1、継がれる想い

 

 

 


**********************************************************************

ヒカリはその時、濃紺のジャージが視界の隅をよぎった気がして、胸をときめ
かせたところだった。

「ヒカリ! いつまで寝てるのっ! 起きなさい、もう外は大変なんだから!」
「コダマお姉ちゃん? え・・・? 今、見てたのは・・・・ゆ・・・め?」

目を開けてみれば、そこは間違いなく、疎開先で自分が当てがわれた部屋であ
る。でも何かおかしい。なんだろう? 初めは何が違和感を醸し出しているの
か、判らなかった。学校に行かなくちゃ、と思い立ち、壁に掛かった制服の方
へ視線を移した時に初めて、違和感の正体が判った。

「これ・・・なに? いったい何が起こったの?」

制服の生地がボロボロなのだ。そういえば、今着ているパジャマも。慌てて部
屋を見回す。今度こそ、はっきり目が覚めた。うっすらとではあるが、かなり
の埃や塵が積もっている。

そういえば自分は昨日どうやってベットに入ったのだろう?

ヒカリは自分の記憶が曖昧になっていることに愕然とした。これは、何なの?
パニックになりそうな心を押さえつけ、時計に目をやる。アスカと前の週末に
買った目覚し時計だ。が、針はその動きを止めていた。着替えるのも忘れて、
急いで階下に駆け下りると、そこに姉と妹、そして父が居た。

「ねぇ! 一晩で何が起こったの? なんなのよ、これ!」
「判らないのだよ。朝起きたら、こうだった。世界中、パニックだ。まるで私
たち人間以外の時間が一気に10年くらい過ぎたかのような感じらしい。」

父の言葉に喩えようのない不安と恐怖を感じたヒカリだったが、彼女が心配し
たのはトウジのことでも、学校のことでも、今後のことでもなく、自分たちを
護るために第三新東京市に残って闘っている筈のアスカたちの安否だった。

「とにかく状況は分からないが、外で何か情報を仕入れてくる。あと食料と水
もな。お前たちは、ここを離れるんじゃないぞ」

父親はそう言うと外へ飛び出ていった。ヒカリは遠く第三東京市の方角を見る。

「アスカ・・・、お願いだから無事でいてちょうだい・・・」


* * * * * * * * * * * * * * *


「あ、先輩! 先輩・・・よかったぁ、気がついたんですね!」
「?」
「もう死んじゃうんじゃないかって、私、心配で心配で・・・。先輩・・・!」
「・・・マ・・ヤ・・・?」

リツコは訳も判らず、ただ泣きじゃくって自分の胸に突っ伏しているマヤを抱
きとめるしか無かった。

「私は・・・? 司令と地下で・・・、最後に母さんが・・・」

リツコは記憶を反芻する。ゲンドウを止めようとした。MAGIが、母さんが
自分ではなく、ゲンドウの側に付き・・・、彼と最後の言葉を交わした筈だっ
た。そう、そして私は撃たれたのよ。しかし自分は生きているようだ。どうい
うことだろう?

「マヤ・・・ねっマヤ! 一体なにが起こったの? 補完計画は、どうなった
の? シンジくんたちは! 碇・・・碇司令は!」

掴みかからんばかりのリツコに、マヤは泣き笑いしながらリツコの胸から顔を
上げた。

「それだけ怒鳴れるんなら、もう大丈夫ですね?」
「マヤ! とにかく説明して・・・」
「はっきりとは判らないんです。あの時、戦自が私たちを攻めてきて・・・、
たくさんの職員が殺されました。そして・・・アスカは・・・エヴァ・シリ
ーズに・・・。補完計画なのか何なのか、私には判りませんけど、空が光で
いっぱいになって・・・。そして先輩が・・・先輩が、私を迎えに来てくれ
て・・・私、恐かったけど、先輩に抱きついて・・・嬉しくて・・・」
「・・・・」
「でも、それからの記憶が曖昧なんです。気が付いたらオペレーション・ルー
ムのデスクで寝てたんですよ。」
「それで? 何故、私が生きてるの?」
「先輩! そんな言い方しないでください! そんなんだと私、私・・・」
「・・・ごめんなさい、マヤ。・・・でも、教えて。今すぐ!」
「・・・はい。私たちが気が付いたのは3日前の朝、です。みんな居ます。あ
の時の直前のままなんです。殺された筈の人たちも生きていて・・・。血痕
も残っていません。ただ破壊の跡があるだけなんです」
「ということは補完計画は発動したってこと? それしか説明のしようがなさ
そうね・・・。でもそれなら何故、みんな元の個体生命なのかしら?」

