ふるさと 2004.7.1

44年前、碧南、新須磨海岸の6才の私

昨日友人達とふるさとの話になりました。
私は50年前、三河湾に面したおだやかな碧南という町で生まれました。その頃,新須磨海岸という所があり、海水浴場としてにぎわい、旅館や料亭が並んでいました。芸者さんも沢山いて、三味線の音がチントンシャンと聞こえてきたものでした。何軒か劇場もあってどさまわりの芝居が興行されるなど、海辺の歓楽街、漁師の町、瓦工場の沢山ある町でした。子供の頃はこんな町の海で、日々ハゼ、カレイ、コチを釣ったり、ワタリガニを捕まえて遊んでいました。しかしいまこの海には火力発電所やいろいろな工場が建ち、浜は無くなり岸壁だけになりました。泳ぐことも出来ないような海になりました。経済的には豊かになったのでしょうが、私のふるさとでは無くなりました。日本中のいなか町が工場のような町になるか、活力の無い過疎の町になるか、2つの道を歩んでいます。

今の海岸線は写真の松並木のあるところより何百メートルも沖にありコンクリートで固められた防波堤があるだけ・・・・・悲しい!

自分が生まれ育った町を好きになれないというのは寂しいことです。