基礎知識
古代の中国ではどのような文字が使われ、それがどのように変遷していったのか?殷から秦漢期までの文字の特徴を以下に、大まかにまとめてみた。
1.殷代
現在の所、殷代の文字として豊富に見ることが出来るのは、亀の甲羅や獣の骨に占いの辞を刻んだた甲骨文と、青銅器に部族の紋章と考えられている絵文字や、祖先を称える言葉などを刻んだ金文の二種である。殷代でも一般的には、筆で文字を記していたと考えられており、王や王族のための卜占に使用された甲骨文字は、当時の認識からすれば特殊な字体である。しかし現在では材質が丈夫な甲骨文字や金文の方が多く出土しているというわけである。
甲骨文字と言えば中国の最古の文字、原始的な象形文字というイメージが強い。しかし実際は殷代よりも古い陶器の破片などにもっと原始的な文字が記されている物が発掘されている。また、甲骨文を読んでみると「又」を「有」の代わりに使用するなど、音通・仮借といった高度な用法が用いられており、文字としては原始的とは言い切れないほどに成熟している。だから甲骨文字の先祖とも言うべき文字が、もっと古い時代に存在するのではないかと言われている。
甲骨文字は現在発見されているものは、殷の二十三代目の王・武丁(高宗)期以降のもので、大まかに五期に分類される。古い物ほど筆跡が大きく雄飛であり、新しい物ほど筆跡は小さく整っている。また有名な殷墟のほか、周原(周王朝の故地)からも文王の時代の物と見られる卜骨が発見されている。
2.西周期
西周期には殷代に増して盛んに青銅器が作られた。殷代の金文は部族の紋章や祭祀の対照となる祖先の名前を刻んだだけの物が多かったが、周代の金文の内容は、殷代と同じく祖先を祭った物の他、自分の功績や主君から賜った宝物のリストを記した物、また同様に君主の命令を記した物、娘の嫁入りを記念した物、裁判の記録、貴族同士の契約を刻した物といったように多彩となっている。字数も長い物で散氏盤や毛公鼎のように数百字にも達するようになった。
この時期には意味を表す部首と音を表す旁を組み合わせた形声文字が多く作られた。また同音や同意の文字を代わりに使用する音通や仮借も頻繁に使われ、銘文の解読が難しい物が多い。文字は大体器の内側に鋳込まれ、行と列の字数を揃え、中には文字ごとに升目の線を引いたりして、銘文全体の見栄えが整った物が多い。これらの器はいずれも子々孫々に伝える宝器として造られたものであり、器形や紋様と同じく銘文の内容・見栄えにもそれなりの風格を持たせる必要があったためである。
3.春秋・戦国期
東周期にも青銅器は引き続いて作られたが、西周期ほど盛んではない。この頃から地域によって字体が著しく異なるようになり、呉・越など華南の国々では鳥書(鳥虫書・鳥篆)と呼ばれる装飾の激しい字体が、青銅器に刻まれるようになった。(下の図1、「王」字の金文の欄の、上段左から三つ目、下段左から二つ目、三つ目の文字がそうである。)
また春秋期には貴族同士の盟約を記した盟書、戦国期には簡牘(かんとく=木簡・竹簡)・帛書(絹の布に書かれた書)・貨幣文・印璽といった、金文以外の文字資料も豊富に出土しており、これらの字体は一般的に、同時代の金文と比べて「趙」を「肖」と記すなど省略の度合いが激しい。(下の図1、「其」字の東周期の文字欄の右端部分を参照すると、字形が見事に省略されていることが分かる。)ここから文字を記す媒体や用途によって、異なった字体を使用していたことが分かる。
戦国時代には各国で六国古文と総称される文字を使用していたと言われるが、『説文解字』に掲載されている古文の字体がそれに当たるとされている。(下の図2を参照)
4.秦漢期
秦では他の六国とは異なり、大篆(籀文・籀書などとも呼ばれる)字体を使用してきた。『説文解字』に掲載されている籀文の字体がそれに当たる。(下の図2を参照)大篆は周の宣王の時代に太史籀という人物が作ったと言われ、伝統的に西周期に使われていた文字と考えられてきた。しかし東周期の秦の金文や後で説明する小篆と比較した結果、戦国時代に秦で使われていた文字であると考えられるようになった。(秦の地は元の西周が直接支配した領域に重なるので、秦人は周人の文字を受け継いだという説もある。)
始皇帝の秦が天下を統一した後、度量衡などと合わせて文字の字体も統一されることになり、大篆・小篆・虫書・隷書等の八つの書体、秦書八体を正式な字体として定められた。これらの字体は、簡牘には隷書、旗指物には虫書といったように、用途によって使う字体が決まっていた。(実際、筆で簡牘に文字を書く場合、小篆のような複雑な字体では書きづらい。)
小篆は李斯が大篆を省略して作った字体であると言われているが、これが皇帝や官僚の使用する正式な書体とされ、石碑の碑文や、度量衡の標準器となる量(升目)や権(おもり)に記された詔版文には、小篆が使われた。小篆は『説文解字』でもメインの字体として採用されており、現在でも豊富に見ることが出来る。(下の図1の「小篆」欄、あるいは図2を参照)
隷書とはこれより更に簡略化された字体で、下級役人が使う字とされた。主に簡牘や帛書に筆で記す時に使用され、睡虎地雲夢沢で出土した秦代の簡牘もこの隷書で書かれている。前漢以後は小篆は廃れ、詔書などでもこの隷書が使われるようになった。
図1 各字体の比較(『古文字類編』より)
甲骨文字(殷代) | 金文(西周〜東周) | 印璽・盟書等(東周) | 小篆(秦) | |
王 | ||||
其 |
図2 『説文解字』の字体(『説文解字注』より)
小篆 | 籀文 | 古文 | |
速 | ![]() |
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