blueball.gif (1613 バイト)  隋唐演義  blueball.gif (1613 バイト)


1 秦叔宝、唐公を救う


物語は、文帝こと楊堅が皇帝になったところから始まる。当時の中国は司馬氏の晋王朝が天下を失って以来、華北は異民族が支配し、華南は漢民族が支配する南北朝時代が続いていたが、楊堅はそのうちの華北を二分する北周の重臣、隋公楊忠の家に生まれた。彼は父の後を継いで隋公となると、北周王朝の皇帝位を簒奪して王朝を創始したのである。文帝江南王朝の後主陳叔宝が後宮の美女と遊び暮らしているということを聞くと、次男の晋王楊広、重臣の楊素kei4.gif (125 バイト)(こうけい)、唐公李淵といった人々を率いて遠征し、見事陳叔宝を捕らえて天下統一を成し遂げた。

晴れて天子となったと言っても、文帝は妾一人持つこともできない。独孤皇后が気が強く、嫉妬深かったためである。その独孤皇后は、長男の皇太子・楊勇を嫌っていた。自分の選んだ正妃を愛さず、別の女性を寵愛していたからである。次男の楊広宇文述楊素といった謀臣たちと計り、父母に取り入り、とうとう兄に代わって皇太子の位を授けられた。

さて、その後独孤皇后が病死し、文帝陳叔宝の妹・宣華夫人、そして容華夫人と遊び暮らしていたが、ある日夢の中で、「姓で名前に「」の字(さんずい偏)が付く者がを滅ぼす。」という託宣を得た。文帝は老臣の李渾(りこん)が謀反を起こすに違いないと思いこみ、李渾の一族を皆殺しにした。

この事は天下に知れ渡り、朝臣で姓の者はみな身の危険を感じ、相次いで辞職した。唐公李淵もその一人であった。彼は更に太子・楊広宇文述らとも折り合いが悪かったのである。彼は一族郎党を引き連れて故郷の太原に帰ることにしたが、途中の査樹崗宇文述の配下の者に襲われた。彼は楊広と計って李淵を暗殺しようとしたのである。李淵の郎党四十騎に対し、敵は手練れが百名。絶体絶命の危機かと思われたが、そこに通り掛かったのが快男児の秦叔宝。彼は義心から李淵の軍に助太刀し、二本のkan2.gif (136 バイト)(かん)を振り回して敵を蹴散らし、形勢を逆転させてしまった。宇文述の一党を撃退した後に、李淵は彼に謝礼をしようとしたが、秦叔宝は自分の名前も名乗らずに去って行った。

この秦叔宝とは一体何者であろうか?彼の本名は秦瓊(しんけい)、叔宝は字である。山東・歴城の人で、幼名は太平郎と言う。祖父の秦旭(しんきょく)、父の秦彝(しんい)はともにかつて華北を二分した北斉の将軍である。しかし祖父も父も北斉北周に攻め滅ぼされた時に戦死し、幼い太平郎は母の寧夫人とともに逃げ延びて、庶民として暮らすようになった。彼は成長するに連れてたくましい体つきになり、十二、三歳の頃にはいっぱしのガキ大将になっていたが、いつも母の言うことだけはよく聞いたので、周囲からは孝行者として知られていた。大人になってからは腕っぷしが強く侠気があるというので、付近の豪傑の間で名が知れ渡るようになった。

彼と平生から親しく付き合っていたのは、捕り方役人の樊建威(はんけんい)、秀才の王伯当、馬商人の賈潤甫(かじゅんぽ)といった人々であった。ある時に彼は樊建威に推薦されて斉州の役人となり、ro.gif (134 バイト)まで囚人の護送をすることになった。その護送の途中で李淵一党が賊に襲われているのを目撃し、助太刀に馳せ参じたというわけである。

さて、李淵の話に戻す。秦叔宝が去った後、更に一騎が駆けてくるのが見えた。李淵はこれも賊の仲間と思って弓で射殺したが、これは賊の一味ではなく、二賢荘の主人・単雄忠であった。李淵はろくに詫びもせずその場を立ち去ったが、この事が後に重大事を引き起こすことになる。

李淵は妊娠して身重の妻・竇氏(とうし)を休ませるために永福寺に宿を借りたが、そこで彼女は男児を出産した。これこそが後にの第二代皇帝となる太宗李世民であった。李淵はもうしばらく寺に滞在して妻の容態が回復するのを待つことにしたが、この永福寺柴紹という貴公子が逗留していることを知り、彼を娘の平陽公主の婿として迎えることにした。しかし彼女は大変な女傑である。配下の娘子兵を率いて柴紹に陣形破りの勝負を挑み、彼がよく陣形を破ったのを見て始めて結婚を承諾した。

一方の秦叔宝はと言えば、その後もro.gif (134 バイト)へまで囚人を護送し、任務を果たしたが、帰りの路銀が尽きてしまっていた。やむを得ず彼は乗ってきた馬を売ることにしたが、なかなか買い手がつかない。二賢荘単雄信(ぜんゆうしん)なら買ってもらえるという噂を聞き、彼の屋敷に赴いてを馬を引き取ってもらった。単雄信は義侠の士として知られる豪傑で、李淵に誤殺された単雄忠の弟である。兄に代わって二賢荘の主となっていた。

路銀を得た秦叔宝は故郷への帰路に着いたが、途中の宿場でで旧友の書生、王伯当に再会した。彼は義兄弟の契りを交わしたばかりの李密という男を秦叔宝に紹介した。しかし秦叔宝は帰郷の念が強く、簡単にここに至った状況を二人に説明して立ち去っていった。

さて、王伯当李密単雄信とは旧知の仲である。秦叔宝の馬を返してもらおうと交渉に向かったが、単雄信は二人の話を聞いて仰天した。まさか自分に馬を売りに来た男が豪傑の秦叔宝であるとは思いもせず、単なる馬商人だと思い込んでいたのである。三人は早速秦叔宝を追って行くことにした。

その秦叔宝と言えば、旅の疲れから急病に掛かり、途中の東嶽廟の前で行き倒れていたのである。そして東嶽廟の観主である、魏徴という道士の看病を受けていた。魏徴はあらゆる学問に通じているという人物で、大志を持ち、英雄・豪傑と交わるのを誇りとしていた。そこへ単雄信・王伯当・李密の三人が駆け付けてきた。単雄信秦叔宝と改めて挨拶を交わして今までの事を詫び、魏徴・王伯当・李密も交えて五人で義兄弟の契りを交わしたのであった。

頼もしい義兄弟が出来た秦叔宝であったが、彼の苦難はまだまだ続く。次回の更新をお楽しみに。


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