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第5章、「そして今」
<そして今、私の絆は何処に>
「おや、あなたは柏木のお嬢さん…?」
耕一の墓石の前に座っている梓に、偶然通りかかった雨月寺の住職が声を掛けた。
「あ…住職、どうもお久しぶりです」
梓は立ち上がって、住職に向かって小さくお辞儀をした。
この住職は古くからここに住んでおり、柏木家とも多少の縁がある。
「このお墓は確か…賢治さんの息子さん…でしたかな?」
「はい、耕一っていいます…」
「耕一さんですか…確かまだハタチ前後だったのう…」
住職は、一度ではあるが話したことのある耕一のわずかな記憶を辿る。
しかし、それ以上のことは思い出せなかったので次の質問の移った。
「ところで…妹さんのお墓にはもう参られましたかな?」
住職の言う「妹さんのお墓」とは、楓のお墓のことだった。
あの日、梓が楓を背負ったまま受けた鬼の一撃は、楓の細い身体を切り裂いた。
その一撃は、楓の身体を貫通し、梓の背中にまで及んだ。
だが、梓への傷はさほど深くなく、致命傷とはならなかった。
もし梓が楓を背負っていなかったら、もしくは立場が逆だったならば、今耕一の墓の前に立っているのは楓かもしれなかった。
そしてお墓で眠っているのは梓だったかもしれなかったのだ。
皮肉ではあるが、これは紛れもない事実であった。
「いえ、楓の所にはまだ…これから行くところです」
そう言う梓の、楓に対する思いは複雑だった。
ひとつは自分の命を救ってくれたという、感謝の念。
もうひとつは、なぜ自分を死なせてくれなかったのかという、恨みに似たような念だった。
梓が密かに慕っていた耕一は死に、仲の良かった姉妹はバラバラになった。
初音はあの時の傷が原因で歩けなくなり、今は車椅子の生活を強いられていた。
しかし医者が言うには、身体的にはもう問題なく歩けるらしい。
恐らく心の問題ではないかと医者は言っている。
だが、それ以上に梓が初音に対して悩んでいるのは、初音が以前のような明るさを失ってしまったことだった。
あの事件以来、初音は梓に対しても、他人に対しても笑顔をあまり見せたことはない。
そして千鶴は、あの日以来姿を消してしまった。
千鶴は耕一が死んでからしばらくした後、警察に電話をし、初音に救急車を頼みますと話させた。
その後、千鶴は謎の鬼の死体を担ぐと何も言わずに出ていったのだった。
事件の真相が世間に露呈すること、すなわち鬼の存在が世間に悟られるのを避けるための行動だった。
しかし、それは半分の理由で、もう半分は耕一や楓を失った辛さや悲しみ、そして柏木家の鬼の血を守ることの重みが引き起こした現実逃避だった。
梓は、千鶴が姿を消した事を初音から聞いた。
初音は千鶴の失踪を、警察には「千鶴は謎の殺人犯に連れ去られた」と梓に言った。
この初音の機転のお陰で、千鶴の失踪は警察に怪しまれずにすんだ。
あとは二人で話し合い、お互いの話を合わせながら警察に話し、鬼の存在を世間に隠すことには成功した。
しかし、相次ぐ柏木一族の死、そして千鶴の失踪によって、マスコミからは叩かれ、世間からは気味悪がられた。
さらに、ある意味身内といえる鶴来屋グループ内でも、柏木一族をグループから排除しようという動きがでてきた。
しかし、梓や初音にとって、鶴来屋などもうどうでもよい存在だった。
千鶴が不在なので、千鶴の意見は聞けなかったが、梓と初音は鶴来屋を手放す選択をした。
色々と面倒を見て貰った現社長代理の足立さんには悪いが、もう梓と初音は疲れ切っていたのだった。
だから、そんな辛い生活を強いられるくらいだったら、いっそのこと死んでしまったほうがいいと梓は思っていた。
だからあの日、自分を死なせてくれなかった楓に対する思いは複雑だった。
だが、住職はそんな梓の気持ちを知る由もなく話を続けた。
「そうですか…、先程ちらっと見たら、綺麗なお花が備えてあったのでねぇ、てっきりもうお参りをすませたのかと…」
「楓のお墓に綺麗な花…?」
梓は訝しげな表情でそう言った。
「まさか…千鶴姉が…?」
梓は、もしかしたら千鶴が花を添えたのではないかと思った。
今となっては、楓のお墓に花を添えることができる人物は梓と千鶴だけである。
初音は車椅子なので、一人でお参りは出来ない。
「それはありますまい…確か貴女のお姉さんはまだ…」
和尚は少し言いにくそうに言った。
「あ、ああ、そうですね…」
千鶴は世間では誘拐されたとなっているから、和尚の反応は極めて自然な反応だった。
今の話で少し場が気まずくなったので、和尚はまた話題を変えた。
「貴女の…もう一人の妹さんはお元気ですか?」
和尚は初音のことについて尋ねた。
これについては、梓は返答に困った。
決して元気とは言えなかったからだ。
鶴来屋と住んでいた屋敷を手放した梓と初音は、梓が東京の大学に受かったのが分かると、東京に移りアパートを借りた。
そして初音は、リハビリの為東京にある施設で暮らしている。
学校もそういった障害者を受け入れる設備のある学校に転校した。
だから梓は大学の帰りに施設に寄り、初音に夕方頃まで会ってからアパートに戻るという生活をしていた。
そしてあの事件から一年近く経った今も、初音に以前のような明るさは戻っていない。
「ええ…まだ車椅子ですが元気にやってます」
梓は無難な返答を返した。
本当のことを言っても仕方がないと思ったからだ。
すると和尚は「そうですか」とにっこり笑ってそう言った。
そして和尚は続ける。
「私も…家内と息子2人を交通事故で亡くしましてな…大切な人が死んだ辛さわ分かっているつもりです」
「…………」
「ですが、いつまでも死んだ人にとらわれていてはだめなんです」
「…………」
梓は少しこの言葉にギクっとした。
今の自分がそうだからだ。
「幸い、貴女にはまだ妹さんがいる、そしてお姉さんだって亡くなったわけじゃない」
「……はい」
「妹さんも…時が経てば良くなりますよ、お姉さんだってきっと見つかる」
「そうですよね…」
「生きていれば、いつかは会えますよ」
「…………」
「それに、貴女がぐずぐずしていると、亡くなった妹さんや耕一さんだって悲しみますよ」
和尚はそう言うとまたにっこり笑って、「少々説教臭くなってしまいましたなぁ」と少しだけ照れくさそうに言った。
「いいえ、そんなことありません…!」
確かに和尚の言う通りだと梓は思った。
「それはよかった、では…私はこれにて…」
そういうと、和尚は軽くお辞儀をして来た道を去っていった。
梓も軽くお辞儀をした。
そして、耕一のお墓のほうに向き直った。
「そうだな…いつまでもぐずぐずしてるなんて、私らしくないよな、耕一」
梓は少し笑みを浮かべながら耕一のお墓に向かって語りかけた。
すると、先程まで止んでいた風がまた吹き始めた。
その風が梓の頭を撫でるように吹き抜けていく。
梓は、乱れた髪を直そうとした時、自分の右手に何かが握られていることに気づいた。
手を開いて見てみると、それは先程握りつぶした青い葉だった。
しかし、握りつぶしたはずのその青い葉には、しわ一つ付いていなかった。
それを見て梓は微笑んだ。
「生きていれば…いつかはこの葉みたいに輝けるって言いたいんだな、耕一」
いつか…みんなの絆がまた再び結ばれるその日まで…。