「紅き久遠−−暗転」

パート1
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「やーっぱり、不公平よ! ぜーったいに、おかしい!」


寝室へと向かうミサトが少し先を歩くシンジの背中に、叫びを浴びせる。ビク
ッとするシンジ。ミサトより歳を重ねた筈なのに、まだこの手の攻撃には弱い。
恐る恐る振り返る。そこには憤懣やるせない、といった感じのミサトの顔が迫
っていた。


「あ、・・・あのさ・・・」
「う゛ー・・・・」
「ど、どうしたの?」
「・・・なーんで、リツコが子供を生むと私がお祖母さんになって、私が子供
を生むとリツコがお姉ちゃんになっちゃうのよ! 不公平だぁぁぁ!」


また、この話か。ここのところ毎日聞かされてるシンジは、そっと溜め息をつ
いた。そんなに大問題なのだろうか? 分からないなぁ、やっぱり僕は幾つに
なっても鈍いらしい・・・と一人肯くシンジに、ミサトの声が続けて飛ぶ。


「シンちゃんだって、そう思うでしょ?」
「え・・・え、まぁ・・・そっかな」
「んもう、煮え切らないわねぇ。」
「・・・じゃ、さ。子供つくるの止めにしようか?」


とたんにピクンと反応するミサト。急にソワソワして、頬を赤らめる。


「そんなの・・・ヤダ・・・」
「え・・・?」
「・・・いじわるっ」


そう言うと、シンジを追い抜いて、寝室へ駆け込むミサトなのであった。シン
ジは苦笑しながらも、満更でも無い表情で後に続く。





上弦の月がゆっくりと登り、天頂へとその身を置いた頃、二人は充実の吐息を
つき、瞳を閉じていた。薄い月明かりが二人の上気した表情を映し出す。

激しくも甘美な時間を「幾重にも」過ごし・・・、今は満足げに、お互い軽く
抱き合っている。まだ濃厚に感じられる深い余韻を味わいながら、ミサトはシ
ンジの胸に顔を埋ずめる。その胸板は、かつての少年だった頃とは似つかわし
く無い程、厚くなっていた。

身重だったアスカを水浴させるため、彼女を背負って沢まで往復したり、薪を
割り、樹を切り倒して、家具を作り、嵐の前後には小屋の補強や修繕を行い、
草を刈った。そして、食料を手にするために、木に登り果実を採り、動物を追
い、時には大型獣とも対峙し、闘い、仕留め−−−そうして、つくられてきた
シンジの身体は、決して完成された肉体美ではなかったが、ある種の荘厳とし
た生命力に溢れ、とても頼もしい、そして好ましい清冽さを持っているように、
ミサトには思えた。


「どうして、こんなに好きになっちゃったのかしら・・・ね」
「・・・どうしてだろうね」
「シンちゃんは・・・シンジは、私のこと?」
「・・・どうしてだろうって思うくらい、愛してる・・・みたいだよ・・・」
「みたい? それって、やっぱりアスカのことが・・・?」


少しミサトの表情が曇る。しかしシンジは黙っている。その場しのぎのコメン
トをするようなコトではないのだ。これは、これからもずっと二人に付いて廻
る事柄なのだから。シンジにとってのアスカ、ミサトにとっての加持。二人と
も、お互いに、彼らを忘れられる筈もないことを・・・分かりすぎる程、分か
っている。

しばらくして、ようやくシンジは考えが纏まったのか、その想いを口にのせた。


「僕は・・・加持さんを忘れないでいるミサトさんが、好きだよ」
「・・・!」
「むしろ何時までも忘れないでいて欲しいって思う・・・。逆に忘れてしまう
ようなミサトさんなら、こんなに好きにはなれなかった、と思うんだ・・」


ミサトは感激した。自分を分かってもらえてる喜び。そして自分がシンジに対
して想っているのと同じことを、他ならぬシンジから聴かされた嬉しさ。同じ
想いを共有できた感覚。自分も、アスカを忘れてしまうようなシンジなら、こ
こまで好きにはならなかっただろう。そのことが、はっきり判る。


