←中根浩樹氏
彼は、坂上町区長でB29友好碑建立の実行委員長です。
何年もかけて町民の意見をまとめ、わくわく事業(地域活性化の市予算申請)を立ち上げ推進した。
講演会に先立ち、経過報告とご挨拶です。
坂上町(さかうえちょう)のシンボルマーク→
坂上町は、天下峰(360m)、焙烙山(684m)の麓の町で、王滝渓谷沿いの坂の上にある長閑な山村です。
←講演会場
講演会場は、坂上町の区民会館です。約60名の方が出席されました。
語り部、中根ミツエさん(坂上町)→
中根ミツエ様は、墜落地点から西方へ約200mの自宅での目撃者です。
墜落時の状況、鎮火後の惨状を、遺体の火葬場への運搬の状況などを語り告げました。
←語り部、河合隆さん(楠南町・せきなんちょう)
河合さんは、当時小学校5年生、1Km北の隣村での目撃者です。当時の村の子供の暮らしや、墜落後現地へ駆けつけ
惨状を目撃した当時の状況をつぶさに話されました。
高月院住職、田中祥雄さん(松平町)→
田中さんは、名刹高月院の住職です。彼は、江戸時代(1590)の松平の古文書から、”そだめ”について話されました。
そだめ村の漢字は、
で、
木ヘンに是という字と立つを書き、そだめと読む。江戸時代のそだめは、石高21石、戸数6件であった。
21石 X 180リットル(=150kg)=3150kg、高率の年貢を納め残りで暮らした。
終戦時は7軒、現在は9軒で、当時の末裔が住む、
丹羽八十氏(豊田市久保ヶ丘)
彼は、名古屋航空史研究協会の防衛懇話会の会員で、
航空機に詳しく、2002年に”そだめのB29墜落碑”を米国空軍機関紙に紹介した。
当日は、自作のモデルとイラストでB-29と飛燕を、さらにC130輸送機と対比し、B29の大きさを分かりやすく説明した。
←岡田邦雄(”B29の追憶”編集者・豊田市渡刈町)
私は、そだめの情報を米国の遺族へ伝えたWebsite”B29の追憶”のCDを準備して出席した。
講演は、PCの操作をBrianが担当し、第1章から第7章までの”電縁(ITでの情報交換の威力)”の発展の経緯をコメントした。
草間秀三郎氏(日進市五色園)→
彼は、国際関係論、県立愛知大学名誉教授です。
B29の里への訪問は、今回3度目で、よく管理された案内板を見て、
地域住民のやさしい思いを感じていた。
先生は、関東の方で、9年前に筑波山麓のB29撃墜機の『墜落平和の碑』建立で、
町の関係者に呼びかけたら協力者は現れなかった。
しかし、戦後60年も経過し、日米友好の時代となり自費で進めた。建立に向けて動き始めると、思わぬ協力者が次々に現れて
なんとか建立にこぎつけた。
坂上町の『B29友好碑』は、『歴史認識の伝承と戦争の悲惨さの発信基地』 ということで、
全国にも例をみないすばらしいもの、また、各地の碑文のほとんどが”追悼碑、慰霊碑、平和の碑”などで、『友好碑』は、
全国初で、21世紀に相応しい日本人の主体性を感じる と お褒めの言葉をいただいた。
先生の著書:B29墜落 米兵を救った日本人/論創者、 日米相互イメージの変遷 B29墜落機をめぐって/南窓社 他多数、
聴講者
講演会は、豊田市のHPで予告され、聴講者は、町民の他にも新聞社、京都から参加したという捕虜問題の権威者、
市教育委員会なども含まれた。