独り言を呟くかのように考え始めたリツコの瞳に、以前の鋭い輝きが宿ったの
が、マヤには判った。それを脇で眺め、人が生きていることの素晴らしさに、
リツコの側に居ることの幸福に、改めて思いを深めたマヤは、説明を続ける。

「とにかく、まだ私たちは情報収集を始めたばかりなんです。今の段階で判っ
たのは、蘇った人たちは、あの時点で肉体を残しながら生命を落とした人だ
ということです。先輩のように意識不明であっても生きていた人たちは、そ
の瀕死状態のまま発見されました。先輩・・・、先輩の居場所を私に教えて、
病院に収容するように指示したのは、他ならぬMAGIなんですよ」
「!」
「ここのMAGIが全国のMAGIシステムを統括して、機能しているわずか
な都市のライフラインを最低限、確保して全体の維持に努めています」

リツコは母の顔を思い出し、少し涙ぐみながら、窓の外の青空に視線を飛ばす。

「・・・母さん・・・、女としての母さんは彼を取ったけど、あとの二人は、
私を気にかけてくれていたのね・・・、ありがと母さん・・・」
「あの・・・先輩? 泣いてるんですか?」
「あ、ごめんなさい、大丈夫よ。で、あれからどの位、時間が経過したの?」
「え、だから3日・・・」
「違うわ! あなたたちが気が付いてからのじゃなくて。地球時間で、あれか
らどの位の時間が経ったのか、ってことよっ」
「え? そんな・・・3日じゃないんですか?」
「・・・やっぱり私は寝てる訳にはいかないみたいね。マヤ、すぐに私をMA
GIの所へ連れていって!」

その響きにはリツコの確固たる意志が込められており、マヤには止められない
強靭さがあった。 マヤは嬉しそうに肯き、リツコに車椅子を用意するのだった。


* * * * * * * * * * * * * * *


カーペット変えなくちゃね・・・・。夢を見ているような感覚の中で、ミサト
は繰り返し同じことを考えていた。私、死んだのかしら? ぼーっとしている
ものの視界には白い光が見えつつある。

「あ、気が付いたみたいですよ、リツコさん」

リツコ? ・・・青葉くんの声? ここ何処? 私、意識を失って・・・。

「ミサト! ミサト・・・気が付いた?」

やっと目の焦点が合ってきた。リツコの金髪に陽が輝き、まぶしい位だった。

「・・・リツコ? 」
「よかったわ、ミサト。あなたも生き長らえたわね。・・・もう大丈夫よ」
「?」
「あなた、戦自に撃たれて、倒れちゃったのよ」
「!」

思い出した。撃たれて、そして私はシンちゃんを送り出したんだわ。出来るこ
とはやれたんだ・・・。それから加持くんに話しかけて・・・そして・・・。

「・・・わたし・・・生きてるの?」
「ええ。しっかりとね。私より重傷だったから、目覚めるまで一ケ月、余計に
かかったけどね」


* * * * * * * * * * * * * * *


「で? 結局どういう訳?」

数時間後のミサトの病室に司令室の面々が揃っていた。ミサトは意識を取り戻
したものの、その時は疲労が激しかったため、リツコが気を利かせて時間をず
らしたのである。

「落ち着いて、聞いてね。取り乱しちゃダメよ」
「・・・・うん、わかった・・・」
「あなたが撃たれてからね、22年過ぎているのよ」
「・・・なんですって?」

リツコは淡々と事実を述べた。世界中の人々が意識を取り戻したのは数日前だ
が、あれから地球では22年が経過していた。人がいなかった、この22年の
間に、自然はその本来の姿を取り戻し、植物群は旺盛に繁殖していた。それは
鳥や魚、昆虫に於いても同様であり、さながら地球自体の生命力がリフレッシ
ュされたかのようであった。ただ人だけが存在しなかったのである。