「私も・・・。私も同じ。・・・ありがとう、シンちゃん。・・・愛してる」


キスの雨を降らしながら、そっと涙を拭う。シンジはそんなミサトの肩に手を
かけると、自分からもミサトに優しく長いキスを、一回。


「すてき・・・」
「・・・ミサトさん直伝だからね」


顔を見合わせて、互いにクスっと微笑みながらも、あの補完計画発動の時の、
辛い別れの記憶が、ミサトとシンジの胸を去来する。しかし、あの記憶がある
からこそ、今の幸せを心から感じられる事を、二人は充分、知っていた。

シンジはミサトの右の乳房の下部に走る新しい傷をそっと撫ぜる。何故か今晩、
初めて聞いてみる気になった。


「この傷は・・・あの時の?」
「・・・そう。シンちゃんと『大人のキス』する少し前に、撃たれちゃったや
つ。セカンド・インパクトといい・・・私の身体も傷だらけ、よね・・・」
「でも・・・きれいだ。・・この身体が・・・僕を守ってくれたんだね・・・」


シンジは感慨深げにミサトの身体をギュッと抱きしめる。ミサトの鼓動が静か
にシンジの意識へ流れ込んでくる。あったかい・・・。これがヒトの温もりな
んだ。これが生命の暖かさなんだ・・・。希望を生むあたたかさ、なんだ。シ
ンジはミサトの長い髪に手櫛を緩く通しながら、堪らなく、いとおしくなって、
更に強く彼女を抱きしめる。


「ミサトさん・・・あの時の・・僕は、本当に・・・不甲斐なくて・・・・」
「それはいいの。・・・・だって、あなたは約束を守ってくれたもの」
「・・・約束・・・?」
「・・・続きをしましょう、って。・・・そして、あなたは戻ってきた」
「・・・・・」
「今こうして、シンジの胸の中に、私がいる・・・。それだけで充分よ・・」
「ありがとう・・・ミサトさん」


少しの間、お互いの鼓動と呼吸だけを聞いて過ごした後、シンジはそっと身を
起こすと、ミサトをうつ伏せにする。そうしてからシンジは、ミサトの肩や首
の周りを、ほぐすように優しくマッサージを始めた。

ミサトの至福の時間であった。身体を重ね合う喜びも確かに際立って素晴らし
い一刻であるが、その充実した時間の後の、気だるさの中で夢心地でいる余韻
も、何物にも代え難い喜びであるのだ。

そして、その余韻を更に増してくれるのがシンジがしてくれるマッサージなの
だった。程よく疲れた身体に、染み込むようにシンジの優しさが伝わってくる。
シンジの自分への想いを強く感じる時間でもあった。


「いっつもありがと。とっても気持ちいい・・・わ」
「ミサトさんは、ネルフで頑張ってるんだから、この位のことは当然だよ」
「シンちゃん・・・。何度も言うけど、あなたネルフに戻る気はないの?」
「今は、もう・・・僕が・・・役に立てることが無いと思うから」
「そんなことないわ! 今のあなたには、あの時には無かった判断力と意志の
強さがある。指示を出す立場を与えられれば、きっと・・・」
「・・・ごめん。今はまだ・・・。もう少し時間を貰えないかな・・?」
「・・・うん・・・」


しばらく静かな時間が流れる。沈黙すらも、今の二人にとっては逆に相手の存
在を感じられる大切な時間となっていた。


「・・・それにしても、最近やけに首とか凝ってるね? 肩なんかスゴイよ?
これって30肩っていうんだっけ?」
「ひどいっ! ちがうってばぁ。そりゃ私は30目前よ。でも、これは、ネル
フでの訓練の所為なのよ」
「・・・フーン、訓練って?」


そしてミサトは語った。新生ネルフの仕事は復興のリーダー役だが、使徒迎撃
を目的としていた頃以上に世界に望まれ、その位置づけは益々重要視されるよ
うになっていた。

そんな中、情報操作およびハッキング等により、戦自に攻め込まれた、苦い経
験から、同じ轍を踏まぬよう、ネルフ内部の保安システムは根本から見直され
る事になったのだ。それに伴い、非戦闘員である一般職員も射撃・体術などの
習得が義務とされ、定期的に訓練が行われるようになっている。ミサトはその
指導にもあたっているらしい。


