blueball.gif (1613 バイト)  斉の歴史  blueball.gif (1613 バイト)


張儀、連衡を説く


bin.gif (122 バイト)の元年(前323年)、恵王恵文王)は張儀に命じ、斉・楚の重臣と齧桑(けつそう)の地で会盟を行わせた。三年(前321年)、叔父の田嬰に封じた。四年(前320年)、bin.gif (122 バイト)は妻をから迎えて娶った。七年(前317年)、とともにを攻め、観沢の地で軍を打ち破った。

更に十二年(前312年)、は再びを攻めた。同じ年、蘇秦合従策の名残で、以前からと同盟を結んでいたが、張儀の謀略によって懐王と絶好することを決意した。懐王は、張儀と敵対している重臣・田軫(でんしん・=陳軫)の反対を押し切って将軍・屈丐(くつかい)にを攻撃させたが、と同盟を結んでの軍を打ち破り、丹陽漢中の地を得た。

張儀連衡策が各国でまだまだうまく機能していないと考え、自身が遊説して各国の君主に連衡を説いて回ることにした。まずはに降伏したばかりの懐王と会見し、屈原らの反対意見を押し切ってと同盟させることに成功した。次にを訪れてやはり王を首尾良く説得し、その次にbin.gif (122 バイト)のもとにやって来た。

彼がbin.gif (122 バイト)に対して言うには、「合従を説く者どもはよく、『は四方を要害に囲まれ、国は富み栄えて兵卒は勇ましい。更に間を韓・魏・趙の三国に挟まれているので、がいくら強国であると言ってもをどうすることも出来ない。』などと主張していますが、本当にそうでしょうか?私にはそうは思えません。かつてとが三度戦い、三度ともが勝利したことがありました。しかしその後は勢力が衰退する一方で、今では滅亡が目の前に迫っているという有様。これはどうしたことでしょう?そもそもの国土・国力がと比べて小さいからです。」

張儀は更に続けて言う。「現在のの関係も、このの関係と同じであります。shou.gif (120 バイト)のほとりと番吾の地での二度の戦いでに勝利しましたが、四度戦ううちには数十万の兵卒を失い、領土はかろうじて邯鄲の都を残すのみ。戦争に勝ったのに国は滅亡に瀕しているのは何故でしょうか?やはりの元々の国土・国力がと比べて小さいからです。更に、の王女を娶って兄弟の国となりましたし、韓・魏・趙の三国はそれぞれ領地を献上してに服従しました。に背くならば、はすぐさま韓・魏・趙の侵攻を受けることになりましょう。そうなればshi2.gif (125 バイト)の都も、半島の即墨の地も王の物ではなくなります。ですから王はよくよく国の方針を考えねばなりますまい。」

bin.gif (122 バイト)張儀の言葉を聞いて感心し、「私は辺鄙な地に離れ住んでいるゆえ、今まで国家長久の計など聞いたこともなかった。以後国を挙げてに従うことにしよう。」と述べ、に漁業や塩田が盛んな土地三百里を献じ、服従することにしたのであった。

張儀はその後趙・燕を回ってやはりとの同盟を約束させたが、bin.gif (122 バイト)十四年(前310年)、彼が都の咸陽に帰り着く直前に恵王が亡くなった。張儀は、次いで即位した武王とは前々から折り合いが悪く、諸侯も張儀武王が仲の良くないことを知って、次々と連衡を取りやめて合従に戻った。特にbin.gif (122 バイト)張儀に騙されていたと分かって、特に彼を憎んでいた。彼は蘇秦と同様、「に亡命したふりをして、のために利益を計って見せます。」と提案してに向かった。

張儀哀王によって宰相に任命された。軍はすぐさま張儀の引き渡しを求めてに攻め寄せてきたが、bin.gif (122 バイト)のもとに使者を派遣し、「私は秦王の命でに亡命したふりをしているだけである。が争っている隙にを討ち、に迫って伝国の宝器を差し出させる手はずになっている。」と明かすと、軍はすぐに撤退した。その後、張儀に亡命してから一年で亡くなった。


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