第5章 The Leading Lady
乗組員の紹介です。 The Leading Ladyの乗組員(#201)のオリジナルメンバーを示します。 その乗員を左から右へ順に説明します。(赤字は、 1945.1.3の搭乗者者、名前は、Kenneth Fine氏調べ)
@Harold T.Hedges軍曹・・・後部砲手、唯一の生還者(B29捕獲搭乗員:捕虜)
AFrank J.Yanik軍曹・・・砲手
BEdwin D.(Levin)Lawson 軍曹・・・CFC砲手、彼は、1月3日には搭乗せず。現在は、Edwin D.Lawsonとして知られ、2005.3現在この写真の唯一の実在の人物です。彼は、心理学の教授になり、名誉負傷勲章、空軍殊勲十字章など受賞。
CPaul E.Dreyer軍曹・・・レーダーオペレーター
DJoseph P.Nighan軍曹・・・無線通信士
EKarl Hunt軍曹・・・砲手
FGlenn C .Truesdel中尉・・・航空機関士
GGlendon M.Aitken中尉・・・爆撃手
HKenneth F.Fine少尉・・・ナビゲーター、彼は、1月3日には搭乗せず。
Fine少尉は35回の任務を終了して戦争を乗り切り、空軍殊勲十字章など受賞。
IFelix P.Omilian中尉・・・副操縦士
JWilbur E.Hurlbutt少佐・・・機長
この写真にいなくて、1月3日の搭乗員は以下の3名です。
KEdward H.Stoehr中尉・・・ナビゲーター、
彼は、Kenneth F Fine少尉と入れ替わり、1月3日に初めて、この乗組員と共に飛んだ。
LRichard P.Steinberg伍長・・・砲手、彼は、1月2日のサイパン島への
日本軍空襲で負傷したEdwin D.(Levin)Lawson 軍曹の後任になりました。
MMurcus A.Mullen中佐・・・1月3日に作戦観察者として搭乗した。
そうだとすれば、この航空機はThe Leading Ladyではありません。 この乗組員は、米国からサイパンまでB29の42-63429を操縦しました。 そのB29は、多分”Pacific Queen:太平洋の女王”であろうとKenneth Fine氏は言います。、
乗組員は、上の写真と同じです。
《前列の左から右へ、赤字は、
1945.1.3搭乗者・名前は、Kenneth Fine氏調べ》
・Paul E.Dreyer軍曹・・・レーダーオペレーター
・Edwin D.Levin(Lawson)軍曹・・・CFC砲手
・Karl F.Hunt軍曹・・・砲手
・Harold T.Hedges軍曹・・・後部砲手(POW)
・Frank J.Yanikk軍曹・・・砲手
《後列の左から右へ、赤字は、1月3日搭乗》
・Felix P.Omilian中尉・・・副操縦士
・Glendon M.Aitken中尉・・・爆撃手
・Wilbur E.Hurlbutt少佐・・・機長
・Kenneth F.Fine少尉・・・ナビゲーター
・Glenn C .Truesdel中尉・・・航空機関士
悲運の初搭乗者3名を紹介します。
(写真は、何れもKenneth Fine氏からの提供)
1945.1.2の日本軍のサイパン空襲で、負傷者もでました。翌日のThe Leading Ladyの乗組員は、
負傷者の砲手Edwin D.(Levin)Lawson 軍曹の代わりに、
Richard P.Steinberg伍長(写真右)に入れ替わりました。
何故か、ナビゲーターのKenneth F Fine少尉はEdward H.Stoehr中尉(左)と入れ替わり、
突如、砲手とナビゲーターが変わりました。
そこへ、Murcus A.Mullen中佐(右)の搭乗観戦です。
狭い機内に、中佐が加わりました。しかも、Wilbur E.Hurlbutt少佐機は、7機編隊の
先導機です。後続機への爆弾投下などの指示も必要です。
