blueball.gif (1613 バイト)  斉の歴史  blueball.gif (1613 バイト)


田氏の専横


景公五十八年(前490年)、景公は病気がちになっていた。太子は以前に病死してしまっていたので、寵愛しているzei.gif (109 バイト)(ぜいき)との間に生まれた(と)を新しい太子にしようとした。大夫たちはがまだ幼く、その母の出身も卑しいので立太子に反対していたが、景公は他の公子たちをに追放し、を太子にしてしまった。

景公が亡くなると、重臣の高昭子高張)・国恵子国夏)を後ろ盾として、太子荼が即位した。これが晏孺子安孺子=あんじゅし)である。他の公子たちは景公の葬儀が終わらないうちから、殺されることを恐れてから更にへと亡命してしまった。

しかし氏の嫡流の田乞にとっては氏・氏が政権を握っているのが面白くない。そこで鮑牧と共謀し、の宮殿に攻め込み、公の軍を打ち破った。高昭子氏の軍に殺され、国恵子kyo.gif (107 バイト)に亡命し、晏圉晏嬰の子)もに亡命した。田乞は更にまだ幼くて権威の無い晏孺子を廃してしまおうと考え、から密かに景公の公子の陽生を呼び戻した。

ある時、田乞は主だった大夫たちを自分の屋敷に招き、宴を開いた。田乞は座の中央に大きな革袋を立てて置いたが、宴もたけなわになった頃、彼はその革袋を開いた。すると中から公子陽生が出てきたではないか!田乞陽生を「このお方こそがの真の君主です。」と紹介したので、大夫たちは一斉に平伏する。ただ鮑牧だけは、景公の「晏孺子を後継ぎとせよ。」という遺言を守ろうと考えていたので、晏孺子を廃して陽生を立てることに異議を唱えた。すると陽生鮑牧に拝礼して言った。「私が君主にふさわしければ位におつけ下さい。そうで無ければおやめ下さい。」ここに至っては反対のしようも無い。「どちらも景公の御子です。どうしてあなた様がふさわしくないと言えましょう。」こう言って鮑牧陽生の即位に賛成した。

陽生悼公(とうこう)として即位すると、晏孺子(たい)の地に移すことにし、移動の途中で殺させた。しかし鮑牧はやはり陽生の即位に不服である。他の公子を立てて悼公を廃そうと企てたが、それを悼公に知られてしまい、逆に捕らえられて処刑されてしまった。

さて、悼公に亡命していた折りに、季康子季孫肥)の妹・季姫と夫婦の間柄となっていた。しかし彼がに帰還すると、季姫は叔父の季魴侯(きほうこう)と私通するようになり、彼女も兄にその事を告げていた。だから悼公からの迎えの使者がやって来ても、季康子は妹をに送ろうとはしなかった。当然悼公は激怒し、に攻め込んで(かん)と(せん)の地を占領し、季姫に連れ去った。悼公季姫に対する寵愛は厚く、やがて悼公は奪い取ったとの地をに返還した。

しかしその悼公といさかいを起こし、呉・魯の軍がの南方の土地に攻め込んで来た。田乞の人々はそこで悼公を弑して呉・魯へのお詫びとした。悼公の即位四年目(前485年)のことであった。の人々は悼公の子・簡公を新たな君主に据えた。氏も田乞から田常田恒)へと代替わりし、いよいよ国君の位の簒奪へと第一歩を踏み出した。


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