blueball.gif (1613 バイト)  斉の歴史  blueball.gif (1613 バイト)


東帝と西帝


bin.gif (122 バイト)の二十九年(前295年)、主父武霊王)を殺した。同年、を助けて中山国を滅ぼした。bin.gif (122 バイト)の三十年(前294年)、田甲という男が王に対して反乱を起こした。この反乱はすぐに鎮圧されたが、bin.gif (122 バイト)孟嘗君田甲に加担していたのではないかと疑った。孟嘗君が無実であったことはすぐに明らかになったが、孟嘗君はそれをきっかけに、病気と偽って引退を申し出、領地のに引きこもっててしまった。

以後、ではしばらく孟嘗君に代わり、から亡命してきた呂礼が宰相となった。呂礼孟嘗君は政敵同士であったため、孟嘗君の宰相であり、やはり呂礼と仲の悪かった穣侯魏冉)をけしかけ、を攻めさせた。結果、呂礼から逃亡してしまった。

bin.gif (122 バイト)の三十六年(前288年)、昭王昭襄王)の提案により、これ以後斉王東帝と称し、秦王西帝と称することにした。蘇代蘇秦の弟)はbin.gif (122 バイト)が帝号を称したことを知ると、より来朝して王にこう忠告した。「斉秦がともに帝号を称したとあれば、天下の諸侯は国力の強いを尊び、を軽んじるのは当然の成り行きでございましょう。逆にが帝号を捨てたとすればどうでしょう?諸侯はを支持し、強圧的なを憎むのではありますまいか?」

蘇代は続けて言う。「王は帝号を称する際に、秦王とともにを討つことを約束されましたが、両国が協力してを討つのと、が単独で桀宋(当時の宋王偃は暴虐で知られており、他国からは桀王にちなんで桀宋と呼ばれていた。)を討つのとでは、どちらが有益でありましょう?」彼の言により、bin.gif (122 バイト)は帝号を捨て去って王に戻り、諸侯の心をつかんでに対抗することを決意した。一方のでもと同様に帝号を廃し、元のように王号を称することにした。

bin.gif (122 バイト)の三十八年(前286年)、王はの軍をに攻め込ませることを決意した。それを聞いた昭王は、「わしの断りもなくを攻めるとは何事だ!」と激怒したが、蘇代昭王を次のようになだめた。「を平定すれば、はより強大になったを恐れ、によしみを通じてくるでしょう。それにを平定したとしても、結局はの協力を得ないと何も出来ますまい。」

「しかしという国は時に合従し、時には連衡するといった具合で方針に一貫性が無い。」と昭王。「それは策士どもが斉秦両国の王に良からぬ事を吹き込み、常に斉秦を離間させておこうとしているからです。三晋にとってはその方が都合がよろしいのでしょう。なぜ斉秦は協力して三晋の連合に当たろうとしないのでしょうか?」この蘇代の言葉によって、昭王侵攻を承諾することに決めた。

そこでbin.gif (122 バイト)は出兵して遂にを滅ぼした。王偃の地に亡命し、その地で没した。bin.gif (122 バイト)はこれ以後三晋を侵略し、の君を家臣とし、の天子に取って代わろうとする勢いである。国内でも邪魔者の孟嘗君を始末しようと考え、孟嘗君は身の危険を感じ取ってに亡命してしまった。彼は昭王により宰相に任じられた。


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