「大変だね。・・・でも、もしそうなったら皆、相手が人でも撃つの?」
「そこは心配しないで。強力な麻酔銃をリツコが開発してね。最近、以前に比
べて暇になったのか、異常な位のめり込んで、ネルフお手製の武器を作って
るの。人畜無害にして手のひら大の大きさ、圧縮ガスにより飛距離は100
m。カプセル弾が小さいから弾層一つで62発。すごいでしょ」
「・・・・人畜無害?」


そう聞くシンジの顔には、あからさまな懐疑の表情が刻まれていた。開発者が
リツコなのだから、むやみに信じていいのか、迷っているようだ。


「そ。眠らすだけ、よ。6時間位、ピクリともしないのよ・・・」
「6時間ピクリって、まさか・・・ミサトさん、誰かに試した訳じゃ・・?」
「え・・・あ、あはははは・・・。ち、ちがうわよ、私じゃないわ! マヤ、
・・・そうマヤがね!」
「マヤさん?」
「そ、そうなのよ。マヤったら、実弾で人を撃つなんて出来ませんって叫んで
たのに、人が死なないって解ったら、嬉々として撃ちまくってるわ。『明日
に向かって撃て!!』、とか言っちゃって・・・。んでね、日向くんに当っち
ゃった時があって・・・」


なんと非戦闘員の中で射撃の成績トップがマヤだという。それも驚きだが、で
は何故そのトップのマヤの銃弾が人に当る事態になってしまうのか、不思議で
はある。シンジは天を仰いだ。


「・・・・そうですか。で日向さん、無事だったんですね?」
「うん・・・。ホントに起きないの。で、みんなで顔に落書きして・・・」
「ミサトさん!」
「あ・・・、あはははは。やーね、冗談よ、冗談」


その後、MAGIシステムも、リツコの手により、更に強固なハッキング防御
網を敷いたらしい。MAGIの中枢に、独立したコア・エリアを設け、危険時
には直接、MAGIの頭脳へ命令を発する体制を敷いたのだ。これを発動でき
るのは今のところリツコのみ。例えハッキングを受けても、この独立エリアか
らの信号で、MAGIのコントロールは瞬時に復帰するらしい。母娘だから出
来る防御態勢なのかもしれない。それらの話を聞き、そんな防御策が使われる
ような事態が来ないでほしい、とシンジは心から、願った。



* * * * * * * * *



翌日、欠伸を噛みころしているミサトに、マヤがコーヒーを差し出しながら、
笑って話し掛ける。


「おはようございます」
「ん、ありがと。今日はちょっと遅いんじゃない? マヤにしては珍しいわね」
「はい。今朝、ジョギングしてたら、途中でへばって動けなくなっちゃった人
がいて・・・。その方のお宅まで一緒に走っていってあげたんですよ」
「・・・男?」
「え・・・、まぁ・・・」
「マヤも隅には置けないのねぇ」
「ち、ちがいます! そんなんじゃ・・・。あの人は、そんな・・・」
「ふふっ、まぁいいわ」


ここでミサトは大きな欠伸をして、椅子の上で身体を思いっきり伸ばすように
反らした。


「ミサトさん、寝不足ですか? 結婚前から、そんなだと身体に悪いですよ」
「気遣ってくれて、ありがと。でも、シンちゃんが眠らせてくれないのよ」
「え?」
「だ・か・らぁ〜、シンちゃんがベッドの上でぇ〜・・・」
「ふ、不潔ですっ!」


ものの見事に顔が真っ赤に染め上がったマヤは、いつものように焦りまくりな
がら叫び声をあげる。が、その次の一言は、いつものマヤとは違っていた。


「・・・・・でも・・・そんなに?」


周りには他に誰もいないこともあり、マヤも興味には負けたようである。ミサ
トは、いい遊び道具を見つけたかのように、顔を輝かせて、マヤに顔を寄せ、
ヒソヒソと話し出す。


「だってさぁ、ほら、シンちゃんもアスカも、その類のコト、あまり知らない
まま二人っきりになっちゃったじゃなーい。だから、最低限の基本は分かっ
ててもねぇ、応用技とかさぁ・・・。で覚えるのに、すんごく熱心で・・」
「・・・お、応用技、ですか?」
「そ。だから、シンちゃんったらね、あーんなことや、こーんなことを・・」
「え・・えぇぇ! そ、そんなぁ」
「それだけじゃ終わらない訳よ・・・それから、ああしてぇ・・こんな風に」
「ドキドキドキ・・・」


