blueball.gif (1613 バイト)  東周拾遺伝  blueball.gif (1613 バイト)


子貢、五カ国に変事を起こす


端木賜(たんぼくし)は字を子貢といい、孔子の弟子の一人である。彼は国の富裕な商人の家に生まれた。生来口が達者なことで有名であり、いつもその事を師からたしなめられていた。

さて国では、重臣の田常桓公の時にから亡命してきた公子完の子孫)が政治の実権を我が手に握りたいと思っていたが、氏・氏・氏・氏といった譜代の臣に阻まれて果たせないでいた。そこで隣国のと戦争を起こして彼らの注意をそちらに向けさせ、その間に政変を起こしてしまおうと考えた。を伐つという報を聞くと、孔子は故国が戦場となることを憂い、「の侵攻を止めることが出来る者はいないか?」と弟子達に問うた。すると子貢田常を説得してみせると言う。孔子子貢ならばと、彼に全てを任せることにした。

子貢は早速に赴き、田常に会見した。子貢は、「は城壁が薄く、君主や大夫は嘘つきばかりで、しかも人民は戦を好まないから討伐はやめたがよろしいでしょう。代わりにをお伐ちなさい。は城壁が厚く、将兵は精鋭揃いで士気も高いとのことで、誠に討伐にうってつけですぞ。」と勧める。田常は「なぜそんなあべこべの事を言うのか!」と怒るが、子貢は落ち着き払って話を続ける。「よくよく考えてごらんなさい。仮にを滅ぼしたとしても、政敵の高・国氏らが恩賞を受けるだけであなたの得にはなりますまい。これが強国のを伐ったとしたらどうでしょう。敵国に攻め込んだ兵卒は次々に死んでいき、大夫たちも戦死を免れても戦争の被害から勢力が弱まることは間違いなし。つまりあなたはうるさい大夫や民の反対を受けることなく、主君を孤立させて政権を握ることが出来るというわけです。」

田常は一理あると納得したものの、兵は既に国へと発っている。そこで子貢は、呉王を説得してを救援しを伐たせるので、それを機会にへ向けた兵を軍と戦わせよと助言した。田常はこれを承諾し、子貢は南方の呉王夫差のもとに赴いた。

子貢は「は今まさにを攻め滅ぼし、と雌雄を争おうとしています。お国の為に何としてもこれを阻止せねばなりません。また理不尽にもに滅ぼされようとしているを救うことは、立派な大義名分となります。首尾良くを倒せば諸侯からの信望を得ることができ、それだけ殿の覇業の成就も近くなります。」と呉王を説得したものの、彼は不穏な動きのある隣国のを伐ってからを伐ちたいと言う。「それならばの兵も軍に従軍させ、国をもぬけの空にしてしまえばよろしい」と提案し、今度は子貢越王句践を説得に向かう。

越王句践はかつて呉王夫差と戦って大敗し、会稽山に引きこもっていた。子貢越王呉王との会見の内容を明かし、「どうも呉王国を滅ぼしたがっているようだ。」と耳打ちした。越王はただでさえ呉王を恨んでいるのに、これを聞いたら激怒せずにはおれない。そこで「どうすれば夫差の鼻を明かしてやれようか?」と子貢に問うた。「呉王は生まれつき凶暴な性格で、功臣の伍子胥でさえ殺してしまいました。しかしおべっかには弱いという単純な人物です。だから殿がへりくだって国討伐のためにの兵を差し出せば、留守の間にを攻める気遣いは無いと安心してを伐ちに行くことでしょう。」

子貢は更に続けて言う。「呉王に勝てば、調子に乗ってにまで攻め上りましょう。殿は斉・晋と戦って疲弊したを不意打ちすれば、大勝利は間違いなしです。」越王は喜んでこの策に乗ることにした。子貢に戻り、夫差に「越王も喜んで援軍を送ると申しております。」と報告した。その後彼は国まで足を延ばし、君に、の戦いがもうすぐ起こるということ、そして場合によっては軍がを侵略するかもしれないということを知らせ、充分に軍備を整えておきなさいと忠告した。

果たして呉王軍と艾陵で戦い、これを大敗させた。そしてやはり国まで攻め上り、黄池で相対したが、今度は軍が大敗してしまった。越王は敗報を聞くやすぐさまの都に攻め込んだ。呉王は泡を食って本国に引き返し、軍と三度戦ったが勝利を得ることが出来なかった。軍はの城門を破り、呉王夫差を捕らえて殺してしまった。越王句践はその後、呉王に代わって覇者となった。また田常も、主君の簡公を殺して政権を握った。かくては救われたのである。

子貢はただ一度の遊説でを救い、に動乱を起こし、を破滅させ、を強め、を覇者にした。合わせて五つの国で変事を起こしたことになる。その後、その手腕が評価されたのか、子貢の宰相を務めた。一生の間で千金にもなる財産を築き、最後はで死んだと言う。


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