blueball.gif (1613 バイト)  唐代伝奇  blueball.gif (1613 バイト)


8 聶隠娘


聶隠娘(じょういんじょう)とは、貞元年間に魏博節度使の武官を務めていた聶鋒(じょうほう)の娘である。彼女は十歳の頃に旅の尼僧にさらわれて、人里離れた山奥まで連れて行かれた。尼僧は彼女に一粒の薬を飲ませ、長さ二尺ばかりの宝刀を授けた。聶隠娘は毎日、同じ年頃の姉弟子たちと山の中で追いかけっこをし、日に日に身が軽くなっていった。そうして一年もすると、百発百中で猿を刺せるようになった。三年後には、虎や豹ばかりか、空を飛んで鷹や隼を刺せるようになった。その頃には宝刀の刃もすり減って、長さが五寸になっていた。

山に来て四年目には、彼女は始めて尼僧から悪人を暗殺するよう命じられ、首尾良く任務を果たした。その後も悪い噂のある都の大官を暗殺し、五年目になって「お前の技は充分に上達したから」ということで、尼僧から帰宅を許された。尼僧は別れ際に、聶隠娘が愛用している羊の角の匕首(ひしゅ=あいくち)を彼女の後頭部の脳内にしまい込み、必要な時にいつでも取り出せるようにした。そして「二十年後にまた会えるだろう。」と別れの言葉を与え、彼女を故郷に送り返したのであった。

父親の聶鋒は生き別れになった娘がひょっこり戻って来たので涙を流して喜んだが、娘が尼僧から暗殺術を仕込まれたことを知ると、暗然とした気持ちになった。その後も夜になると聶隠娘が失踪し、夜明けには戻っているといことが続いた。

ある日彼女は屋敷の門前を鏡磨きの若者が通り掛かるのを見て、父親に「私の夫になるのはこの人しかいません!」と訴えた。その若者は本当に鏡を水につけて磨くことしか出来なかったが、聶鋒も婚礼を承知しないわけにはいかず、結局娘夫婦に住居を与えて住まわせることにした。

数年後聶鋒が亡くなると、魏博節度使は聶隠娘の暗殺術のことを伝え聞き、金や絹を与えて彼女たち夫婦を直属の部下とした。更に数年がたって、魏博節度使は彼女に、自分と仲が悪い陳許節度使の劉昌裔を暗殺せよと命じた。聶隠娘夫妻は早速許州へと向かったが、劉昌裔は予知の術を心得ており、彼女たちの来襲も予知していた。そこで兵士に「白と黒のロバに乗った男女二人がやって来たら、丁重にお迎えしなさい。」と言いつけていた。聶隠娘夫妻は劉昌裔が自分達のやって来るのを予知していたことを知ると、彼の神通力と度量の大きいのに感服し、そのまま帰還せず劉昌裔に仕えることにした。

一ヶ月ばかりして、聶隠娘は自分の髪を一束切って赤い絹でくくり、魏博節度使のもとへと送り届けた。もう二度と彼のもとには戻らないという印である。それを見て魏博の節度使は激怒し、劉昌裔と裏切り者の聶隠娘を殺すために、精精児という術士を送り込んだ。一方の聶隠娘も彼の襲撃を予知し、迎え撃つための準備にいそしんだ。果たしてある晩、劉昌裔の寝室で赤と白の旗が空中を漂い、攻め合っているのが見えた。しばらくすると一人の男が空中より転がり落ちてきて、見れば頭と体が切り離されていた。やがて聶隠娘も姿を現し、劉昌裔に進言した。「暗殺者・精精児を倒しました。しかし明後日の夜には空空児が送り込まれて来るでしょう。彼の術は変幻自在で、私でも勝てるかどうかわかりません。」

そこで彼女は劉昌裔に西域のホータンの玉を身に付けさせ、自身はブヨに変身して主君の腸の中に潜り込んだ。果たしてその明後日の晩に空空児が人知れず彼の寝室に侵入した。首にかけた玉がカチンと鳴ったかと思うと、口から聶隠娘が躍り出た。「おめでとうございます、空空児は退散しました。彼は最初の一撃が命中しなければ、不首尾を恥じて千里の先まで去って行ってしまうのです。」首にかけた玉を見てみると、深々と匕首の痕跡があった。

これ以後も劉昌裔聶隠娘を厚遇したが、後に彼が都の官職に就くことになった時に、聶隠娘は彼に別れを告げた。「これからは自然の風物を楽しみ、道を得た人を訪ねて気ままに過ごそうと思います。どうか夫にはこれからも少しばかりのお手当をくださいませ。」彼は彼女の希望通りにはからった。それから彼女の消息が分からなくなったが、その後劉昌裔が都で亡くなった時に聶隠娘はすぐさま駆けつけ、彼の棺の前で慟哭した。

更に何年もたって、劉昌裔の息子である劉縦陵州の刺史に任命されて赴任している途中、の桟道で聶隠娘と再会した。彼女は昔のままの容貌をしていた。二人は再会を喜び合ったが、彼女は劉縦にこう忠告した。「若様は陵州にお出でになってはいけません。大変な災難にあうことになります。」そう言って薬を一粒取り出して彼に飲ませ、「一年以内に職を辞して都にお帰りください。」と言って去って行った。彼は聶隠娘の言葉を信じずに陵州に赴任したが、その一年後に赴任先で亡くなった。以後、聶隠娘を見かけた者はいない。


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