沖縄旅行(06年 12/21〜/27)


 12/22(金) (2日目)

   朝食をとり、9時頃、ビジネスホテルを出る。

     
  
   国際通りの朝の風景だ。
  昨日と一変して、天気がよい

   モノレールに乗ってもいいが、街を知るために歩く

   1時間ほどで、モノレール・奥武山公園駅の近くにある沖縄レンタバイクに到着。
  店の人に見所やバイクに乗る上での注意点を聞き、10時20分頃出発。

   荷物が邪魔なんで、本日の宿・メルパルク沖縄に行き、預かってもらった。
  聞いてはいたが、それにしても、那覇の市街地の渋滞はひどいなあ。
  クラッチ付きに乗ってたら、手首がすぐに痛くなりそう。

   10時45分に南へ向かって出発。
  バイクで走っていても、全然、寒くなく、快適だ

     

   道路標識にしたがって、11時15分、旧海軍司令部壕に到着。
  高台にあるので、景色がよい。那覇空港へアプローチする飛行機がよく見える。

   入場券を買い、階段を下りて、壕の中へ入っていく。
  一人だとやっぱり恐い
  夕張の炭坑と違って、多くの人が死んでる現場やからなぁ・・・

     

   ここは司令官室。
  幕僚室では、自決した手榴弾の破片跡があったり、生々しい
  当時は、450mあり、兵士 4000 人がいたそうだ。

   沈痛な思いになる。
  12時過ぎ、出発。R331を行く。

   海沿いを走る。気持ちいいね。
  海も海岸もとてもきれいだ
  
      

    借りたのは、スズキ・アドレスV125Gだ。
  スクーターは久しぶりに乗ったが、一人で移動するには、コイツで充分だ
  80 Km/h まではアッという間。長い直線だと 100Km/h まで出る。

     

   海岸は、砂というより珊瑚の細かくなったものなので、 白くてきれいだ。

   糸満漁港辺りで、昼食と思ったが、停まりそびれた。
 
   名城ビーチに行ってみたが閉鎖されてた。残念。

     

   R331からそれて、1時過ぎ、喜屋武岬へ到着。
   ここでも多くの人が、追いつめられて、崖から飛び降りて亡くなっている
  近くの具志川城跡も見学して、R331を東へ。


     

   2時前に、ひめゆりの塔に到着。
  僕も地元にお金を落とすためも兼ねて、入り口にある献花販売店で、一束200円の花束を買い献花した。
  この柵の向こうは、長靴型をした洞窟の入り口である。

   もちろん、併設されているひめゆり平和祈念資料館に入る。

     

    戦後間もなく小説「ひめゆりの塔」(作者は沖縄に来れなかったので、現地での取材なしに書かれた。)に取り上げられ
   この洞窟は、周りに土産物屋ができたり、あげくには、はしごで洞窟内に降ろす業者まで出てきた
  それを生存者・有志の方々が憂い、きちんと史実を伝えるために、周辺を整備し、祈念資料館を造り運営し始めた

   将来の夢を持ち、学業など人生を一所懸命に生きていた学生たちが、どのように戦争に組み込まれ、
  戦場に追いやられ、見捨てられ、殺された(自決も他者によって殺されたのと同じだ。)かが、よくわかる。
  史実を正確に伝えるのが、設立目的なので、以前は、わずかな生存者の方々が、館の中で実際に説明されていたそうだ。

   しかし、生存者の方々もご高齢になってきて、足を運ぶことが不可能になってきたため、数年前に展示を変更し、
  生存者の方々が体験した話の文章化や、話している姿を映像化して、より多くの人々に未来永劫、伝え続けられるようにした。
  当然、行くべき、行かなければならない施設だ。

   
   僕は、覚悟を決めて入った。恥ずかしながら、予備知識はあまりなかった。
  展示を見、読んで行くにつれて、戦争・戦場・軍隊・軍人・国家(教育機関含めた)のムチャクチャさかげんに、呆然とした
  そして、次第に憤りを感じた

   絶対に、絶対に 絶対に、二度とこんな事を起こしてはならない

   展示場で、杖をついたおばあさんが、3人の子供たちに温和に話をしていた
  生存者の方だ。もちろん知りたがりの僕である。お話を聞きたかった。
  しかし、一体、どのように声をおかけしたら良いのか、すべきなのか、わからなかった・・・


   4時前に出た。
  R331を南へ、すぐに、平和祈念公園に着いた。
  ここでも、花束をつい買ってしまった。

     

   これは、平和の礎である。
  1000枚を超える石板に、国籍、軍人、民間人の区別なく沖縄戦戦没者 全ての名前が刻まれている。
  その数は23万人を超えているそうだ。

   同公園内にある沖縄県平和祈念資料館にも入る。
  閉館は5時だ。もう1時間もないやん。展示を、速めに見、読んだ。

   ここは、明治時代前後から太平洋戦争前、戦中、戦後の沖縄についての資料がある
  本土の人間が知らない、忘れている事実がたくさんあり、沖縄を深く知り、感じることができた
  もっとじっくり、時間をかけて、見たかった。 見るべきであった

     

   高台にある沖縄戦没者墓苑にも行った。
  ここには、遺骨が安置されている。

     

   高台から見ると、
  中央から左にかけて平和の礎、中央から右にかけての建物が平和祈念資料館である。

   5時半頃、出発。R507を那覇に向かって進む。
  市街で、よくわからなくなったが、6時半にメルパルクに到着。

   ユニット・バスの風呂に入って、宿で琉球料理を食べた。
  もちろん、オリオンビールを飲み、ついでにゴーヤチャンプルーも追加した。

    隣の都ホテルのクリスマスのイルミネーションを見ながら、
  今日、見た戦跡、戦争についてボーッと微睡みの中で考えているうちに、寝てしまった

   
  本日の走行 72 Km (市街地の渋滞は疲れるね。)


 前へ                                                   次へ