MAGIはこの22年生き続けていた。MAGIシステムが、破壊の激しい都
市部においても最低限のライフラインの維持に努めたため、人が戻ったとき、
都市の電力や水道・空調設備は、古ぼけながらも起動可能であり、当面の生活
には支障がないという僥倖に恵まれていた。動植物群の繁殖が著しいこともあ
り、食料事情も思った程の危機は無いという状況である。

「でも破壊されてしまった建物や道路は元には戻らない。これからの復旧作業
は使徒と闘っていた頃の比じゃないわ」
「ふーん・・・」
「ホントに緊張感の無い女ね」
「別に、いーじゃないのよ、病人なんだから、さ」
「あの・・・怪我人の間違いじゃ・・・?」
「・・・マヤ、そんな突っ込み入れてる場合じゃないでしょ」

病室にマコトたちの笑い声が渦巻いた。

その後、どうしたことかゼーレの再活動が認められないこと、戦自を始めとし
た各国政府との情報照会−−−何故ネルフが襲撃されたのか、誰が情報を操作
したのか−−−を実施した結果、未だ解明はされていないものの、確固たるネ
ルフ襲撃の理由も見つからないため、一時休戦の状態であることを、ミサトは
聞かされた。当面は都市機能の回復・維持を優先任務としてネルフの復権が決
定され、A−801も解除された。そこまで話を進めた時点で、リツコは、み
んなを職務に戻らせることになる。


* * * * * * * * * * * * * * *


「で・・・これからが本題って訳ね?」

ミサトは半身を起こし、リツコに鋭い視線をあてた。少し青ざめている。リツ
コも、また唇を噛み締め、表情を暗くしていた。

「さ、話してちょうだい。一旦は死んだと思った身よ。何が真実であっても、
覚悟は出来てる。それに・・・私は、知らなくちゃいけない・・・」
「わかったわ。じゃ、言うわよ。いい?」

リツコの慈しむような視線に、気丈にもミサトは微笑んで見せた。リツコはや
っぱり私にはもったいない位の親友ね、私のことホントに判ってくれるわ。ご
く自然にそう思いながら、彼女に向かって肯いた。

「まず、加持くんは・・・帰ってこない」
「うん・・・」

覚悟はしていても胸にズキンとこたえる。涙は・・・、まだ大丈夫だ。

「ペンペンも見つからないの・・・。人間以外の生物は、あのままこの22年
を生き、世代交代しているから・・・今は・・・」
「うん・・・」

泣くまいと思ったけど、ダメかもしれない。涙腺が緩みそうになってる。

「それから・・・碇司令の、死亡が確認されたわ」
「え、リツコ・・・」
「・・・大丈夫よ、わたしは」
「でも、好きだったんでしょう?」
「・・・そうね。最後まで私に嘘、言ったけど。でも私は彼が好きだったわ」
「嘘?」

リツコは、あの時の自分の顛末を語った。淡々としてはいたが、心に深い哀し
みを抱えているのは隠しようが無い。顛末を聞き終え後、ミサトはリツコの手
を取り、優しくささやいた。

「その言葉に、嘘は無いんじゃない?」
「・・・何故? あなた、何を根拠に・・・そう言えるの?」
「確かに司令の最愛の人はリツコ、あなたじゃないかもしれない。でも、愛し
てたことには変わりはないと思うの」
「・・・・そんな戯言・・・」
「だって、リツコ。あなた、こうして生きているじゃないの! それって碇司
令が最後の最後で・・・あなたに生きてほしいって、狙いを外したって事で
しょう?」
「・・・・!!」
「ちがう?」
「・・・・そうかも知れない。彼はユイさんの所へ行くところだった。私ごと
きに、行く道を邪魔される訳には、いかなかった。だから・・・?」
「そうよ。あなたのこと愛してなかった訳じゃないのよ、ぜったいに・・・」
「・・・ミサト、ありがと・・・」