4名の砲手の守りもついに手薄になったと思われます。
B29の日本の戦闘機への備えは完璧です。
前後、左右、上下に2連装式の電子機銃が構えています。
常時、彼らが照準を向けていたなら、単独飛行で接近攻撃する”飛燕”を事前に飛行不能に出来たと、
後の詩人で、彼らと同じかまぼこ型のプレハブ兵舎で寝食を共にした、元B29砲手John Ciardiは言います。
彼の死後、発行された『Saipan:The War Diary of John Ciardi』は語ります。
戦争における生死を、”ギャンブル・水物そして運”とみなすよう導いたと。
@Wilbur E.Hurlbutt少佐(機長)の甥のRuss Hurlbuttさん
2003.1.21 3:03Russ Hurlbuttさんからの便りです。
こんにちは、私の名前は、ロックウェル・テキサスのRuss Hurlbuttです。
墜落機の生存者は、オクラホマ市のWalter(Harold) T.Hadges尾部銃手あった。
私は、今、彼の居場所を探している。あるいは、彼がもし生存していれば、
彼が60年代にオクラホマで生活していたことが知られている。
私のために他の5人が探した私立探偵に私は援助し協力した。
B29の機長は、私のおじのWilbur E.Hurlbuttであった。Websiteのあなたの情報の総てに感謝します。 その情報のいくつかは、私と彼の子どもは知らない。あなたの名前と電話が分かりません。 あなたからの便りを楽しみにしています。近い将来あなたにお会いしたい、 そして、あなたのWebsiteで見た墜落地点を訪問したい。 あなたの助けに感謝です。Russ
このMailから、Wilbur E.Hurlbutt少佐の子どもさんにも私のB29の 思いが伝わったと判断しています。彼とは、今後とも連絡を保つようにしていきたいと思っています。
AMurcus A.Mullen中佐(作戦観察者)の息子のMarc Mullenさん
2004.5.22 7:43Marc Mullenさんからの便りです。
拝啓、私は、あなたの”B29の追憶”のWebsiteを読み終えたところです。
私は、物凄い感激の中で、あなたに書いています。
なぜならば、1945.1.3に墜落した、Z□22、私の父が、その飛行機にいたのです。
彼の名前は、Murcus A.Mullen中佐です。
私は、あなたとの情報交換を切望します。
私は、この日まで、あなたが書いた情報が存在しえたことすら全く知りませんでした。
私は、あなたがしたことを、あなたとあまたの家族に非常にありがたく思っています。
このemailが正しい人に届いたかどうかを私に知らせてください。
私は、私が決して会わなかった父の運命を学ぶことに関して非常に興奮しています。
ありがとうございます!!!。
Marc Mullen California U.S.A.
このemailを受信して、遺族に私の気持ちが伝わったことに、私も大変に感激しました。 なにしろ米空軍中佐の子息さんです。早速、こちらの気持ちを丁重に伝えます。
2005.3.22 8:33Marc Mullenさんからの便りです。
私は、あなたからのemailを受け取りました。
そして、あなたからの新しいアドレスを聞いて非常に幸せです。
私は、最近、私の人生でいくつかの大きな変化があったことを知って欲しいです。
最初は、私が26年間していた仕事を引退する準備をしています。
次に、私の妻と、私がワシントン州のシアトルの北100マイルの島に、家を買った後に 私は仕事から引退して、およそ3ヶ月後にそこで退職する計画です。 そこは、私の父のB29が造られたボーイング社の航空機工場から遠くありません。 我々は、荷造りと引越しの準備で非常に忙しいです。
私は、いくつかの重大な思いを日本を訪問するという考えに与えています。
その主な理由は、あなたを訪問し、そして、飛行機が墜落した森を見ることです。
このプランはあなたで可能でしょうか?
