blueball.gif (1613 バイト)  斉の歴史  blueball.gif (1613 バイト)


宣王と田嬰


宣王の元年(前342年)は、商鞅を登用した年である。さて、宣王と弟の靖郭君・田嬰とはあまり仲が良くなかった。その為彼は父の威王が死ぬと、斉貌弁という食客と、わずかな供の者だけを連れて、所領のに隠居してしまった。実は斉貌弁は素行の悪い人物で、同じ田嬰の食客の間でも、頗る評判が悪かった。しかし田嬰は彼の才識が並外れていると信じており、常日頃から最上の待遇を与えていたのである。彼の息子の田文孟嘗君)も、「もっと待遇を下げても良いのではないか?」と諫めたことがあるが、断固として聞き入れなかった。

田嬰に引きこもってから程なく、斉貌弁はこれまでの厚遇に報いるべく、主人が止めるのも聞かずに宣王に直談判に出掛けた。宣王斉貌弁を痛罵してやろうと思って彼を宮廷に招き入れた。「あなたは弟のお気に入りで、何でも意見を聞き入れてもらえるそうではないか?」

「いいえ、そうでもございませんよ。昔、王がまだ太子であられた時、私は靖郭君に『私が見たところ、太子の人相は非常に悪うございます。いずれ道に背いた行為をしでかすに違いありません。父王に太子の位を剥奪し、改めて幼い郊師さま(威王と寵姫との間に生まれた子)を太子とするよう進言なさいませ。』と勧めたことがありましたが、靖郭君は泣いて『兄を廃せよなどと、私に言えるはずがないではないか!』と繰り返すばかりでした。もし私の言葉を聞き入れておれば、今日のような事態にはならなかったでしょうに。」

斉貌弁は続けて言った。「更に先日、昭陽が、の地とその数倍の価値を持つ土地とを交換しようと申し出てきました。もちろん私は靖郭君に『その申し出をお受けなさいませ。』と進言いたしましたが、靖郭君は、『の地は父上から拝領した土地で、しかも父の霊廟がこの地にある。いかに兄から憎まれていようとも、このの地を他国の者にやるわけにはいかん!』と怒って、またもや私の意見を聞き入れようとはなさいませんでした。」

斉貌弁の話を聞いて宣王は、「弟はそこまで私の事を思っていたのか!」と、今まで田嬰に冷たい仕打ちをしたことを後悔し始めた。そこで斉貌弁に言付けて、田嬰に都へ戻って来いと伝えさせたのである。田嬰が帰還して来ると、宣王は自ら郊外まで出迎えて、その場で弟に宰相になるよう請うた。田嬰は再三辞退したが、結局宣王の命令には抗しきれず、宰相の印を受け入れたのである。


戻る    「斉の歴史」トップへ    次へ