リツコはミサトに寄り添って少しだけ泣いた。しばらく二人はそのままお互い
肩を抱き合っていた。が、しかしリツコの顔は晴れない。まだ心に何か楔があ
るんだ、ミサトは暗澹たる気持ちに負けそうになりながらも、泣くもんかと誓
った。

「それでシンジくんたち、の事なんだけど・・・」
「・・・・」
「何処にもいない・・・のよ」
「何故?」
「見つからないのよ、どうしても。この一ケ月探しまくっているのに、何処に
も・・・」
「・・・どうしてよっ! なぜ!」

ミサトは爆発した。怒鳴らなければ泣き崩れるところだ。シーツが裂けんばか
りに握り絞められる。

「レイは・・・補完計画が発動したのは間違いないから、多分、肉体ともども
・・・。少なくとも人間としては・・・この世にはいない、と思う・・・わ」
「そう・・・」

紅い瞳、青い髪の儚げな少女。シンジが現れてから、少しずつ人間の少女らし
くなっていった彼女。それが、何故? やるせない思いがミサトを一杯にする。

「アスカは? アスカはどうなの?」
「・・・弐号機は惨澹たる状態で見つかったわ。生命体としての部分は、腐敗
して跡形もなかった」
「・・・・」
「でもね、アスカの痕跡もないのよ。プラグ・スーツも無かったし、腐らない
筈の毛髪だって何処にも無かった」
「! ・・・それって」
「そう、少なくとも、その時は生きてたってことね、多分。そして何処かへ歩
いて行ったのよ」

こんなに「多分」を使って話すリツコを初めて見る。それだけにミサトには、
リツコが「多分」という言葉に、子供たちへの彼女自身の希望を込めているの
が、痛いほど判った。

「・・・それで・・・シンちゃんは?」
「シンジくんも同じよ。何も見つからない。ただ初号機だけはその存在場所が
判ったわ。土星軌道近くにいて、ゆっくり太陽系外へ向かっているのをMA
GIが確認しているの」
「初号機が宇宙に? その中にシンちゃんが?」
「はっきり判らないけど。いないと思うわ、多分。シンジくんは、レイと同様
に補完計画の要だった。いえ、正確には初号機がね。でも、シンジくんまで
が今のこの世に存在しないとするなら、私たちが今さら目覚めた理由が無く
なってしまう気がするのよ・・・」
「そう、そうね! 生きてるに違いないわ、二人とも。きっと、二人っきりの
逃避行ってやつをやってるのよ!」
「・・・多分・・・いえ、きっと、そうよね」
「帰ってきたら、思いっきり叱って、それから・・・からかってやるんだから!」


しかし、その後も、杳として二人の行方は知れなかった。


**********************************************************************


半年後、世界はまだまだ復興途上であったが、活況を呈していた。少なくとも
敵が存在しない今、人々は幸せだと言ってよいだろう。都市機能は昔通りとい
うレベルには未だ達していないが、人の消えていた22年間に地球の自然環境
は生き返り、その生命力はかつて現代人が経験したことが無いほど力強いもの
に変貌していた。地球の自然が再生されたことに伴い、復興においても自然破
壊は極力抑えられ、緑と共存する形で作業が精力的に実施されている。

ミサトは、復元された元のマンションに戻り、新生ネルフの激務に忙しかった
が、敵との闘いではない、「創造」という仕事に充実感を持つようになってい
た。しかし。心から喜べない日々が、まだ続いている。