我々が一たん引越しすると、私が旅行をするのに何をしなければならないかを調べ始めるでしょう。
あなたからの連絡を楽しみにしています。
敬具, Marc Mullen
PS:あなたのWebsiteに私の父の写真を入れていただけませんか? それは、大きな喜びを私に与えるでしょう。
私からの、remailです。遺族の”そだめ”B29訪問は、”そだめ”の村人も私も大歓迎です。 皆さんの訪問を心からお待ちしています。と伝えました。
BKenneth F Fine少尉の息子のKenneth Fineさん
2005.2.24 5:28"Sodame B29 Crash"
私の名前はKen Fineです、そして、元々、私の父はSodame B-29の乗組員のメンバーでした。
彼はW.E.Hurlbutt少佐(機長)と、その飛行機の墜落前の任務のすべてを飛んだ。
私の父は1945.1.3にナビゲータのEdward H. Stoehr中尉と入れ替わった。
他の1人のオリジナルクルー、 E. Levin軍曹CFC銃手も、また1945.1.3にRichard P. Steinberg.伍長 に入れ替わった。
その乗客、Marcus Mullen中佐は、Hurlbutt少佐の前のいずれの任務飛行でも飛びませんでした。
私は、あなたのウェブサイトを楽しんで、私の質問の多くの答えの覆いを取ることができました。 ところで、私の父は日本上空の35回の任務を終了した後に戦争を乗り切りました。 私は不思議であった、あなたが、Sodame B-29で撃墜したクルーの乗員名についてどこでリストを入手したかを私に言うことができますか? 私は、それには名前だけではなく、乗組員のポジション、ランク、軍籍番号、および状態(生死)もあったのに気付きました。 私はこの情報の一次資料をとても見つけたいです。 あなたの助けは感謝されるでしょう。
さらに、私には、Sodame B-29クルーの乗員のほとんどすべての写真があります。
あなたはそのコピーに興味を持っているでしょうか? どうぞ私に知らせてください。
私は日本で1988年8月から2000年11月まで働いていました。
私は千葉の成田空港のヤマト運輸(株)と共に働いていました。
その時、あなたを知っていたら、私が、Sodame事故現場を訪問し、
そして、あなたに会うのを楽しみ願ったでしょう。
私はあなたから連絡をもらうことを楽しみにしています。
敬具, Ken Fine. Blue Springs Mo 64015 USA
私は、このmailを読んで、 運命の不思議を痛感しました。そして、彼の父上のラッキーを祝し、 写真の提供をお願いしました。 その写真が、”The Leading Lady記念写真”です。 しかし、彼は、父の無事に反して、父の戦友と身代わりになった交代者への思いが、 ”そだめ墜落B29”の遺族との情報交換と収集を進めています。 60年経った今も!私のWebsiteの情報も役立っているようです。
《遺族の思いと私の思い》
私のWebsiteは、遺族にとって、半世紀以上前の出来事を蘇らせるに十分であったようです。
反面、Siteの表現に失礼がなかったか心配もしています。
しかし、私の”そだめB29”の情報は、米国内のB29関係者の多くに伝わり、
そして、遺族の元へと伝わっていったと思っています。
遺族の思いは、何時の日にか”そだめB29”の現地を訪問して、 なき父、戦友の霊を弔うことのように思います。 この気持ちは、人類の財産です。そして、世界平和につながる架け橋になると信じています。
《遺族の再会2006.4》
Mr.Kenneth FineからのThe Leading Lady遺族会のニュースです。
73BW(爆撃兵団)の戦友会がテネシー州メンヒィス市で2006.4.3から6に行なわれました。
その会に集まったThe Leading Lady遺族会関係者の集合写真を公開します。
写真の左から、
@Paulette Webster-daughter of Radar Operator Sgt. Paul E. Dreyer.
AMrs.Geneva(Dreyer)Hamilton-widow of Sgt. Paul E. Dreyer.
BRuss Hurlbutt-nephew of A/C Maj. Willbuer E. "Barney" Hurlbutt.
CEd(Levin)Lowson-original CFC Gunner and not on Jan 3.1945 flight.
DJim Farrell-retired Lt.Col(USAF) who was the A/C on his on his fiest mission,
later was A/C of the Frisco Nannie.
EKenneth Fine-son of 2nd Lt.Kenneth F Fine Navigator, not on the flight of Jan 3.1945.
FMandy Cohen-daughter of Jim Farrell.
彼らは、The Leading Lady の遺族と1945.1.3以前の搭乗員とその家族です。
61年の歳月は過ぎましたが、運命共同体としてのThe Leading Ladyの絆は永遠です。
彼らが持っているThe Leading Ladyのイラストは、英国の航空イラストレーターのMark Stylingが製作し、Mr. Kenneth Fineが入手して持参した記念のボードです。
@Neysa McNeley.Picklumさん
2003.1.29 13:08"Peace between us ・我々両国間に平和を"
あなたのSiteをHapから聞いた。それを読んで嬉しかった。
私は、1945.6.5の神戸空襲の後に捕虜となったB29のひとりの男の姉です。
彼は、終戦直前の8月に大阪憲兵隊で処刑執行された。
私は、アメリカと日本が、今では友人となることができてとても嬉しい。
それは、あなた方にとってもつらい時であった。そして、恐ろしい戦争は、我々総てに、全世界のためにつらい。
私は、今では、アメリカと日本が友達になり嬉しい。
数人の日本の方が、B29乗員の私の弟に何が起こったかについて調べ私を助けた。
私は、彼らの援助に感謝しています。
David F. McNeley の姉, Neysa McNeley.Picklum
私は、彼女の弟の冥福とNeysaさんの長寿を願うremailです。 そして、パソコンの操作はどのようにして習ったかと聞いてみました。 すると、米国では、多くの老人がemailを使う。なぜなら、 かれらは、図書館か、シニアー活動センターで使うことが出来る。 emailを使う多くの私の友人はリタイアされてから習う。 彼らは、学校(パソコン教室)で使い、リタイアの後で使い続ける。
日本のシニアーも頑張らないと!
