金烏工房東征記
3 咸亨酒店 − めくるめく中華談義 −
さて、真善美を出た我ら一行はあきらさんと飯香幻さんの先導で、中華レストラン・咸亨酒店へと移動することになった。通りのあちこちに新刊・古書問わずに書店が立ち並び、また出版社のビルも目に入り、まぎれもなくここが出版界の中心地であることを思い知らされる。
咸亨酒店に着くと、我々は二階へと案内された。四人用のテーブルを取り敢えず二つにくっつけて、めいめいが適当に席に着いていく。店員さんからメニューを渡されたが、私も含めてみな今ひとつ何を食べるか決めかねているようである。昼食用のメニューはAランチ・Bランチ・Cランチの三つである。我らの優柔不断を見かねたのか、居眠り猫さんが「Aランチがいい人は?Bランチの方は?」とテキパキと点呼を取って、店員さんに伝えていく。
一通り注文が決まると、早速あきらさん、飯香幻さん、居眠り猫さん、hakoさん、SUIKOさんが中国の怪しげなコミックを取り出してみんなに回覧しはじめた。多岐さんも何やら小箱を二つ鞄から取り出した。その小箱から出てきたのは、何と自作の姜子牙との人形であった!姜子牙人形はあきらさんの「中国雑文化」のトップページで拝見していたが、大きさは思ったより小さい。ほぼ手のひら大である。(UFOキャッチャーのぬいぐるみぐらいの大きさだと想像していたのである。)しかし人形の出来は頗る良い。特に姜子牙人形は顔にしわが入ってるなど、ディティールが細かい!一同みな、多岐さまに「是非シリーズ化して色々作って欲しい!」と訴えたのであった。
中華コミックの方は、私はあきらさん所有の「金剛」のフィルムコミックを手に取った。「金剛
」とは、いま中国で大人気のアニメである。『封神演義』の
が主人公なのだが、キャラクターデザインが「聖闘士星矢」にそっくりと日本でも一部で大評判なのである。実際、中を見てみると黄金聖衣みたいな鎧をつけてるキャラクターもいた。姜子牙も何だかゴツくて、「北斗の拳」のウイグル獄長みたいであった。宣和堂さんは感慨深げに、「そう言えば上海に留学していたときに、「聖闘士星矢」が流行していたなあ・・・」とコメント。
食事が到着すると、取り敢えずコミックの方は置いといて中華談義へ。まず宣和堂さんが、「そう言えば妲己って、『封神演義』のトランプでは踊り子みたいなヘソ出しルックで描かれていますよね。 (下図参照) あれはいつからああいう風に描かれるようになったんでしょ?」と口火を切る。
「あれは割と新しいんじゃないでしょうか?」「そう言えばのデザインも時代によって違いますね。」・・・・・・話題は次々と移り変わる。気が付けばトークの方は、居眠り猫さんの独壇場となっていた。彼女の話題はどれも興味深いものであった。それを項目別に分けて紹介してみる。
※ 以下の話題は、大塚秀高・金文京・李福清の各氏の説を元ネタにしているとのことである。詳細についてはこのお三方の研究を参照していただきたい。3番の関羽の出生譚については、大塚秀高氏が『埼玉大学紀要』で触れているそうである。
1.九天玄女と湖の女神
まず、『水滸伝』で宋江に天書を渡すのは、なぜ九天玄女でなくてはならなかったか?という話。どうもこの天書というのは、本来は剣であったのではないかと疑問を投げかける。結論をかいつまんで言うと、九天玄女が宋江に天書を授ける話と、湖の女神がアーサー王にエクスカリバーを授ける話は、同一のパターンに属する物語だと言うのである。更には黄石公が張良に兵法書を授ける話も、後には黄石公が九天玄女に入れ替わったのだと言う。
そう言えば『平妖伝』では、物語の序盤で越女に下凡した九天玄女が剣術でもって白猿神の袁公を屈服させ、その後に越王句践の軍師となるという場面があった。(越女が越王句践の軍師となる話は、更に『呉越春秋』あたりまで遡れそうだが。)金庸の短編『越女剣』では逆に、越女が白猿神から剣術を教えてもらうという展開になっているそうである。
2.二人の宋江
と言っても、「史実において、盗賊の宋江と官軍大将の宋江が存在した」という宮崎市定の説ではない。(こちらの方は中公文庫の『水滸伝 虚構の中の史実』を参照のこと。)雑劇において、道化として物語の狂言回しの役をつとめる宋江と、英雄としての宋江の、二人の宋江が存在するという話である。宣和堂さんがすかさず、「宋江って、どこらへんが英雄なんですか!?閻婆惜を殺したのだって、言ってみたら動機はめちゃくちゃショボいじゃないですか!」とツッコミを入れていた。
3.関羽が紅顔である理由
伝説によると、農民の関某が天から精の入った桶を授けられ、「時期がくるまで蓋を開けちゃいけませんよ。」と注意される。しかし中をのぞきたくなって、期日の直前に開けてしまうのである。すると桶の中の赤ん坊はものすごい赤ら顔で、まだ目も開いていなかった。関某は仕方が無いので刃物で顔に切り込みを入れて目を開かせた。その影響で赤子(無論、これが後の関羽である。)は後々まで棗のように真っ赤な顔で、目は細くて切れ長になったという。
