さなボートと訂正されました。 63年間頑張っているワイヤーのカット見本、あと何年の寿命?



Aヨセミテ国立公園/Yosemite National Park /California

”ヨセミテの看板”(シスコの東方350km)

ヨセミテはカリフォルニア州の東端、シェラネバダ山脈の中央部に位置し、1851年に時の 合衆国歩兵部隊踏査により初めて世に知られ、その後1890年にアメリカでイエローストーン に次ぐ2番目の国立公園として指定され、現在では年間400万人が訪れる世界的に人気の高い公園です。 面積は東京都の1.5倍で、標高約2000mの山岳地帯、数多くの滝・湖・岩山・クリークが点在する大自然。
我々は、早朝バスでシスコを出発、シスコ近郊のIT産業都市・広大なカリフォルニアの農場地帯・ 高地砂漠の壮大な”風力発電地帯”、かってマーセド川沿いの金鉱に群がった人々で出来た町々を楽しみながら 11時頃入園し、入り口でYosemite official Map & Guideを受け取り、 新緑の大渓谷に感動しつつ、観光スポットYosemite Valley地区を目指しました。



”ヨセミテ渓谷の入り口です”

ここヨセミテ渓谷地区はシェラネバダ山脈の西斜面に、水の流れと氷河にきざまれた全長11km、 幅1.6km、そして両側の絶壁の高さは610m〜1220mの谷で出来ていました。



"ハーフ・ドーム/Half Dome"(センチネル・ブリッジから望む)

円頂形のドームが氷河によって半分に削り取られた岩塊で、その特異な姿からヨセミテのシンボルです。 この登頂は、かっては困難を極めたが、現在では2695mの頂上までトレイルが付けられ、 ヨセミテ渓谷から往復14km・高低さ1493mで日帰りも可能のようです。 ここで一泊して、明朝登山靴に履き替え挑戦出来たらなーと思いつつ次ぎのスポットへ。



"ヨセミテ滝/Yosemite Falls"

数あるヨセミテの滝の中でも最も荘厳で、その落差は739mで世界第5位を誇る(ナイアガラ滝の15倍)。 この滝は、ビジターセンターの近くにあり、昼食の後に徒歩片道10分位かけて滝壷まで散策しました。 滝は長大で、3段になっており1ヶ所から全部は眺めるこたができません。 この写真は2段目と3段目です。1段目はもっと離れないと見れません。 滝の水量は雪解けの関係で今が最大で、夏の終わりにはかなり少なくなるとの説明でした。



"エル・キャピタン/El Capitan"

公園に入ると最初に目につくのがこの巨大な花崗岩の壁です。多くの人が車を止めて、その巨大な 一枚岩を息を呑んで見上げています。世界のトップクライマー達はここを5〜8日かけて頂上までの 高低差1095mを登りきるそうです。当日もよくよく目を凝らせばクライマーが挑んでいるのが見えると いうことでしたが、私の視力では確たる認識は出来ませんでした。しかし、私の妻は確認できた様です。

かって、両足の無い男がこの岩壁を登ったと言うガイドの説明を聞きましたが、信じることが出しません。 彼はヨセミテのレンジャーで、滑落事故で奇跡的に一命をとりとめたものの、両足を無くしました。 数年後、その彼が友人の支援もありましたが、両腕だけで登頂に成功したそうです。想像に絶する快挙です。

このヨセミテの大自然を垣間見るだけでも最低3日はかかるとガイドブックに書かれています。 そこを我々はたったの3〜4時間で駆け巡ると言う離れ業です。誠にもったいない話です。 しかし、現実問題としてヨセミテバレーでの宿泊予約は6ヶ月前でも困難のようで、 キャンプ道具を積んだモービルの旅が似合う様です。



"カリフォルニアの農場で"

シスコとヨセミテの中間地点は広大なアーモンドとぶどう畑でした。何も無いけど生理現象は巡って来ます。 そこに目を付けたのが地元の農家です。仮設トイレを4つほど並べて、売店を作りアーモンド・飲み物・アイスクリーム・ 野菜などを売っています。次々にバスがやってきますのでかなりの繁盛でした。