AKatieさん
2003.2.14 6:52"B29"
貴下、私はあなたのSiteより、あなたを賞賛します。写真も、英語もVery Goodで賞賛します。
私の父は、パールハーバー攻撃の後で空軍に志願し、あなたの国を爆撃した。彼は、B29の航空機関士で、最初の飛行機であった。
彼は、日本爆撃35回の任務飛行をした。その間の男の戦いの結果は決してハッピーでなかった。
私は、彼が軍務に奉仕したところのよき人であり、勇気ある父を大変に誇りに思う。
アメリカが他の戦争にまた直面しているように、私は、WWUを振り返って思う。
そして、総ての戦争が終わることでなかったことに失望を感じている。
私の近所に日本人とのハーフがいます。彼の父はGIであった。彼の母は、長崎の出身です。
我々は、共に戦争について学んだ。私の父は、彼の母の故郷をB29で爆撃したように思う。
その戦いが続いている時に彼女はその丘に生活していたのがその理由です。
私は、彼の小さな息子と娘の面倒を見た。彼らは、私の家とより親しくしていた。
しばしば彼らの罪のない寝顔を見た。私のまた友人であるところの彼らの親愛な祖母と
勇気ある私の父のために、私は神へ感謝です。どうぞ、より一層の世界平和のために
あなたが何かすることを続けてください。総ての人の理解なしでは決して出来ません。
謹んで、Katie
2003.2.17 6:29"Re:B29"
あなたの親切と、よいメッセージありがとう。あなたと私がこのように話すことは素晴らしいことです。
今日、再び、父親の唯一の願いが平和のためであったことを、あなたが実感することを正しく認めます。
我々は、イラクの戦争にとても反対である。私は、ブッシュ大統領の支持者ではありません。
私は、父と多くの人々を信じます。
私達がそれを支持すると同様に、私達の政府に反対する権利を持つように。
謹んで、Katie
BHisanagaさん(日系二世?)
2005.1.15 1:00 "We hate B29・我々はB29が嫌い"
アメリカ政府は、B29に莫大なお金を使いました。だれかが言いました、
アメリカはB29に助けられ、役に立ったと。
なぜならば、そのB29で、アメリカは敵国の日本を破ることができた。
他方では、多くの日本人がこの飛行機によって殺されました。 それは兵士だけではなく、汚れを知らない子供もいました。 WWU時点で、私の母は子供でした。彼女はもう少しで殺されるところでした。 彼女の両親はB29によって殺されました。彼らは軍人ではありませんでした。 もちろんB29のパイロットは故意にそれらを殺しませんでした。 彼らには、日本人を殺すことへの如何なる選択の自由もありませんでした。
とにかく、我々はこのB29を正当化するべきではありません。 我々は犠牲者と彼らの遺族のために哀れむべきです。 我々はどんな兵器も如何に削減させるか、どんな戦争も如何に止めるか思うべきです。 正当化されるために、どんな兵器もありません。
《米国人と私の思い》
Mailの送り主は、WWUでB29に関わった父親を尊敬しています。
当時の米国は、正義の、民主主義のための戦争であり、父親の勇気をたたえます。
しかし、彼らの本心は、これで戦争は終わった、二度と戦争はしたくない、
そして世界平和を願っています。
私は、米国もB29の日本本土爆撃作戦を正当化させる必要はないと思っています。 しかし、人類が起こした最大級の悲劇であったことは事実です。 そのような愚かな行為を未然に防止できなかった、日米のおごりに問題があったと思います。 21世紀になって、米国のおごりが、気になります。追従する日本も気になります。
21世紀は、戦争の経験のない、戦争を知らない世代が中心です。 彼らにもB29を伝承し、このWebsiteを訪問してもらい、 世界平和のエネルギーになることを願っています。
Kenneth FineのmailとEdwin D (Levin)Lawsonのコメント(注1)によると、 彼(John Ciardi B-29砲手・詩人・1915-1986)は非常に面白い男であった。 彼は、同じ882飛行隊(注2)に所属し、Leading Lady号の乗組員のようであったという。
Ciardiは、サイパンで、軍曹Levin(Lawson),Hedges,Yanik,Dreyer,Hunt and Nighanと 同じかまぼこ型のプレハブ宿舎に住んでいた。そこで、1944.11.5から1945.3.10まで日誌を付けた。 この日誌は、彼の死後に編集され、 『Saipan: The War Diary of John Ciardi』として、 University of Arkansas Press,Fayettavill,Ar & Londonにより1988年に出版された。