4.宮城谷昌光の『三国志』
なんと、あの宮城谷昌光が『三国志』を執筆すると言うことだが、かなりいまさら感が強い。どうせ書くなら、最低限『蒼天航路』を越えるものに仕上げて欲しいが、宮城谷氏では無理であろう。少なくとも烏丸を烏人間には書く度胸はないはずである。
居眠り猫さまの話の合間合間に、私や宣和堂さんがそれぞれ得意分野について語り始める。取り敢えず私は、宮城谷昌光の『太公望』について「甲骨文や金文の内容を引用してますけど、ただそれを羅列してるだけで勉強したことが自分の身についてないですよ!」と自分のことを棚に上げて批判。そのついでに、太公望が例え実在していたとしても、羌族とは関係なかったかもしれないという妄説を披露した。
宣和堂さまは田中芳樹『紅塵』の話題を出した。私が「欽宗と遼帝が殺される場面は『大宋宣和遺事』からほぼそのまま取っていますよね?」と言うと、すかさず宣和堂さんは「あの小説は徽宗から高宗あたりまでの主な逸話をほとんど取り入れていて、ほんとに傑作ですよ。」と返す。しかし田中芳樹批判サイトでは、中国物というだけで駄作と判定されてしまいがちである。私がその事を残念がると、居眠り猫さんが「一般の読者は『大宋宣和遺事』のことなんか知らないわけでしょ。中国史マニア以外に受ける作品ではなかったということでは?」と言う。宣和堂さんが「あの本を最初に読んだときは、何から引用してるかなんて分からなかったです。でもあれを読んで面白いと思いましたし、そこから宋代の説話に興味を持つようになったのですよ。」と反論。
この話題が出たときに、居眠り猫さんが「どうして日本で『三国志演義』や『封神演義』というと、みんな歴史の方に走っちゃうのでしょうか?本当は文学的な見地から研究すべきものなのに、中国物にハマった高校生なんかは中文科に進学せずに、史学科に進んでしまうことが多いですよね?」という疑問を呈した。
これは、私自身がある意味当事者であるからはっきりと答えられる。中高生向きの『三国志』のガイドブック(これには『三国志』のコーナーがあった昔の『ログイン』なんかも含まれるのだが)には、正史の『三国志』を詳細に解説したものは山のように出版されているが、『三国志平話』や雑劇について解説したものは数えるほどしかない。(東方選書『三国志演義の世界』かコーエー『三国志平話』の解説部分ぐらいだと思う。)そのため、多くの人が演義を一通り読んだ後はたいてい正史を追求する方向に向かうのである。もちろん専門書では文学的見地から研究した物も割と数が出ているが、中高生に専門書を読めというのは酷であろう。
そういったことを私が一通り説明すると、居眠り猫さんが「結局ライターが悪いんですね?」と言ったので、私は勢いで「はい!」と返事を返した。
そこから居眠り猫さんが、「他の歴史物は最初は割と史実に沿った物になっているのに、後の版ではそれが崩されてドンドン荒唐無稽な方向に行ってしまいますね。隋唐物や『封神演義』なんかまさにそうでしょう。ところが『三国志演義』だけは例外的に、『三国志平話』から清の毛宗崗本に至るまで、逆に荒唐無稽な部分を正そうとしてきました。やっぱりそういう点から考えても、『三国志演義』は数ある明清小説の中でも例外的な作品だと思うんです。」その意見に賛同する一同。
更にSUIKOさんが、「『封神演義』もそういう意味では特殊な作品ですよね。普通、神怪小説では天界から仙人が天降って人間に転生するという設定が基本的なのに、『封神』だけは逆に、人間が殺されて天に昇り、神様になっちゃうし。」と指摘。
そこから古典小説のカテゴライズについて話が発展。『三侠五義』というと侠義小説の代表格というイメージがあるが、物語の前半は包拯の裁判話が中心で、侠義小説というよりも公案小説といった方がピンとくる。しかしその包拯の裁判話も幽霊が出てきたりして怪奇的である。ならばこれは神怪小説にも分類出来るのか?というように話が進んだのである。そこから、「『三言二拍』の、偽の二郎神がとっつかまる話は神怪小説っぽいけど、実は本物の神様とかは出てこないし・・・」、「じゃあ『済公伝』なんかはどうなるの?」という具合に、みながツッコミを入れていく。
この話題は結局、「日本のマンガでも、『ドラゴンボール』なんかは最初はギャグマンガだったけど後から格闘マンガになりましたよね?それと同じで、古典小説でも話の途中でジャンルが変わってしまうことがよくあったのでは?」という感じで結論がついたのだと思う。
こういったトークが「咸亨酒店」の一角で繰り広げられていたわけであるが、 (ほんとはもっと色々話題が出ていたはずなんですが、忘れてしまいました ^^;) ふと腕時計を見ると既に一時半を回っている。もうそろそろ内山・東方に向かわないと、四時までに湯島聖堂にたどり着けないぞ!というわけで、談義の種は尽きないもののそれを一時中断して、会計を済ませることにする。
(内山&東方編につづく。散財の悪夢が今一度繰り返されるや否や?)