2010年8月
岐阜城
岐阜城からの眺め
鵜飼い

8月27日

またしても長良川へ行ってきました。
でも前回の郡上八幡からはだいぶ下流の岐阜市内。
久しぶりの鵜飼いです。
妻と息子は初めてです。
家族で行きましたが、6人いたはずの家族が3人になっていました。
鵜飼いの前にロープウエイで金華山に登り、岐阜城見学、ここは斉藤道三や織田信長が戦国時代あばれた城です。その後は名和昆虫博物館で驚愕の昆虫見学、そしてメーンイベントの鵜飼い。
心地いい川風が吹く中、たいまつに照らされた鵜飼いの舟が漁をしながら川を下っていきます。観光の屋形船も一緒に下っていきます。そして最後は総がらみといって六艘の鵜匠の舟全てで巻き狩り漁をやって終了です。1300年続いた伝統的な漁、なかなか幽玄なものです。ちなみに長良川の鵜匠は宮内庁式部職という位だそうです。他の地域の鵜匠には与えられていません。

郡上八幡

8月23日

娘の大事件が起き、今年の夏のイベントは全て中止でした。
しかし娘の子供の頃から夏と言えば夏野菜と鮎が食卓に並ぶ生活でした。大好きな長良川の郡上八幡には郡上城もあるし(このところ娘は歴女でした)、鮎料理屋もあるから、妻の慰安も含めて長良川まで鮎を食べに行ってきました。
娘の子供の頃、夏になるとほとんど毎日川で鮎を釣っていました。父と母が作った野菜、私の釣った鮎満載のそりゃ豪華な楽しい食卓でした。

この4年の間に父が亡くなり、犬のメイ、猫のミーも亡くなり、母は寝たきり、
そして娘が亡くなってしまいました。

長良川にはアマゴ釣りでも鮎釣りでも何度も通いました(30回以上)。
夏の日曜日、多くの人が鮎釣りをしていました。
懐かしい情景が思い出され涙が止まりませんでした。

郡上の鮎は天下にとどろくおいしい鮎です。
頭からかぶりつきました。

そろそろ娘のことは心にしまいます。

多くの心配や励ましありがとうございました。

 

川遊び
マリンジェット

8月21日

昔の写真を出してみました。
子供の頃は私と遊んでばかりいました。
大きくなってから母とばかりいるようになり父はひがんでいました。

娘との思い出は心の中にしまっておいて新しく動き出さないと行けませんね。

残った人が元気にしているのが供養だと思います。

山歩き
3歳の頃の娘
チャイナ服のアヤ

2歳頃

8月19日

17日通夜、18日葬儀で娘を送ってやりました。

娘の亡くなったことを親戚にも連絡しませんでした。
(後で面倒なことに成るでしょうが覚悟です)
家族と娘のことを良く知っている身近な関係者だけで送ってやりたかったからです。会場も葬祭場ではなく自宅でしました。おかげで通夜の夜は娘の子供のころの懐かしい話がいっぱい飛び交いうれしいうれしい通夜を過ごすことができました。
娘を中心に暖かい空間がひろがりました。
娘の親友が子供ができたら娘の字を使ってもいいかと提案してくれました。
またこれからも娘の名前で年賀状を出していいかとも言ってくれました。
うれしいうれしい申し出でした。
私の描いた襖の前に娘は寝ていました。
お父さんの絵に囲まれてよかったねと皆さんに言っていたいただきました。家から送ってやれて本当に良かったと思います。
納棺師の方にきれいにしてもらい、今にも起きてきそうな娘になりました。
いっぱい、いっぱい涙が出ました。
24年間という短い生涯でしたが沢山の思い出をくれました。
娘に「ありがとう」といってお別れしました。

 

8月16日

8月16日 3時25分

娘が逝ってしまいました(24歳)
子供が亡くなることがこれほどまでに悲しいことかと噛み締めています。

皆さんの応援や祈りを持って向こうにいってしまいました。
ありがとうございました。
最後は家族だけで送ってやります。

8月8日、いっぱい付いていた管や機械がだいぶ外され、呼吸も自前の臓器でできるようになり、これで快方に向かえると喜んでいた矢先、また大きな不整脈に襲われました。弱っていた臓器は耐えられず、そのまま昏睡状態になってしまいました。
覚醒した一日半、妻に我がままを言って困らせたようですが、それが最後の会話に成りました。26日間入院して覚醒した一日半、大好きな母親と会話できました。最後のお別れを言いにきたとしか思えません。
1600グラムで生まれ、いろいろ心配をいっぱいした娘でした。
でもとっても素直でかわいい子でした。
いっしょにカヌーやマリンジェットに乗ったり、キャンプしたり、さんざん海や川で遊びました。
もう会えないかと思うとたまらなく辛いです。

 

 

8月8日

娘が入院して18日経ちました。
ずっと大変な治療でいまもICUに居続けています。
でもやっと自前の臓器で呼吸ができるようになり体中に付いていた管やら機械がだいぶ外されました。
動くと危険だということでずっと眠らされていましたが、やっと覚醒することになりました。

ただ心臓が止まったことで脳に酸素が行かなく障害が残る可能性も言われていました。
でも覚醒したとき今までの娘と同じでした。
嗚咽するほど泣けました。

まだまだ治療は続きますが大きな壁は乗り越えたようです。

多くの方に心配をおかけしました。
いっぱい祈っていただき本当にうれしかったです。

 

 

8月2日

娘が入院している病院に出来る限り面会に行っています。
その後不整脈は一度も発生していません。
でも心臓そのものに相当のダメージを与えたようで出力がなかなか戻ってきません。それでも少しづつは上がってきているようです。
手足が温かくなってきました。
まだまだ心配の日々は続いています。

母の入っている介護施設にも行っています。
ただしこちらは週に一度です。
体重は2/3になってしまいました。
そしてほとんど話さなくなってしまいました。
弱った母を見るのも辛いですね。

介護施設(特養)もICUもどちらも気を重くするのに充分なパワーを持っています。相当ボディにきついパンチをもらい続けています。

夏のバイクツーリングに釣り、学生達との夏合宿、手筒花火などなど全ての遊びをキャンセル、しばらく遊びという言葉は聞けそうにありませんがそんなことをしたらこちらが病気になりそうですね。
食欲が落ちたことをいいことにダイエットを始めました。軽い体になって、落ち着いたら思いっきり遊べるように準備しておきます。
一週間で1キロ減。5キロは落とす予定。