これらの、農場へはシェラネバダからの豊富な灌漑用水が走っていましたので、旱魃の心配もなさそうです。 アーモンドをほおばりながらヨセミテをめざしました。

記念写真の後方の丘がコースト山脈と思われます。



"風力発電/Wind Power Generatoin"

写真のような高地砂漠地帯に大風車群が現れました。行けども行けども、右も左も風車ファームです。 カリフォルニアは風力発電が盛んであると聞いていたが、目の当たりにするとは思ってもいません でしたので大変感激しました。 ガイドの説明では、4500基は有ると言う。どうやらこのような大風車群が各地にあるようです。 風力発電の元祖は100年の歴史のあるデンマークです。それでは大国アメリカでなぜ風力発電かと言う疑問が湧いてきます。 彼らは、循環エネルギーの利用を推進するために、買電価格に絡む法律”PURPA法(下記参照)を制定しました。 そして、1990年代の初め頃から普及し始めたようです。しかし、最近は頭打ちの感じです。



"風力発電/Wind Power Generatoin"つづき

International Renewable Enargyの統計によると、全米の風力発電容量は1731Mw/1995年で、 1基平均100Kwの稼動でも17300基もの風車が1995年に存在していたと推定できます。 それでは全世界の風力発電容量は如何ほどでしょうか?1998年度の統計によると、9600Mw(960万Kw)です。 国別の発電容量順位ベスト10は米国、ドイツ、インド、デンマーク、オランダ、スペイン、英国、スウェーデン、 チャイナ、イタリアです。損徳だけで行動する日本は循環エネルギーの利用が遅れているようですね。
更に研究される方は下記のHPをご覧下さい。




1999/01/10


PURPA法とは
カリフォルニアで再生可能エネルギー特に、 風力発電が一時期多いに普及した時期があった。この時にそれを推進する原動力となった 法律が、所謂、PURPA法である。 これについて分かりやすい説明が内橋克人氏によって書かれているのでここで紹介しておく。

PURPA法はまず既存の電力会社にたいして、 適格発電所が作り出す電力を、彼らのオファーに(売買の申し出)に対応して買い取るよう 義務づけた。そのさいの買電価格は“アボイデッド・コスト”によると定めている。 アボイデッド・コスト、すなわち「避けられたコスト」とは次のような意味だ。

かりに、新しい適格発電所がなければ、既存の電力会社は従来どおりの方法によって 火力(石炭または石油)、あるいは原子力発電所を熱源とした発電所を新設しなければならない だろう。とうぜん、相応のコストがかかる。しかし、現実に適格発電所があるおかげで、 彼らからの買電により、そのコスト分は免れる事ができた。
免れたコスト分、すなわち“アボイデッド・コスト”は適格発電所から の買電にあてるべきだ、という考え方なのである。 自社の発電コスト以下で買電してはならないいうことである (じっさいの買電価格ははるかに高い水準に設定された)。

この考えを制度化する事によって何が可能になっただろうか。 いうまでもない、化石燃料、再生不可能エネルギーの消費を回避し、 再生可能エネルギーへと熱源の転換を促進することができた。
 

「消尽の世紀」の涯に   内橋克人 

同時代への発言2 岩波書店刊 221p〜222p


風力発電関係のリンクです。ご覧下さい。
  • 民衆運動としてのデンマーク風車発電
  • きれいな電機はもっと高くても
  • International Renewable Enargy
  • A Worldwatch Institute News Brief on Wind Power
    Bザイオン国立公園/Zion National Park/Utah

    "ディス・バレー上空?"

