金烏工房東征記
6 大酋長 − 紅迷襲来 −
大酋長は、秋葉原駅の近くのビルの四階にあった。事前にあきらさんが予約しておいてくれてたので、我々は店に入るやいなやすぐ座敷へと案内された。ジンギスカンの食べ放題、お一人様1600円なりを注文する。もう体がクタクタでお腹もペコペコである。席についてしばらくして、みなが落ち着いたのを見計らって、SUIKOさまが何やら紙を何枚か取り出した。『封神』の年画や中国製メンコ、カレンダーのコピーである。それをみなに回覧し始めた。
年画の方は『封神演義の世界』や集英社文庫版『封神演義』の表紙でおなじみのものであったが、メンコとカレンダーの方が分からない。聞いたことも見たことも無いようなキャラクターが時折混じっているのである。私は隣に座っていたあきらさんと一緒に、「これは誰でしょうかねえ?」などと言い合いながらコピーを鑑賞した。コピーの回覧が一通り終わると、飯香幻さんが、SUIKOさんの著作である集英社文庫版を取り出してサインをお願いした。それを見てhakoさん、多岐さん、あきらさんと私も同じく集英社文庫版を取り出す。ここで一気にSUIKOさんのサイン会が始まった。彼女は羊肉が到着しても目もくれずにサインしていく。
私も本の著者から直々にサインをいただくなんて初めての経験なので、たいへん嬉しく思った。SUIKOさま、その節はどうもありがとうございましたm(_ _)m
七人で二つの鉄板を囲み、店の奥側の座席にはあきらさん、SUIKOさん、hakoさん、多岐さんが座り、入口側の席には宣和堂さん、飯香幻、私の三人が座った。私の座っていた方の席では飯香幻さんが鉄板奉行を務め、奥側の席ではあきらさんとSUIKOさんが務めた。特にSUIKOさんは「早く食べないとコゲちゃうよ!」「はい、次のお肉を入れるよ!」と声を掛け、見事な鉄板奉行ぶりを見せてくれた。
一同、しばらく黙々と焼き肉を口に運んでいたが、ある程度腹が膨れると会話も弾むようになった。最初に話題になったのは、居眠り猫さんのことである。私も含めてほとんどの人が居眠り猫さんが男性と思いこんでいたようで、口々に実際にお会いしたら女性だったのでびっくりしたと言い合った。次いで彼女は一体何をやってる人なのか?という疑問が出されたが、いまいち明確な答えも出ず、話題は宣和堂さんが彼女から聞いた出版情報に移っていった。
出版情報というのは、昼食の時も話題に出た、宮城谷昌光が『三国志』を書くということ、そして某作家(ここで名前を出して良いかどうか分からないので、一応伏せておく。)が『楊家将』を書くということ、最後に田中芳樹は本気で『岳飛伝』を書くつもりらしいという三点である。特に某作家が『楊家将』を書くという情報はかなりショッキングであった。「楊門女将の出てこない『楊家将』を書きそうでイヤだなあ。」と宣和堂さんがつっこむ。
そうやって歓談している合間に、宣和堂さんの携帯に何回か電話が掛かってきた。相手は彼の留学時代の女友達・李師々さんである。実はこのオフ会の何日か前に、宣和堂さんとチャットしている時に、この李師々さんの話題が出たのである。確かカシュガルに旅行している時に犬に手を噛まれたとか、彼女がたいへんな紅迷であるとかいう話が出て、面白そうな人だなあ、オフでお会いできたら良いなあ、などと話していたら、ほんとにオフに合流するということになったのである。しかも友人の宝玉さんも連れてくるという。取り敢えずジンギスカンを食べ終えたら、近くの飲み屋でご一緒してもらうことにした。
一時間半の食べ放題が終わって店の外に出ると、二人の女性が近付いてきた。李師々さんと宝玉さんである。李師々さんはショートカットのワイルドそうな女性であり、私の想像通りだった。「それでは」と近くの飲み屋に入ることにした。
