( 岡本達也様は、明治航空基地のSiteを訪問、特に『210空』戦史に注目され、
1945年4月11日の喜界島沖の米海軍機動部隊の戦艦群に対する
通常攻撃=通常の急降下爆撃に関する記述の追録を提案いただきました。
2004.11.12付、Mailにて )
210空、
菊水1号作戦に参加するために、現・鹿児島県国分市の
第1国分基地に進出していた210 空艦爆隊の搭乗員たちの一員で
あった斉藤巌中尉(操縦員)と浅川正兵曹(偵察員)のペアは、
4月11日の午後1時50分頃、喜界島沖の米海軍機動部隊に対する
攻撃のため、艦上爆撃機「彗星」(三三型)に搭乗して第1国分
基地を出撃し、中之島を経由して、奄美大島の西方を回り、喜界
島から180 度91浬の位置にいた敵戦艦を攻撃した。
午後4時40分
頃、攻撃目標を戦艦に定め(後方を巡洋艦が追従)、反航(反対
の航路)にて左30度、高度3000mより急降下を開始し、真横より
高度400mで500s爆弾を投弾し、敵戦艦の艦尾から20m付近に弾
着を認めた。帰途、午後4時45分頃、雲間より輪型陣の前半らし
いもの−空母2隻、駆逐艦7〜8隻、その他不明−を発見した。
接触しようとしたが、グラマン戦闘機(F6Fヘルキャット)の
追従を受けて雲間に退避し、午後5時25分、喜界島上空に到達し
た。この喜界島上空でもグラマン戦闘機(F6Fヘルキャット)
の追従を受け、約15分間の退避後、午後5時40分に、味方の掩護
射撃の下に喜界島飛行場に降着したという。
このように、1945年3月28日、菊水1号作戦(沖縄航空作戦)
の発令に伴い、明治基地から第1国分基地に進出した210 空艦爆
隊(彗星三三型装備)の隊員たちの一員である斉藤中尉と浅川兵
曹のペア(終戦時は、ともに、明治基地と同じく愛知県にあった
名古屋海軍航空基地−挙母基地、伊保ヶ原飛行場ともいう−に展
開していた601 空攻撃第3飛行隊に所属)は、4月11日、沖縄方
面の米海軍機動部隊に対して特攻出撃して突入した神風特別攻撃
隊210 空部隊零戦隊(爆装零戦)3機、ならびに、同部隊彗星隊
(空冷「彗星」)2機とともに、この日の午後、彗星三三型に搭
乗し、喜界島周辺の米海軍機動部隊に対する攻撃に出撃したが、
斉藤中尉と浅川兵曹のペアが搭乗する彗星三三型は、特攻ではな
く、米海軍機動部隊の戦艦群に対して、通常の急降下爆撃を敢行
した(惜しくも、投下した爆弾は、戦艦から至近距離の海面に着
弾したという)。
これについては、浅川兵曹とは予科練時代の同
期生である宮本道治氏(鹿児島県串良基地に展開していた931空
攻撃251飛行隊に所属し、沖縄戦では、艦上攻撃機「天山」の搭
乗員として沖縄方面への夜間雷撃に幾度も出撃。
香川県・観音寺
基地で終戦を迎える)の著書『沖縄の空〜予科練生存者の手記』
(新人物往来社・刊)や、『第210 海軍航空隊戦闘詳報』[1945
年4月11日対機動部隊攻撃・第2小隊1番機]などにも詳細が記
述されている。
・・・2004.11.12(金) 岡本達也様からの、Mail投稿全文・・・