が、ある日、そんな彼女も喜ぶ出来事が起こったのである。リツコが結婚する
ことになったのだ。

「まったくノロけてくれるわよね」

リツコの相手というのが、赤毛の好青年で、彼女の部下なのだから笑ってしま
う。ミサトはその青年とは面識が無いが、この2ケ月間、他ならぬリツコから
散々聞かされて辟易としていた。まさに耳にタコというやつである。

「それにしても、10も年下の男と一緒になるなんてねー」

愛車を駆りながら、リツコの部屋へ向かう途中、一人つぶやく。今日は結婚ま
で秒読みとなったリツコとその話題の彼氏とで昼食を採る約束になっていた。
柄にもなく花束などを買い込み、ホントはビールの方がいいんだけど、と言い
ながらワインを見繕った。

「ようこそ、ミサト」
「おじゃまぁ! 考えて見れば初めてかしらね? リツコんとこ来るのは」
「そうね、今までは研究書や実験機具の山で、とても人を招待するような所じ
ゃなかったから・・・」
「それが、えっとセイジさん、だっけ? 彼が出来てから、変わったわねぇ」
「もうっ、からかわないで!」

既にセイジという青年は来ており、採光の気持ちよいリビングで、食卓につい
ていた。眼鏡なんかしてるわ、とミサトが思いかけたとき。

「!」

一目見てミサトは声が出なかった。栗色の髪に少し青みがかった瞳。ハーフの
ような彫りの深い顔立ち。司令に似ている? よく見れば違う気もする。でも
やはり似てる。他人の空似ってやつかしら。

「どうしたの? ミサト、さっ。席についてちょうだい」
「あ、・・・あぁそっか、ごめーん」

その後、楽しい食事が続いた。聞けば、彼の生い立ちは苦労の連続だった。ず
っと仙台近くの人里離れた山間で暮らしており、毎日の生活に精いっぱいだっ
たらしい。両親の方針なのか、半年前まで、他人との交流が無かったというか
ら驚きである。姓は名乗る必要が無いと、セイジ自身も両親から名字を聞いた
記憶が無い不思議な一家だ。ただのセイジなのである。

が非常に聡明であり、純粋といっていい程、気持ちのよい青年であった。学校
にも行っていなかったものの、厳格な母から徹底的に学問をたたき込まれたそ
うである。それで新生ネルフに入れたのだから、母親の教育もさる事ながら、
本人の能力の高さは驚異以外の何物でもない。いずれにせよ、ミサトもその魅
力を認めない訳にはいかなった。

「ふぅ・・・、リツコが惚れるのも、当然か」
「なによ、それ。文句ある?」
「こんな金髪年増より、私に乗り換えない?」
「ミサトっ!」
「冗談よ、じょーだん」
「もう」

明るい笑い声が響く。だがセイジの両親の話になると、途端に彼の口が重くな
った。母親は2年前に亡くなったそうだ。昔うけた傷が完治することが無く、
徐々に彼女の体を蝕んでいったそうである。他人との接触を避けていたために
満足な治療も出来ないままだった、という話を聞き、ミサトは怒りに身を震わ
せた。一体父親は何をやっていたのか。どうして病院に連れて行かなかったの
か。セイジも人の住む世界を知った時、父親と口論をしたようだが、彼の父は
仕方なかった、の一点張りだったようだ。それ以降、父親は寡黙になり、セイ
ジがネルフに入った後、帰省しても殆ど口をきくことすらしなくなった、との
ことである。

「おそらく、僕が母さんを思い出させるからなのだと思います」
「でも」
「父さんにとって母さんは、特別でした。愛しているなんて一言では片づけら
れません。いえ、むしろ憎しみ合っていたかも知れない。少なくとも母さん
は父さんに全然やさしくなかった。でも、もの心ついたときから、僕にも判
る程二人はお互いを必要としていました・・・」
「ふーん・・・複雑なのねぇ。よくそのお父様が、こーんな年増との結婚許し
てくれたもんね」
「ミサトっ!」
「許してくれた訳じゃないんです。でも、父さんは関係ありませんよ。僕が選
択したんです、自分で自分の道を。何よりも、リツコさんを」
「あら、言ってくれるわねー、そんなに若いのに」
「セイジ、ありがと。でも何時か、お父様は私に会ってくれるのかしら?」
「無理かもしれないです。何せ父さんは、自分たち以外に人がいるってこと信
じてませんから。僕の話も、ちっとも聞いてくれないし・・・」
「お母様亡くしてから頭のネジ取れたんじゃないのー」
「ミサトったら!」