飲み屋での会話は彼女等二人+宣和堂さんの独壇場であった。宝玉さんは李師々さんの小学校時代からの友人であり、宣和堂さんとはこの日が初対面ということであった。まず李師々さんの『紅楼夢』への思い入れから話が始まる。最初に彼女が『紅楼夢』を読んだのは小学生の時。クラスメートの宝玉さんに薦めたところ、彼女も『紅楼夢』にハマり、クラス中に『紅楼夢』を広めるためにカードゲームまで作ったという。
そのカードゲームというのが、話を聞いてるだけでもなかなか面白そうなのである。基本は賈宝玉と林黛玉など男女のカップル同士をセットで集めていくのだが、途中で大観園炎上、男と間違えて王熙鳳に抱きつく等のハプニングカードが挟まれており、これを引いたときは全カード没収、その場で詩を作るといった過酷なバツゲームが待ち受けている。(このルールについてはうろ覚えで書いているので、色々と間違いがあるかもしれない。)ともかくこのカードで遊べば『紅楼夢』のイロハが理解出来るようになっているとのことである。当然ながらこの話を聞いて、実際に遊んでみたい!という気持ちがわき起こったのは言うまでもない。
それで李師々さんは以降、何十回となく『紅楼夢』を読み返し、大学では中国文学を専攻し、元曲も何となく理解出来るようになったとのことである。そこから留学時代のことに話が移り、金城武が向こうの怪しげな番組に出演していたというような話題が出た。
あきらさんが玉豚の携帯ストラップを李師々に見せ、SUIKOさんが台湾のの廟の資料をあきらさんに見せるといったようなグッズの披露も交えて歓談が進んだが、時間も大分経ったようである。多岐さんがそろそろ帰らないといけないと言う。私は彼女からの「あ、そうそう、ずっと言い忘れてましたけど、大学院合格おめでとうございます!」という一言を聞いて、何のためにこのオフ会を開催したかをようやく思い出したのである(^_^;)その後、hakoも同じように帰宅したが、話題は尽きることを知らない。
まず私は宣和堂さんから「七つの大罪」のコーナーを閉鎖した理由を窺った。そこから話題は田中芳樹『運命 二人の皇帝』に登場した方孝儒の評価に移る。方孝儒は一般に明の建文帝に忠義を尽くし、永樂帝を「燕賊簒位」と罵って処刑された忠臣とされている。しかし宣和堂さんはかねてより、この方孝儒をかなり手厳しく批判していたのだ。
何の偶然か、この方孝儒の書いた「予譲論」が大学院の入試問題として出題されていたのである。予譲というのは春秋末期の晋の人である。晋の六卿のうち最有力とされた智伯に仕えていたが、その智伯が趙襄子に滅ぼされてしまう。予譲は何回も趙襄子を暗殺しようとするが果たせない。最後に趙氏に捕らえられた時に、趙襄子の衣服を三回斬りつけて主君の仇討ちの肩代わりとし、その後に自殺したのである。(詳しくは『史記』刺客列伝を参照のこと。)この予譲の忠義の在り方を方孝儒は厳しく批判しているのである。
私はこれを踏まえて、「方孝儒は建文帝・永樂帝の能力などは関係無しに、どちらがより系譜的に正統かという基準だけでああいう行動を取ったのであり、バリバリの朱子学の原理主義者だったのではないか。」というような話をした。この話が出たあたりで、確か10時ぐらいになっていた。夜行バスの最終便が11時なのでそろそろ東京駅に行かねばまずいということで、お開きといことになった。秋葉原の駅で宣和堂さん・李師々さん・宝玉さんと別れた。(この後三人でまた飲みに行ったようである。)私は東京駅のバス乗り場まであきらさん・飯香幻さん・SUIKOさんのお三方に見送られ、またの再会を約した。
今思い返せば、この11月6日は異様に濃い一日であった。もうあれから何週間も経っているなんてとても信じられないのである(^_^;) 本屋が四件しか回れなかったのは残念であるが、他の本屋を回るのはまたの機会のお楽しみということにしておこうと思う。