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第2章、「涙」
<梓と初音>
「ん…なんだ? 今の感じ…すごい力が…水門の方か?」
部屋のベットで寝ていた梓は、何か強い力を感じ取り飛び起きた。
「まさか耕一の鬼が…!!」
梓が今感じた力は2つ。
一つは千鶴のだと分かったが、もう一つは分からなかった。
だが不明な力のほうは耕一では無い、梓はそう確信した。
いや、確信したというよりも耕一だと思いたくなかったと言ったほうが的確だった。
梓は立ち上がると、さらに気配を探ろうと神経を集中させる。
そして、また新たな力の存在を掴んだ。
「また別の力が水門に向かっている!?しかしこいつは…!!」
覚醒時の千鶴姉でもかなわない。
それが梓の正直な感想だった。
「くっ…水門で一体何が…私も行かなきゃ!!」
梓は、初音の部屋に向かった。
初音にはいざとなったら逃げるように伝えておこう。
鬼の力が発現していない初音にとって、今の状況は危険すぎる。梓はそう判断した。
「初音、初音、起きてるか?」
梓は初音の名を呼びながら部屋の扉を開けた。
「あ…梓お姉ちゃん」
扉を開けると、そこにはガタガタと震える初音の姿があった。
「水門のほうから…千鶴お姉ちゃんと…楓お姉ちゃんが…」
「初音……やっぱりアンタも感じたのか」
本当に感の鋭い奴だ。梓はそう思った。
しかし楓まで何故河原に…?
「初音、私は河原に行く。アンタはここで待ってな。」
梓はそう言うと、初音の部屋から出ていこうとしたが、初音は梓を呼び止めた。
「私も行く」
正直、きっと初音はそう言うだろうと梓は思っていた。
しかし、だからといって初音を連れていくわけにはいかない。
「私も行くよ、梓お姉…」
「ダメだ」
梓は初音の言葉を途中で遮った。
「アンタはここでじっとしてるんだ、そして危なくなったら逃げる、わかったな?」
梓は初音の両肩に手を当てて、初音の瞳をまっすぐに見つめた。
初音も、普段の梓からは感じられないような雰囲気を梓から感じたため、首を縦に振った。
「…ありがとう、初音」
そう言い残すと、梓は急いで河原に向かった。
<鬼>
月の光が照らす中、河原ではエルクゥ対エルクゥの、悲しい戦いが始まっていた。
実の妹を前に戸惑う千鶴。
耕一への思いで、ほぼ暴走状態の楓。
千鶴はただひたすら楓の攻撃を受け流すしかなかった。
今、目の前で自分を襲っているのは鬼であり、妹の楓。
千鶴に攻撃など出来るはずがない。
「…こんなことやめて…お願いよ、楓、私達姉妹でしょう!?」
千鶴の必死の説得も、今の楓には届かない。
「こんなことをする前に、姉さんが私に相談してくれれば耕一さんは死なずにすんだ・・・」
楓は静かな声でそう言った。
その瞬間、楓の周りの空気が見えない刃と化し、千鶴に向かって放たれた。
「楓っ!!」
千鶴は咄嗟に腕を交差させて防御した。
見えない刃が、千鶴の交差させた左腕を襲う。
「くぅっ…!!」
千鶴の左腕に激痛が走った。いかに鬼の強靭な肉体といえども、同じ鬼対鬼ではあまり意味をなさない。
赤い鮮血が千鶴の左腕をつたって雫となり、地面に吸い込まれていく。
千鶴は息を荒げながら楓の方を見た。
「わかってもらえないのなら……仕方ないわ。」
千鶴はゆっくりと体を起こした。そして自らの体に風を纏わせる。
「少し眠ってて頂戴!!」
言葉と同時に、千鶴は楓に向かって突進した。一陣の黒い疾風となって。
それに対し、楓は見えない刃を千鶴に向かって放った。
だが、それを千鶴はジャンプでかわすと、楓の背後に着地し、首に手刀を入れた。
「きゃっ……」
小さな悲鳴をあげながら楓の体は崩れたが、意識までは奪えなかった。
やはり実の妹ということで、無意識の内に手加減してしまったのだろうか。
楓は地面に座り込んだまま千鶴の方を見上げた。
「姉さん…私…は…」
意識が朦朧としているせいで、うまく喋ることができない。
千鶴は俯きながら楓に言った。
「…ごめんなさい、でも、耕一さんはあの連続殺人犯なの…間違いないわ…」
その言葉を聞いた楓は、苦しいながらも首を横に振る。
「楓…」
千鶴は楓に背を向けると、月を見上げながら楓に言った。
「仕方なかったのよ…これもすべては柏木家の力を外に漏らさないため…」
そして楓の方に向き直る。
「あなただって柏木の血ことは分かってるはずよ…」
楓は何も言わない。ただ、鬼の力が宿る赤い瞳で千鶴を見ている。
「どうして何も言ってくれないの…」
辛いのはあなただけじゃない、私だって辛いの、だってそうでしょう?
耕一さんは私を愛してくれたんだから…!!