マヤが顔を真っ赤にしながらも聞き入っていた、まさにその時、コホンと咳払
いがしてから、リツコの叱責の声が頭の上から降ってきた。


「ミサトっ! それにマヤっ! 何サボってるの!」
「あ、先輩! あの、その・・・え、と・・・あのー・・・」
「どーせ、ミサトにからかわれていたんでしょう?」
「あら、からかうなんて、とんでもない。私はただ人類愛の営みについてぇ」
「黙りなさい!」
「ブーーーー・・・」
「ところでミサト、ちょっと司令室まで来て頂戴」


リツコの口調が厳しいものに変わり、ミサトも瞳を光らせ機敏に立ち上がる。
遊びの時間は終わりのようだ。復興業務という現実の中へ戻らねばならない。

数分の後、司令室から退出した二人は、指令所に向かいながら、話を続ける。


「でも、そこまでするのはリツコの考えすぎじゃないの?」
「・・・かもね。でも、やはり完璧を期したいの。もう、二度とあんなことは
ごめんだから」
「そっか。そうよね。少なくとも、ここでは二度と繰り返しちゃいけないわね」


途中、リツコは自分の研究エリアへ向かうため、ミサトと別れた。が、すぐに、
歩いていくミサトの背に声をかける。自分でも何故、声を掛けたのか不思議だっ
た。ただ、なんとなく別れがたい気持ちで一杯になったのだ。


「ミサト! 」
「なに?」
「・・・ううん、何でもないわ」
「クスっ・・・。変なリツコ」
「そうね・・・。おかしいわね・・・。じゃ、後よろしくね」
「まっかせなさーい。アンタがいない4日くらい、何とでもなるわ。ゆーっく
り、セイジくんと楽しんでいらっしゃいよ。新婚旅行だってしてないんだか
ら、せめてもの代わりに、ね」
「ありがとう。久しぶりに存分に遊んでくるわね」
「うん、そうしなさいよ」
「じゃ・・・」


リツコが自分の研究室へと歩みを進めはじめた時、ミサトもリツコと同様に何
か声を掛けたい衝動に駆られる。思うより、先に口が動いていた。


「リツコ!」
「・・・なによ?」
「・・・ううん、何でも・・・」
「あなたも、変ね・・・クスクス」
「かもね・・・」
「じゃ」
「あ、リツコ・・・」
「?」
「あなた、キレイになったわよ。・・・・とっても、ね」
「・・・・ミサトったら。でも、ありがと」


リツコはほんのりと頬を染めながらも、ミサトに礼を言う。エヴァ計画中の怜
悧な表情ばかりが目立った頃とは、まったく違う柔らかい表情だった。学生時
代の頃に戻ったかのような、魅力的な微笑みだ。


「じゃ・・・」
「うん、おみやげ、よろしくね」


二人はそうして、お互いの仕事場へと向かうため、軽く手を振り合って別れた。



* * * * * * * * *



けたたましく電話が鳴った時、シンジは、ミサトを送り出してから家事を一通り
済ませて、仕事探しに向かおうと、靴を履きかけていたところだった。


「はい、葛城ですが・・・」
「シンジか!」


受話器からはトウジの叫び声が飛び込んできた。 シンジはこんな切羽詰まった
トウジの声をそれまで聞いたことがなかった。何があったのだろうか?


「ト、トウジ・・・! どうしたの? 何が・・・」
「イインチョが!・・・イインチョが・・・今朝・・」
「委員長が、何だって?」


シンジの声も少し大きくなっていた。不安が胸を満たす。


「今朝・・・通学途中に・・イインチョが・・・・、・・・刺されたんやっ!」
「!!」
「・・・センセの力で、もっとでかい病院、なんとかならんか?」
「・・・・解った! すぐ何とかしてみる! 連絡先は?」


シンジは手早く必要なことを聞くと、電話を切る前、トウジに一言かける。


「トウジ・・・、気をしっかり持てよ!」


しかし、なんだってこんなことになったんだ。シンジの胸に、実に久しぶりに
誰に向けていいか分からない怒りの感情が湧き出していた。


Bパートへ(続く)
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想音斗さんへの感想は
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