斉の歴史
鳴かず飛ばず
威王は即位してから九年の間、毎日徹夜で酒宴を開いて政務を顧みず、政治を重臣に任せきりにしたので、民衆の信望を得られないでいた。またその様子を見て、韓・魏・趙の三晋、魯・衛といった国々が次々と斉を侵略して領地を奪っていった。そして国の命運がもうすぐ尽きようという時になっても、誰も王を諫めようとはしなかった。
そんな折りに、遊説家の淳于(じゅんうこん)が謎かけで威王を諫めようと考えた。威王は謎とき遊びが大好きだったからである。淳于
が王に説くには、「我が国には大きな鳥がいて、王の庭に留まっておりますが、三年間飛びもしなければ鳴きもしません。王よ、この鳥は一体何なのかご存知でしょうか?」威王は彼が言わんとしている事を察して答えた。「その鳥は飛び立たねばそれっきりだが、ひとたび飛び立てば天上まで飛び上がるだろう。また鳴き出さねばそれっきりだが、ひとたび鳴き出せば人々を驚かすことだろう。」
その後すぐに威王は国中から県の長官七十二人を呼び出し、その中でも即墨の大夫を手ずから招いて言った。「そちが即墨に赴任している間、左右の者から散々そちの悪口を聞かされたものだった。そこで即墨を視察させたところ、田野は開拓されて人々は満ち足りた暮らしをし、政務は滞りなく行われ、他国からの侵略もよく防いでいるとのことであった。これはそちが、わしの側近にへつらうことなく、ひたすら政務に励んだということである。」こうしてひとしきりその大夫を褒めた後に、彼を万戸の邑に封じた。
威王はまた同じように阿の地の大夫を招いて言った。「そちが阿の大夫となってから、よく左右の者からそちを褒める言葉を聞かされた。そこで阿を視察させたところ、田野は開拓されず、人々は貧しい生活をし、趙や衛が我が領土に攻め込んで来た時も援軍を送ろうとしなかったという報告を受けた。そちはわしの側近に賄賂を贈って自分の声名を高めようとしたのであろう!」威王は直ちに阿の大夫を煮殺させた。そして彼から賄賂を受け取った側近も同じように処刑させた。
その様子を見聞きして、斉の人々は威王を恐れて勝手な振る舞いをしなくなり、国中が大いに治まるようになった。国内が安定したのを見ると、威王は兵を整えて趙・魏・衛に出撃し、それぞれ勝利を収めた。諸侯たちは威王の果断な行動を見て恐れおののき、かつて斉に侵略して得た領土を返還した。そして二十年以上もの間、斉に攻め込もうとはしなかったのである。
ところで威王を諫めた淳于はと言えば、その話術をかわれて諸侯の接待役に取り立てられ、王家の宴会が開かれると、彼はいつも王の側にいたと伝えられる。