blueball.gif (1613 バイト)  斉の歴史  blueball.gif (1613 バイト)


崔杼、其の君を弑す


霊公の二十七年(前555年)、国はその頃、盟主とも言うべきに対して離反の意を示すようになり、この年の秋に国へ侵攻した。

平公を助けるため、卿の中行献子荀偃=じゅんえん)にを攻撃させた。軍は大敗し、霊公晏嬰(=晏子晏弱の子)の止めるのも聞かず、都・shi2.gif (125 バイト)(りんし)に逃げ込んでしまった。范宣子kai3.gif (107 バイト)=しかい)の、「国とkyo.gif (107 バイト)国が千輌の戦車を率いてに攻め込みたいと言うので、許可を与えてしまいました。もしこれが攻め込んできたら、貴国はひとたまりも無いでしょうな。」という脅し文句に縮み上がってしまったのである。晏嬰は「我が君はもともと勇気が無いというのに、こんな話を聞いたら長くはもつまいな。」とぼやいた。軍はshi2.gif (125 バイト)を包囲したがその守りは堅く、結局外城を焼き払って引き上げた。

霊公二十八年(前554年)、霊公は以前、の公女から生まれた公子光を太子に立てていた。しかしここへ来てを廃して、寵愛する仲姫から生まれた公子牙を代わりに太子とし、高厚をその守り役とした。が、霊公が重病に伏せると、崔杼公子光を国君の位につけてしまった。これが荘公である。霊公の死後、崔杼は政敵の高厚を殺し、荘公公子牙を殺した。

荘公の六年(前548年)、崔杼棠公(とうこう・の地の大夫)の未亡人・棠姜を娶ることにした。棠姜の弟である東郭偃(とうかくえん)は、「崔氏丁公の子孫であり、東郭氏桓公の子孫である。同じ姓を持つ両家の婚姻は認められない」と反対したが、結局崔杼棠姜を娶ったのである。

この同姓婚は良い結果に結びつかなかった。荘公が度々崔杼の屋敷を訪れ、棠姜に強要して密通を行うようになったのである。従者はそれを諫めたが、聞き入れる荘公ではない。崔杼はもちろん主君の無道な振る舞いに激怒し、いつか思い知らせてやろうと心に誓った。

そして復讐の時は訪れた。崔杼が病に伏せっていると聞き、荘公が見舞いにやってきたのである。荘公は早速棠姜の寝所に入り込もうとしたが、屋敷の中から崔杼の手の者が押し寄せ、荘公を討ち取ってしまった。晏嬰はその事を聞くと崔杼の屋敷を訪れ、主君の遺体を目の前にして大声で泣き、悲しみの意を表す哭礼(こくれい)を行った。ある人は崔杼晏嬰を殺すよう勧めたが、崔杼は「あれは人民に慕われている。ここで殺してしまっては人心を失うことになる。」と言って、晏嬰を放っておくことにした。

崔杼荘公に代わり、その異母弟にあたる杵臼(しょきゅう)を景公として即位させた。そして崔杼慶封(けいほう)はそれぞれ宰相に任じられた。二人の宰相は国の大夫たちに、自分達の命令に従うように誓いを立てさせたが、晏嬰だけは天を仰いで「私はただ主君に忠義を尽くし、社稷(しゃしょく=国家)に対して利益を計る者に従うだけだ。」と言い放ち、誓約に加わらなかった。慶封は彼を殺そうとしたが、崔杼はやはり「なかなかの忠臣ではないか、放っておけ」と言って取り合わなかった。

さて、の国の太史(歴史の記録などを司る官)は、崔杼荘公を討ったことに対して、「崔杼、其の君を弑す」と記述した。(「弑す」(しいす)は、臣下が主君を殺して謀反を起こすという意味であり、下克上の意を示す。つまり、崔杼が悪事を行ったことを強調して彼を批判しているのである。)崔杼はこれが気に入らず、太史を殺してしまった。ところが太史の弟たちが兄の仕事を引き継ぐと、やはり同じように記述する。崔杼太史の二番目と三番目の弟も殺したが、四番目の弟も「崔杼、其の君を弑す」と記述するのを見て、記録を改めさせるのをあきらめた。

一方、太史の一族が全員殺されたと聞き、南史氏が彼らの意志を引き継いで正しい記録を残そうと朝廷に出掛けたが、四番目の弟が生き残って使命を果たしたことを聞くと、引き返して行った。


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