千鶴はそう叫びたかった。でも、ここで楓に叫んだところで何もならないことは十分承知していた。
楓だって、千鶴を責め立てたところでどうにもならないことは分かっている。
だが、頭で納得できても感情がそれを許さなかっただけだ。
「楓…帰りましょう、耕一さんを連れて」
千鶴は横たわっている耕一の亡骸の元まで行き、そっと耕一の頬を撫でた。
きっと今朝、ひげを剃るのを忘れたのだろう。ざらざらとした感覚が手のひらいっぱいに広がった。
生々しい感覚。まるで耕一が生きているような感覚。
だが、千鶴は血に染まった自分の衣服や右腕を見ると、再び現実に戻された。
それと同時に枯れかけた涙がまた溢れてくる。
「帰りましょう……耕一さん」
涙で視界を曇らせながらも、千鶴は耕一の右腕を自分の肩に掛けた。
そして左腕も掛けようとした時――。
「姉さん危ない!!」
楓の叫び声に千鶴は素早く反応すると、耕一を担いだまま、右方向に跳躍した。
そしてつい先ほどまで千鶴がいた場所には、暗くてよく分からないが、人のようなモノが立っていた。
「グォォォォォォォォォォォォッッ!!」
その人のようなモノはこの夜の闇を引き裂くような雄叫びをあげた。
「鬼…?そんなバカな…」
千鶴は自分の後ろに担いでいる耕一を確かめるように見た。
あれは――耕一さんじゃない。
と、いうことは――。
「私…殺しちゃったじゃない…耕一さんを…この手で…」
千鶴の顔から血の気が失せて行く。
「殺しちゃったじゃない…無実を訴えていた…耕一さんを…」
そして今度は全身が震えだす。
その鬼は、千鶴の驚愕を感じ取ったのか、ニタリと笑うと再び千鶴に向かって突進してきた。
「くっ…!!」
千鶴は紙一重で鬼の攻撃をかわした。
そして鬼との距離を置くと、担いでいた耕一を地面におろす。
耕一の顔を見ると、自分が犯した間違いに対する罪悪感が千鶴の心を駆けめぐる。
―が、それも再び突進してきた鬼によってすぐかき消される。
「はっ!!」
千鶴は鬼の頭上すれすれにジャンプすると、すれ違いざまに一撃、鬼の背中にお見舞いした。
「グォォッッ!!」
鬼が短い悲鳴をあげる。だが、決定的な一撃にはならなかったようで、再び鬼は千鶴のほうに向き直った。
千鶴も再び鬼のほうに向き直った時、鬼の背後にまだ立てないでいる楓の姿が視界に入った。
鬼も千鶴の視線を感じたのか、意識は目の前の千鶴に集中しながらも、その視線の先を追うように体を半身にして後ろを見た。
そして鬼は楓の姿を確認すると同時に、口の端をいやらしく歪ませた。
―まずい!!
千鶴は再び鬼に向かって突進した。
そして本来自分の戦闘スタイルではないが、鬼を楓の元に行かせないために接近戦を挑む。
鬼のほうも千鶴を迎え撃つべく、腰を低くして迎撃体勢に入った。
千鶴は目にも留まらぬ早さで突きを繰り出す。
鬼はその突き受け流してはいるが、素早さでは勝てないのか徐々に押されている。
そして今度は鬼のほうが千鶴との距離を置いた。
「はぁっ…はぁっ…」
極度の緊張と慣れない戦闘の疲れによって、千鶴の息はあがっていた。
そしてもう一度鬼に接近しようと、両足に力を込めたその時―。
「千鶴姉!!」
屋敷から駆けつけてきた梓の声が2人の間に割って入った。
その声に、一瞬千鶴の注意がそれた。
刹那―。
鬼の右腕が千鶴を捉えていた。
「きゃぁっ!!」
「千鶴姉っ!!」
瞬時に体をよじったので直撃はさけられたが、千鶴の体は6メートルほど後方に吹き飛び、水飛沫をあげながら川に叩き付けられた。
しかし、千鶴はすぐさま立ち上がると梓に「楓を連れて逃げて!!」とだけ言ってまた鬼に向かっていった。
梓には一体なにが起こっているのか理解できなかった。
ただ、楓が向こうでうずくまっていて、一匹の鬼が千鶴と闘っている。
千鶴に聞きたいことは山ほどあったが、とにかく楓を助けるのが先決だとして、梓は楓の元に向かった。
「梓…姉さん…」
楓は梓の姿を確認すると、弱々しい声でその名を呼んだ。
「立てるか?」
梓の問いに、楓は首を横に振って答える。
「じゃあ、私が背負っていくから肩に掴まれ!!」
楓はコクンと頷くと、梓の肩に掴まった。
梓はよいしょと立ち上がると、楓を背負って屋敷のほうまで逃げようと今来た道を戻った。
だが、二人の行動を見逃す鬼ではなかった。
ふたたび千鶴と間合いを取った鬼は、またいやらしい笑いを浮かべると、梓達のほうに向かって跳躍した。
「しまった!!」
千鶴も慌てて鬼を追いかけるように跳躍した。
そして、河原には月明かりに照らされている耕一だけが残った。