    早朝にシスコから空路ラスベガス経由で更にバスでザイオンを目指します。 航空路から判断してディス・バレー上空を飛行すると思われましたので眼下の景色を楽しみました。 シェラネバダ山脈の残雪が消えると今度はシルクロードのような不毛地帯が続きます。 ディス・バレー上空を飛行していると思われますが断定は出来ませんでした。



    "ザイオンのロッジ前にて"

    ラスベガスの北東194Kmにあるザイオンはグランドサークルの中でもグランドキャニオンに次ぐ人気のある公園で かなりの賑わいでした。しかし、今年からマイカーでの乗り入れは禁止となり、バスもビジターセンター までしか入れませんでした。園内のビューポイントへは無料のシャトルバスが頻繁に走っています。 我々は、聳え立つコロラド色の巨岩と新緑に迎えられました。真夏の暑さですが、木陰の爽やかさ にビックリでした。早速芝生の木陰に入って食べたアメリカンサイズのサンドウィッチとコーラ(JTBがラスベガスで調達の弁当) は最高に美味しく忘れられませんでした。それは、早朝からの遠征での空腹とザイオンの新鮮な空気 のお蔭です。


    "聳える巨大な岩山"

    ザイオン渓谷の観光スポットゾーンは約10Km間で、クリークを挟むコロラド色の岩壁群と新緑の コントラスト、これがユタの大自然かと思う。オフィシャルガイドマップによると11のトレイルが設けられ、 多くのハイカーやファミリーが楽しめるようになっています。 西部はキャンプにバーベキューそしてトレイルが似合うようです。 バックの岩山は、ガイドの説明によると、オーストラリアのエアーズロックの2倍の大きさだそうです。 そう言われても信じられませんでしたが、余りの大きさに皆ビックリ仰天でした。




    "Zion-Mt. Carmel Highway"

    ザイオンがらの国道9号線(Page方面へ)は、このように岩壁をくりぬいた道路で、1930年に完成したそうです。 トンネルは素彫りの随道でした。この道はルート89へ接続され、 ユタの荒野をPage(Lake Powellのダムサイトの町)へと進みます。




    ザイオンザイオン ザイオンザイオン
    この中央下をクリークが流れています 向こうの岩山は、エアーズロックの2倍も有ると言う 岩壁が近く巨大でカメラに収まらず 園内はこのシャトルバスで移動です



    Cモニュメントバレー/Monument Valley(Navajo Tribal Park)

    "広大なナバホ・インディアン居留地"

    ユタ・アリゾナ州にまたがる荒野がナバホ・インディアン居留地である。 我々は宿泊地Pageからこの荒野を200km東進し、西部劇の舞台をめざしました。 途中は何も無いのですが、Pageの近くに大きな火力発電所があります。理由は100km?くらい先の 居留地内で石炭が取れるので、彼らはその有効利用のために発電事業をしているそうです。 石炭の運搬用に専用の鉄路が敷いて有りました。 やがて、インディアン経営の道の駅があり、モニュメントバレー地区(面積は山口県の1.5倍)へ入ります。 そこは、岩峰や岩塔がニョキニョキと天を突いています。 高さは100m〜300m、数千万年にわたる風化作用で出来たそうです。 そして1939年、ジョンフォード監督が”駅馬車”のロケを行ない世界にこの奇観が紹介されたようです。



    "ビジターセンターからの眺め"

    この眺めは、TVに良く映る場面のようです。広大な砂漠の台地にそそり立つ岩塔群の現地現物はまた格別です。 余りの広さに距離感覚は麻痺してしまいました。
    我々は、ロッジで昼食後、オープンデッキのワゴン車に分乗し、1.5時間かけてモニュメント巡りをしました。 季節によっては大変な砂塵だそうですが、この時期はそれほどでもなくやれやれでした。



    "ジョンフォードポイント/John Ford's Point"

    この場所は、ジョンフォード監督のお気に入りで「駅馬車」や「黄色いリボン」はこの当たりで撮影された様です。
    写真の右端で手を上げている赤シャツの男が私です。左端の赤シャツの男がインディアン (ファースト ネイティブ アッメリカンのナバホ族のお金持ち)です。



    "インディアンは嘘言わない?"