夕刻になり、ミサトはリツコ宅を辞すことにした。セイジも今日は帰るという
ので、ミサトが送っていくことになった。

「リツコっ、道中が心配ぃ?」
「・・・もうっ、ミサトぉ!」
「きゃははは・・・っ」

笑い声と共に車は走り去ったが、リツコはそのままテラスに残り、夕日を眺め
て自分の心が感じている幸せを噛み締めた。心地のよい疲れに身を任せながら
猫と一緒に、夕刻の涼を楽しむことにする。風が優しく彼女の髪を撫ぜていた。


* * * * * * * * * * * * * * *


ミサトは車中でもセイジと他愛も無い話をしていたが、一瞬の光が彼女の目を
射った。急に心がざわめくのを感じた。なんだろう? 自分の心が震えてる。
怖がってる・・・この私が?

「どうかしましたか?」

夕陽に逆光となる助手席に座り、その暑さにワイシャツの襟を広げて扇いでい
るセイジが声を掛けてくる。何でもないのよ、と答えようと彼を見やった途端
に、今度こそ彼女は驚愕の叫びを上げ、急ブレーキを踏んだ。

「ど、どうしたんですか!」
「こ、これ!・・・これ、一体どうしたのっ! なんであなたが!」

ミサトはセイジの襟首を引っつかみ、そこに輝くチェーンを凝視した。夕日に
輝いて、ミサトの目に入り、彼女の心を揺らしたものである。

「こ、これですか? これは、父さんから貰ったんですけど。僕の14歳の誕
生日に。とっても大事なものだがお前にやるって。14歳だからな、って。
14歳というのはヒトにとって大切な一年だから、って。何でも昔、一回手
放したのを、想いを継ぐために、再び手にしたものだそうです・・・」

ミサトは自分の瞳に涙が湧き上ってくるのを自覚した。視界がぼやけてきてい
る。もはや鳴咽を止める術を彼女は持たなかった。彼女が意識を取り戻してか
ら、初めて泣いた。声を押し殺しながらであったが。今、判ったのだ。何故、
彼の父親は母親を病院に連れていけなかったのか。何故、人里離れた場所に居
を構えたのか。何故、他人の存在を信じようとしないのか。何故・・・・。


セイジの胸元には、間違いなく、以前、自分が下げていた筈のクルスが、輝い
て揺れていた。


「か、葛城さん・・・?」
「クっ・・・、セイジくん、生家は仙台の先って言ったわね?」
「は、はい」
「今から行くわっ! 案内しなさいっ!!」
「え・・・?」
「早くっっっ!」

そして、ホイールをスピンさせながら、脱兎のごとく車は発進した。


仙台から1時間ほど山間に入った所に着いたのは深夜に近かった。疲れも見せ
ず、また、あれから一言も口を利かないミサトを訝しがりながらも、セイジは
文句を言わなかった。ミサトが涙を堪え、必死なのが判ったから。

「ここです。・・・あ、父さん、まだ起きてますね・・・」
「悪いけど・・・ここで待っていてくれるかしら?」
「・・・ええ・・・判りました」

ミサトはセイジを車に残し、山小屋のような質素な家に足を向けた。体が発作
を興したように震えている。怒りもある。期待もある。そして何よりも、自分
がこんなにも彼を愛しているのに驚いている。

『愛してる』

それを初めて意識した。それは歩いている内に確固たる自覚になった。そして、
それが揺るぎの無い本当の、自分の中の真実である事が判った。

彼は子供だった。私には加持くんが居た。だから、マジメに考えたことは無か
った・・・。 でも・・・。でもっっ、あの頃から・・・私は・・・。そう私
は・・・っっ!

