blueball.gif (1613 バイト)  三侠五義  blueball.gif (1613 バイト)


2 五鼠、東京を鬧がす


ところで南侠展昭はと言えば、陳州での事件が解決した後、あての無い一人旅を続けていた。旅の途中で彼は偶然、相国hou.gif (125 バイト)(ほうきつ)が包拯を呪い殺そうとしているのを知った。hou.gif (125 バイト)は、息子のhou.gif (125 バイト)c(ほういく)が包拯によって処刑されたことを恨んでおり、道士に呪いの祈祷を行わせていた。包拯の突然の病は、この呪いの儀式が原因だったのである。展昭は祈祷を続ける道士を斬って呪いの元を絶ち、開封包拯のもとに赴いて事の次第を報告した。

仁宗皇帝はこの事を知るとhou.gif (125 バイト)を深く叱責し、三年間の減俸を命じた。そして病の癒えた包拯から展昭が度々彼の命を救ったことを聞くと、その展昭の武芸のほどを見たいと言い出した。展昭は帝の命令とあらばと、仁宗の御前で剣法・弓術・跳躍術の三つの絶技を披露。皇帝は展昭の動きが素早いのに感心し、彼のことを「まるで朕の猫のようじゃ!」と評した。この皇帝の言葉から、展昭はみなから御猫(皇帝の猫)と呼ばれるようになった。そして包拯のもとで武官として仕えることとなったのである。

その後展昭は先祖に仕官の報告をするためと称して休暇を取り、故郷の常州府武進県遇杰村へと向かった。故郷で祖先の墓参りをすませると、今度は観光のために杭州へと赴く。そこで丁兆(ていちょうけい)という侠客と出会う。彼こそが双子の兄とともに双侠と呼ばれている人物である。展昭丁兆に連れられて茉花村(まつかそん)へと向かい、家の屋敷で兄の兆蘭、兄弟の老母、そして彼らの妹にあたる月華と引き合わされた。この月華は大変なおてんば娘で、展昭とに剣の手合わせをすることになったが、これが全くの五分と五分。結局の母堂の取り計らいにより、二人は婚約することになったのである。

さて、家のある茉花村は漁村であり、村の漁場の近くに陥空島(かんくうとう)という島があった。この島には盧方(ろほう)・韓彰徐慶蒋平(しょうへい)、そして既に名前が出てきた白玉堂の五人の義兄弟が暮らしていた。この村の漁師と島の漁師が漁場の境をめぐっていさかいを起こしたと言うので、展昭兄弟はその仲裁に出向く。この時に展昭は、白玉堂御猫に会いに開封へ旅だったと聞き、家の者に別れの挨拶をして都へと帰って行った。

そもそも白玉堂は、展昭御猫と名乗っているのが気に入らず、彼を倒すために都へと向かっていたのである。陥空島の五兄弟にはそれぞれ鑽天鼠(さんてんそ)・徹地鼠というように、あだ名に「鼠」という字が付いている。そのネズミを捕って食うネコをあだ名に付けた展昭を、彼は憎たらしく思っていた。途中白玉堂顔査散という書生に出会ったが、その心根が良いことを知ると、彼と義兄弟の契りを交わし、色々と援助をしてやった。そして夜の開封府の府庁(役所)に忍び込み、展昭と小手調べとばかりに剣撃を交わすと、まるで忍びのように素早く逃げ去って行った。

一方で陥空島に残った兄弟達も傲慢な性格の白玉堂を心配し、韓彰・徐慶・蒋平の三人が都へ向かうことになった。ところが長兄の盧方も弟たちのことが心配になり、一人上京する。そして包拯のもとに出向き、一通りの事情を一同に説明する。

さて韓彰・徐慶・蒋平の三人はと言えば、長兄の盧方包拯に捕らわれたと勘違いして、開封府の府庁まで乗り込んできた。三人は府庁の警護が厳しいのを見て屋根づたいに中に忍び込もうとするが、そこを展昭王朝・馬漢・張竜・趙虎に見つかってしまい、にわかに激闘が始まった。展昭たちは何とか徐慶を捕らえるが、韓彰の毒矢が馬漢の足に命中してしまった。この矢の毒は、他ならぬ韓彰の秘伝の解毒剤でしか調和出来ない。

その頃盧方は、韓彰・蒋平・白玉堂と再会を果たしていた。彼は白玉堂に、展昭に詫びを入れよと命じるが、素直に言うことを聞く白玉堂ではない。結局蒋平盧方とともに、包拯に府庁を騒がせたお詫びを申し出た。一方の韓彰白玉堂と行動をともにする。蒋平は、元山賊の馬漢が毒矢にやられたことを聞くと、義兄の韓彰から秘伝の解毒剤をだまし取った。だまされたことを知った韓彰は、盧方たちに味方しないことと同時に白玉堂にも手を貸さないことを誓い、いづこへかと去って行った。

その後、盧方・徐慶・蒋平の三兄弟は勅命により、皇帝の御前でそれぞれ得意とする旗竿登りの術・洞穴を通り抜ける土潜りの術・水泳術を披露した。そして展昭と同様に三人も武官の位を与えられ、韓彰と行方不明となった白玉堂の捜索に全力を尽くすこととなった。

白玉堂はもちろん展昭への挑戦をあきらめてはいない。彼は一体どんな方法で展昭を陥れようとするのであろうか?


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