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第3章、「続・涙」
<消える一つの絆>
「はぁっ、はぁっ」
河原から柏木家の屋敷へと続く小径を、梓は楓を背負いながら必死に駆けた。
梓自身も鬼の力を解放しているため、楓の重さはまったく気にならない。
それよりも河原に倒れていた耕一や謎の鬼のことが、梓の思考を支配する。
「楓」
梓は短く妹の名前を呼んだ。
楓は小さな声で返事をする。
「何があったか、話してくれないか?」
楓はその言葉に躊躇った。
何があったかを説明するということは、自分が千鶴を襲ったことも話さなくてはならない。
そして千鶴を襲った理由――千鶴が耕一を殺してしまったこと――を話さなくてはならなかった。
「…言えないのか?」
思い悩んでいる楓に向かって、梓は酷く冷静にそう言った
楓は申し訳なさそうに首を縦に振る。
梓は少し考えた後、違う質問を楓に向けた。
「じゃあ、これだけは答えて欲しい、耕一は、耕一の奴はどうなったんだ?」
暫しの沈黙。
小径に梓の呼吸音と地面を蹴るザッザッという音だけが響き渡る。
…その音が小径に数回響いた頃、楓はその重い口を開いた。
「…耕一さんは……もう……助からない」
その言葉を聞いた途端、梓は駆けるのを止めて背負っている楓に向かって叫んだ。
「なんだってっっ!!どういうことだっ!!」
楓は何も答えない、いや、答えられなかった。
そして梓が楓に次の言葉を投げかけようとした時、背後の暗闇から先程の鬼が姿を現した。
それと同時に聞こえてきた千鶴の「逃げなさい!!」という叫びと、鬼の咆哮が激昂していた梓を我に返した。
梓達を仕留めようと跳躍する鬼、それを止めようとする千鶴、楓を背負って逃げる梓。
次の瞬間。
鬼の鋭いツメは梓の背中を切り裂いていた。
梓と楓はその勢いで前に吹っ飛んだ。
梓は楓を背負っていたので、当然梓の上に楓が倒れる形になる。
「かえでーーーっ!!」
千鶴の絶叫が、痛みで気を失いそうな梓の耳を貫く。
…あれ?
どうして楓を背負っているのに私の背中が切られるのだろう?
どうして千鶴姉は私が切られたのに楓と叫んだのだろう?
そんな梓の疑問は、鬼の血に染まった手を見た瞬間、すべて解けた。
鬼のその長いツメは「楓を貫通して自分の背中を切り裂いた」のだと。
そこで梓の意識は途切れた。
<鬼ごっこ>
千鶴は鬼を止めるべく、妹達を仕留めようとする鬼の右手に向かって一撃を放った。
だが、わずかな差で鬼のほうが速かった。
鬼の右腕は楓と梓を切り裂いた。。
「かえでーーーっ!!」
絶叫する千鶴。
地面に倒れ込む楓と梓。
獲物を仕留めたものの、右腕に千鶴の一撃を受けその場から飛び退く鬼。
千鶴は鬼が居るのも忘れて妹達の所に駆け寄った。
「楓っ、梓っ!!」
二人を抱き起こして呼びかけるが、何も反応は無い。
―一瞬、風が揺らめいた。
鬼が再び突進してきたのだ。
千鶴は抱きかかえていた2人を地面におろすと、すぐさま鬼との距離を取った。
互いに身構える鬼と千鶴。
すると千鶴の視界に自分の左手が入った。
血。
千鶴の左腕は楓の血によって赤く染まっていた。
刹那、河原での光景が千鶴の頭の中を駆けめぐる。
耕一を殺した時の光景が、耕一の血で染まった右腕が、楓の血で染まった左腕と重なる。
千鶴はもはや言葉として聞き取れない悲鳴をあげた。
その細い身体はがたがたと震え、額には大量の汗によって前髪が張り付き、鬼の力によって深紅に染まっていたその瞳はうっすらと淀んでいた。
千鶴はもう、何がなんだか分からなくなっていた。
ただ、目の前の、この鬼を倒せば、みんなも、耕一さんも、きっといつものように、私に笑顔で話しかけてくれる―。
そんな希望だけが千鶴を、今にも心が壊れてしまいそうな千鶴を動かした。
そして再び戦いが始まった。
2人の鬼は激しい移動を繰り返しながら戦った。
はじき飛ばしては追っていき、追いつめられては逃げ、やがて二人の視界に柏木家の屋敷が入った。
住み慣れた屋敷が目に入ると、千鶴は少しだけ正気に戻った。
するとすぐに梓と楓のことが頭に浮かんだ。
あの2人を助けなくてはいけない。
でもこの状況ではとても無理だった。
とにかく今は仕方ないと割り切って鬼を倒す。
それしか方法はないのだ。
そう思うと同時に、千鶴は自分の戦い方の愚かさを呪った。
「町とは反対の方向におびき寄せながら戦わなくてはいけなかったのだ」と。
でも今からでも遅くはない、そう思って千鶴は鬼を再び河原のほうにおびきよせるようにして挑んだ。
だが予想以上に自分の体力の消耗が激しく、千鶴の思惑とは裏腹にどんどん屋敷の方へと追いつめられていった。