その記述の多くは、行った戦いとCiardiの自己の内側の戦いです。 彼は、また生前に、40冊の詩の本に書いた。そのうち2冊がサイパンを扱います。
私は、彼らの情報から、Ciardiの日誌は、The Leading Ladyと同じ7機編隊で1945.1.3の 名古屋空襲に出撃した当時の状況の一部始終を正確に描写していると判断しました。 あたかも、彼が機内に居たかのようにな記述という。 Ciardiは、The Leading Ladyの後続機にいて、B29の銃座から日本の戦闘機に銃口を向けていたと思われます。 持場の銃を点検し、銃座に鼻を付けていれば、日本の戦闘機は近づけないという。
私は、1945.1.3のThe Leading Ladyの真相は 『Saipan: The War Diary of John Ciardi』を読むことであると確信しました。 そこで、オンライン通販の 『amazon.co.jp』 の洋書をクリックすると、その本は英文の原書で、3から5週間で配達するという。 早速、注文しました。
注1: Ciardi and Chance: Comments on Sipan: War Diary of John Ciardi/Edwin D.Lawson/心理学名誉教授
注2: 21爆撃兵団/BC・73爆撃航空団/BW・500飛行連隊/BG
・882飛行隊/BS(Hurlbutt少佐/機長先導の7機編成の飛行隊)
The Leading Ladyが”そだめ”の山林に撃墜され、
WWUが終わり、60年の歳月が経ちました。
私のB-29の追憶も、60年のタイムトンネルをくぐり抜けた思いです。"そだめB-29"をWebsiteで公開し、5年が経過しました。 その間に、日米から入信したMailは、数百件を超えました。 Website訪問の皆さんと、多くの情報の提供者に感謝しています。 The Leading Ladyの遺族からのmailもいただきました。 ”そだめ”に散った乗組員の写真も公開できました。亡くなった11名の乗組員も、ITの旅路に出発出来ました。 どうぞ、思う存分に、60年後の世界を見てください。そして、問題点を指摘してください。 私は、終戦60周年の今年を、The Leading Ladyが蘇った年にしたいと思っています。
米国のThe Leading Ladyの遺族をはじめ、関係者も熱い思いを寄せてきます。 私は、”そだめB-29”の事件を学びました。超・空の要塞といわれたB-29であっても このような悲しい事件が400機以上にも及びます。
一方、当時の日本の国民は、無防備の船舶に載せられ、米海軍の魚雷の標的になりました。 現在も、僅かな生存者が団長となり、南方洋上で戦友の遺骨を探し求めています。 WWUが終わり、B-29乗組員は、二度と戦争が起きないと期待しましたが、 その6年後の”朝鮮戦争では、B-29が大活躍し、延べ23.000機が出撃し、 日本本土爆撃に匹敵する重量の爆弾を投下しました。 朝鮮半島の200万人が犠牲になったと言われています。
最後に、ご訪問の皆さんにお願いです。B-29の悲劇に学び、 武器のない地球、戦争が起きない地球になりますように、世界の平和を願い、 行動していただければと思っています。 それが”そだめ”で散った11名の霊を弔うことになり、”The Leading Lady”が蘇ることになると思います。
2008.5.27
米国オハイオ州在住のJeff DanbyさんからのMailです。
ルイビル、ケンタッキーのザッカリー・テイラー国立墓地で2008年5月11日に私が撮影した墓標の写真を送るという。
その理由は、米陸軍機甲師団(戦車大隊)の南フランス戦線で1944.8.27に戦死した祖父の墓の近くの墓が気になり調べ、
あなたのSiteを知ったという。私は、謹んで”The Leading Lady”乗組員の墓標の写真を掲載します。 墓標には、乗組員12名中戦死した11名の氏名と階級さらに戦死日JANUARY 3.1945が刻まれています。
《Jeff Danbyさんの紹介》
彼が、編集運営しているWebsiteを紹介します。
彼が祖父に奉げて執筆した
機甲師団の日(Day of the Panzer)
彼の祖父が従軍した
第756戦車大隊(The 756th Tank Battalion)
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