    この馬上の人はナバホ族のお金持ちの様でした。沢山の飾り物を首と腕にはめていました。 彼を見ていたら、”インディアンは嘘言わない”と言うTVコマーシャルを思い出しました。 早速挨拶をして聞いてみようと思いましたが、 彼は観光客相手にポーズを取るのに忙しそうなので止めました。その反対側の売店の空き地で ナバホ族の若者2人が35年くらい昔のJeepのフードを空けて何やら修理中です。 よし、彼らに聞いてみよう。にこやかに挨拶し、修理の話も一段落したので、所で一つ聞きたいことが有る 質問をして良いかと訪ねてみました。何でもOKということで、 日本では”インディアンは嘘言わない”というTVコマーシャルを流している。これは本当か? 何度も彼らの理解を確認しました。2人は顔を見合わせ、Humm!It is a lie. そして、私は、”インディアンは嘘言わない”ことを確認できた、有難う。そして3人で大笑いが出来ました。



    monument valley monument valley monument valley monument valley
    何時まで見ても飽きない大自然の芸術作品 ビジターセンターの駐車場 赤いモニュメントと青い空のコントラストがなんとも ロッジの前にて、ここからワゴン車で出発した



    Dグランドキャニオン/Grand canyon National Park Arizona

    "夕日に映えるグランドキャニオン"(Yavapai Pointにて)

    コロラド川の絶え間ない流れが、アリゾナの雄大な大地を削り取って造りだしたのが、 グランドキャニオンです。全長約540kmにも及ぶ大渓谷の岩肌には、 17億年という地球の歴史のおよそ1/3に当たる地層が見られるそうです。 太古人類はこの岩壁に洞窟をくりぬき生活していたという。そして、少し前まではインディアンの 生活の場でした。今は、世界中からの観光客で賑わっています。 我々は、East Rim(夕方)とWest Rim(日の出)の各ビューポイントからこの大渓谷の美しさを 堪能する事が出来ました。



    "アメリカン ヤングレディー"

    この大自然を眺めている観光客は皆んな幸せそうです。目が合えば皆んなにっこりです。 直ぐに友達になれるから不思議です。



    "ケンタッキーからやってきたおばあちゃんと"

    彼女は、2人の孫娘と一緒にケンタッキーから飛行機で7時間かけて来たという。 米国民も一生に一度は訪れたい様です。



    "朝日に映えるグランドキャニオン"(Hopi Point?にて)

    旅の疲れもピークを迎えていましたが、全員元気で朝食前の日の出のキャニオン見物に出かけました。 日本人観光客の多くは、御来光をみて直ぐに引き上げて行きました。 我々はその後もじっと留まり、朝日に浮かび上がり、時時刻刻変化するグランドキャニオンを堪能しました。



    "Route 66で40年前のアメリカンを訪ねて"

    Route 66は、1950年代の国道で、ロスからシカゴまで5000kmと続きます。今はFree WayのRoute 40になり、 寂れていますが当時のアメリカンにとっては懐かしい思い出の道です。



    "Route 66で40年前のアメリカンを訪ねて"つづき

    そのRoute 66の保存会の会長が頑張っているという町へ迂回しました。 若い頃、アメリカ映画で見なれた風景が続きます。 彼は、寂れた田舎町で観光客相手のアイスクリーム屋で、大変なアイデアマンで人気者です。 奥さんも土産物屋で電卓を使わず消費税をすばやく計算します。ここを訪ねる人は、シニアーの アメリカンとシニアーの日本人が目立ちました。



    "Free way Route 93"

    このようなフリーウエーをひた走り、遥か先に見える山の向こうがフーバーダムで、 そしてラスベガスへと続きます。



    "Hoover Dam"

