blueball.gif (1613 バイト)  唐代伝奇  blueball.gif (1613 バイト)


7 葉限


時は秦・漢の頃のこと。南方の異民族の居住地にという洞主代に貴州広西の少数民族の居住地域を指した語)がおり、人々から呉洞と呼ばれていた。彼には二人の妻がいたが、そのうちの片方は早くに亡くなり、後に葉限(しょうげん)という娘が残された。葉限は賢明な娘で、砂金を探し当てるのがうまかったので、父からかわいがられた。しかし父の呉洞が亡くなると、彼女は継母からいじめられるようになった。毎日山に薪を取りに行かされ、川に水くみに行かされたのである。

ある日葉限は川で、ヒレが赤く金色の目をした魚を捕まえた。あまりに珍しい魚であったので、彼女はこの魚を池の中に放して飼うことにした。葉限はいつも自分の食物の余りを魚に与え、彼女が池に来ると、その魚は必ず寄って来て岸に頭を出した。継母はその様子を見て、自分も魚に食物を与えてみるのだが、魚は一度も姿を現さなかった。そこで継母は葉限を遠くに使いに出させ、葉限が留守の間に彼女の着物を着込み、池にやって来た。果たして魚は葉限が来たと勘違いして頭を出した。継母は隠し持っていた刀を取り出して、その瞬間に魚を斬り殺してしまった。もともと魚の体長は二寸(約六センチ)であったが、その頃には成長して一丈(約三メートル)もの大魚になっていた。

継母はその魚肉を食べたが、たいへんな美味であった。彼女は魚の骨を汚泥の中に隠した。何日かして、葉限は使いから帰ってくると早速池に向かったが、いくら呼んでも魚が出てこない。魚が殺されたことを悟ると、葉限は嘆き悲しんだ。そうすると突然、天から粗末な衣を身につけた神仙が舞い降りて来て娘を慰めた。「泣くのはおやめ。お前の母があの魚を殺したのだ。魚の骨は汚泥の下にあるから、その骨を見つけ出して部屋に持ち帰りなさい。そして欲しい物があったらその骨に祈ると良い。何でも望みがかなえられるだろう。」

葉限は神仙に言われた通りに魚の骨を持ち帰った。骨に祈ったところ、本当に宝石や衣装など、欲しい物が出てきたのである。

さて、洞の節句の日がやって来ると、継母とその実の娘はお祭りに出掛けた。葉限は庭木の番を言いつけられていたが、骨に祈って翡翠の羽衣と金の靴を出してもらい、それらを身に付けてお祭りに出掛けた。しかし祭りの場で継母たちに姿を見られてしまったので、慌てて家に引き返した。その時に金の靴の片方を落としてしまい、洞の人がそれを拾った。継母もその後すぐに家に戻ってみたが、葉限は庭で眠りこけていたので、他人の空似であろうと思いこんだ。

葉限たちの住む洞の隣に陀汗(だかん)という島国があり、強大な軍事力でもって付近の島々を支配していた。葉限の靴を拾った洞人は、その靴を陀汗の人に売ったが、その靴が回りまわって陀汗の王の手に入った。金の靴は毛のように軽く、石を踏んでも音がしない。更に不思議なことに、国中の婦人に履かせてみたが、一人としてぴたりと履ける者が無かった。陀汗王は「怪しげな靴だ!」と怒り、金の靴を売った洞人を捕らえて拷問したが、入手経路が分からない。

そこで陀汗王は自ら葉限たちの洞に向かい、家臣に金の靴の持ち主を捜索させた。家臣は懸命の捜索の結果、葉限が靴の持ち主であると突き止めた。果たして彼女に金の靴を履かせてみると、大きさがぴったりであった。葉限は翡翠の羽衣と金の靴を身に付けて陀汗王に目通りし、事の次第を説明した。陀汗王は彼女の天女のような美貌に惚れこみ、かの魚の骨と葉限を国に連れ帰り、彼女を第一夫人とした。継母と娘は石打ちの刑で処刑されたが、洞の人たちによって塚に葬られた。後にこの塚で祭祀を行い、女の子が欲しいと祈願すれば、必ず女の子を授かったという。

陀汗王は欲に駆られ、何回も骨に祈願して宝石を出させたが、一年もすると効力がなくなってしまった。そこで王は骨を多くの金や真珠とともに海辺近くに葬った。後に徴側・徴弐の姉妹が反乱を起こした時に、(姉妹は交趾(現在のベトナム)の現地人で、後漢光武帝の時代に反乱を起こして王となったが、馬援によって討伐された。)これを掘り出して軍資金にしようとした。しかしある晩、魚の骨は金や真珠とともに大きな波にさらわれ、海中深くに沈んでしまった。


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