考えてみれば、見返りなんかを期待せずに、何も考えずに、私が抱きしめたの
は、彼だけだった。私が・・・リツコを怒鳴りつけたのも、彼に関してだった。
私が・・・心のままに飛びついて抱き留めて、大声で泣いたのは・・・彼がデ
ィラックの海から戻った時だった・・・。そして・・・最後に、本気で、心か
らキスしたのも・・・彼だった!

扉に手をかける。鍵はかかっていない。いや、ここでは鍵自体が必要ないもの
なのだ。そっと木扉を開けると、囲炉裏に炭火が熾きており、髭を生やした一
人の偉丈夫が座っていた。ゆっくり振り返るその顔には、紛れも無く、彼女の
知る彼本人の面影が残っていた。ミサトは涙で歪んだ視界に映る彼に向かって、
静かに歩みを進めていたが、最後には駆け寄るようにして飛びついていった。


* * * * * * * * * * * * * * *


セイジは車外にいた。小屋からミサトの泣き声と父の低い声が聞こえてくる。
夜空の星を仰ぎながら、彼は母親に語りかけていた。

「母さん、やっと父さんの時間がまた、動きはじめたよ。もういいよね? 母
さんだって、父さんがずっとこのままなんて許さないだろ? 葛城さんは父
さんと母さんを知ってるんだね? 葛城さんなら・・・、いや葛城さんしか
今の父さんを救えない気がするよ・・・」

「でも父さんは、母さんのこと、絶対に忘れないよ。そして葛城さんも、きっ
と、母さんのこと思い続けてく・・・」

間違いなく、彼の母親は息づいていた。セイジの心に。ミサトの思いの中に。
そして20年の想い出と共にセイジの父親の魂の中で。母のこの想いだけは、
たとえミサトと一緒になっても父が忘れることはないだろう。セイジの耳に母
の言葉が蘇る。父へ向けた最後の言葉−−−愛に溢れた言葉が。





シンジ 幸せにおなりなさい

私たちは憎しみ合って 怒鳴り合って ちっとも甘い生活をしなかった セ
イジが生まれてからあとも

でも愛していたわ・・・心の底から

どんなに憎しみ合っていても・・・・ずっと私と一緒に居てくれてありがと
う・・・ シンジこそ 私の・・・私の思い すべてをぶつけ合った ほん
とうの伴侶だった

・・・逢えてよかった この20年 二人で生きてきてよかった・・・・二
人でいられて よかった

私は先に行くけど でもシンジ あなたは幸せにならなきゃ駄目よ 残りの
人生 私ばっかりを引きずり続けるなんて 気持ち悪いことしたら 承知し
やしないわよ・・・

きっと きっと みんなは戻ってくるわ シンジ あなたが本気で望みさえ
すれば きっと戻ってくる 私にはわかる そして それは今や私の願いで
もあるのよ・・・

シンジ あなたが 幸せになるってことが 私の願い

シンジ シンジ・・・! 憎くっても 死んでしまっても 何時までも私は
ずっと・・・ずっと・・・! 私は わたし・・は あなたが・・・好
・・き・・・! だから 約束よ 幸せに なんな・・さい・・・



きっと、星々の光が、母の想いをミサトに届けるだろう。そしてミサトは、母
の紅き想いを引き継ぐだろう。ミサトと両親の繋がりを詳しく知らないながら
も、セイジは自分の心が晴れわたっていくような気がしていた。セイジの心の
中で、二人が笑い合って、ミサトを迎えていた。それはセイジが見たこともな
い程、幸せに満ちた両親の笑顔だった。



************* << 「紅き久遠−−継がれる想い」 了 >> ***************

「紅き久遠−−Dear My Friend」へつづく

 

想音斗さんへの感想は
nog@mb.infoweb.ne.jp まで!

想音斗「WORDS FOR NEON GENESIS」へ戻る