    このダムは、1929年の世界大恐慌の頃に出来たというから驚きです。一見数年前に出来たような 感じでした。ここは砂漠の気候で高温乾燥下で、コンクリートはカビも生えず新鮮でした。 ダム建設当時、多くの建設作業員が連日のように病死されたそうです。 早速ハーバード大の教授が調査した結果、水分と塩分不足による熱射病と判明、再発防止は 法律で労働時間・条件を定めたそうです。それが今、TVのポカリスエットのコマーシャルで流れています。



    "Hoover Dam"

    ダム下221mの発電所です。大きな発電機が何台もうなっていると思われます。



    "Hoover Dam"

    ダムサイトを散策しましたが、その暑さにはたまげました。40℃以上の熱風でした。



    "Lake Mead"

    フーバーダムは、グランドキャニオンの350km程下流のボトルネック部を堰き止めたので、 その上流は広大な水がめとなりました。それが"Lake Mead"で、面積は日本の琵琶湖ほどです。 そして、この水と電力がラスベガスさらにロスを潤します。 ラスベガスの不夜城は、この夜間電力の有効利用の一部と勘ぐりました。




    Eラスベガス/Las Vegas Nevada

    "マッカラン国際空港近くのホテル"

    皆さんよくご存知のラスベガスです。70年前のフーバーダム関係者の賭博場が発展した町です。 マッカラン国際空港は、年間3000万人もの人が利用するそうです。なんと780便/日以上です。



    "ホテルRioのカジノ上空のショー"

    噂の通りカジノの町でした。カジノの一部がホテルのようで、毎夜このような客寄せのショーが行なわれます。



    "つづき"

    彼女(ダンサー)が、投げるネックレスは大好評のようでした。孫の土産に一つ戴きました。



    "フリーモント・ストリート"

    ダウンタウンもこのようなネオンにうずもれています。このアーケード街は両側ぎっしりカジノ場です。 中央の彼は、ストリートミュージシャンです。



    "つづき"

    このストリートに長さ450m、高さ30mのアーケードが登場し、210万個の電球を使った音と光の 大スペクタルショーが行なわれています。この写真の様に天井がコンピューター制御で 大音響と共にスクリーンとなります。その意気込みには脱帽でした。



    "つづき"

    この不夜城は朝まで続きます。体力に限りがありますので程ほどで引き上げました。




    Fロサンゼルス(多民族都市、人口370万人、近郊含むと940万人)

    "リトル東京から見るダウンタウン"

    200年前は原住民の集落が点在する荒野、現在Los Angelesの都市圏には140ケ国の移民が生活し 96種類の言語、そして25万人の日系人です。リトル東京も110年の歴史です。立派な日本文化センターや 東本願寺が出来ていました。



    "サンタモニカ海岸"

    青い空にパームツリーが似合います。手前の大砲はスペイン戦争のなごり?



    "ハリウッド"

    映画の都は、観光客で賑わっていました。



    "Dodgers Stadium"

    ドジャーズのホームグラウンドは傾斜地をうまく使っています。周囲は360°の大駐車場ですが、 それぞれの観客席の高さから入場できます。



    "Little Yokyo"

    朝の10時までリトル東京を散歩しました。二宮金次郎と東本願寺が頑張っています。 100年前の日本を思う日系人が偲ばれました。



    "ロス夜景?"

    グリフィスパークからみるロスの夜景。この日はガスが出ていてぼんやりでした。



    Hollywood Dodgers Stadium James Dean Little Yokyo
    ゲリー・クパーの足型と手形、私の大きな手を遥かに越えていました。 これがメインスタンドの入り口です ”理由無き反抗”以来の再会でした 日本文化センターのIsamu Nogutiのモニュメント

    〔あとがき〕
    修学旅行の感想ですが、日々多くの情報に触れる西海岸でも、
    @現地現物の豊かな情報に感激しました。素晴らしい修学旅行であった。
    A自由と独立心を尊ぶアメリカの豊かな心を、日本人は謙虚に学ばなければならない。


    今後も、楽しい旅の想い出をこのページに掲載します。お楽しみ下さい。
    I publish the recollection of an enjoyable trip in this page. Please have fun.


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